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どうやら、色々とフラグを建てていたようです

小さいイベントには行ったことありますが、作中で挙げているような大きなものには行ったことありません。


なので、間違いはあるかもしれませんが、そういう人達もいる、ということで、1つ。

事実だったら、注意してやってください。いや、ホントに。


あと、若干の鬱展開かもしれないので、読まれる方は注意を。

ここまで鬱になってる人はいないかもしれないけど、念のため。


「今日もお疲れさまっ! そして狭山さんの誕生日を祝して――乾杯っ!」

「……乾杯」



カシャン、と冷えたビールグラスがぶつかる。

そして、タイミングを合わせたかのように口に運び……そのまま一気に飲み干す。



「うんっ、今日もビールがうまいっ! お姉さん、生一つ追加で!」


口元に泡のヒゲを付けた女性が元気に注文を出す。

それを聞いた店員の「はーい」という返事を聞き流しつつ、俺は苦心して半分まで飲み干したビールを置いて、向かいに座る女性を何となしに眺めた。


本名か、ハンドルネームか。

それとも、そのどちらでもないのか。

エルクゥさん、と俺が呼んでいる彼女は、俺みたいな一般人とは明らかに品位の違う人間だ。


膝裏まで伸ばしているのに艶のある、さらさらとした金髪。

手入れの行き届いた人形のようにきめ細かく整った容姿は、男女を問わず、通りすがった相手の視線すらも釘付けにする。

その存在感はカリスマとでも言い表せるほどで、明らかに、上流階級とか社交界、芸能界にいてもおかしくない存在だ。


だが、彼女にはそういう考えがないらしく、自分の好きなことをして暮らしていたいらしい。


その『好きなこと』というのが――コスプレやイベント参加といった、同人活動なのだ。



事実、今の彼女はイベント帰り、という事もあって、服装が奇抜である。

何しろ、日曜の朝に放送されているような魔法少女の格好なのだから。

かく言う自分も、撮影役として働きながらも、一昔のゲームの主人公な格好をして楽しんでいたのだから、どっちもどっちであるが。



つまり――最近になって市民権を得始めた、同人のイベント帰りに酒を飲んでいるのである。俺達は。



せめて、会場の近くのトイレか別の何処かで着替え直せばいいのだが、イベント直後はそれすらも億劫な位に疲れ果ててしまうのである。

年二回開かれる、最大規模のイベントに参加した事のある人間なら、全面的に同意して頂けると思う。


あれは『イベント』なんて生易しい言葉で片付けられるレベルのものじゃない。


あれは……もはや『戦争』だ。


今までに死者は出ていないらしいが、それは影で活躍しているスタッフの皆さんや良識ある参加者達の努力があって、だ。今後もそれが続くかは、イベントに参加させて『貰っている』俺達の心掛け次第、というところだろう。

最近のマナーの悪さは周辺地域にも警察にも知られている所だし、その年二回のイベントすら、それが原因で開催を危ぶまれる事態も過去にはあった訳だし。


イベントを作っているのは参加している自分達ではなく、その環境を粉骨砕身の想いで整えてくれているスタッフの皆さんだ。

その気持ちを忘れちゃいけない。

でないと、この情報社会だ。どんな所で槍玉に挙げられて火種にされるか、分かったものじゃない。



……まぁ、今回参加したイベントは、そこまで気を張らなくてもいい規模ではあるが、それでも小さなイベント会場を貸し切っている。

会場の外ではちょっとした撮影会もあった訳だし、露骨に撮影カメラを集めているような参加者はいなかったので良かったと言えば良かったのだが……そういう『目的』の輩は何処にでもいるから、困ったものである。



