第7話 訓練その一、開始
うーん……突拍子もないアイデアと設定を結び浸けるのって、意外と難ありですね。
日が昇り始めたとある町で、翼の少女――カマエルは現界した。
その時彼女が感じたのは、決して尽きることのない憤怒と、重くのし掛かる後悔。
なぜ自分は、またここに来てしまったのだろう、と――。
「……っ!」
自身の内から溢れ出る怒涛の衝動が、頭からくる痛みと一緒になってカマエルを苛む。
ああ、駄目だ、ダメだ……。
感情を抑えるかのように体を抱き締めたと思うと、やがて片手に赤い炎を生み出し――その手を天空へと伸ばした。
ゴウッ、という凄まじい音とともに、紅蓮の柱が雲を貫く。
「はあ……はあ……――ッ!」
肩で息をしだしたカマエルはその後、再び苦しむような声を上げて、その場にうずくまってしまう。
体が何かを拒んでいるような、奮い立たせるような、平常が保てないような感覚が起きる。
苦しみ悶え意識がまだらになる中、カマエルは僅かに顔を上げた。
その時、彼女の視界に、風に揺られている何かが映る。
ふとそれに焦点を合わせると、それが見たことのない植物であることに気づく。
螺旋状に垂れ下がった大きな葉と、その中央に付いている小さな蕾。
なぜだろうか。それを見ていると、不思議と痛みが和らいでいく。
「…………」
物珍しさと、少しでも気を紛らわそうとする本能的な意思によって、カマエルはその植物に触れた。
◆ ◆ ◆
午前一○時半頃、悠斗は柏市にある駅の看板前にいた。
昨日、ノワルの襲来が起きたというのに、通行人はそのことなど当に忘れているかのように平然と歩いていた。不思議なものである。
周囲を一瞥した悠斗は、視線を落として自分の服装を確認。
先ほど着ていた組織の制服ではなく、赤のチェックの上着とTシャツ、それに長ズボン。
全てAMPから提供されたものだが、一応私服という格好になるのだろう。
悠斗は心の中で、溜め息を一つ吐いた。
なぜ自分は、このような場所に立っているのだろうか。
それは今からおよそ、三○分前のこと――
「俺と琴愛が……付き合う?」
『はい。それが、私が考案した訓練です』
「いや、よくわからないんだけど……」
女の子の姿をした人工知能、百合奈が出した案に、悠斗は解説を要求した。
『天使を説得するために、まずは天使と穏便な対話を実現させる必要があります』
「うん、そうだな」
『天使と対話するには、会話を行う相手が要りますね?』
「まあ……そうだな」
『そこで、ユウトには対話役になってもらい、トーク能力を深めるためにコトアと付き合って――』
「ちょっと待て。どうしてそうなった」
あまりにも意味不明であったため、悠斗は間髪入れずに疑問を投げつけた。
百合奈は微笑んで、その質問に答える。
『天使は常人を超えた力を持つ存在。身体に知能、そして魔力も能力者とは桁違い……安易にできる会話も、少しでも相手を不機嫌にでもしたら、命の保証はありません』
「確かにそうだが……何でそこで俺と琴愛がつ、付き合うことになるんだよっ」
付き合うという言葉に抵抗があるのか、悠斗は言葉を若干詰まらせながら意見を述べた。
『あなたの情報によれば相手は女性。機嫌を損ねてしまうリスクの減少を優先するとしたら、ユウトが異性との関わりに慣れることが最もよい方法だと思います』
「なるほどな。それは重要だよな」
佑樹が、うんうんと合点がいったように頷く。
ちょっと、他人事みたいに納得しないでくれませんかねっ!?
