第六話「破壊神の失態」
新月の晩で人は少ないが、それでも終電前の秋葉原駅前は混乱していた。
「ガオオオオオオ!!」
それは一見して巨大なマリモ。
直径は3メートル程。黒い触手でびっしりと表面を覆った球体のそれは、ゴロゴロと転がって駅前のモニュメントに激突、破壊した。
駅員たちが改札を封鎖しつつ、逃げる市民を誘導している。
ドゴォン!
また別方向へと転がるリュカオーン。
今度は線路の高架を支える柱の一つを破壊した。
「グル……グルル……」
ゴロリ、と不穏な気配を振りまきながら、道路の中央へと転がる。
走ってきた自動車が急停止し、後続の車が激突した。
「ひっ…ひいっ……!」
前の車から運転者が飛び出し、リュカオーンから遠ざかるように駆け出す。
だが、後続の車からは誰も出てこない。
「だっ……誰か助けっ……」
助手席に座っていた高齢の女性が、運転者の腕を引っ張っている。
運転者の夫は気絶しており、パニックに陥っている妻の力では助け出せないのだ。
マリモ型のリュカオーンが、ゴロリと動き、その車に目を付けた。
「ガオオオオーン!」
「ひいいっ!」
迫るリュカオーン。
その時。
「マテリアル・ハック! 硬くなれぇぇぇ!!」
夫婦が乗った自動車が、淡い魔力の輝きに包まれた。次の瞬間に激突する怪物。
車には傷一つなく、弾き飛ばされたのはリュカオーンの方だった。
「ガ……ガア?」
「――そこまでよ!」
線路の高架上に立ち見下ろしているのは、メイド姿の四人のアルテミス。
その一人、黄金のオーラに輝くツインテールの少女の周りに、無数のコンソールが浮かんでいた。少女の指がコンソールを踊る。近くの家電量販店の看板を照らしていたライトが、方向を変えてアルテミス達を照らし出した。
「レコード・ブレイカー・ミイちゃん! 貴方のこと、ハックしちゃうぞっ♪」
「アルティメット・シザー・マユマユ。悪いけど、斬らせてもらうよ」
「トリプル・ウィザード・サッチー。うぜえ、燃やすぞ」
「えっ、なにこれ? わたしもやるの??」
一人困惑している、白銀のオーラを纏う女性。
三人に視線を向けられ、覚悟したようにキッとリュカオーンを睨みつけた。
「しっ……シルバー・デストロイ・ナユタ! 月より彼方に、イかせてあげるわ!」
目撃した一般市民から、歓声があがる。
「おい……アルテミスだ!」
「A'sじゃねえぞ! メイドだ! メイドのアルテミス!」
「秋葉原の都市伝説!」
「噂は本当だったんだ!」
「うおおお!」
その姿をカメラに収めようと、一斉にスマートホンを向ける市民たち。
だが。
「あ、あれ?」
「なんで?」
カメラが起動するスマホは一台もなかった。
「てへ。ゴメンね、みんな」
魅衣子の魔法が阻害しているのだ。
「はっ……恥ずい……このぉ!!」
叫びとともに、那由多は地面を蹴ってリュカオーンへ突撃する。
「待てナユ吉っ、指示がまだ!」
「強度Cなら余裕っ!」
摩佑の制止を無視する那由多の拳に、白銀のオーラが纏われる。
リュカオーンは触手の一部を、ガードするように伸ばした。
「根性ぉ! 右ストレートぉ!!」
破魔の拳が、触手の防御に激突する。
ヌルンッ! と表面を滑り受け流された。
「え!?」
ドゴォン!
那由多の拳はアスファルトを砕いたが、リュカオーンは無傷。
「ギュオオオオン!!」
背後から、無数の触手が那由多に向かって猛烈な勢いで伸びてきた。
「ちょっ……きゃあああ!」
四肢を拘束され、そのまま怪物の本体に引き寄せられる。
球状のリュカオーンに磔にされたような恰好だ。
「なにコレなにコレ! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!」
「あーあ。言わんこっちゃない……」
悲鳴をあげる無様な那由多に、祥はため息をついた。
「おまたせ。……なにこれ、どういう状況?」
「那由多っ」
追いついてきた迦具夜と牧が、状況を見て絶句する。
「……何やってんだ、あの恥さらしバカ……」
「ねえマッキー。A'sのアルテミスって管理官の指示無しで突撃するルールでもあんの?」
あきれ果てた魅衣子に突っ込まれ、牧は返す言葉も無い。
「くそ、しかたがない」
牧はグラスカウンターを起動し、リュカオーンの分析と戦術指揮を取ろうとする。
だが、迦具夜に肩を叩かれ制止された。
「待って牧くん、灯里の管理官は私。ここは任せてもらうわ」
「……ち。だったら早くしてくれ」
舌打ちをして半歩下がる。
「あっ……牧? これ、これは違うの、……このぉ!!」
遠くから牧の姿を認めた那由多は、大の字で磔にされた己の無様さに赤面した。
そして怒りを背中の怪物へと向ける。
「ふざけんな、このマリモぉぁ! 根性ぉぉぉ!!」
那由多の気迫とともに、体から白銀のオーラが噴き上がる。
「ギャアアアア!!」
リュカオーンが悲鳴を上げる。
アルテミスの魔力は、リュカオーンの天敵だ。
強度C程度が相手なら、那由多のオーラは触れるだけでダメージを与えることができる。
しかし。
「あら、やっかいねあのリュカオーン。ビホルド級の粘膜防御タイプだって」
