第12話 災害を滅する者たち
精神に余裕が持ちはじめてきた感じがしますので、執筆活動に入念に取り組みたいです。
名前も知らない町を含む全体が、夕日から溢れだす斜光で朱に色付く。
光にあたる建物が影を作り、そのなかでも一際大きな建物とその影が下を向いたときに目に映る。
確か、あれは『校舎』という名の、学校の施設とかだったはずだ。
いつも通り、無性に腹が立ってくる。
内から溢れるこの衝動は、どうやっても制止させることが難しい。何か、解消させてくれるものはないだろうか。
――と。校舎の影の中から、動いている物体がいるのが見えた。
丁度よい。あれを使わせてもらおう。
思考を合点すると――背に生やした翼を翻した。
ノワルに拘束され、打つ手なしの状態となった悠斗は、目の前で起きた事態に驚愕を隠せなかった。
しかしそれも当然である。何故ならそれが出現する予測も、いつまた邂逅できるかも定かではなかった存在が、突如その姿を見せたのだから。
《天使》――ある時まで空想と思われていた、人類とは別種の存在。能力者とはまた違った魔力を持つ生物だ。
「……」
校舎の遥か上空のところで、カマエルは深緑の瞳で見据えている。
何を思っているかは知らないが、こちらを見ているのは明白だ。
「ギ、ギギギ……」
悠斗と同じく、天使の方を向いていたノワルの群れの一体が、不快そうに鳴き声を漏らす。
すると、それに呼応するようにノワルたちが一斉にざわめきだした。
何だろうか。奴らの反応が、人と対面したときとは少し様子が異なる気がした。
そう思った直後、カマエルが一対の翼を広げて降下する。
悠斗とカマエルの距離はおよそ七十メートル。それが瞬く間に、四メートルくらいにまで収縮した。
常識など虚無の彼方へ吹き飛ばしてしまうほどの、圧倒される膂力。
それは悠斗が認識し、息を呑むよりも速かった。
「――〈滅亡篝〉」
唇だけを動かして、カマエルは静かに呟く。
その声が響いた直後、虚空から一本の黒剣が顕現される。
カマエルはその柄を片手に持ち、即座に横手に構えた。
その姿を見た瞬間。悠斗の頭中に、ふと目の前にいる天使と初めて逢ったときのことが思いだされる。
言葉を一切交わすことなく、強制的に断たされた悠斗の右腕。
その事実が、外見はまるで少女としか思えない天使に、冷酷さと凶悪な性を付与していた。
「……」
顔を歪めることも嗤うこともなく、淡々とした様子でカマエルは剣を振るう。
本能的に危機を感じて、悠斗は目を瞑る。
逡巡のない黒剣は、無慈悲に悠斗の胴部を斬り――
「ギィ……ッ」
――悠斗を拘束していたジェルノワルを裂き、両断した。
「え……?」
悠斗は一瞬、何が起きたのかわからなくなる。
だがそれを理解しようとする前に、カマエルは身を翻して剣で十字に薙ぐ。
斬撃と暴風が巻き起こり、複数のジェルノワルが紙片のように崩れ消え去っていく。
「ギギギィィッ!」
数体のロームノワルが奇声を上げながら、カマエルに飛び掛かる。
カマエルはその攻撃を苦もなくいなすと、剣を軽く振ってロームたちを吹き飛ばした。
吹き飛ばされたノワルは、体が地に着く前に消滅した。
規格はずれの膂力に、華麗なまでに美しい剣筋。
あまりにも凛とした立ち回りに、悠斗は恐怖をも上回る魅了に早くも感化されていた。
天使というのは、こうも人間とは違う力を持っているのか。
「はあああっ!」
裂帛の気合とともに、カマエルが頭上にあげた剣を振り下ろす。
瞬間、剣先から衝撃波が放たれ、周囲のノワルもろとも地面を抉り出す。
衝撃に飲まれたノワルの群れは、塵一つ残さず死んでいった。
「…………」
時間にして、わずか三分足らず。
人間である悠斗が全力な状態でも一時間は掛かる所行を、天使は難なくやってのけたのだ。
圧倒的な差に、思わず慄然としてしまう。
と。ほぼ殺戮に等しい戦闘を終えたカマエルが、持っていた剣を霧散するように消失させると、ふとキョロキョロと辺りを見渡す。
――その時、悠斗とカマエルの視線ががっちりと合う。
「あ……」
やばいばれた、とでも言うように、悠斗の口から声が漏れる。
カマエルは無言で、悠斗を見ていた。
言葉を発せない者と発さない者が織り成す、静寂の一時。
それは、悠斗が感じたなかで一番、重い空気だった。