ちなみに、衣装のまま酒を飲む事に関してだが。



『子供達の夢や希望を壊さないようにしなければ、別に酒を飲んでもいいんじゃない?』



という、子供達の前ではなんとも言いがたい大人の事情で、お互いに暗黙の了解の形を取っている。

店選びもそうだが、入店の時も気をつけているから大丈夫だろう。一応、上からコートとか着てるし。


……実際、イベント会場の隅の方を見ると、明らかに清涼飲料水ではなさそうなパッケージの缶を手にしている輩も、少数ではあるが、いる。

飲んで醜態を晒すのは当人なので別にどうでもいいのだが、それで関係ない人間も巻き込まれて、そういった悪印象を植え付けられるのは非常に困る。

というか、声を大にして否定したい。


特にマスコミは、こういうのを本当に好む。


ハイエナかカラスか、と思わんばかりに群がってくるのだから、心当たりのある人間は本当に注意して欲しい。



そういうわけで。


他人から見れば、奇抜な髪型やメイクをしたコートの男女が酒を飲んでいる、という怪しさ全開の状況は全力を挙げて御免被りたいので、俺はウィッグを取り外しては袋に丁寧に包んで横に置いている。


足元を見れば、イベント帰り特有の『パンパンに膨れ上がったキャリーバッグや紙袋』があるので、店員も他の客も何となく察してくれてはいるが。


注意一瞬、ケガ一生。


言葉にすれば短いが、本当、これである。

社会で恥を晒したら、一生付いて回る黒歴史になりかねない。それだけは、全力を挙げて回避したい。



「……どうしたの、狭山さん。心ここにあらず、みたいな顔して」

「そんな顔してました?」

「いつもだけどね」

「おい」

「冗談ですよー。狭山さんってば真面目なんですからー♪」



思わず言葉尻を強くして睨んでしまうが、悪びれた様子もなく、彼女は目の前で悪戯っぽく笑う。

それはいつもの事だし、本当に理由はないのだろう。長い付き合いだから、俺には分かるが。



「時々、冗談かどうか判断できないときがあるんですけど……」

「そういう時は、正面から聞いちゃえばいいんですよ。冗談ですかって」

「そういうもんですか?」

「そういうものよ」



なるほど、と思いはするものの、恐らくはこの先、実際に尋ねたりはしないだろう。

気心知れた相手ならまだしも、初対面の相手にすることではないのだから。



「それで、さっきの話だけど。差し支えなければ、その理由を聞いてもいい?」

「……エルクゥさん。それって、酒の肴に聞きたいだけでしょ」

「えへへ、バレちゃった?」



おどけたように笑うが、その表情も長くは続かず。

新たに届いたビールを一口だけ飲み込んで、エルクゥさんがこちらを心配そうに見つめる。



「……まぁ、半分は本当に心配してましたけどね」

「本当ですか?」

「えぇ。狭山さん、聞かれないと悩み事を人に言わなさそうな感じがしましたから」



さっきまでの和気藹々とした飲み会の空気は、そこにはない。

真面目な口調で語りかけ、こちらを安心させるかのように柔らかな笑みを向けるエルクゥさんの後ろに、一瞬だけ、純白の翼と後光が見えた。



「……ッ」

「どうしました? 急に目をこすり出して」

「いや……目にゴミが入ったみたいで。取れたのでもう大丈夫です」



見間違いだろう、と首を振って適当な理由を付けてごまかす。

再び彼女を見たときは、背中に翼なんてものはなく、後光も差していなかった。


それでも、雰囲気はさっきまでの仲間を心配する友人から、子供の謝罪を受け止めようとする母親のようなものへと一変している。

本心から、こちらの事を心配してくれているのだろう。


だからこそ――言っていいのか、と。

歩み寄ろうとしている足を、自分で止めてしまう。



「何といったらいいんですかね、これは……本当、俺の身勝手な愚痴になりますけど、いいです?」

「いいよいいよ、今日は無礼講だって」

「あれだけ楽しかったイベントの後なんで、こういうのはあまり言いたくないんですけど」

「気にしすぎだって。酒飲んで水に流しちゃえばいいんだから」

「……気分、重くなりますよ? 悪くなりますよ?」

「気にしない気にしない。ほら、言っちゃったら気が楽になるよー?」



何度も念押しをする俺の肩を、気楽に笑いながらぺしぺしと叩くエルクゥさん。

何も考えていないのか、それともこちらを気遣ってくれているのか。多分、後者だとは思うが。



「……それじゃあ」



彼女が言う『無礼講』という言葉の助けを借りて、俺は普段から溜めていた愚痴を吐き出す。



「まぁ……なんというか。俺って、生まれる世界を間違えたなぁ、と」



言った瞬間。

テーブルが揺れて、食器がぶつかる音が響いた。


――何故か?


