第三章②
栄港にある目的の建物には、十九時十五分頃に到着した。
蒐集家と呼ばれる人物の店は、見てくれこそ年代物の廃倉庫そのものだが、中は改修されて小奇麗なバーのようになっていた。四方の壁は清潔感のある白で、床は濃い茶色のフローリング。机や椅子は木製のアンティークで統一され、シックな色合いのソファも幾つか配置されていた。店内には控えめな音量でジャズが流れ、色温度の低い照明が落ち着いた雰囲気を醸し出している。客は二十名程度で、若いカップルが多い。
能力者の集まる店と聞いたが、とてもそうは見えない。表向きは一般人も来るお洒落な飲食店、てとこなのか?
近寄ってきた店員へ、イェツィラに言われた通り能力者のカードを見せる。すると、店員は深々と頭を下げて、俺達をカーテンのかかった奥の扉へ案内した。
ドアを開くと、中では十人程の男達がそれぞれ店員と商談を交わしていた。
ストアと呼ばれるこの手の店では、カードとバディの売買の他、仕事の依頼や重要な情報も扱っているらしい。
「お飲み物は、いかがですか?」
まだ初々しさの残る女性店員が、ワゴンの上に並べたグラスを指し示した。値段が未知数なので踏み切れずにいると、イェツィラがひょいとグラスを取って口に運んだ。
こいつ、勝手に……。と思いつつ、釣られて巨峰ジュースを頂く。なかなか美味い。
半分ほど飲んで、イェツィラへ尋ねる。
「で、目的の人物は?」
「多分、地下ダナ。あの男に訊こう」
彼女の視線の先には、他の従業員よりも偉そうな四十代の男性店員が立っていた。
そちらへ歩き出そうとした瞬間、背中を押されて手のグラスからジュースがこぼれた。
「失礼」
振り返ると、艶のないシルバーフレームの眼鏡をかけた男が、俺の顔も見ずに部屋から出ていくところだった。高そうなストライプスーツに身を包み、いかにも仕事できます感を漂わせた、いけ好かない顔をしていた。
俺が反応できないうちに、男はドアの向こうへと消えてしまった。
「お客様、大丈夫ですか」
飲み物を勧めてきた女性店員が、御手拭を渡してくれた。俺のカーゴパンツには、盛大に巨峰ジュースのシミができている。くそ、あの野郎。着替えとかないんだぞ。
「すぐに替えの御召し物を用意いたしますので」
女性店員が素早く奥へと消え、黒のチノパンを持って来てくれた。まだ若そうなのに、随分と気配りのできる娘さんだな。日本もまだまだ捨てたものではない。
感謝の言葉を述べて、チノパンをお借りする。
「ちょっとトイレで着替えて来る」
「とろい奴め。戦闘だったら、死んでいるぞ」
イェツィラが軽蔑の目を向けた。
「いや、だったら助けろよ」
それがお前の仕事だろうに。
「ま、ここは戦場じゃないしナ。それにまともな神経の奴なら、この中では暴れんよ。店の奴らは全員バグ使いだからナ」
マジか。けど、能力者相手の商売なら、そのくらい必要かもな。
「話は私がつけといてやるから、さっさと行って来い」
イェツィラにせっつかれて、俺は独りで着替えに向かった。
男子トイレのドアを開けると、三つ並んだ洗面台の前に電話中の男がいた。男はこちらに気付くと、かっと目を見開いて固まる。
なんだよ、こっちが驚くわ。人に聞かれちゃ、まずい話なのか? 俺は何も聞いてないから安心してくれ。
男は急いで電話を切る。その横を素通りしようとすると、唐突に呼び止められた。
「お前、黒葛原玄一郎の息子だろ」
……ちっ、よりによってバディのいない時に。
男を睨む。
「……そちらは?」
「俺はあいつの知り合いで、小野田という」
男が能力者のカードを提示する。所有者は小野田哲夫、バディ「Panzer 25」が保存されていた。
小野田は四十半ばといったところで、背丈は俺と同じくらいだが、がっしりとした体形だった。糊の効いた白と紫のストライプシャツの上に、グレーの三つボタンジャケットを着ている。短く刈り上げた髪と太い眉毛から、精悍な印象を受ける。ただ、顔には何箇所か傷があって、左の口元にはガーゼを張っていた。ガーゼの近傍だけ、少し伸びた無精髭が見える。
