第2話 島国を襲う者
千葉県にある翠琳市の駅前。
日本の首都である東京や、東京に隣接している都市は大抵の駅前は人で一杯だ。
無論、翠琳市の駅前も例外ではない。
昼時になると、朝方のラッシュよりはほど遠いがしかし多くの人が、駅前の通路を歩いていた。
これが現在の世界。現在の状況というやつだ。
その地の遥か上――いわゆる空は、晴天に恵まれている。日差しが照り付け、自然と人々は下向きで歩く者が過半数だった。
だから、その空に突然、黒い穴が開いたことには、誰も気づかなかった。
● ● ●
「では、矢崎 悠斗に仲間を紹介しよう。付いてきて」
「おう」
短く答えた後に、悠斗は諒に言われた通りにした。
自動扉を抜けると、相変わらず長い通路が見える。
これを歩くとなると、いささか気が遠くなった。
軽く息を吐き、通路に一歩足を入れて前へと進む。が、諒が片手でそれを無言で制する。
「ん? どうしたんだ?」
「僕といる場合は、この通路を通る必要はない」
言葉の意図がわからず、悠斗は首を傾げる。
諒は両手を胸の辺りまで持っていくと、ぱん、と掌を叩いた。
「空間ーー【移動】」
瞬間、その場から悠斗と諒の姿は消えた。
軽快な音が響いた後、悠斗の視界は塗り潰されたかのように変わっていた。
どこまでも続く通路から一変、そこは自動販売機と長椅子が幾つかあるだけのシンプルな部屋だった。
「ここは、休憩スペースとして扱っている場所だ」
「あ、逆井君」
諒が説明をしている最中、一脚の長椅子に座って休憩していた男が近寄って来た。
白銀の髪に、巧みに磨き上げられた鋼ような色の目をした、悠斗と同じくらいの年代の男だ。
「紹介する。こちらは、AMP攻撃艦員である――」
「初めまして。石倉佑樹です」
佑樹は背筋をぴんとすると、はきはきとした声を出した。
「どうも、俺は矢崎 悠斗だ。今日から組織に世話になるよ。佑樹さん」
「佑樹で構わないよ。世話になるってことは、君は今日から〈AMP〉の艦員か。じゃあ――これからもよろしく。矢崎君」
言うと佑樹は、にこやかな笑みを浮かべて片手を差し出した。
「おう。よろしくな」
悠斗はその手を握ると、佑樹と同じように笑ってみせた。
それを無言で見ていた諒が、何故かやや低姿勢で話し出す。
「一応言うと、石倉も《能力者》だ」
「そうなのか」
「そう。俺の能力は《侵操》。どんな能力かと言うと――」
と。その時、ガッシャァァァァンと、何かが壁に激突した音が響いた。
「な、なんだ!?」
「どうやら近くの通路で、何かぶつかったみたいだ」
諒はそう言うと休憩室の扉を開け、通路へと向かう。悠斗と佑樹もそれに続いた。
扉を抜けた通路の数メートル先の壁に、大きなへこみが見える。
その直ぐ近くの床に、何かの機械と、一人の人間が横たわっていた。
「ッ!? 大丈夫ですか!」
「あいててて……はい、何とか」
悠斗が咄嗟に駆け寄ると、倒れていた人は自分で体を起こしながらそう言った。
外見と声音からするに、十代後半くらいの少女だった。桃色の髪を二つに括っており、青空のような碧眼を持っている。
「あれ? あなたは……」
少女は起き上がって服に付いた埃を払う仕草をしていると、目の前に見覚えのない少年がいたからか目を丸くする。
「俺は矢崎 悠斗。今日からこの組織の仲間になる」
「ということは――後輩さん!?」
少女はカッと目を開くと悠斗の手を半ば強引に両手で握り、嬉しそうに飛び跳ねた。
「やったぁ! 新しい仲間だよ。〈AMP〉に入った順が私で最後だったから、早く後輩さんが来ないかなぁって思ってたんだよ!」
「そ、そうなんだ」
「あ、私の名前は富屋 琴愛! よろしくね! 悠斗君!」
悠斗が戸惑いを見せているのを余所に、琴愛は昂りを抑えられないといった様子で悠斗の手を握ったままの両手をぶんぶんと振り回す。
「琴愛、もうそろそろ止めてあげて。矢崎君が疲れるよ」
「あ……ごめんなさい、つい」
佑樹が声を掛けると、琴愛ははっと我に返り悠斗の手を離した。
「いや、大丈夫だよ――それより、これからよろしくね。富屋さん」
「んー悠斗君も『琴愛』でいいよ。仲間なら、早く仲良くなりたいしね」
「わかったよ。琴愛」
悠斗がそう呼ぶと、琴愛は心底嬉しそうに笑ってくれた。
「時に富屋さん。貴女は一体何をしていたんですか?」
「う、それは……」
諒が問いただすと、琴愛はゆらゆらと視線を泳がせる。
「浮揚型スクーターの調整が終わったから、試しに乗ってみようと」
「なぜ、通路でそれを?」
「ええっと、外に出るのもなにかと面倒だし、戦艦の通路ってとても広いからいけるかなと――」
「馬鹿」
「ひゃうんっ!」
琴愛がたどたどしく衝突の経緯を話していると、諒が左手を伸ばして琴愛のおでこにデコピンを喰らわした。
「金輪際、通路で乗り物を運転するのは禁止。壁だって、修理するのはタダじゃないから」
「ごめんひゃい……」
若干赤くなったおでこを擦りながら琴愛は言う。諒は息を吐くと、歩いて倒れていた機械を起こす。
「なぁ逆井。それは?」
「ん、これは浮揚型スクーター。顕想源を推進力として扱うことで、ホバー能力が追加されたスクーターだ」