それは、コント番組でも久しく見なかったようなズッコケを、エルクゥさんが披露してくれたからだ。



「なんでまた、そんな突飛な愚痴が出るの!?」

「突飛過ぎますかね?」

「突飛過ぎるよ! どうせ、好きな女の子に振り向いてもらえなくてー、ぐらいの愚痴を想像してたのに、重すぎるよ!」

「だから、重くなりますよって言ったのに」



斜め上過ぎたのか、エルクゥさんが声を荒げている。

まぁ、想像できるようなレベルじゃない愚痴なのは、自分でも分かっていたのだけど。



「とんでもない爆弾投げてくれたなぁ……」

「あはは……」



ぼやくエルクゥさんが姿勢を正すのを待ってから、俺は口を開く。



「要は、異世界に行きたいなぁ、と」

「簡単に言うねぇ」

「まぁ、愚痴なんで。言ったところで行けないことは分かってますし、ね」



口から漏れた息は、場を和ませるための笑いだったのか、様々なものに失望しての溜息だったのか。


どちらなのかも分からないまま、俺は話を続ける。



「……俺にとって、生きにくいんですよ。この現代社会が」

「なんで?」

「俺自身の考え方が、あまりにも旧過ぎるんでしょうけど、ね」



そう、前置きを言ってから説明する。


決まったカリキュラムを繰り返し、まるで枠に嵌めたような量産品を作るような教育。

学歴や経歴だけを重視し、実際の能力や個人の意思を尊重してくれない企業。

個性を立たせようとしたら、周囲から押し潰さんばかりに非難をする社会。

善が善として認識されず、悪が悪としても認識されず。弱者が虐げられ、強者だけが悠々と暮らせるような構図。


発展する為に、様々なものが削ぎ落とされた。

発展したが為に、様々なものが不必要とされた。


かつては存在していたもの。

栄えた今では、半ば幻想となってしまったもの。



「絆とか、仁義とか、人情とか……そういったものが社会から無くなってしまって、俺は悲しい、と心から思うんですよ」

「……確かに、旧いかも、ね」

「職場の人間に言ったら笑われましたよ。それは『旧い考え方だよ』と」



それに固執していたら、いつの間にか、時代の流れに取り残されていた。

そして、取り残されるだけでなく、流れに『自ら』逆らい始めた。



「……ファッションも含めて、流行は全く分からなくなりました。というか、知ろうと思いませんでしたし」

「確かに、狭山さんの私服って地味だし、着飾ろうとする様子もないもんね」

「服に金かける暇があったら、親を楽にさせる方が重要でしたから」

「そういや、片親だったんだよね、狭山さん。母親だっけ?」

「えぇ。薄月給ですが、仕送り出来る時はしてますよ、今でも」



その仕送りで、自分の生活が苦しくなっている事もあるのは、親には伝えていない。

親には、元気で頑張っている姿しか見せたくない、と思うのは『見栄を張りたい子の心』とでも言えばいいのだろうか。


そんな事を考えていると、まるで真っ直ぐ育った子供を見るような母親の目で、エルクゥさんに見られていた。



「……優しいねぇ」

「優しい、ですかね? 俺は普通の事だと思ってますが」



理由が分からず、俺は首を傾げる。

親の事を心配して、仕送りをする事のどこが、優しいんだろうか?