警戒で身を固くするが、すぐに店内で戦闘はあり得ないことを思い出す。
「どうして俺のことを?」
「携帯の画像を見せて貰ったからな。それより、あいつと連絡は取れるか?」
怪我をしているし、この人が父の仲間というのは尤もらしい。とはいえ、確証があるわけじゃない。味方を語る敵の恐れもある。でもかといって、下手な嘘はつけない。父の事をしらばくれても、イェツィラと出くわされれば辻褄が合わなくなる。
少し迷ったけれど、結局、正直に父の死を伝えた。覇王のカードとアンヘルも含めて。
話を聞き終えた小野田は、静かに瞼を閉じた。
「そうか……、あいつまで……」
一呼吸置いて、彼は俺を見据える。
「お前も辛い目に遭ったな」
「……」
「だが悪いが、感傷に浸っている時間はない。お前も知っての通り、連中は今も俺達を血眼で探している」
「敵の数は?」
小野田が首を横に振る。
「分からん。ただ、もはや勝ち目はないだろう。残った仲間は数人だけだ」
彼は力なく笑ったかと思うと、すぐに真剣な眼差しを俺へ向ける。
「だが、アンヘルとカードはこちらにある。良く守ってくれたな。俺達はそいつを死守しなきゃならん。殺された仲間や、お前の親父のためにも」
小野田が掌を差し出した。
「俺達はそいつを持って逃げる。お前は、できる限り遠くの知り合いへ身を寄せろ」
俺は黙って彼の掌を見つめている。痺れを切らせた彼が、怪訝な顔をする。
「……どうした?」
さて、なんて返そうか。少々考えてから答える。
「……これは、俺に託された物だから、俺が守ります」
本当はそんな風に思ってない。父が俺にカードを残したのは、単に頼れる人間が他にいなかったからだ。じゃなきゃ、能力者でもない奴に任せるわけがない。ただ、こう断った方が相手も無下に否定しにくいだろう。
しかし、小野田は大きくかぶりを振った。
「無茶だ」
彼は俺の目を見て語りかける。
「お前の気持ちは分かる」
いや、分かってないから。
「だが、よく考えろ。親父はカードよりお前に生きて欲しいと望んでいるんじゃないのか?」
「……父は、別に俺のことなんて」
無意識的に口走っていた。酷く後悔する。
小野田は眉間に皺を寄せ、諭すように言う。
「なにを言っている。子供が大切じゃない親なんているか」
お前こそ、何を根拠に言ってるんだ。
「親ってのは、子供のためならなんだってできる。命だって張れる」
そんな定型文みたいな台詞を、考えなしに平気で吐いてんじゃねえよ。
俺は、急速に目の前の男を相手にする意欲を失った。
「……これを渡すつもりはありません」
無言で睨み合った後、小野田が息を漏らして折れた。
「なら、俺達がお前を保護する。それでいいだろ?」
返事をしようとした時、着信音が鳴った。
「悪い」
小野田が顔を逸らして携帯電話に出る。
「……なんだって!?」
彼は吃驚の声を上げた。
「……ああ、分かった。すぐ行く。それまでへまするな!」
彼は携帯電話をしまって、素早くトイレの出口へと向かう。
「すまん、仲間がやばいらしい。俺は行かなきゃならん。続きは後で」
ドアを開ける彼に向かって、俺はぼそりと呟く。聞き取れなくてもいいと思った。
「じゃあ、父の携帯に」
「分かった!」
小野田は駆けて行った。
……即答したな。父の連絡先は把握しているみたいだ。
俺はトイレの個室でチノパンに履き替え、イェツィラの所へ戻った。
「遅いぞ。便秘か、お前は」
イェツィラが、ワゴンに盛られたマカロンをばくばく食べながら文句を垂れた。
「勝手に注文してんじゃねえよ」
「アホ、これはサービスだ」
随分と気前のいいことで。
指に付いたクリームを舐め取るイェツィラへ、小野田のことを伝える。
「ふーん。で、お前、『彼女』とやらについては訊けたのか?」
あ、忘れてた。確かに質問すれば良かったな。なんだかんだで、自分の頭が回っていなかったことを思い知る。
この店へ来る途中、父の携帯電話を少し調べた。けれど、「彼女」の正体に繋がりそうなヒントは見つからなかった。また、父の仲間に関しても情報はなかった。メールも着信履歴も残らないようにしていたようだ。だから勿論、小野田という人物のデータもない。