――と。それに呆れを有したのか、或いは端から関心を持っていなかったのか、カマエルは短く息を吐くと、たたんだ翼を再度広げてどこかに飛び立とうとしていた。
『矢崎。こんなチャンスはそうそう訪れない。早く話かけて』
「っ……!」
諒の声で悠斗は正気を取り戻し、すぐさま対話を試みようとする。
が、遅い。言葉を発する前に、カマエルはもうすでに地面から両足を離していた。
そうなってしまえば、対話は不可能。カマエルとの距離はみるみるうちに遠ざかっていく。
何とか制止させようと伸ばしかけた手を、悠斗は静かに降ろす。
さすがに頭の悪い悠斗でも、諦めるということは覚えているものだ。
しかし――、
「俺は……絶対に諦めない」
自分に言い聞かせるように、悠斗はそう呟いた。
今は仕方ないとしても、完璧に放棄することはない。為すべきものは、最後までやり通したいと思っているからだ。
それが、決意。悠斗の本心であった。
手を握りしめ、カマエルの消え行く背中をじっと見つめる。
もう姿が黒い点へと認識されつつあった――その時、
銃声。銃身に込められた弾を発砲する音が聞こえた。
刹那、宙に浮いていたカマエルの姿がぐらりと傾く。
「ッ……!」
何が起こったのかを理解する前に、悠斗は反射的に走りだした。
『どうした、何か起きたのか?』
「わからない! でも銃の音が聞こえた。早く行かないと!」
状況を手短に説明すると、悠斗は銃声が響いた場所を目指す。
その方向は、飛んでいた最中に異変を起こしたカマエルがいる方向と同じであった。
校舎を抜けて、その先にある住宅街を駆ける。するとやがて、人気のない公園が視界に映った。
遊具は少なく、更地のような広場と周囲の茂みだけが寂しく残っている。
その広場の隅に、風変わりした格好の少女が倒れていた。間違いない。カマエルだ。
表情を険しくして、悠斗はカマエルの元にかけ寄って叫ぶ。
「おい、大丈夫か!?」
「ぅ……」
しかし、返事はかえってこない。どうやら気絶しているようだ。
よく調べてみると、片方の肩から血が流れていることがわかった。痕からして、銃で撃たれたものと思われる。
やはり、先の銃声はカマエルを狙い、撃ったことで響いたものだったのだ。
いったい誰がこんなことを――と思ったその時、ガサリと、茂みの一部分が揺れだした。
同時に人の気配を察知し、悠斗は揺れた茂みを注視する。
見て取れたのは、茂みの上から覗く黒いメットと、茂みから突きだした光沢煌めく銃口。
その銃口はただ一直線、カマエルの方に向けられていた。
「っ、誰だ!」
刺すように言い、悠斗は瞬時に作り出した火球を躊躇なく発射する。
火球はその茂みに着弾し、木の葉を燃やしていく。
直後、そこから一人の人間が飛び出してきた。
茂みで隠れていた部分が、日の光に晒される。
頭から足の先までが黒で統一された武装。どことなく、悠斗の装備と似ている気がする。
手にはライフル銃を持っており、悠斗の攻撃をかわした今でも構えを止めていなかった。
「お前は、何者なんだ……」
「……」
悠斗が尋ねるが、黒ずくめの人間は一言も発さない。ただ無言で、負傷し倒れたカマエルに銃を向けている。
悠斗は庇うように、カマエルと黒ずくめの間で手を広げた。
「……なぜ」
と。黒ずくめの人間が小さく言葉を放つ。男の声だった。
男はそのまま、淡々とした声で話を続ける。
「なぜ――それを庇う必要がある」
「え……?」
それを聞いた悠斗は首を傾げ、どういうことなのか訊ねようと口を開く。
するとそのとき、周囲から幾つもの足音が響いた。
直後、公園の外から男と同じ服装、同じ武装をした人間が四人現れる。
考えなくとも男の仲間だろう。ということは、奴らは集団で天使を狙っていたのだろうか。
だがあまり疑問を捻らす時間はない。悠斗はいま、見知らぬ人たちに包囲されているのだから。
黒ずくめの人間が五人に対して、こちらは先の戦闘で疲労困憊の人間と、怪我のせいかぐったりとしている天使の二人だけだ。
互いに睨むようにしながら、緊迫感が漂う。
と。
『空間――【移動】』
悠斗の持つ装置から響いた声が、その澱みを断ち切った。
瞬間、悠斗の横に突如、物体が現れる。
悠斗は目を白黒にして、その物体を見た。これは――、
