第4話 翼の少女
何時間くらい歩くと人間はつらいと感じるのか。
駅を往復して一時間ほど歩きました。鎌里です。
フルネームいちいち出すパターンも飽きたので、気が変わったら違うやり方にします。
――ここに、居るんだね。
何もないところでその声は、深く耳に浸透した。
――あなたがそうするなら、わたしは待ってるよ。
その声はとても落ち着きがあり、どこか懐かしい。
――大丈夫。×××と違って、わたしは平気だから。
誰なんだ、と問おうとするも、うまく口を動かせない。
――もうしないから、これも一度だけだから、お願い、
金色の鈴の音ように透き通った声は、そこで途絶えてしまった。
● ● ●
「う、ん……」
呻くような声を上げてから、悠斗は目を覚ました。
ゆっくりと上半身を起こし、それに次いで段々と意識を覚醒させる。
「ここ、は……?」
クリアになった視界に最初に映ったのは、見たことのない不思議な空間。
地平線のない白い世界に、カラフルな色が滴り落ちる水のように生まれては流れて消えていく。
手は確かに地に着いているはずなのに、宙に浮いているような気分になる。少しでも気が緩んだりしたら、平衡感覚を失いそうだ。
「って、あれ?」
そこで悠斗は、あることに気付く。
自分の右手が、空間の地面に触れているのだ。
「これ、俺の腕……だよな?」
悠斗は言って自分の右腕をぺたぺたと叩いたり、動かしたりしてみる。
肌の質感に血管の流れ、自分の腕であることは間違いないようだ。
だが、それはありえないことだ。
なぜなら――悠斗の記憶が確かならこの腕は、ある少女に潰されたからだ。
「っ……」
鮮明に蘇ったあの光景に、先の恐怖などを思いだし萎縮してしまう。
しばらくした後、何とか冷静さを取り戻した悠斗は再び、無くなったはずの右腕を動かす。
切断された傷跡一つもない腕。それを見ておぞましさを感じなくもないが、この際無事だったからいいだろうと気楽に考えることにした。
「さてと、どうやってここから出ようかな……」
立ち上がり、不可思議な空間からの脱出を試みようとする。
今の自分の状態を確認――ナイフや銃といった武器はなし。右腕に装着していた転身用装置もない。
五体満足だけしか残っていない、打つ手のない状況ということだけは理解できた。
――だがそれは、何も出来ないという訳ではない。
「とりあえず、進んでみるか」
軽く息を吐いて決意を改めるようにしてから、悠斗は前に歩き始めた。
が、次の瞬間。
「待ちなさい」
どこかに響く声が聞こえ、悠斗は足を止める。
後ろを振り返るが、誰もいない。四方を見回しても、誰一人いない。
気のせいか、そう思った悠斗はまた歩きだす。
「ちょっとッ! 待ちなさいって言っているでしょ!」
「ぐぇ……!」
怒声の直後、悠斗は首元を何かの手に掴まれた。
がっしりと掴まれたものだから、思わず変な声を出してしまう。
「……痛いな、誰だよさっきから――」
悠斗はその手を振りほどいて、首を掴んだ人物を視認する。
途端に、心臓がドクッと震えた。
横に一つ括られた紅髪に、深く吸い込まれそうな緑の双眸。纏うのは真紅の鎧と白の羽衣。
魅入ってしまいそうなほどの美女が、悠斗の眼前にいた。
「……っ!」
瞬間、悠斗は数歩後ずさり、顔を赤らめ――すぐに青ざめる。
それもそうだ。何せ目の前にいるこの少女は、悠斗の右腕を手刀だけで断ち切った、脅威の存在なのだから。
負の感情が瞬く間に沸き上がり、悠斗は身を竦ませる。
「……」
少女は怯えた様子の悠斗を、ただじっと見ていた。
悠斗もそれにつられて、つい少女の瞳を見つめてしまう。
互いに動くことなく、沈黙の中で、時間だけが過ぎていく。
「……はぁ」
あまりに長い静寂を、少女の深い吐息が切った。
そしてそのまま、少女が口を開く。
「あなた、名前は?」
「へ……? あ、矢崎 悠斗、だけど……」
唐突な質問に素っ頓狂な声を出してしまった悠斗だが、たどたどしくだが何とか答えた。
「『矢崎 悠斗』ね、……矢崎、私は不覚にも、あなたを『破壊』してしまったわ」
「それって……腕のこと? でも、今はこうして繋がってるし……」
「それは、私の持つ治癒能力で再生させた。――せめてもの詫びよ。ありがたく思いなさい」
「お、おう……」
当然、いろいろ聞きたいことが山ほどあるが、まず思ったことは一つ。
なぜか知らないがこの子、妙に偉そうじゃないか?