「その男の誘い、受けるつもりか?」
「今のところ、そのつもりはない」
「妥当ダナ」
着替え前に見た四十代の男性従業員が接近してきて、深く一礼した。
「お待たせ致しました。こちらへどうぞ。そちらの御召し物はクリーニング致しますので、お預かりします」
「すいません、お願いします」と、汚れたカーゴパンツを渡す。
男性店員は俺達をエレベータ前まで案内した後、丁寧に頭を下げて去って行った。
地下へ降りると、観音開きの大きな扉が現れた。
軽くノックする。中から「どうぞ」と、若い男性の声がした。ノブに手をかけようとすると、両のドアが勝手に開いた。
そこは二十畳はあろうかという広い洋間で、奥に着物を着た二十代後半の男性が腰かけていた。部屋の内装は、男が肘をついたテーブルも含めて、西洋アンティークを想起させるデザインで統一されている。しかし和服姿の男はそれほど違和感なくその場に溶け込んでいた。彼は少し驚いた様子でこちらを見つめている。
イェツィラがすたすたと足を踏み入れたので、後に続く。背後でドアがまた勝手に閉まった。振り返ると、屈強そうな二人の男が中から開閉を行っているだけだった。
部屋の壁一面には額縁がかけられており、その中に何枚ものカードが飾られている。能力者のカードだろう。
再び和服の男を見る。なるほど、この人が蒐集家か。
「久しぶりダナ」
イェツィラの挨拶に、蒐集家は立ち上がって微笑みを返す。
「ええ。そちらの彼は?」
「現マスターだ」
「黒葛原といいます」
俺が軽く会釈すると、彼は感嘆の声を漏らした。
「驚いたなあ。黒鷲さんはどうされたのです?」
クロワシ? なんだか聞き覚えがあるような、ないような。
「さあナ。今頃、必死にこいつを探しているんじゃないか? なんせカードもこいつが持っているからナ」
ああ、覇王のことなのか。
イェツィラの言葉に、蒐集家が興奮した様子で身を乗り出した。
「凄い! 黒鷲さんのカードを持っているんですか!?」
「え。ええ、まあ……」
俺は覇王のカードを取り出して示す。無論、見せるのは表だけだ。
あ、今さら気が付いたけど、このカードに描かれた鳥は鷲なのか。苗字が鷲宮だから、鷲。なんて直球なんだ。
蒐集家はカードの前で目を輝かせている。子供みたいな人だな。
身長は百八十センチメートル程の痩せ形で、髪は黒くやや長い。切れ長の目に、細い睫毛が印象的な優男的風貌をしている。着物姿も相まって、見た感じは呉服屋の若旦那のようだ。
「あ、申し遅れました。僕は能力者さん達相手に、色々と商売をさせて頂いている者です」
蒐集家が袖口から小さな巾着を取り出し、そこから名刺を差し出した。河戸集という名前が書かれている。非常に偽名っぽい。
「見ての通り、道楽でカードを集めておりまして。蒐集家なんて呼ばれているんです。でもその呼び名、僕は結構気に入っています。黒葛原さんもぜひそう呼んで下さい」
「はあ」
なんだかペースの掴めない人だ。
「で、早速なんだが」
本題へ入ろうとするイェツィラに、蒐集家が割って入る。
「黒鷲さんから逃げるお手伝いですね。あ、それからワームもですか?」
イェツィラがニヤリと笑う。
「商売人は話が早くていいナ」
確かに事がスムーズに運ぶのは大歓迎だが、その理解力はちょっと不気味だ。この男は油断ならない。警戒レベルを上げることにする。
「それから、適性診断もナ」
その言葉に、またしても蒐集家が反応する。
「ええ!? ビギナーなんですか?」
頷くと、彼は嬉しそうに俺を観察した。
「凄いなあ。ビギナーで、あの黒鷲さんのカードを手に入れるなんて」
「いや、別に俺が奪ったわけではないんで」
「いえいえ、それでも充分凄いです。素晴らしい強運をお持ちですね。僕もあやかりたいです」
彼は頻りに感服の言葉を混ぜて、俺を褒めちぎった。く、この人はどうも相手にしにくい。
「しかし、まさか黒鷲さんがカードを盗られるなんて」
「ああ、一体どんなアプリを使ったんだか……」