悠斗は心中突っ込み、半眼で佑樹を睨んだ。
『そこで、ユウトには女性と接触してもらいたいのですが……すでに話した通り、AMPの人員は少なく、都合のよい方を見つけるにも時間がかかります。ですから、身近な女性――コトアを訓練相手に選んだのです』
百合奈はいつの間にか真面目な顔で、正論らしいことを言う。
かなり強引だが、確かに理にかなってる気がする。
「でも、いきなりそんなこといったら琴愛も――」
困るんじゃないか? と言おうとしたところで、悠斗は動きを止めた。
理由は単純。ふと琴愛の方を見たら、琴愛がまるでフリーズしたように硬直していたのである。
顔と耳が真っ赤に染まり、今にも頭から湯気を吹き出しそうだ。
「お、おーい……琴愛?」
悠斗は戸惑いを見せつつも、ゆっくりと手を伸ばし、琴愛の肩に触れる。
「――ひゃい!?」
すると、琴愛が裏返った声を出して肩をビクッと震わした。
突然の反応に驚いたが、悠斗はそのまま琴愛に話を振る。
「えっと、琴愛はどう思う……? この訓練ってやつ」
「え? ぁ、あの……え、と……」
琴愛はあたふたとした動作を見せ、体を縮こまらせてながら、言った。
「い、いきなりそういうのは……悠斗君が困るのではないかと……」
「そ、そうだよなっ! さすがに突然すぎるよな!」
自分が考えていたことと琴愛の言葉が同じだったということに気恥ずかしさを覚えたが、これで反対の意思を持つ者が二人となった。
しかし――
『では、親交を深める、というのはどうでしょう』
諦める様子も微塵もなく、流れるように百合奈が次の案を出す。
「親交を深めるって、どういうことだ?」
『互いと接したり、遊んだりすることで仲良くなる所業です。これなら問題はありません』
「……」
口を閉ざし、慎重に考える。
確かにそれなら普通にすることが可能だが……どうにも嫌な予感しかしない。
先の言葉を反芻させ、悠斗は訝しげな視線を送って言った。
「一応聞くけど……具体的になにをするんだ?」
『そうですね。まずは軽くデートでも――』
「すとぉぉぉぉぉぉぉっぷ!」
悠斗は全力の大声で会話を中断。今日一番の突っ込みだ。
「いやいや、デートって何だよ!? それじゃあちっとも変わってないじゃん!」
『そんなことありません。『デート』には様々な用途があります。異性の友達とのデートも断然アリです』
百合奈の自信満々な言葉を聞いて、悠斗はげんなりした。何となくだが、この人工知能の性格がわかってきた気がする。
悠斗はため息を吐くと、諦観したように口を開いた。
「……わかった。いいぜ、やってやる」
「ゆ、悠斗君っ!?」
悠斗の返事が意外だったのか、琴愛が目を見開いて言った。
『理解が速くて大変助かります。デート用の服などを用意するので、準備が出来次第、転送室に移動してください』
「ん、わかった」
そう短く返すと、悠斗は速足で部屋から出ていき、艦内の通路を進んだ。
もうどうにでもなれ、という投げやりな気持ちを胸に生じさせながら……。
結局、百合奈の提案を全て飲んだため、悠斗は指定された場所である駅前で後から来るだろう琴愛を待っている。
こちらに転送される前に色々と説明を受けたが、正直それだけで疲れてしまった。
「それにしても……遅いな」
キョロキョロと周囲を見て、再度の確認を行う。
待ち続けてからもう二○分近く経っている。そろそろ来てもよいはずなのだが……。
「ふぅ…………」
両手で数えきれないほど出した溜め息を、また一つ漏らす。
その時だった。
「お待たせ、悠斗君」
背後から、女の子の声が聞こえた。
「おう。ずいぶん時間が掛かった、な……」
覚えのある声の方を向いた途端、悠斗は動かす口を自然に止めた。
その原因は自分にあるというより、むしろ目の前に立っている人物の服装にあるといえるだろう。
