第6話 秘密目標
慎重かつスピーディーに上手く制作できれば文句なしなんですがね……自嘲。
朝。艦内の部屋にあるベッドで、悠斗は目を覚ます。
「ふわぁ……」
大きなあくびを一つ漏らし、むっくりとベッドから起き上がる。
凝り固まった筋肉を軽くほぐし、徐々に覚醒へと自身を導く。
悠斗はふと、自分のいる辺りを一瞥した。
今しがた自分が寝ていた、真新しいベッドやシーツ。新品であろうさまざまな家具にパジャマ。
どれもこれも、先日AMPの機関員が用意してくれたという話だ。
案内されたときは少し違和感があったが、帰る場所のない、記憶喪失の悠斗にとってはこれ以上ない僥倖であることは否めない。
悠斗は心中で感謝すると、机に置かれた、これまた新品の衣服を手に取る。
赤色を主体とした上着とズボンのセット。どうやら、AMPの制服らしい。
試しに着替えてみると、サイズがぴったりだった。少しびっくりした。
「……」
悠斗は視線を下げると、制服の横に置かれていたもう一着の服を見る。
袖が片方だけ切れた黒の上着に、煤けが目立つ無地のシャツ。
自分が記憶喪失であることに気づいた頃から、悠斗が身につけていたものだ。
かろうじて思い出せる記憶の断片にある、最初の衣服。先の戦闘でぼろぼろになってしまったためもう着ることはできないが、悠斗は取っておくことにした。
喪った記憶の手掛かりになる。そう信じて……。
悠斗は古い衣服をたたむと、タンスに収納してから、自室を出た。
一気に歩くにはいささか疲労が溜まってしまいそうな通路を進み、悠斗は司令室の前に立った。
無機質で大きな扉があり、その横に電子パネルが並んでいる。
電子パネルに暗証番号を入れることで、扉のロックが解除される仕組みだ。
「よし……」
悠斗は一人うなずくと、パネルを操作――せずに、握り拳を作ってそのまま扉をごん、ごんと叩いた。
強烈なノック。鈍音が辺りに響く。
するとその途端、扉が静かに開き、悠斗はそのなかに入った。
「……もう少し優しいノックを所望するよ。矢崎」
溜め息交じりに、ふとそんな声が聞こえる。
部屋の奥の方を見ると、そこには椅子に腰掛けた諒がいた。
悠斗は諒に、言い分に似た言葉を投げる。
「だって俺、パスワード教えてもらってないし。文句があるならジンにでも言ってくれ」
「――そうだな。次に会ったときにでも伝えておこう」
諒は素早く納得をすると、くるりと椅子の背もたれをこちらに向けた。どうやら、机の上で何かをしているらしい。
悠斗は興味本位で、背を向けた諒に話かけた。
「なあ、何やってるんだ?」
「資料の作成。近い内に他組織との会議があるから」
「ふーん……あ、そうだ。部屋を用意してくれてありがとな」
「別に、僕は決断しただけで、何もやっていない。礼なら、家具の準備から設置までやってくれた艦員たちに言って」
「ああ、出来ればそうしたいんだけど……」
と、悠斗は言いづらそうな顔で口ごもる。
それに気づいた諒は、視線を悠斗の方に向けた。
「何か問題があるのか?」
「いや、特にそういったのじゃないんだけど……艦にいる人って、実際どれくらいいるんだ?」
そう。悠斗が迷っていたのは、〈アラハバキ〉にいる機関員の人数。正確にいうと、御礼を言うべき人の数だ。
この艦の内部がとてつもなく広いということはわかった。が、悠斗がこれまでに出会った人間はたった四人しかいなく、艦にいる人たちの存在すら把握し切れなかった。
組織に入隊してから二日しか経っていない、ということもあるが、今朝通路を歩いても誰とも会わないということが少し疑問に思う。
「ん、いま艦内にいる艦員は……」
諒は言って、パソコンに映る画面に顔を向ける。
それから数秒した後、諒は抑揚の無い声で言った。
「僕と矢崎、石倉に富屋に藤野、ざっと数えて――十人だ」
「ああ、そうか。わかった……ってええっ!?」
悠斗は首を縦に振った直後、驚きの声を上げる。
「どうした、何か疑問でも?」
「疑問ありまくりだっ! どうしてそんな少ないんだよ!?」
声を荒げて、悠斗は困惑気味に言う。
それはそうだ。この艦の全体を練り歩いた訳ではないが、悠斗がこれまでに通った通路の長さに部屋の扉の数。どう考えても機関員は五十人近くは軽くいるだろうと悠斗は予想していた。
しかし、現実は予想より遥かに下回っていた。
「そう驚くことはない。攻撃艦員が三人に、司令官、解析官、医務官、清掃員が一人に秘匿艦員――僕が司令官になって二年以上たつが、一度も不便だと感じたことはない」
「そう……なのか……?」
汗を頬に垂らしながら言う悠斗に、諒は無言でうなずく。
人数の少なさや秘匿艦員など気になることは色々あるが、とりあえずそれで承知することにした。
