第1章#3 記憶と事件
それにはまず現状を知る必要がある。見た目は勇者そのものでも僕はこの世界について何も知らないんだから。
「リリア、いくつか聞きたいことがあるんだけど…」
「ボクに何でも聞いて!」
リリアが前のめりになる。
「でも、その前に言っておかないといけないことがあってーー」
「なに?なに?」
「ーー実は僕は記憶がーー」
バンッ!!ガタンッ!!
「!?」
その時大きな物音がして屋敷が騒がしくなった。
「ブランケ様!ブランケ様!」
男の声が屋敷中に響き渡る。
「勇者様、ちょっとごめんね」
リリアはそう言うと急いで部屋から出て扉を閉めた。
「どうしたの?何があったの?」
リリアの声だ。
「リリア様!大変なんです!!ヌシが暴れて!ゼルの奴が…うぅっ!」
扉越しに大きな声がもう一度聞こえる。
「大丈夫、落ち着いて。ゼルさんが怪我をしたの?」
「骨を折って!俺どうしたらいいか分からなくてッ!」
「大丈夫、きっと助けるから。場所はどこ?」
「東の森の納屋近くです!そうだ、神学師様はどこに!?」
「おじいさまは今詰め所に。ボクが先に様子を見に行くから、ファーソンさんはこのまま詰め所に行っておじいさまと衛兵に説明して」
「わ、わかりました!」
また騒がしくなった後、家の中は静かになった。
「勇者様、ごめんね。ちょっと出掛けてくるからーーってうわぁ!」
リリアは扉から顔だけを出したが驚いてすぐに引っ込めた。
「僕も連れてってくれないか!」
扉の前に立った僕の手にはすでに勇者の剣が握られていた。
これはチャンスだ。この世界と勇者について自分で確かめるーー
「で、でも勇者様まだ動けるような身体じゃ…」
「リリア、頼む!」
リリアは一瞬困惑した表情を浮かべたがすぐに決心したようだった。
「うん!こっちだよ!」
建物から出る時、礼拝堂のようなものが見えた。なかなかの大きさだったし教会なのかもしれない。
街中を走っている最中、別の世界に来たという考えは確信に変わった。石造りの街路や山肌にそって作られた雄大な街並みももちろん新鮮だったけど、食べ物や生活器具など売られている物がまるで見たこともないものばかりだったのだ。
今さらだが、何故か言葉は通じるし、文字も読める。大抵のことは理解出来た。まあ正直なところ、急いでたし、道行く人がみんなして驚いた表情で僕を見てくるもんだから大して観察出来なかったけど…。
数分で街を出てすぐに草原に出た。見たこともない景色の連続に僕の心は高鳴っていた。先を急ぐリリアの足はかなり速かったけど、流石は勇者の身体だーー全く息切れしないし、景色を見る余裕さえあった。
「勇者様、気を付けて」
森に入る直前にリリアがそう呟いた。
「あぁ」
そうだ、気を引き締めなければーー。今はこれが現実で、何が起こるか分からないんだ。前勇者ももしかしたら今回のような騒ぎがあって死んでしまったのかもしれない。…そういえば、景色に夢中で何があったのか聞きそびれた…
「これは!?」
唐突にリリアが声をあげ、足を止める。
「こんなところにまで'穢れ'が!?」
その視線の先にあったのはーー
ーー暗闇に呑み込まれたような真っ黒な地面、そこから立ち昇る黒いモヤ。
禍々しく、強烈な異彩を放つそれは、見ただけで触れてはいけないものであることを感じとらせた。
「ゼルさんっ!しっかりして!」
!!。それのあまりの存在感に唖然としていた僕はリリアの声で我に帰った。少し離れた場所で男性を介抱するリリア。話の男はどうやら無事なようだ。
「リ…リリアさま…駄目です…にげて…くだ…さい」
男は苦しそうに呻きながらそう言った。
「しゃべらないで。大丈夫!絶対助けるから」
彼女はそう言いながら何か処置を施しているようだった。
「あれが…あいつが…また…きます…」
男がそう話した時、僕は森の奥に何かの気配を感じ、目を凝らした。
唐突にそれは木々の間に現れた。もちろんそれが何かなんて知るわけもない。だが本能がーー勇者の身体の記憶がそれを危険だと知らせていた。
「リリア!彼を安全なところに!」
僕は無意識に剣を抜いて走り出していた。