白い半袖のブラウスに花柄のティアードスカート。女の子らしい装いが、琴愛をさらに眩しくさせた。
「えっと……変じゃない、かな?」
琴愛は会って早々、自分の装いを悠斗に確認させる。
その照れたような仕草と服装が相まって、今まで見たことのない容貌が見て取れた。
「――――」
一瞬、悠斗の胸がドキッと高鳴り、釘付けにされる。
「……悠斗君?」
「あ、ああ……ごめん琴愛。可愛くて、よく似合ってるよ」
「っ……あ、ありが、とう……」
悠斗に言われ、琴愛は頬を赤らめながらも言葉を返した。
その際の表情が恥じらいに見えたせいか、悠斗の顔も熱くなってしまう。
「そ、それじゃ、行こうか……」
「う、うん……」
長い沈黙は避けたいがために誘うと、琴愛はこくりとうなずく。
互いにぎこちない空気を纏いつつも、二人は横に並んで歩き始めた。
『午前一○時五七分――開始しました』
〈アラハバキ〉司令室のなか、百合奈の声が静かな空間に響く。
前方に展開された、壁一面を埋め尽くす巨大なモニタ。そこには、中央にある映像が一つと、それの周辺にあるパラメータやグラフなどが幾つもある。
「何事もなく合流したか」
『はい。予定ではこの後、駅前の周辺を散策、適当な店でショッピングをし、昼頃にレストランでランチです』
「なるほど」
映像を見ながら、諒は自分の横にいる百合奈の話を聞く。
「ねぇ、あのさ……」
と。
諒と百合奈から少し離れた位置にいた佑樹が、やや控えめな声を出した。
そして、前にある映像を指さして言う。
「これ……ストーカーじゃないのか?」
そこには、横並びで一緒に行動をともにしている悠斗と琴愛の後ろ姿が映っていた。
『違いますよユウキ。これは訓練の達成を見届けているだけです。決して、ストーカーなどという不潔な行為ではありません』
「そうなのか……しかし……」
百合奈の口説に一応の納得はするも、佑樹は疑わしそうな視線を緩めないでいた。
椅子に腰掛けた諒が、モニタに背を向けて口を開く。
「すまない石倉。何せ百合奈は、一度決めたことは実行せずにいられないタイプなんだ」
「逆井君が謝ることないんだけどさ。ていうか、その百合奈って子、いつからウチにいたんだ?」
釈然としないといった様子で、佑樹が尋ねる。
諒は視線を落として、腕に装着されたものを見せながら、それに答えた。
「最初から。僕が組織に入ってから、ずっとこの腕輪の中にいた」
「――それ、封印具だよな? なんでその中に、そんな人間らしい人工知能が住んでいるんだ?」
『逆ですよ。ユウキ』
佑樹と諒の間から割って入るように、百合奈が呟いた。
「逆……?」
『はい。私が封印具に住んでいるのではありません。私が、諒と封印具を支えているのです』
「……? どういうことだ?」
気に掛かったため、続けざまに質問をする佑樹。しかし百合奈は目を瞑っただけで答えず、諒も静かにモニタの方に向き直る。
『今は話すことではない……そうですよね? リョウ』
「うん、そうだ」
短い言葉を交わし、そのまま映像を見続ける諒と百合奈。
そんな二人を見て佑樹は、それ以上の追及はせず、黙って部屋を退室した。
● ● ●
デートを始めてから二時間後、悠斗は数々の問題に直面し頭を悩ませていた。
まずこれは当然なことなのだが……悠斗はこの駅の周辺について、まだよく知らない。
悠斗が町に来たのは昨日と今日のたった二回。昨日は戦闘に身を投じていたため周囲に何があるかは確認ができず、探索などこれっぽっちもできずに一日が終わってしまい、今日という日にこれだ。
いくら悠斗でも、これは唐突すぎると思った。
次の問題だが……こればっかりは悠斗に非があるとしかいいようがない。
自分がデートを決断したというのに――先ほどから琴愛に頼りっぱなしなのだ。
道がわからないから、琴愛に聞いてからではないと進路を決められないし、どこに何があるかも知らないため、琴愛に案内されないと散策もままならない。