蒐集家の呟きにイェツィラが同調した。
「移動系あたりが怪しいですね」
首を捻る二人を見て、鷲宮という男の強大さを再認識した。
覇王のカードに目をやる。……あれ? おかしな所に気付く。
「おっと、ワームを早くお渡しした方がいいですよね」
蒐集家の提案を俺は遮る。
「いや、どうもその必要はなさそうです」
見えないようにアンヘルの「腕」を自分のカードへ移動し、二人に覇王のカードの裏を見せる。そこにはいつの間にか、「Bugbear」というバディが増えていた。
「おや、ワームですね」
「……さっき上にいた眼鏡ダナ」
ぶつかった時にうつされたのか。くそ、ふざけた真似を。あの眼鏡、次会ったら殺す。
「ここでうつされたんですか? それは、店主として許容できませんね。相応のペナルティを受けて頂かないと」
蒐集家の顔に昏い笑みが浮かんだ。どうやら俺が直接手を下すまでもないようだ。
「では、バグの適性診断をしましょうか」
明るい表情に戻った蒐集家が目配せすると、ドアの両脇に控えていた男達が退室した。適性はできる限り他人に知られたくないだろう、という配慮らしい。なかなか気が利いている。
「適性については御存じで?」
蒐集家が、部屋の隅にある棚のガラス戸を開けながら尋ねてきた。そこにもカードが飾られている。
「いえ、詳しくは」
「では、一緒に説明しましょう」
蒐集家は棚でがさごそと何事かをした後、ガラス戸を閉めて掌のカードをタップした。オレンジ色の光が発せられる。多分、他のカードからバディを移動していたのだろう。
現れたのは、大きなカメラだった。一眼レフと呼ばれるレンズ交換式タイプで、スタジアムなんかでプロカメラマンが使っているやつだ。装着された黒くてごっついレンズには、橙色のリングが描かれている。こういうタイプのバディもあるのか。
蒐集家がカメラを操作すると、レンズの前を覆っていたカバーが開いて、忽然と巨大な眼球が目を剥いた。ちょっとビビる。眼球はぎょろぎょろと激しく動き回っている。
「では撮影しましょう」
蒐集家が俺に向かってカメラを構える。イェツィラを見ると、ワゴンに置かれた緑茶を勝手に淹れてくつろいでいた。俺はカメラに向き直って姿勢を正す。大きな眼球がこちらを凝視した。ステータス異常にでもかかりそうだ。
「撮りますよ。笑って下さい」
「……笑わないと、駄目なんですか?」
「いえ、そんなことはありませんね」
「じゃあ、このままで」
「面倒臭い奴ダナ」
イェツィラが口を挟んだ。お前に言われたくねえよ。
カシャッと小気味のいい乾いたシャッター音が響き、撮影は終わった。カメラ下部の膨らんだ部分が何度か大きく波打ったかと思うと、口のように開いて写真がペッと吐き出された。
蒐集家がキャッチして俺に渡す。ぎこちない表情の少年が写っていた。変な顔だ。写真というのは、どうも苦手なんだよな。
蒐集家がテーブルの上にカメラを置く。
「裏を見て下さい」
写真を裏返すと、正五角形の上にアンバランスな五角形が描画されていた。
「バグには、五つの適性があります。接続適性、増強適性、侵略適性、情報適性、変異適性ですね」
なんで最後、Vなんだ。そこまでいったら、もうちょっと頑張れよ。
「その五角形は、黒葛原さんの各適性の値を表したグラフです。一番上の頂点から時計回りに、さっき挙げた順で適正値がプロットされています」
俺のバグ適性は、接続適性が2、増強適性が4、変異適性が5で、残りの二つは1だった。
「適性値は、誰でも合計13です。それ以上も以下もありません」
それ、13も入ってるぞ。
「各適性は最低でも1になるので、残りの8が能力者の個性を決めます。ちなみにバディのバグ適性は、マスターと全く同じになります」
蒐集家が緑茶を注いで、湯呑をこちらへよこす。口をつけると熱かった。猫舌なので、しばらくは飲めそうにない。
「接続適性は、バグの射程と操作精度を決めます。バグをいかに遠くまで飛ばせるかと、巧みに操れるかですね。これが高いほどレンジが拡がり、バディはマスターから離れても活動できるようになります」