「……なんだと?」
迦具夜の呟きに、牧の顔色が変わった。
魅衣子が魔力コンソールを操作し、リュカオーンを分析している。
「通報アプリによると、素体は不登校の学生。周りを拒絶する心が防御能力に出るって、よくあるタイプ」
「単純な堅さじゃないから、那由多ちゃんみたいに『面』でダメージ与えるスタイルだと、魔力を流されて相性最悪ってところね」
「お前達、なにを悠長な!」
牧は迦具夜を押しのけて、自分の背中に手を伸ばす。
だが、A's時代に携帯していたライフルを今は持っていない。
「くっ!」
「グオオオオン!」
リュカオーンは咆哮を上げると、那由多を巻き込んだまま再び転がり出した。
「きゃああ! ぷぺっ!」
オーラでガードしているものの、怪物の巨体でアスファルトに押し潰され那由多は悲鳴を漏らす。
リュカオーンはそのまま転がり続け、アルテミス達から逃走を試みる。
「はぶっ! ……っ……くっ……!」
「逃がさないわ。サッチー」
「わかった、迦具夜さん」
迦具夜の指示に応じて、祥が飛び出した。その身には、真紅のオーラが纏われている。
「このマリモ野郎、キモいんだよ!」
祥がリュカオーンの行く手に向けて手を伸ばした。転がる先を塞ぐように、炎の柱が噴き上がる。
「発火能力!?」
〈トリプル・ウィザード〉祥の能力をPKしか知らなかった牧は、驚愕する。
「ギュオオン!」
「……はぶっ!」
炎を嫌って、リュカオーンは急停止する。地面との間で潰される那由多。
また別方向に転がってリュカオーンは逃げようとする。
「行かせるかよ」
再び炎の柱が屹立し、逃走は妨害される。
「グオオ!」
「ぶっ」
行く手を悉く塞がれ、リュカオーンはさながらピンボールのようだ。
「ガオオオ! ギュオオオオン!」
「ぶっ……っ……はぐっ……」
「あははっ! 面白え!」
オーラで防御している那由多には、肉体的なダメージは皆無だ。
ただ屈辱という、精神的ダメージだけが与えられ続ける。
「い、いいかげんにぃ……! ド根性ぉぉぉ!」
怒りの限界を迎えた那由多のオーラが、大きく膨れ上がった。
「……ギャアアア!」
回転を続けていたリュカオーンの動きが止まる。
身体を拘束している触手の一本一本が規格外の魔力に負け、バチン! バチン! と弾け始めた。
だが。
「那由多ちゃん。それ以上ダメ」
「ええ!?」
銀鈴のように通る声が、那由多を制止した。
そんな能力無いはずのに、迦具夜の言葉ひとつで、那由多は魔力を抑えてしまう。
「貴女の力、こんな街中で危険よ。局地戦なら……マユマユ」
「待ちくたびれたよ、迦具夜」
蒼のオーラを纏ったショートカットの麗人、摩佑が飛び出した。
炎柱に囲まれ右往左往しているリュカオーンの直上へと、跳躍する。
「ナユ吉! 手元が狂ったらごめんな」
「えっ、ちょっ……」
「冗談だよ!」
怪物に落下する摩佑。
「ギュオオ!!」
魔力を弾く粘液に覆われた触手が、摩佑に向かって伸びる。
「掴まるかって」
身をくねらせて触手を躱し、そして。
「――スラッシュ!」
魔力の閃光が閃いた。
摩佑が着地した、次の瞬間。
「ギャアアアアアアアアア!!」
怪物の悲鳴が響き渡り、体表を覆い尽くしていた触手のほぼ半分が、見事に斬り落とされた。
「きゃん!」
解放された那由多は、地面に落ちて顔面を強打する。
「大丈夫か、ナユ吉?」
「……同情しないで……」
ゆらり、と立ち上がる那由多。
目の前のリュカオーンは粘膜防御の触手を失い、碌に動けずにいる。
〈うおおお!〉
〈すげえ、メイドのアルテミス!〉
〈青い光の人、かっこいい!〉
〈いやいや、火ぃ出した女の子だろ! 超美人!〉
〈金色ツインテール、めっちゃ可愛い! 俺見たんだ、あの子の周りに光がバーッて!〉
彼女たちの活躍を見守っていた一般市民たちが、熱狂している。
そして。
〈銀色の子だけ、なんかダサかったな〉
〈アルテミスにも、ダメな奴はいるんだろ〉
冷静な声も混じる。
那由多がA'sで戦ってきたリュカオーンは、ほとんどが強度B以上。
A's保護班を始め、警察などの規制線が迅速に張られ、市民が戦闘を目撃するケースはほとんどなかった。
だからこのように衆目を集める戦いは、那由多にとって初めての経験だ。
そして、この無様。
「……このっ」
ギンっと怪物を睨む那由多の瞳に、銀の輝きが宿った。
「!! サッチー、目標を上空に放り投げて!」
迦具夜の指示が飛ぶ。
「マジかよ! くっ、重え!」
祥のオーラが赤く輝き、サイコキネシスが発動。
リュカオーンの体が、上空へ見えないクレーンで吊られたように持ち上がった。
「やめろナユ吉……うおっ!」
抑えようとした摩佑が、銀のオーラで跳ね飛ばされる。
辛うじて空中で回転し、足から着地した。
「ミイちゃん!」
「マテリアル・ハック……エアリアル・ガード!」
迦具夜の指示を受け、魅衣子は空中に浮かぶリュカオーンと一般市民たちの間に風の結界を張り巡らせる。
次の瞬間だった。
「ド根性ぉぉぉ! アッパーカットぉ!!」
白銀の閃光が輝き、リュカオーンの体が爆散した。