『ユウトではないですか。早いですね』
と。
どこからか声が聞こえたその直後、諒の袖に隠れた腕が光ったと思うと、モニタをまるで乗り物のように使って移動する百合奈が現れた。
「百合奈か。おはよう」
『おはようございます。今日は何か御用ですか?』
「実は、昨日話した天使のこと。あれが気になって……」
悠斗が言ったその時、諒の指がピクリ、と動いた気がした。
『そうですか――ではリョウ、話の続きを』
「…………わかった」
百合奈が言うと、諒は椅子から立ち上がってこちらを向く。
見るからに重々しい空気が、二人から発された。
「あ、話したくないならいいぜ? 無理に聞きたいってわけじゃないし……」
それに尻込みした悠斗は、つい遠慮じみた言葉をいってしまう。
だが――、
「大丈夫。伝えるために、壁張ったから」
表情を何一つ変えず、諒は淡々とした口調でそう答えた。
すうっと息を吐き、身を固めるように直立させた諒は、ゆっくり口を開く。
「まず、天使が人類の未来に左右する、そこまで話したが……これには天使の特性が深く関連している」
「天使の、特性……?」
「そう。天使が持つ、能力者と種別することになった一つの特性――『誘発波』だ」
直後、諒は片手を持ち上げると、何もない虚空から固形の凝想源が出現する。
「能力者は、このように自発的に能力を行使することができる。それは天使も例外ではないが、それに加えて天使は、体から目に見えないオーラのようなものを常に放っている。それが、誘発波」
『理解しやすいよう、画像を出しますね』
見計らったようなタイミングで、百合奈がモニタを展開させた。人間の簡単なシルエットが二人いて、片方の中心から波動が浮き出ている。
「一人が能力者か一般人、もう一人を天使としよう。天使から出る誘発波は、他の生物に何かしらの影響を及ぼす」
『ここでなんですが、ユウトが見た天使の特徴を、今一度教えて頂けませんか?』
「え、うん……」
突然の申し出に戸惑いつつも、悠斗は天使の少女の風貌を詳しく伝えた。
「――と、まあこのくらいかな」
どれくらい経っただろうか。悠斗が話を終えると、二人は腕を組む。
すると、モニタの上に立つAIの百合奈が、静かに口を開く。
『なるほど……おそらくその天使の名称くらいなら、リョウが知っています』
「っ! 本当かっ!?」
悠斗が目を見開いて問いかけると、諒は首を縦に振ってから言った。
「うん。赤い髪の天使――それは『カマエル』だと思われる」
「カマエル……?」
聞き慣れない単語に、悠斗は首を捻りだす。
「カマエルは天使のなかでも攻撃性が高く、別名『破壊の天使』と言われている。その攻撃的な性格に加え、高度な治癒能力も有しているとも言われていた」
「高度な治癒能力……あ――」
その時、悠斗は切断され、その後すぐに再生された右腕のことを思い出す。
確かに少女は、初対面で悠斗を殺そうとするほど攻撃的であり、悠斗の怪我をきれいさっぱりなくすほどの治癒の力を持っていた。
だが、そこで疑問に思うことが一つ。
「なんでカマエルって天使は……殺そうとした俺を助けたんだ?」
『それについては、こちらからは何も言えません。天使の考えることまでは、私の検索範囲外です』
「仮説を立てるなら、ただの気まぐれか、もしくは殺す以外の目的があったのか……」
悠斗が発した言葉に、百合奈は即断定し、諒は幾つか意見を出してくれた。
「ありがとう二人とも。そのことについては、俺が自分で考えることにするよ」
考える時間が長引きそうだったため、悠斗は自ら切り出す。
『では、話を戻すとしましょう。リョウ』
「うん。天使が持つ誘発波は、天使の性質に由来される。カマエルの場合、非常に攻撃的になる誘発波を出すだろう。ただの予想だけど」
「それが人類の未来に、どう影響するんだ……?」
悠斗は間髪入れずに、そう尋ねた。
人類の未来を左右する――昨日の諒が、姿を消す直前に放った言葉だ。
諒は聞くと、軽く息を吐いて言った。
「考えれば単純だ。人が攻撃的になるときは、苛立ちや怒りを覚えたときになるものだ。そういうときの人間は、自制心が薄れ、つい感情的になってしまう」
『感情的になり、なおかつ怒りを募らせると、人間は暴行を起こしやすくなります。――もし、周りの人全員がそのような状態でしたら、どうなると思いますか?』
二人の言葉を聞いた悠斗は、しばしの間思考を巡らせる。
攻撃的な人間――言い換えれば短気な奴がいる集団には何が起こるのか。率直に出たのは、暴力もとい喧嘩だ。
それの数が二、三人であったなら、まだ収集はつくだろう。だがもし、その数が数十人、集団全体がそんな喧嘩っぱやい性格だとしたら……?
