近所付き合い
日村悦子さん視点です。
フミちゃんがうちにやって来たので、塾が始まる前に神木さんの家へ一緒に行くことにする。
「フミちゃん、その袋なにを持って来たの?」
「桃だよ。お母さんの実家から送って来たの。悦ちゃんが持ってるのは?」
「晩御飯のおかず。足が痛いと食事の用意も大変でしょ。」
「へぇー、いいなぁ。悦ちゃんのご飯はおいしいからなぁー。」
「良かったら、帰りに持って帰る?ピーマンとナスの炒め物だけど。」
「うん。一人分ちょうだい。それお父さんの好物だから。お父さんに最近会ってないんだ。私達が寝てから帰ってきて、起きる前に仕事に行ってるんだもん。」
「部長さんになったから忙しいのよ。自動車の設計も大変ね。」
「私はもっと余裕のある大人になりたいなー。ちっとも遊べなくておもしろくなさそう。」
「そうね。でも、お父さんはフミちゃん達がいるから頑張ってるんだと思うわよー。」
「えー、そうかなぁ。日曜日なんか寝るばかりで私達の顔も見ないよ。」
「まあフミちゃんも大人になって独り立ちしたら親のありがたみがわかるわよ。」
「ふぅーん。」
神木さんの家に行って、玄関から声をかけると何の返事もなかった。思わずフミちゃんと目を見かわす。
「ヤバいんじゃない、死んでるのかもよ。」
「まさかっ。神木さぁーん、神木さぁーん!」
「じいさぁーん。死んでるのぉーーーっ?」
私達が大声で叫んでいると、「うるさいっ!」というくぐもった声が聞こえて来た。
「生きてたっ!」
しばらくすると杖を突くような音がして、玄関の開き戸が少しだけ開いた。どうも杖で戸を開けたようだ。
「鍵は開いとる。外で大声を出すなっ!」
大声を出して神木さんに怒られるとは・・・。何とも皮肉なものだ。
私達が戸を開けて中に入ると、ぶすっとした顔で神木さんに睨まれた。
「今度はお前らか・・・次々とやってきおって、おちおち便所にも行かれんわっ。」
「すみません。タイミングの悪い時に来てしまって・・・。先日、カメ太郎を見つけて下さったお礼に伺ったんです。ほらっ、フミちゃん。」
「カメ太郎を助けてくれてありがとうございました。これ、気持ちだけですが御礼です。桃なので早めに食べて下さい。」
フミちゃんが桃の入った袋を差し出すと「そこに置いといてくれっ。」と言われた。
「私が冷蔵庫まで持って行きます。こっちのタッパーはナスとピーマンの炒め物ですから夕食に召しあがってください。では、ちょっと失礼します。」
私は草履を脱いで桃とおかずを持って神木さんの横をすり抜けて家の中へ入る。
「おいおい、何をしとる・・。」
神木さんは戸惑っているようだが、こういう時はお互い様だ。台所に入ってちらっとシンクを見たら、やっぱり洗いものがたまっている。
「神木さん、洗いものだけしときますね。」
「そんなことはしなくていい。」
「あら、もうやってます。直ぐですから。後で湿布を変えますから椅子に座っといてください。フミちゃん、歩くの手伝ってあげて。」
「ええーっ。」
神木さんとフミちゃんが睨み合っているようだったが、「杖を持っていないほうの手を肩に置いてっ。」とか言っているので、何とかやっているのだろう。
洗いものが済んで、冷蔵庫と炊飯器の中をチェックしたので買わなければいけないものが大体わかった。
持って来たメモ帳にメモをしておく。
神木さんとフミちゃんは、二人で協力して居間の椅子まで歩いてこられたらしい。
「悦ちゃん、座れたよ。」
「はぁい。じゃあ湿布を変えましょう。」
湿布は飯台の上に投げ出してあったので、それを持って居間に入る。
「湿布は自分で変えるっ。」
「はい、お風呂の後はご自分でなさってくださいな。難波さんが心配されてましたから、今度だけ私に見せて下さい。連絡する約束なんです。」
「はぁ~、お前らはもう。結託しおってっ。ケンマチャットだけでも煩いのに・・。」
「へー、ケンマチャットも来てるんだ。」
「フミちゃん、これをコンビニで買ってきてここの冷蔵庫に入れといて。私は湿布を張り替えたら家に帰るから。」
フミちゃんにメモ帳と難波さんから預かったお金を渡す。
「わかった。いいよやっとく。」
「お願いね。」
フミちゃんが家を出て行ったので、神木さんの前にしゃがんでじっと顔を見上げる。
「・・・わかった。これ一回だからな。」
「ありがとうございます。約束を破らなくて済みました。」
神木さんの足のゴムのサポーターを外して湿布をそっと取ってみた。
少し腫れているけど大丈夫そうだ。触ると顔をしかめたが、水が溜まっているような感じはしない。やれやれ。この調子ならあと何日かで治るかもしれない。
「ひどくはなってないみたいですね。」
「ああ、昨日よりはいい。」
「良かった。」
「しかしお前らは・・・お節介な奴らばかりだ。」
「ふふ、そうですね。でもみんな独り暮らしなんだから病気やケガの時には助け合わなきゃ。お互い様ですよ。」
「最近の若い奴はそういう近所付き合いなんかしないと思っとった。」
「あら、ぽうさん横丁には変わり者ばかりいるのかもしれませんね。」
私がそう言うと、神木さんは泣きそうなのを我慢しているような顔をした。私にはそんな顔を見られたくないだろうと思ったので、下を向いて湿布を貼りサポーターをもとのように足首に履かせた。
「それじゃあ、塾があるのでお先に帰りますね。フミちゃんとケンカしないでくださいよ。」
「わかっとるっ」
神木さんの家を出て、難波さんにミッション完了の短いメールだけを打った。
家に歩いて帰りながら、神木さんの言う昔風な近所付き合いのことを考えた。難波さんがいなかったらここまで神木さんの事情に踏み込めたかしら?とも思う。
人を拒絶しているみたいな頑固爺の神木さんに、周りのみんなも遠慮して手を差し伸べられなかったのじゃないだろうか。
・・・本当に得難い人だな。
ですね。