彼はお茶をすすりながら、室内を徘徊する。壁にかかったカードを鑑賞しているようにも見えた。
「増強適性は、バグによる強化能力に寄与します。筋力を増強したり、物質の強度を上げたりできます。これが3以上はないと、戦闘向きの能力者じゃないですね」
一応、俺は戦闘向きってことね。
「侵略適性はこの逆で、対象を弱体化させたり、相手からエネルギーを奪ったりできます。次が、情報適性。観測能力や演算速度に影響します。五感の鋭敏化や、バグ自体を感知できるようになります。計算機みたいな高速の暗算も可能ですね」
話に耳を傾けながら、緑茶に息を吹きかける。なんとか飲める熱さになった。
「最後が変異適性で、バグの物質化や性質変化に効きます。情報適性の高い能力者は、バグを感知することで隠れた相手の居場所を割り出せます。これに対して、変異適性の高い能力者は、自身のバグを感知されにくくするステルスというテクニックが使えます」
部屋を一回りした蒐集家が再び椅子について、こちらを見た。「質問はあるか?」という意味だろう。
「適正値はどのくらいあれば、その適性が高いと言えるんですか?」
「そうですね……、3あればそれなりに使えますが、高いと言えるのは5くらいでしょうか」
なんてこった。俺の接続適性は死にパラメータだったのか。
「適性の変更は、できないんですか?」
「基本的には無理ですね。ただし、バディのアプリには、適性へ作用するものもありますよ」
蒐集家がイェツィラをちらりと見る。彼女は口に含んだ金鍔をお茶で流し込んでいるところだった。こいつのアプリは後で訊こう。蒐集家が何処まで知っているのか、未知数だし。
適性についての質問はそんなところかな。あと気になるのは……。
「どうしてカードを集めているんですか?」
「……カードのデザインが何で決まるかは、ご存じで?」
「能力者の記憶や深層心理、ですか」
父の残したファイルにはそう書かれていた。
「そうです。その人間を形作る本質、或いは深く刻みつけられた感情がカードには表現されているんです。知っていますか? 人生を揺るがすようなパラダイムシフトが起きれば、それに伴ってカードのデザインも変化するんですよ。言わば、能力者の生き様が描かれた絵画です。その中には、写実派もいれば印象派もいます。他にもモノクロ、コラージュ、テキスト。表現そのものも多種多様なのです。私はそれを眺めて、この人がどんな想いでどう生きたのかを想像するのが好きなのです」
カードは能力者の本質、生き様、その能力者そのもの。
……父は、どんなカードを残した? 数学か、それとも「彼女」か。
顔面に薄ら笑いを張りつけた蒐集家が続ける。
「それに、カードを手に入れるという事は、その人の人生を我が物にするという事にもあたります。そういった所有欲や支配欲も関係しているのかもしれませんね」
彼は湯呑をあおってテーブルに置く。
「すみませんが、そろそろ時間のようです。ホテルに部屋を手配しておきました。車で送らせましょう。他に何かありますか?」
俺は小さくお辞儀をする。
「色々ありがとうございました。この写真は?」
「どうぞ、お持ち帰り下さい。といっても、後で勝手に消滅しますが」
「それから、今回の御代は……」
「結構ですよ。御近付きの記念です。黒鷲さんのカードも見せて頂けましたしね。手放される際は、ぜひお声をかけて下さい」
もう一度礼を述べて、お暇させて貰う。
「じゃあナ」
と吐き捨てて、イェツィラも俺の後ろを追ってきた。こいつ、茶菓子食ってただけだな。
俺達の退室と同時に、先の大男二人が入れ代わりで部屋へ戻る。
エレベータへ向かおうとすると、室内から声をかけられた。
「また、いつでもいらして下さい。貴方には、ぜひ僕のコレクションを見て頂きたいので」
蒐集家が意味ありげな笑みを浮かべる。俺が返事をする前に、扉は閉じてしまった。
コレクション? ここ以外にもあるってことか。蒐集者が所有物を自慢したいのは分かる。しかし、なぜ俺を名指し? 羨ましがりそうに見える、……のか?