「充分、優しいよ。親の脛に頼り切ってる人だって沢山いるのに。立派だよ」

「……本当に、そうですかね」



飲み慣れない酒を、一気に飲み干す。

ビリビリと喉と胸を焼くような感覚が残るが、不快感を押し殺して口を開く。



「立派だったら……母親に、孫の顔でも見せてやりたいんですけどねぇ」



肩を落として、アハハと乾いた声で自分をあざけ笑う。

そんな事、出来る訳がない、と自分自身が痛いほどに分かっているのだから。



「どうして? 良い人そうなのに」

「その『良い人』で終わるんですよ、大体。こんな顔ですからね、俺」



控えめに笑って、自分の顔を指差した。


どんなに贔屓目に見ても、格好良い、とはいえない風貌。

加えて、深い目の下の隈と人を睨み殺すような目つきをしていれば、他人からの印象はあからさまに低い所から始まる。

それが、大体の定位置である『顔は怖いけど、実は良い人』まで上昇してくれれば、充分な結果だともいえよう。



……ちなみに。


良くて平均、悪くて不細工。悪意を込めれば殺人鬼――とは、俺の顔を例えで言い表した、学生時代の友人の談。


あまりにも的確すぎて、そのあとめちゃくちゃ殴り合いした。


付き合いは卒業した今でもあるけど、本気の喧嘩をしたのは、その一回きりである。



そして、ヒョロリと細長い病弱な身体に、当然のように弱々しい体力。

こんな犯罪者予備軍みたいな人間に、誰が好き好んで惚れてくれるというのだろうか。



「恋人なんて、1回も出来た事もないですし」

「…………それ、マジ?」

「愚痴なのに嘘ついてどうすんですか」



エルクゥさんが驚いているが、世間に目を向ければ、俺と同じ境遇の人はいるだろう。

……まぁ、その数はかなり少ないと思うのだけど。この現代では。



「それも、今日で30年目。キスすらした事もない、完全手付け無しの中古物件ですよ? 俺」

「今日で30年目……って事は」

「はい、今日で30歳です。華の三十路です。ネットスラングで『魔法使い』だなんて言われる存在に昇華しちゃいましたよ」



あはははー、と明るく笑っては見せるが、正直心が痛い。

この先も、恋なんてものをしないで一生を終える可能性だってある。

由緒ある家系ではないから血が絶えた所で問題ないが、親に対しての最大の孝行が出来ないのは残念だ、と思うくらいの心はある。



「狭山さん、女っ気なさそうだもんねぇ」

「衣装の作成を手伝ったり、同人誌の確保のために駆り出されてイベント行ってたりしてますからね。イベント前になると、平日でもお構いなしに準備を手伝わされますし。女っ気もなくなりますよ、そりゃ」

「うっ……その、ごめんなさい?」

「別に、謝る必要はないですよ。俺も好きでしてますし」



飲みの誘いがあっても、こちらが優先される事が多い。

故に、この状況は自分が招いた部分もある。

少しくらいは恨み節を言いはするが、休日はずっと家に引きこもっていたであろう可能性を考えれば、エルクゥさんには感謝をしたいくらいだ。



「……まぁ、色々愚痴りましたが。

 そんな訳で、行けるのなら異世界に行きたいんですよ。異世界に行った所で何かが劇的に変わる訳でもないだろうけど、少なくとも、この現代社会で色々と燻っているよりかはマシだろうな、と思いますし」



もちろん、現代社会には現代社会で、良い所はある。

文明が栄えているし、命がそう簡単に脅かされたりもしない。

なによりも、高望みしないでいいのであれば、時間はかかるだろうが欲しいものは手に入る。


あらゆる意味で、この世界は、小説の中にあるような「剣と魔法の世界」と比べると恵まれているのだ。



……だが。


それでは、駄目だ。


あらゆる意味で、この世界は『恵まれすぎている』から、駄目なのだ。


恵まれすぎているからこそ――飢えている。

飢えているからこそ――自分の身すら守れない弱者から、根こそぎ奪い取っていく。


その弊害が、社会問題にまで顔を覗かせている。



「……正直な話をすると、俺はこの世界が嫌いです。世界というよりも、この社会が、が正しいでしょうけど」

「どうしてですか?」

「自分の未来が見えないから、ですよ。この社会は、未来を。夢を見させてくれないんです」



俺の現状は、身体は生きながらも『心が死んで』いる。


わずかな自由のために、仕事をして。

生きるための生活を守るために、動かされて。


その惰性で、ずるずると生かされていて。


自分のために。

自分がしたいことのために生きている、と感じられた事がない。


社会を回すための、使い捨てにされる歯車の一つとして動かされているのだ。

まるで、替えの利く『動く死体(リビングデッド)』のように。



「未来が見えなければ、絶望するしかない。夢が見れなければ、諦めるしかない。それを何度も繰り返され、心が折れれば……自分はなんのために生きているのか、生きようとしていたのか。それすらもわからなくなってしまうんです」



