これを貰っても・・・
訪ねてきた人は・・・。
難波康介君のターンです。
「突然ごめんなさぁ~い。私は、二階の小川と言いますぅ。」
玄関の外にいたのはアイスが主食のキクエさんだった。
「はい・・。何の御用でしょうか?」
キクエさんはもじもじとしながらも僕の前に鍵を差し出した。
「あのぅ~、これをどうぞ。」
ん? 鍵を僕に渡すってどういうことだ?
「鍵・・ですね。どういうことなんですか?」
「え~と、これはアケミちゃんが持ってたものなんです。もういらないからって。・・そのぅ、アケミちゃんは以前この部屋にいた酒井正人さんとつき合っていて、ええっと・・・。」
なるほど。酒井さんはどうも不実な男の人のようだ。さっきの人がアケミちゃんなんだな。彼女に断りもなくドロンと転勤してしまったというわけか・・・。
「・・・だいたいの事情はわかりました。大家さんには言いにくいですね。僕が預かっておきます。」
僕がそう言うと、キクエさんはやっと顔をあげて安心したように微笑んだ。
「すみません。」
キクエさんは僕にぺこぺこお辞儀をして帰って行った。
しかし鍵を渡すほど親しい人に何も言わずに引っ越すなんて・・・考えられないな。
昼食の後片付けをしながら、僕はさっきのアケミちゃんと正人さんの関係を考えていた。世の中理解の範疇を超えることがままある。市役所で働いていると常識の通じない人も多いことがよくわかるのだ。・・・しかし、ここは二人の愛の巣だったのかぁー。なんか微妙な気分だ。アケミさんがこの部屋でくつろいでいる様子をつい想像してしまった・・・。
**********
町の中心部にある大型ショッピングモールで、大きなカートに三段ボックスの箱や一人用の傘立てなど生活に必要なものを買い込んでいると、日村さんを見かけた。
物凄く真剣な顔をして引き出しのついたプラスチック棚を眺めている。
「こんにちは。あのぅ、先程は麻婆ナスをありがとうございました。とても美味しかったです。」
僕が声をかけると、日村さんは僕を見てふわっと笑った。
「そうですか。美味しく食べて頂いて良かったです。」
その笑顔に勇気づけられて、僕も話をする気になった。
「ところでさっきから難しい顔をしてこの棚を見ておられたようですけど、どうかしたんですか?」
すると日村さんは真っ赤になった。
「恥ずかしい・・。そんなに変な顔をしてました?」
「いえいえ。ただ何か悩まれているのかなって気になったものですから・・。」
日村さんはちょっと迷った後で、事情を話してくれた。
「実は教室の棚が壊れているので買い替えたいんですが、送料とこの棚の値段が釣り合わないなぁと思ってたんですよ。安い棚なのに、大きいから送料がかかるそうなんです。バスで持って帰るには場所を取りますしね。」
「ああ、そんな事なら僕の車で運びますよ。このくらいの大きさのものなら入りますから。麻婆ナスの御礼です。」
「えっ、そんな。あれは水をかけてしまったお詫びなんですから・・。」
「・・・じゃあちょっと頼まれてくれませんか?この荷物を車に乗せたら、食品関係の買い物をしたいと思っていたんですが、どれを買えばいいのか皆目見当がつかないんですよ。コンビニの弁当ばかりじゃ飽きますから、なにか簡単にできる食材でも用意しようと思ってたんです。アドバイスして頂けると助かります。」
「ああ、そういうことなら・・。私も食品コーナーには寄って帰るつもりだったのでいいですよ。」
交換条件が成立したので、三十分後にエレベーター前のカート置き場で待ち合わせの約束をした。僕は日村さんが買った棚も一緒にカートに乗せてエレベーターに乗り、車へ荷物を積みに行ってきた。
髭剃りクリームなどの必需品も買ってカート置き場で待っていると、日村さんが速足でやって来た。
「すみません、お待たせして。」