なにはともあれ、最後まで掴み所のない人物だった。気を付けた方がいいな。
蒐集家の用意してくれた寝床は、高級ホテルの一室だった。広々とした二十階のツインルーム。巨大な窓からは、都市部の夜景が一望できる。こんな所、二度と泊まる機会はないな。
しかし、なぜ無駄にツイン……。イェツィラにベッドは要らないだろう。カードに戻せばいいんだし。
ワーム眼鏡野郎に汚されたカーゴパンツは、綺麗にクリーニングされた状態で返された。
覇王のカードを見せたくらいで、流石にサービス過剰じゃないか? それとも、金持ちにはこのくらい普通なのかね。蒐集家の飄々とした態度に、なにか裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう。この部屋、盗聴器とかないだろうな。
イェツィラがミニワンピースとストッキング以外を脱ぎ捨て、ベッドで仰向けになる。組まれた脚を包むナイロンが、照明を反射して光の筋を浮かべていた。
俺は、もう一つのベッドに腰掛けて休憩する。
「それで、お前のアプリは何なんだ?」
「そういえば、言ってなかったナ。私のアプリは、オーバードライヴだ。好きな適性を一つだけ、一時的に私の増強適性と同じ値まで上げられる。ただ、私の増強適性より高い適性には、効果がないがナ」
増強適性の効果って、人や物の強化に留まらず、適性自体もその範疇なのかよ。
「好きな適性って、他人の適性も上げられるのか?」
「ああ。だがお前の場合、接続適性が低いから、私と接近している奴にしか使えんぞ」
イェツィラが大きな欠伸をして、脚を組み替えた。
「お前の増強適性は4だから、私との相性は良くもないが悪くもない、といった感じダナ。ちなみに、さっきのカメラと相性のいい適性は分かるか?」
「そうだな……」
俺は喋りながら考える。
「まず、能力者の適性っていう情報を得るわけだから、情報適性は必須だな。出てきた写真は、バディの一部か、バグを物質変換した物かで、変異特性が必要か分岐するな。それは接続適性も同じか」
写真がバディの一部なら、バグを物質化させているわけではないから、変異特性は不要のはずだ。それに、レンジ内ならバディ本体から離れても消えない。つまり、接続適性も要らない。
「ま、おおむね正解ダナ。戦闘では、敵の挙動からそいつの適性をいち早く読み取ることが、最優先事項だ。適性が分かれば、行動の予測と対策が立つし、弱点も見つけやすい。逆に言えば、自分の適性が割れると凄まじく不利ということだ。ま、その場合、相手は弱みを突いてくるわけだから、攻めが読みやすいとも言えるがナ。だから、敢えて不合理な振舞いをすることで、自身の適性をミスリードする奴もいる。そうやって相手の動きを縛って、戦況を優位に持ち込むわけだ」
イェツィラは、クッションを抱きかかえて寝返りを打つ。
「新しくバディを造るなら、適性と相性がいいのは勿論、ちゃんとアプリの原理まで考えておくことだ。曖昧なまま作成すると、思わぬ効果を発揮することがあるぞ」
「例えば、どういう風にだ?」
「そうダナ、こんな話がある。とある能力者が、不可視になれるバディを造ろうと思った。そこでそいつは、体を透明にできるアプリを考えた。できたバディは人型タイプで、確かに透明化すると見えなくなった。だが、透明になっている間、バディはまともに動けなかった。何故だか分かるか?」
俺は静かに考え込む。うーん、なんだそれは。なぞなぞか?