たいして賢いわけではない頭を使って、悠斗が出した結論は――、
「……人類の全てが、ぐちゃぐちゃに崩壊する……?」
そんな、末恐ろしい考えだった。
「――正解。短絡的な考察でしかないが、人類の皆が攻撃的になれば、治安の悪化だけでは済まず、国にも影響が出る」
諒は淡々としたような声で、重苦しい言葉をずらずらと述べる。
「そんなことしたらもう終わり。暴動が全国に拡がり、やがて戦争級の事態が起きる。――大げさに言ってしまえば、天使の行為自体が人類滅亡の発進と成りうる可能性だってある」
「な……っ!」
悠斗は当然、驚きを隠せなかった。たった一人の存在が全てを終わらせるなど考えたこともなかったし、何より馬鹿げている。
自分も似たような答えを出したが、にわかには信じられなかった。
『天使はそれほどの重要性があり、だからこそ私たちは、天使の説得、あわよくば保護に努めたいのです』
「これは、〈AMP〉に任された、もう一つの重大任務。能力者の保護に加えて天使をも保護する、それがこの組織の目的だ」
百合奈と諒が交互にいい、まるで決意を固くするように述べた。
そんな真剣な様子を見て、悠斗は納得する。
まだ残っている謎もあるし、完璧に腑に落ちたわけではない。
だが、しかし――、
「わかった……俺は応援するぜ。その目標に」
この組織――AMPは、世界の平和のためにある組織なのだと。悠斗はそう感じた。
『早急な理解と決断。感謝します、ユウト』
「ありがとう。矢崎 悠斗」
二人が口にした御礼の言葉を悠斗は有り難く受け取った。
そこでふと、とあることが脳に浮かぶ。
「そうだ。佑樹と琴愛にも、このことを知らせたほうが――」
「それについては問題ない。もう二人は聞いている」
「……? どういうことだ?」
悠斗が言うと、諒は手の内をぱん、と鳴らす。
すると、司令室の扉が開く。直後、二名の人物がなだれ込むようにして現れた。
言うまでもない。佑樹と琴愛だ。
「いたた……やっぱばれてたか」
先に立ち上がった佑樹が、苦笑しながら言う。
それに次いで琴愛も、申し訳なさそうな表情で反省の言葉を出す。
「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったんだけど……」
「別に、俺は気にしてないからいいよ。な、逆井」
しゅんとしていた二人を慰めようと言葉をかけた悠斗は、瞬時に諒に同意を求める。
諒はしばらく無言になったのち、ため息をついてから言った。
「話す手間が省けたから、特別に許そう」
「ふぅ……それはよかった。どうなるか冷や冷やしたよ」
諒の返答に安心したのか、佑樹が心の声を漏らす。
そんな会話に、悠斗は苦笑を浮かべるしかなかった。
が、そこで、ふと気にかかったことを口にする。
「それにしても、よく気づいたな逆井、どうやってんだ?」
「《空間》の能力は、瞬間移動だけでなく、視覚を無視した周囲の把握までできる。それを応用したまでだ」
諒の平坦とした言葉の内容に、悠斗は深い関心を持った。
能力者はやはり凄いなと思い、同時に自分にもそんな力が秘められているのではないかと期待の念が湧いてくる。
諒が手を叩き、悠斗たちを自分の方に注目させた。
「集まったついでに、今後の活動について発表しよう。百合奈」
『はい。天使の出現に伴い、今まで行ってきたノワル退治、能力者保護に加え、新しく天使と対話するための訓練を追加します』
「訓練……?」
突然のことに、悠斗を含めた攻撃艦員たちは首を傾げる。
百合奈はにっこりと微笑むと、悠斗に向かって言ってきた。
『まずはですね、ユウト――コトアと付き合ってください』
直後、皆が冷え固まったように沈黙する。
そのまま数瞬の時が流れ、そして――、
「えええええぇぇぇっ!?」
悠斗が驚くより一歩速かった琴愛の叫びのような声が、部屋中に響き渡った。
天使と仲良くするための訓練!
果たして悠斗は無事成功することができるのか!?