「これは……浮揚型スクーター!」
そう。それは悠斗が入隊して間もない時に一度見たことがある、宙を浮く乗り物だ。
ブォォォォ……と低い音を鳴らしながら、スクーターはその場を浮遊している。
『今の内だ。できれば天使を連れて、スクーターに乗って離脱してくれ。操作はこっちでやる』
「わかった!」
悠斗はうなずくと指示された通り、カマエルを担いでスクーターに足を乗せる。するとスクーターは駆動するような音を立てたかと思うと、猛スピードで前進した。
「ッ、待てっ!」
黒ずくめの一人がそう叫ぶ。が、脱兎の如く走るスクーターの前ではそれは無いに等しい。
黒ずくめの集団の頭上を通り越して、悠斗とカマエルを乗せたスクーターは遠くへ飛んでいった。
それから数時間後。装備を解除した悠斗は、どこかの山の頂上にいた。
悠斗の意を介さないでも動くスクーターに揺られて三十分くらい後にこの山を見つけ、自身の休息とあることを行うために、あえて人目がつかない場所を選んだのだ。
そのあることというのはもちろん、カマエルの介抱である。
「……よっと」
世話になったスクーターを適当なところに置くと、悠斗は肩に担いだ天使をそっと降ろし、地面に敷いたシートの上で横にさせた。
地べたで寝かせるのは失礼だという、諒からの提案だ。こちらが了承するとすぐに、シートと救急箱が送られた。
『じゃあまずは、傷の止血と消毒をしよう。随分と時間が経ったから、止血の方は問題ないと思うけどそれはそれ。止血剤と消毒薬を出して』
「わかった」
救急箱の中から言われた薬品を取り出してから、悠斗はカマエルの傷を再度確認する。
「……ん?」
と、そこで悠斗は、カマエルの武装が先程とは違うものになっていたことに気づく。
数時間前に見たカマエルの武装は、首から腰までが紅色の鎧で、腰下からは羽衣のようにキラキラしたスカートが組み合わさったような、華やかな装いであった。
しかし今しがた見ると、鎧部分のパーツが足りなく、肩から両腕にかけての白い肌が露出していたのだ。
そして傷は、露出した肩に出来ている。
これは記憶違いなのか、悠斗は自問し――否定した。
その理由は単純。カマエルの特徴の一つと言えた、ある部分までもが、綺麗になくなっていたからだ。
それは、背に携えていた一対の巨大なもの――翼である。
カマエルが気をうしなってしばらくした後、悠斗が気づいたときには、カマエルの翼は抜かれたように消えていた。
純白の羽で覆われた背中は、鎧が剥き出しになってしまっている。これでは天使というより、女騎士のそれに近い。
「逆井……天使の翼って、出たり消えたりするのか?」
『特にそういった情報はない。が、天使の持つ翼は、飛翔器官と、魔術媒体の役割をしていると考えられている』
「魔術媒体? なんだそれ」
『魔力と肉体を通す回路のようなものだ。これがあるのとないので、魔術使用の際に身体にかかる負担は大きく変わると予想されている。アルマでいう、顕想源みたいな部品だ』
諒の説明に、悠斗は微小ながらも関心を持った。
止血と消毒の処置を言われた通りに行い、処置した部分に包帯を巻く。
「これで……いいかな?」
『初めてにしては上出来だ。――矢崎。転身用装置を外して、イヤホン型の通信機を付けてくれないか。そっちの方が、対話時のサポートがしやすい』
悠斗はそれにうなずくと、腕の装置を外し、懐に入れておいた通信機を耳に装着した。
ザザッ、という音がしてから、諒の声が入る。
『あーあー……よし、繋がった。音量に問題はないか?』
「大丈夫だ。よく聞こえる」
『そうか――ところで矢崎。何か気になることがあるんじゃないか?』
と。通信機を替えた直後に、諒がそんなことを言ってきた。
「気になること……例えば?」
『黒い武装をした奴らだ。気になるよな?』
「……っ! アイツらについて、何か知ってるのか!?」
悠斗が目を開いて尋ねると、諒は嘆息を漏らしてから、話を続けた。
『知っているもなにも――奴らはウチと同じだから』
「同じ……?」
『――そう。〈大和ハート〉直属の組織、災害阻止特別部隊。通称〈DBK〉。害ある生命体、ノワルの駆除に特化した組織だ』
「駆除に特化……なんでそんな奴らが、天使を攻撃するんだ?」