頬に汗を垂らしつつも、その思考を振り払って、今度は悠斗から話かける。
「なあ、俺が名前を言ったんだから、君の名前も教え――」
「口を慎みなさい。人間」
しかし、こちらが言いきる前に、やや強めの言葉を投げられた。
「人間であるあなたの腕を治したのは、一種の気まぐれ。それ以上の所業はしないし、あなたにも一切させないわ」
「でもお礼とか、せめて名前だけでも……それに人間って、君は一体――」
「うるさいわねっ!」
突如、少女の顔が険しくなり、怒声とともに吹いた突風が悠斗を襲った。
「うわ……っ!」
思わぬことに体が上手く対応できず、流れるように後方に転ぶ。
両腕に軽い痛みを受けるが、悠斗は体勢を直した。
短気だな、と内心で思いつつも、悠斗は腕を切られた恐怖などすっかり忘れて、また少女に近づいた。
今度はゆっくり、相手の機嫌を損ねてしまわないよう慎重に足を動かす。
それを見て少女は訝しげな、それでいてどこか呆れたような目線を作って言った。
「……何、また切られたいの?」
「いや、それはもう御免だ。ただ一つだけ、聞きたいことがある」
一拍置いて、悠斗は率直な意見を手短に言う。
「なんで君は、そんなに悲しそうにしているんだ?」
「ッ……!」
瞬間、少女が逡巡にも似た表情を浮かべる。
「わたしが、悲しそう……?」
悠斗にいわれた言葉を復唱し、表情や仕草に動揺を走らせる少女。
それを見て、悠斗は探りを入れた。
「なあ、君はどうして、俺を攻撃したんだ?」
「それは…………」
少女は答えず、きゅっと口を噤む。
悠斗は畳み掛けるように、少女の目を見て言った。
少女の顔に鎮座する目を。一瞥しただけで悲哀を感じた、その歪んだ瞳を。
「教えてくれ、君がどうして俺の腕を切ったのか。それなのに、どうして俺を助けたのか……」
「――黙りなさい!」
少女が幾度目の大きな声を放つ。が、体を軽く吹き飛ばす突風は起きず、代わりに少女は右手を上に掲げる。
「〈滅亡篝〉!」
叫んだ直後、少女の真上の空間が渦巻き、そこから一本の剣が降りてきた。
少女の身の丈ほどある大剣は刀身が黒く、刻まれた意匠は炎のように赤く煌めいている。
その大剣の灰色の柄を、少女は片手で掴むと、無造作に振り下ろす。
たったそれだけで、人の倍くらいある衝撃破が現れた。
衝撃破は凄まじい速さで飛び、一瞬で悠斗のいる位置の横――何もない空間を斬り裂いた。
「え……?」
悠斗が拍子抜けした声を発したその刹那、空間の裂け目から強烈な風が生じる。
それは悠斗を遠ざけず、逆に引き付けるような方向に流れていた。
「っ……!」
悠斗は慌てて身を低くするが、時すでに遅く、体全体を一気に風にのまれてしまった。
「さようなら、矢崎 悠斗。もう二度と、会うことはないわ」
大剣を携えた少女はそう言い残して、悠斗から視線を逸らす。
「く、そ……っ」
悠斗は脱出しようと足掻いてみるも、それもむなしく終わる。
少女の背を見つめながら、悠斗は裂け目の中に吸い込まれた。
● ● ●
目を覚ますと、悠斗はいつのまにかベッドで寝ている状態となっていた。
シーツを剥ぎ、すぐさま辺りの確認に移ると、見覚えのある場所だと気づく。
「ここは、〈アラハバキ〉……?」
そう。悠斗が再び目覚めたそこは、〈アラハバキ〉艦内の看護室だった。
直後、看護室の扉が開かれ、そこから一人の人が姿を現す。
深緑の軍服を羽織った、眼鏡をかけた無表情の司令官――諒である。
「随分と遅い起床だね。矢崎」
「逆井……? 俺は……」
「君は、発見してから今までずっと昏睡状態だった。その時間――およそ二日」
「ふ……っ!?」
仰天のあまり、悠斗は言葉を失ってしまった。
諒の話によると、任務の直後に起きた謎の震動が収まったとき、悠斗の行方が突如わからなくなったらしい。