なにかを考えることを止めさせられて。

なにかを望むことを放棄させられて。

なにかを求めることを禁止させられて。


周りが恵まれすぎているから。

周りが奪われすぎているから。

自分が望む、最良の一手すらも選び取ることが出来ない。

それ以前に、その一手すら選ぶことも出来ない。


蜘蛛の糸のように細く頼りない綱を必死に握り、離れないように食らいつくことしか出来ないのだ。



……だが。

それすらも出来ず、社会に爪弾きにされた人間は――どこにいけばいい?



「簡単に言ってしまえば、俺は『社会不適合者』です。自分から社会に見限りをつけたのか、それとも社会から捨てられたのか……どちらなのかは分かりませんけどね」



社会に貢献できなければ、待っているのは、闇に閉ざされた未来だ。

這い上がることも難しい奈落の底で、命が尽きるその時まで燻り続けなければいけない。


社会不適合者、というレッテルを貼られて。


そんな未来がいずれ来ると理解して(わかって)いて……それでも、ヒトは生き続けられるのだろうか?


その答えは……否、だろう。


大体は、気が狂って壊れるか、狂う前に命を断つか。


その未来に残された選択肢は多くもなく、そのほとんどは、このどちらかに向けて進んでいるものしかないのだから。

奈落の底でもがき続けて這い上がって、光ある世界に戻れた人間は……多くはない。



「そんな奴が急にいなくなったところで……誰一人として、心配なんかしてくれませんよ」



そして、そんな事が笑顔でサラッと言える辺り。

俺も、既に壊れているのだろう。


そんなことは――とうの昔に、自分自身でも『分かりきっていたこと』だというのに。



「……狭山、さん」



かける言葉が見つからない――

そんな表情をしているエルクゥさんは、一度も見た事がない。


だからこそ、俺は明るく笑って、この話を締めようとする。



「……変な愚痴に付き合わせてしまってすみません。この話はここまでにして、解散にしましょうか」



テーブルの隅に置かれていた伝票を取り、立ち上がった。

わざと明るく振舞って、自分で重くしてしまった空気を変えようとして、笑う。


……果たして、笑えているだろうか。


歪な笑顔かもしれない。それでも、笑わなければならない。


相手を安心させるためにも。自分を偽るためにも。



――だが。



「待ってください」



ガシリ、と。

振り解けないほどの力で、腕を掴まれた。


なにを待つんだろうか、と思って振り向けば。

こちらにかける言葉を捜しながらも、この手は離さない、と言わんばかりにこちらを見るエルクゥさんと目が合った。



「狭山さん」

「……、はい」

「もし……もしも、の話ですよ? あなたが『異世界に行ける』としたら、どうしたいですか?」



こちらを見る目は、真剣だった。

こちらの真意を。その覚悟を問うかのように。


――冗談や嘘は許さない――


こちらを見る目は、言外に、そう伝えていた。



「……そうですね」



理由は分からない。

だが、真剣に答えないといけない。


そう――漠然とではあるが、彼女の目を見て、思ったのだ。



「可能なら、普通に生きたい……かな」

「普通、に?」

「えぇ。普通に生きて。恋をして。結婚して。子を育て。子の背中を見送り。余生を楽しんで。家族に看取られて死んでいく」



ぽつりぽつりと言葉を切って、自分の中の願いを伝えていく。

けれど、それはこの現代社会の中では、最も遠い所へ行ってしまった『叶えられる事のない幻想』だ。



「そんな……この世界では出来ない、テンプレのような『普通』って奴を、したいんですよ。出来るなら」



自分の考え方が旧いから、高望みは出来ないと「知って」いる。

だから、自分がどんな世界に行ったとしても、上手く立ち回って有名になれる、とは思っていない。