「へぇ……俺が乗ってもいいのかな」
「機会があったら外でね。スクーター戻してくるから、しばらく三人で話でもしてて」
「おう、任せたよ。逆井君」
「じゃ、空間――【移動】」
無表情で悠斗達に手をひらひらと振った諒はその後手を叩くと、スクーターと共に姿を消した。
ふと、悠斗は気になったことを口ずさむ。
「そう言えば、何で瞬間移動する時に両手を叩くんだ?」
「ああ、それはな――『空間』の能力は、他の能力と比べて扱いづらいから、魔力を使用する際にああやって合図みたいなものを出さないと正確に飛べないらしいよ」
「へぇ、扱いづらいのか……」
能力にも、リスクとか相性などがあるというのだろうか。
能力者について、またはその能力について、悠斗はまだ知らないことが山ほどある。諒に教えてもらうまで、自分が能力者であることさえも忘れてしまっている今、悠斗は艦員として、一体何が出来るのだろうか……。
「――なぁ、佑樹。俺も能力者みたいなんだけど、俺って艦員としてどういった仕事に就くのかな」
「そうだな……具体的に、どんな能力を持っているんだ?」
「それはわからないんだけど、属性は『炎』だって聞いた」
「ということは攻撃型かな……戦闘向きだから、攻撃艦員に入ってほしいけど」
「なぁ、攻撃艦員って何なんだ? 〈AMP〉って保護組織だって聞いたけど」
「あれ、まだ知らないんだ。悠斗君」
悠斗が問うと、琴愛がきょとんとした表情を浮かべた。
「そうだな。攻撃艦員は、本来の保護組織には必要のない部隊だ」
「そりゃそうだよな。だったら何で――」
「お待たせ」
「うわっ!?」
悠斗が質問を繰り返そうとした途端、悠斗と佑樹の間の虚空から諒が現れた。
「あ、ごめん。位置が微妙にずれた」
「だ、大丈夫だ。それより逆井、俺の配属場所って……」
「強制はないから個人の自由だけど、何も希望がないなら攻撃艦員にするつもりだ」
「攻撃艦員って、具体的に何をするんだ?」
「『ノワル』の殲滅と、『限界暴走』した能力者の鎮静を行っている」
「えと、はい……?」
諒の口から、またまた知らない単語が二つほど顔を出した。
「そう言えば、まだ話してないな」
「ああはい。出来るだけわかりやすい説明をお願いします」
悠斗が言うと、諒は手で何かを整理するような仕草をした後、話を始めた。
「まず、『ノワル』について。ノワルとは、二度目の『ディメン・クラッシュ』以降突如現れた謎の生命体だ」
「謎の、生命体……?」
「そう。ノワルはこちらが存在を確認した途端、日本に破壊活動を開始したことから、政府はノワルを殲滅対象にし、内地で戦闘を繰り広げた」
そこまで言うと、諒は服のポケットから小型端末を取り出し、展開してモニタを表示させる。そこには、日本人が生まれた土地、日本列島の地図が映し出されていた。
「これは……日本、だよな?」
「これは、十一年前の日本。温暖地帯にあるため、砂漠化もなく凍土もない、自然が豊かな島国だ。ところが、その一年後――」
諒は端末を操作して、もう一つのモニタを展開させた。
そこに映っていたものは、今さっき見た同じ日本列島だ。
それを見て、悠斗は息を詰まらせる。
理由は単純。所々の大地に、黒ずんだような跡があるからだ。
「日本全域に出現したノワルとの交戦により、日本の国土の約三割が焦土になった」
「嘘、だろ……」
「残念ながら、これが現実だ」
狼狽える悠斗に、諒は無慈悲な言葉を投げる。しかしそう言った諒は、動かない表情に微かな苦悶のようなものを浮かべている。
諒は一度目を瞑り、開くと小さく息を吐いた。
「人類は地上のノワルを殲滅し、国を危機から救った。しかし、全てを守ることは出来なかった。だから、僕らが支え助けるんだ。今の日本を……」
強く、決意を露にするように諒は言った。
近くにいる佑樹と琴愛は、それに深く頷く。
それに感化された、という表現は適切ではないかもしれないが、悠斗はこう言い切った。
「俺、攻撃艦員を希望するよ」
「……本当に、覚悟はいいか」
悠斗の宣言を聞いた諒は、悠斗を冷たい目で睨んだ。
否、そう見えただけで実際は、悠斗の決意を再確認させるために取った行動なのだろうと、悠斗は思った。
「ああ、決めたことは精一杯やる。それが俺の出来る、唯一の道だ」
だから悠斗は再度、決意を結んだ。外れたり、崩れることがないよう、固く、硬く。
――その時だった。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
艦内に突然、けたたましいアラームのような音が響いた。
何かは知れないが、それが良くないものだということは容易に知れた。
「ノワルの生体反応だ。石倉に富屋、そして――矢崎。至急、転送室に向かって、対象の駆除を頼む」
『了解!』
声を張り上げる佑樹と琴愛に合わせて、気づいたら悠斗は二人と一緒に通路を駆けて行った。
不思議なことに、緊張や動悸といったものが一切感じられない。むしろ落ち着きを保ち、妙に昂りが込み上げる感覚が起こる。
これが、何度も決意を固めた証だろうか。
とにかく、今やるべきことは――、
「滅してやるぜっ! ノワル!」
悠斗は佑樹と琴愛の後ろで、そう叫んだ。