『話すとややこしいから、これだけ伝えておく。――天使という存在は、上層部の一部と、〈AMP〉の艦員である人間しかまだ知らない』
「? それってつまり――」
と。言及しようとしたそのとき、微かな視線を感じて悠斗は口を閉じる。
そして背後を振り向くと同時、その視線を送った者が声を発した。
「あ……れ…………?」
掠れた言葉でも、鈴のようにはっきりと響く声。
カマエルは目を覚まし、ゆっくりと上体を起こす。
「あなた、は……」
呆けた表情で、カマエルは悠斗の方を見る。
すると――
「……人間ッ!」
途端に目をカッと見開いたかと思うと、カマエルは悠斗から離れるように後方へと下がっていく。
そして自分の肩を抱く仕草をして、威嚇するかのようにこちらを睨んできた。
「えっと……」
突然の拒絶に、頬に汗を垂らす悠斗は、どうしたらよいのかわからず、とりあえず声を掛けてみることにする。
「や、やあ……久しぶり、カマエル」
「っ、あなた、どうして私の名を――」
と、そこまで言いかけたところで、カマエルははっと体を揺らす。
「そういえばあなた……前に会ったことがあるわね。確か、矢崎悠斗、だったかしら」
「あ、覚えてくれてたんだな。ありがとう」
「別に、好きで覚えていたわけではないわ」
カマエルは目の前にいる人間が見知ったやつだと認識すると、肩を抱く仕草を止めて、とたんに冷たい言葉を返してくる。
あまりよろしくない序盤になってしまったが、対話が成功したのだから良しとしよう。
むしろ、この先が重要なのだから。
「聞いてくれ、カマエル。俺は――」
「誰が喋っていいって言ったかしら?」
悠斗が言い終える前に、カマエルはそれを遮った。
直後、片方の手をぴんと伸ばし、手刀の形を作り突きつける。
「私は破壊の天使カマエル。数多いる天使のなかでも上位に位置する者よ。そんな私に、許可なく口舌を発するなんて、迂愚にも程があるわ」
「…………」
悠斗は眉根を寄せ、硬直したように押し黙った。
やはり彼女は、まともに話を聞いてくれる性格ではないようだ。
明らかに人間を軽蔑し、自分という存在を主張している。会話が可能でも、その先に展開を進めることはできない。
どうしたものかと悠斗が思案をしていると、カマエルは立ち上がる。
「あなたが何を言いたいのかは知らないし、元より興味もない。だからもうさようならね。じゃあ――」
そう言って後ろを向いた、そのとき、カマエルは気づいた。気づいてしまった。
自分の背にあるはずの翼が、なくなっていることに。
「……ちょっとこれ、どういうことよ!」
カマエルが踵を返して、憤慨した様子で悠斗に詰め寄ってくる。
――が、次の瞬間。
「きゃ……!」
地面から盛り上がった木の根が、カマエルの足に引っかかりつまずかせた。
「っ! 危ない!」
悠斗は咄嗟に反応して、倒れてしまうカマエルと地面の間に滑り込んだ。
「はぐ……っ!?」
瞬間、カマエルを受け止めた衝撃が腹部と背中全体に走る。
攻撃の類ではないが、カマエルの纏った鎧の重みが総じて、確かな痛みを与えていた。
重圧に顔をしかめながらも、悠斗はカマエルに向けて言った。
「いたた……大丈夫か? 怪我とか、してないか?」
「……ッ!」
ちょうど、悠斗の腹に顔を埋めるような体勢になっていたカマエルはかばっと顔を上げると、赤く煌めく髪を振り乱しながら、慌てたようすで起き上がった。
「は、離れなさい! 私に勝手に触れるなんて、失礼だわ! 不潔だわ!」
「ええ……」
綺麗な口から発される罵倒に、悠斗は心底傷ついてしまう。
『――ちょっといいか。矢崎』
と、その時、通信機を装着した耳から、諒の声が聞こえる。
「どうしたんだ逆井。何か指示でも?」
『うん。カマエルの様子と精神状態を先ほどからモニタリングしていたんだけど……一つ聞いてもいいか』
「ん、別にいいけど……なんだ?」
『あの天使は、自分で切断した君の腕を、自らの手で治したんだよな? それも自分の能力で』
「そうだけど……」
そう小声で返すと、諒は「うーん」と唸るような声を発してから、こう言った。
『少しだけ、試したいことがある。悠斗は指示に従ってくれ』
一週間に一回くらいの投稿を目指していますが、変動はあります。なぜなら自分――鎌里 影鈴は、結構傲慢で怠惰な人間ですから。