一度でも望んでしまえば、それは、砂上の楼閣のようにすぐに壊れてしまうだろうから。


だから、普通、と呼ばれるような『一般的な生活』が出来ればいい。

それも出来なかったら、自分のしたい事の為に生きれればいい。


この世界では、その「したい事」すらも出来ないのだから。



「救世主とか、勇者とかには、なりたくないんですか?」

「異世界行きのテンプレだと、大体そうですよね。でも、俺は『そういうことが出来る人間じゃない』ですから」



そんな、大それた事が出来る程に人間は出来ていない。

守れたとしても、自分と、自分の周りにいてくれる数人くらいなものだ。その他大勢を守れるなんて思ってもいない。

ただ、巻き込まれてしまったのなら、どうしようもない。腹を括って、やることをやるだけだ。


その他大勢を守るのは、それが出来る人間に任せてしまえばいい。

こちらは、リーダーシップや統率力といった才能は持ち合わせていないのだ。



「……欲がないんですね」

「いやいや、俗物的な欲はちゃんとありますよ。エルクゥさんも知ってるでしょ?」

「はい、知ってますよ。でも、私が言っているのは、出世したいとか有名になりたいとか、そっちの方です」

「自分のしたいことしてたら結果的にそうなってるといいな、くらいなもんです。最初から狙って出来るほど、俺は頭良くないですよ」



自分から『自分の時間』を捨てに行くような真似をしたくない。

別に立場が偉くならなくても、生きる事に問題ないのなら、それでいい。


他人を意のままに操れるような権力や、誰かを強制的に従えさせられるような蛮勇なんて、俺はいらない。

自分と、大事な人を守れるだけの『何か』があれば、それで充分だ。



「……変わってますね、あなたは」

「あいにくと、元からこんな人間ですよ。生きるために仮面を色々被って、口調も使い分けてるだけで」

「なるほど。処世術、という奴ですね」

「本当の俺は、人に見せられないくらいにどす黒いエゴの塊ですから」

「自分でそれを言っちゃいますか?」



そう言って、エルクゥさんは笑った。

今の、笑うところはないと思ったんだが。そんなにおかしかったか?



「……だからこそ、でしょうね」



パン、と。

エルクゥさんが拍手を1つ、打つ。




瞬間、周囲の風景が一変した。




「――ッ!?」



俺は、言葉を飲み込むしかなかった。


自分がさっきまで立っていたのは、飲食店内の個室だ。

壁を挟んだ反対側には、酒を飲んで出来上がった人たちの遠慮のない大声や、店員の掛け声、厨房から漏れ聞こえる調理の音などが聞こえていたのだ。


それが、彼女の拍手一つで、瞬時に塗り潰された。


鼻をくすぐるのは、新緑の草の匂い。

頬を撫でる風は柔らかく、遠くに険しく切り立っているであろう山脈が風景画のようにそびえている。

耳に届くのは、そよ風に吹かれて草が触れ合う、サラサラと流れる小気持ちいい音。

靴を通して足に感じる感触は、間違いなく草の柔らかさと、土の固さ。


置かれていたテーブルや椅子などの設備もなく、紙袋とキャリーバッグは足元に残されているものの。

見える限りの視界に広がるのは、人工物など一切ない、大自然のみ。


自分が立っていた場所が飲食店内の個室だった、という形跡は1つもないのだ。



「狭山さん」



控えめに。しかし、聞くものを惹き付けるような、凛とした声。

それに導かれるようにして、声の元を見る。



「あなたの願いを――私に、叶えさせてくれませんか?」



あの一瞬は、決して、見間違いではなかったのだろう。

その証拠に、俺が見つめる先には。


純白の翼を背にしたエルクゥさんが、いつものように笑みを浮かべていたのだから。



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