そういう事情だったのか
難波康介、視点です。
ゴミ収集所のことを知り合いの職員へ伝達した後、三階の職場に戻ろうと階段を登っていたら踊場でばったり圭司に会った。総務課の末安圭司だ。同期で市役所に入った8人の中で出身大学も同じだったため、この男とは一番仲良くしている。
「オッス。元気してる?引っ越しは済んだの?」
「ああ、やっと片付いたよ。圭司は最近どう?」
僕がそう言うと、圭司はチラッと周りを見て僕を階段の隅に引っ張った。
「引っ越しが済んだんだったら、ちょっと相談にのってくれないか?今日の夜、空いてる?」
「・・ああ、いいよ。何だよ相談って。」
「それは・・長くなるから後で話す。五時半にそっちに迎えに行くよ。」
「わかった。」
何だろ?
圭司はしっかりしている男なので、僕に相談事があるなんて珍しい。
夕方、圭司に連れられて行ったのは駅前の商店街にある「きく江」だった。
僕が中に入るのを躊躇していると、圭司は「ここの煮つけ旨いんだぜ。」と言って店に入って行く。そういう意味で躊躇したわけではないんだが・・。今日、立花さんとキクエさんを見たばかりなので戸惑うが、今回はただの客なので大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせて、圭司の後をついて店に入った。
「いらっしゃいませー。」
柔らかな声をかけられて中を見ると、カウンターに5人が座れるようで、その後ろ側に壁に沿って3つの二人席があり、少し奥まったところに4人が座れそうな座敷席が2つあるこじんまりとした店だった。
「あら~、末安さんいらっしゃい。難波さんとお知り合いだったのね。」
「へ?康介、キクエさんを知ってたのか?」
「うん。家が近所なんだ。」
「そうなんだ。」
圭司は一番奥の二人席に座ったので、僕もついて行く。開店したばかりなのだろう、カウンターの奥の隅に一人の客がいるだけで他には誰もいない。
「キクエさん、いつもの今日の煮つけとビール。それからハンバーグある?」
「あるわよ~。難波さんは何にしますか?」
「えーと、じゃあ僕も煮つけとビール。焼き魚・・そうだなサンマをください。」
「はいはぁ~い。」
「いらっしゃいませ。」
ビールと煮物とおしぼりを持って来てくれたのは、アケミちゃんだった。
「・・・土曜日はスミマセン。」
「ああ・・いや。」
キクエさんに一言謝っておけと言われたのだろう。いかにも嫌々なぶっきらぼうな謝罪だった。
「おいおい、何だよ。アケミちゃんと何かあったのか?」
アケミちゃんが奥へ引っ込むと、興味津々の圭司に小声で聞かれる。
「面白い話じゃないよ。ちょっとしたこと。それより圭司の話は?僕に相談って珍しいね。」
「・・それな。実は・・・去年、俺が初めてチューター補助をやった森川沙也加って新人がいただろ。」
「ああ、美人で仕事を覚えるのも早くて教えることがないって嘆いてた子か。」
「俺そんなこと言ったっけ。」
「言ってたよ。ぜいたくな悩みだよ。僕が受け持った戸田くんなんて、メモの取り方から教えたからね。それで?その森川さんがどうかしたの?」
「・・・告白された。」
圭司が小さい声でボソッと言う。こっちも思わず小声になる。
「へぇ。いつの話?」
「この週末。たまたま買い物に行ったら会ってさ。モールのフードコートで缶ジュースを奢ったんだよ。そしたら急に『好きです。付き合ってください。』だよ。驚いたのなんのって。なぁ、どうしたらいいと思う?」
「どうしたらいいって・・・圭司はどうしたいのさ。こういうのは本人同士の気持ちの問題だろ。その時はなんて返事をしたの?」
「驚いた。返事は待ってくれ。って言っといた。・・・だって告白されるなんて思わないだろっ。それにどっちに転んでも同じ職場なんだから気まずいじゃないか。」
決断の早い圭司が困っている時点で返事になっている気がする。
「そうだな。同じ職場なんだから結婚前提でつき合った方がいいな。指輪をはめちゃえばうるさくいう人もいないよ。」
「・・・康介お前、提案が大胆だな。」
「考えなかったとは言わせないぞ。踏ん切りがつかなかっただけだろ。」
「うぐっ・・・まぁ・・な。」
圭司はビールを一気に飲み干して、煮物の千切り昆布に箸をつけた。
「はぁ~。俺の独身生活も終わりか・・・。」
「いや、二人の薔薇色生活の始まりだろ。」
「そうとも言う。」
「なんだよ。決心したら惚気やがって。ここ、圭司の奢りな。」
「わかったよ。まぁ、今日はそのつもりだったし・・。」
圭司にとっては大きな決断だから、どうやら僕に背中を押して欲しかったようだ。
それからは、他愛のない職場の話をして旨い酒を飲んだ。サンマも美味しかったけど、圭司に言われて一口もらったハンバーグがことのほか美味しかった。どうもこの店のお勧めらしい。
圭司がアケミちゃんに会計を払っている時に、「難波さん、先日の事でちょっと・・。」とキクエさんに奥から呼ばれたので、挨拶をして圭司とはそこで別れた。
「はい。何でしょう。」
僕が厨房の入り口に行くと、裏口近くにあった3畳ほどの事務室件休憩室のような所に引っ張り込まれた。
「ごめんなさい。ちょっとお昼のことを言っときたくてぇ。」
「ああ、そんなことですか。誰にも言いませんよ。」
「・・・難波さんなら大丈夫だってわかっているんだけど。悦ちゃんがね、立花さんと結婚するのを反対してるの。だから悦ちゃんにだけは絶対言わないで。」
「・・・結婚?でもどうして悦子先生がそこまで言うんですか?」
「結婚は決まったばかりなの。今度の仕事から帰ったら返事をくれって言われてたのよ。私も悩んだのぅ。彼、再婚で小さい娘さんもいるのよ。悦ちゃんもその事を心配してて・・。」
「はぁー、なるほど。わかりました。」
「わかった?本当に?」
「ええ。言いませんよ。籍を入れたら教えてください。」
僕がそう言うと、キクエさんはホッとした顔をした。「ありがとう。」とうつむくその姿に思っていることが現れていた。
キクエさん自身が一番不安なんだ。悦子先生が指摘することは、本人もとことん考えたに違いない。昨日、僕が立花さんの帰国を伝えた時にも、キクエさんの中には手放しの喜びなどなかった。むしろ自分の中に存在している悩みと向き合っているような感じがした。そんなキクエさんがお昼に立花さんと歩いていたことに僕としては驚いたのだ。
たぶん一番親しい相談相手に何か言われたら、自分の決心が揺れそうで怖いのだろう。
今日の圭司ではないが、結婚は大きな人生の岐路だ。どこかに確信を得たい。しかしそんなものはどこにもない。大博打を打つ思い切りも必要だ。
・・・その思い切りの後押しの為に僕に話したかったってわけか。
二人の人間にそんな役柄に選ばれて、こんな日は人生でもそうそうないな。自転車を押して歩きながら、僕の口からは苦笑が漏れたのだった。
わかって聞いてくれる。二人はそう思ったのかもしれませんね。