もうこれはどうにもならないことなのだが、男として自身がひどく惨めに感じてしまう。
「はあ…………」
近場にあるレストランで、悠斗はこれまでにない重いため息をついた。
時刻も昼で腹も空いたため、琴愛に案内してもらった場所で昼食を摂ることにしたのだ。
「だ、大丈夫? 悠斗君」
「うん……何とか」
琴愛の温情ある言葉に、悠斗はか細い声で返す。
何もできなかった自分に、呆れに似た劣等感を覚えてしまう。
薄々感じたが、自分は無力の状態で振り回されると、自尊心が低下してしまう気質があるようだ。
口ではああ言ったが、今の悠斗は相当萎えている。
「と、とりあえず……せっかく来たんだし、何か注文しよ?」
「……うん」
琴愛に促されて、悠斗は生気の抜けたような手でメニュー表を取り、目に通す。
「じゃあ、俺は……これで」
「グラタンだね。それじゃ――」
悠斗が食べたいものを指でさして伝え、琴愛がうなずくと、デスクにある呼び出しボタンを押す。
「失礼致します。ご注文はお決まりでしょうか?」
「はい。グラタン一つと、ミートソースパスタ一つ。それと……」
ほどなくして店員がやって来て、琴愛が注文をする。悠斗はその間、デスクに顔を付けてずっと窓越しの外を眺めていた。
店員が注文を聞き取り、礼儀正しいお辞儀をしてからその場を離れる。
注文を言い終え、向かい合わせで座っている悠斗と琴愛の間に沈黙が流れだす。
「ねぇ、悠斗君……」
「…………」
呼ばれた声が小さすぎたのか、悠斗はその声に答えない。
琴愛の瞳が、ほんの少しだけ翳る。
「……楽しく、なかったよね。悠斗君」
「え……?」
予想だにしなかったその言葉に、悠斗は顔を上げた。
「百合奈ちゃんから突然あんなこと言われて悠斗君、仕方なく了承したけど、つまんないよね。私といるなんて……」
「っ……そんなことない!」
ガタッとデスクを鳴らし、悠斗は目を大きく開いて言う。
「悠斗君……」
「俺は今日、色んなことを知ることができた。全部、琴愛が教えてくれたおかげだ」
デートを始めてからの短い時間。悠斗はさまざまな問題に直面した。
だがそれは自分が蒔いた種であって、琴愛が沈む要素などは欠片もない。
むしろ琴愛は、デートがてら駅の周辺にある店舗を丁寧に教えてくれたという、非常に親切なことをしてくれた。
「だから……ありがとう琴愛。それと、ごめん。俺がこんな態度とってたから、自分のせいかもって思ったんだろ?」
「……うん」
悠斗が言ったことが正解だったからか、琴愛は顔を俯かせたまま頷く。
まだ落ち込んでいるのかと思い、悠斗は琴愛の顔を覗き込んで――唖然とする。
「もしかして琴愛……泣いてる?」
「……!」
直後、琴愛がバッと顔を上げ首を振る。ピンク色のツインテが揺れた。
「大丈夫、泣いてないっ! 泣いてないから!」
そう言って否定をするが、目の端には明らかに涙と思える水滴が。
悠斗は軽く息を吐くと、手を伸ばして、その指先でそっと琴愛の目尻に溜まった水滴を拭う。
「ホントよく泣くよな、琴愛って。笑顔の方が似合うって、俺前に言わなかったっけ?」
「う、うん……言ったね」
その時のことを思い出したのか、琴愛は頬を少し赤くする。
「だからさ、俺といるときは、ずっと笑顔でいてくれ。約束な」
「悠斗君……うん! 約束っ!」
琴愛は言って、その約束通りの笑顔を見せる。
それを間近で直視した悠斗は、思わず胸をドキッとさせ――
「お待たせしました! こちらグラタンとミートソースパスタ、ウーロン茶二つでございます!」
「ッ! ど、どうも……」
突如、こちらが頼んだ料理持って来た店員によって、悠斗は素早く席に着く。
こうして、レストランでの二人の時間は、見事に幕を閉じたのだった。
本から得た技術が、どこまで小説として機能するのか。
修行の道はまだまだ険しいです。