「いいえ。もう他の買い物はいいんですか?」
「はい。後は写真を現像したものを取りに行くだけですから。」
「そうですか。じゃあ行きますか。」
僕たちはそれぞれにカートを押して、僕にとっては未知の世界である食品コーナーへと足を進めた。
「あの、難波さんは嫌いな食べ物とかあるんですか?」
「そうですね。酢魚以外はだいたい大丈夫です。」
僕がそう言うのを聞くと、日村さんはホッとしてやる気に満ちた顔になった。
「私は今日、ここのお惣菜を買って帰ろうと思ってたんです。」
そう言われて見ると、揚げ物の美味しそうな匂いがしている。そのコーナーの前にチーズやバターが置いてある棚があったので、最初にそれを籠に入れる。すると日村さんが振り返って、言った。
「あら、それを買われるんでしたらいいのがありますよ。」
同じメーカーで独り暮らし用に切ってある小さいサイズのチーズがあるそうだ。チーズの方は、そのお勧めのものに変えた。
総菜は、日村さんがコロッケ。僕は鶏の唐揚げを買う。食パンも買って、サラダのコーナーで袋に入っている千切りしたキャベツとこれも袋とじになっているごぼうと大豆のマヨネーズあえを日村さんに勧められてカートに入れる。魚の缶詰や簡易味噌汁、コーンスープなども美味しいものを教えてもらった。調味料も塩と胡椒、砂糖、醤油、油、焼き肉のたれ、マヨネーズ、ケチャップ、だしつゆなどを日村さんは僕のカートに次々と放りこむ。ソーメンの袋を日村さんが選んでいる時に、僕はインスタントラーメンの大袋を入れた。
「これは食べ過ぎたら胃に悪いですからね。キャベツやニンジンなどの野菜炒めをのせて食べたほうがいいですよ。」
とおっとりと釘を刺されてしまった。姉がいたらこんな感じなのだろうか。
ハムとベーコン、豆腐を買って野菜コーナーにやって来た時に包丁やまな板などの調理道具があるのか聞かれたので、一通りは実家のいらないものを持って来たと伝えた。
「じゃあ野菜をゆでたり、炒めたりぐらいはできるわね。」
できるわねと軽く言われたが、できるだろうか?
「鍋にお湯を沸かして塩をひとつまみ入れて茹でて食べて下さいね。」
と言いながら、オクラとブロッコリーを入れてくる。
「オクラにはだしつゆをかけると美味しいですよ。」
・・・そうなんだ。僕はずっと醤油をかけて食べてたよ。
二分の一のキャベツと玉ねぎ、にんじん、ジャガイモを各二個ずつ渡される。
「焼き肉をしてもいいし、カレーを作りおきしてもいいですよ。」
と言われたが・・・。
「・・・焼肉はなんとか出来そうですが、カレーは作り方がわかりません。」
と言うと、呆れられた。
「独り暮らしをするならカレーぐらい作れるようにならないと・・・。」
カレー粉の箱を渡されて、裏の作り方を見ながらやってみなさいと言われた。
ついでに焼き肉用とカレー用の肉も買うことになった。カレーは残ったら専用のタッパーに入れて冷蔵庫に入れておくとよいそうだ。
・・・何事も挑戦だ。やってみよう。
レジを済ませてエレベーターの方へカートを押していると、「それではこれで。」と日村さんが別れて行こうとしたので、僕は慌てた。
「えっ?僕の車で一緒に帰りましょうよ。家がすぐ側なんですから。」
と言うと、俯いてもじもじしている。
「でも、ご迷惑では・・・。」
「そんなことはありませんよ。それに棚のこともありますし・・・。」
「あっ、そうでしたね。では、写真を取って来ますから待っていてくれますか?」
「ええいいですよ。僕はタッパーを買ってからここのベンチで待ってますから。」
なんとも遠慮がちの人だ。今日会ったアケミちゃんとは大違いだな。でも料理に関してはテキパキしてた。そのギャップに笑いが漏れる。
日村さんか。穏やかで柔らかそうな人だ。日村・・・何という名前なんだろう。
少し気になってきたのかな?




