神木のじいさん
カメのご縁ですね。
水曜日の仕事帰りに自転車を走らせていると、後ろから来た自転車が隣に並んだ。
「ナンパサンッ!コニチワ。」
「あれぇ~、ケンマチャットさん。学校からの帰りですか?」
「ハイッ。シケン、オワタ。ヤッホー、デス。」
すいぶんテンションが高い。そして声も大きい。歩いていたおばさんが振り返って僕たちの顔をジロリと見たのがわかった。ナンパじゃなくて、コウさんと呼んでもらうように頼もうか・・。どうも外聞の悪い名前に聞こえる。
ケンマチャットさんもコンビニに用事があるというので、二人でコンビニまでやって来た。僕たちが自転車を止めて入り口の開き戸を開けて中に入ると、ちょうどレジが終わった神木のおじいさんが両手に大きな袋を下げてこちらに歩いてきた。会釈をしてすれ違った時に、亀のことを言ってなかったのを思い出した。
「あっ、神木さん。昨日の亀のことなんですけど・・。」
「ん?」
神木さんが入り口の所で僕の方へ振り返ったところに小学生の男の子たちが勢いよくドアを開けて入って来た。あっと声を出す間もなく、三人の子ども達と神木さんがもつれあって転んでしまった。神木さんの持っていた袋から食材が飛び出して、コピー機や雑誌のラックの下の方まで転がっていく。
うわぁー、声をかけなければよかった。
僕は慌てて神木さんを助けに行った。
「大丈夫ですか?申し訳ありません、僕が声をかけたばっかりに・・。」
「いや、あんたよりお前らだっ!前も見ずにこんなに乱暴に戸を開ける奴がいるかっ!」
三人の子ども達は自分で立ち上がっていたが、神木さんの怒鳴り声にびくっと身体を震わせた。
「すみませぇ~ん。」
「馬鹿野郎!こういう時は、ごめんなさいと言うんだっ。」
「「「ごめんなさい。」」」
ケンマチャットさんがレジをしていた一平君と一緒に下に落ちた商品を集めてくれている。一平君は神木さんの怒鳴り声に慣れているようで、やれやれという顔をしている。
神木さんはなんとか立ち上がったのだが、右足首を少し痛めたようで足を地面につけると顔をしかめている。
「僕の自転車に乗ってください。家まで送ります。」
「いやいい、歩けるっ。・・・痛ててっ。」
神木さんは頑固に歩こうとしたが、やはり無理なようだ。
「ポクモ、タスケル。」
「ありがとう。ケンマチャットさん。」
「・・・すまん。ここはお言葉に甘える。」
やっと神木さんも納得して、僕たち二人の肩を借りて自転車まで片足で歩いた。子ども達が手分けして神木さんの荷物を運んで自転車のカゴに乗せてくれる。
僕一人だとバランスが悪いので、ケンマチャットさんと二人で自転車の両側を支えて押していくことになった。神木さんは男二人に挟まれて居心地が悪そうに自転車に跨っている。
「ごめんね。ケンマチャットさん。自転車はここに置いといていいの?後で車で送るよ。」
「ダイジョブ。ジテンシャ、イッペニ、カエシタ。」
「ああ、そうか。試験が終わったからだね。」
「ソウデス。」
「おい、お前の名前はなんて言うんだ。」
黙って僕たちの話を聞いていた神木さんが急に僕に話しかけて来た。
「すみません。言ってませんでしたね。木内さんのアパートにお世話になっている難波康介と言います。」
「ポクハ、ケンマチャット。タイジンデス。アパート、イッショデス。」
「ふうん。それで難波さん、亀がどうしたって?」
昨日は神木さんの家の前を通りかかった時に、「これを塾の女のところへ持って行けっ。さっき庭にいた。」と急に亀の入ったビニール袋を渡されたのだ。
「あの亀は片山のフミちゃんが飼っている亀だったんです。探していたそうでとても喜んでいました。」
「ふんっ。そんな事だろうと思った。隣のガキどもはおかしなものばかり飼いよる。一番上のほれ、さっきコンビニにおった・・。」