それを知った〈AMP〉は、直ぐさま悠斗の探索を開始。五時間ほど街中を散策した結果、とある路地裏の隅で気絶した悠斗を見つけたそうだ。
一通りの経緯を聞いた悠斗は、艦内の休憩スペースに向かう。
「悠斗君っ!?」
と。悠斗の行く先に偶然居合わせた琴愛が、そう叫んだ。
ぱたぱたと駆け寄って、悠斗の元まで迫ってくる。
「もう起きてて、大丈夫なの?」
「まあ、何だかだるい感じはあるけど、とりあえずは平気だ」
「そっか……」
琴愛は息を漏らすと、はりつめた表情を笑顔に変える。
――しかし、
「う、ううっ……」
突然、琴愛は目尻から大粒の涙を流し始めた。
「こ、琴愛……?」
悠斗は急なことで驚いたが、戸惑いながらも声を掛ける。
嗚咽を出しながらも、琴愛は泣いて言った。
「よかっ、た……仲間が、悠斗君が無事、で……本当に、よかった……」
「琴愛……」
たどたどしい言葉の後で咳き込んでしまう琴愛。
そんな彼女に、悠斗は感動に近い心情を受け、無意識にそっと頭を撫でた。
「ありがとう。心配してくれて、正直に嬉しいよ。――でもさ、そんなに泣いたら顔が汚れるぞ?」
「ぁ、う……」
指摘された琴愛は、恥ずかしいのか顔を朱に染める。
「やっぱりさ、女の子は笑ってなきゃ。ほら、琴愛の笑顔って、可愛いし」
「……!」
悠斗の何気ない言葉を聞いた琴愛は、目を大きく見開いた。
「……うん! ありがとう、悠斗君!」
「どういたしまして」
顔から耳まで真っ赤なのが気になったが、琴愛の表情を見て、悠斗はほっと息をつく。
「……あのー、もういいかな」
と。向かいの通路から、佑樹が申し訳なさそうに顔を出す。
「ん? 石倉、何かあった?」
「いや、良いムードだったから、邪魔するのは悪いと思って」
「良いムード……?」
悠斗は首を傾げ、ふと前を見て――気づく。
自分の手が、琴愛の頭にしっかり乗せていることに。
「わ……っ! ご、ごめん琴愛。いきなり撫でたりして」
素早く手を引っ込め、悠斗は恐縮する。
当人の琴愛が「いいよ、別に」と気遣ってくれたので、この事態はそのまま終息した。
「それより悠斗。あの後、お前いったいどうしたんだ?」
「ああうん。実は、不思議な女の子に会ってさ」
「女の子?」
「うん。赤い髪で、鎧姿の。いろいろあって、その子に介抱されたんだ」
悠斗は続けて、謎の少女との大まかな出来事を二人に話す。
少女に出会った途端、腕を切断されたこと。その腕を切った少女自身が、自らの能力で悠斗の怪我を治してくれたこと。その時いた場所がとても不可思議だったこと。
二人は最初は目を丸くして聞いていたが、話が終わりに近付くにつれて、表情を険しくする。
話終えた頃には、二人は何やら考え込むように唸りだした。
「うーん……翼を持った少女、か……」
「そんなの、初めて聞いたよ……」
佑樹と琴愛が、同じような反応をする。
どうやら、二人も少女の存在については初耳らしい。
誰もが腕を組み、思考を巡らせる。
と。
「――それは、《天使》だね」
悠斗の背後から、瞬間移動で現れた諒がそう告げた。
「天使……?」
悠斗はそう口ずさむが、『天使』というものが何かわからず首を傾ける。
他の二人も、わからないといったようすだ。
「ついてきて」
諒は言って、早々に踵を返す。
何なのかは不明だが、悠斗たちはそれに従った。
数分歩き続けて辿り着いたのは、いつの日に来た司令室。
悠斗たちが来た瞬間に照明が入り、機械だらけの内装を映し出す。
「下がって」
前にいた諒に言われ、悠斗たちはその場を数歩下がる。
諒は悠斗たち三人を離れさせると、一つのモニタを操作し、左側の軍服の袖を捲る。
あらわとなった手首には、白い腕輪が取り付けられていた。
「これから皆に話そう。組織の礎となった――天使について」
区切り悪いですが、これで一時中断です。