「イッペ?」
「そう。あいつは蛇を飼ってたんだぞ。庭を散歩させとるのを見てうちの女房が震えておった。」
「そうなんですか。奥さん、亀は大丈夫だったんですか?」
「・・・女房はもうおらん。五年前に死んだ。」
「あっ・・それは・・すみません。」
三人の間にしばし沈黙が落ちた。
でもこれは困ったな。独り暮らしなんだろうか?そうなんだったらこのまま病院へ連れて行ったほうがいいかもしれない。
神木さんの家に着いて、居間に置いてあった椅子に二人がかりで座らせる。その後で神木さんが買い物をした食材を台所に持って行く。シンクには洗っていない皿が積んであるし、どことなくほこりっぽい。どう見ても男の独り暮らしだ。
「神木さん、食材を入れるのに冷蔵庫を開けますよ。」
「すまんな。適当に入れといてくれ。」
僕たちは食材を冷蔵庫に入れた後で、居間に戻ってきた。
「僕が車を出しますから、これから病院へ行っときましょう。」
「病院など行かんでいい。ただの捻挫だっ。」
「・・・しかしお独りでしょう。夜中に痛くなったら困るんじゃないですか?」
「かまわん。」
なかなか頑固な人だ。
「そうだな・・・じゃあ、僕が湿布を買ってきます。夕食は・・・そうだっ。僕は今日焼き肉をしようと思っていたんですよ。ケンマチャットさんもここで一緒に食べようよ。」
「ここでぇー?!難波さん、何を言っとるんだっ。」
「ヤキニク、ヤッタアー。ヒューヒュー。」
「病院へ行かないんだったらしばらく様子を見たほうがいいですからね。ホットプレートはありますか?」
「・・それはあるが。」
「良かった。うちにはフライパンしかないから助かります。じゃあいろいろ用意をしてきますから大人しくしといてくださいね。」
僕とケンマチャットさんは一旦アパートに帰った。そしてアパートの部屋の前で相談して、お互いに手分けして夕食の準備をすることになった。ケンマチャットさんに買い置きのうちの食材を渡して、先に神木さんの家に行って準備をしておいてもらう。僕は車で湿布や買い足す肉などを調達に行くという段取りだ。
今回のことは不測の事態だったけれど、なんだか楽しくなってきた。
ドラッグストアのある近所のスーパーで買い物をして神木さんの家に行くと、中から笑い声が聞こえて来た。
「こんにちはー。帰りました。」
「ああ、ナンパさんか。入って。」
「失礼します。神木さんー、ナンパさんはやめて下さいよ。ケンマチャットさん、僕のことはコウサンでお願いします。」
「コウサン?」
「そう。」
「ポクハ、サンイラナイ。ケンマチャット、ヨンデクラサイ。」
「わかった。」
「じゃあ儂もそう呼ばせてもらおうか。儂は寅次郎じゃから、寅さんと呼んでくれ。」
「トラサン。」
「寅さん・・・なんだか映画みたいですね。」
「忘れんでよかろう。」
なんだか神木さんも楽しそうだ。最初会った時の不愛想な様子とは全然違う。焼き肉を食べるのを提案して良かったな。
寅さんの足の手当てをした後、三人でおおいに食って喋った。
ケンマチャットが六人兄弟の三番目で、上のお兄さんとお姉さんの援助で日本に来たこともわかった。タイにある日本の大手自動車メーカーに就職するために日本語を学びに来たらしい。
神木さんのほうは息子さんが一人いるそうだが、県外で家庭を持っているので一年に一度ぐらいしか会えないそうだ。お孫さん二人も大きくなって独立しているので、寂しいものだと言っていた。
ここでも僕は自分の恵まれた環境を申し訳ないと思ってしまった。
みんな頑張っているんだな。僕も・・料理ぐらい出来るようにならないと。明日はまた食材を買ってこよう。肉か魚を買ってきて、残っているオクラを茹でるかな。
焼き肉・・・いいなぁ。