イェツィラはうつ伏せになって、すまし顔で脚を交互にぱたぱたさせている。
「……仕方ないナ、ヒントをやろう。物が見えるというのと、透明になるというのは、一体どういうことだ?」
物が見えるのは、眼球に入った光が視神経で電気信号になって、脳へと伝わるからだ。
透明っていうのは、光を完全に透過するってことだから……、あ。
「目が見えなくなったのか」
彼女が肯定したのを確認して、俺は続ける。
「透明になるってことは、光が体で反射も吸収もされないで通過するってことだ。でも目が見えるのは、視神経が光を吸収しているからに他ならない。つまり、透明になると視神経は光を吸収できないから、バディは失明するってわけだな」
「ああ。不可視という効果だけじゃなく、実現する原理やその意味まで考えないとそうなる。ま、そもそも原理を考えんと、相性のいい適性も分からんが。不可視化する方法は一つじゃないからナ」
なるほど。単に不可視になりたいだけなら、バディを透明にしなくったって、相手の視覚を封じるって手もあるもんな。透明になる場合は、物質の性質を変化させているから変異適性が必要で、視覚を奪う場合は侵略適性が要るのか。
なかなか面白い話題だった。でも、なんでこんな話を? 面倒くさがりのこいつが、自らすすんで?
イェツィラがまた仰向けになる。
「さっさと相性のいいバディを造っといた方がいいぞ。不測の事態に備えてナ。ま、焦って中途半端なものを造ったら、元も子もないが」
不測の事態……、覇王のことか。自然と俺の顔に笑みが浮かんだ。
「イェツィラ」
「ん?」
「お前、意外といい奴だな」
「はあ!?」
彼女はぷいっと顔を背けた。
「なに下らんことを……」
俺からは彼女の艶のいい金髪が見えるだけで、どんな表情をしているのかは窺い知れない。
彼女は突然ベッドに立ち上がった。
「……風呂に入る」
こちらを見ずにそう吐き捨てると、浴室の方へ行ってしまった。
バディって風呂に入る意味あるのか?
シャワーの水音が鳴り始める。時計を見ると、時刻は二十一時四十五分。
俺はベッドに寝転がって、父の携帯電話を調べる。まず画像管理ソフトを起動して、保存された画像を確かめる。俺の求めるものはない。次に動画。だが、そこにも見当たらなかった。
空虚な感情に襲われた後、己の行動に嫌気がさす。
なにやってるんだ、俺は。諦めたつもりのくせに、こんな事をして。女々しいにも程がある。
バグ関連のフォルダを開く。そこには父に閲覧指定された文書の他にも、沢山のファイルが保存されている。そのほとんどが英語のファイル名だった。
嫌な予感がしつつも開封してみる。案の定、中は全て英文だった。加えて、難解な数式まで沢山書かれている。どうやらバグに関する論文らしい。全ての著者は父で、何本かの論文にはJ.Wormerという共著者がいた。これは読んでも分かりそうにないな。
途方に暮れていると、父の携帯電話に着信が入った。未登録の番号だ。多分小野田だろう。
応答に出る。
「はい」
「小野田だ。無事か?」
「ええ、そちらは?」
「ああ、なんとか。まだ油断はできんがな。だが、逃亡する手はずは整った」
「そうですか」
「明日の二十四時に御多勢川高校に来てくれ。そこに俺の仲間数名と、保護した娘がいる」
「娘?」
「ああ、仲間の娘だ。お前と同じように父親を殺されてる。お前の親父とは旧知の仲みたいだったが」
「……父について、訊きたいことがあるんですが」
「すまんが、長くは電話ができない。明日の夜に会った時にしてくれ」
「……分かりました」
電話はそれで切れた。
父の旧友の娘か。「彼女」の可能性があるんだろうか。他に手掛かりがあるわけでもない。それに、父の仲間って人達にも話が訊けるかもしれない。
……いや、俺は何を考えているんだ。わざわざ危険を冒す程のことか。リスクに対して、見込めるリターンが少な過ぎる。
それ以上考えるのをやめ、そっと瞼を閉じた。耳に入ってくるのは、遠くで響くシャワーの音だけだ。
不意に栄港で聞いた小野田の言葉が蘇った。
――子供が大切じゃない親なんているか。
いるよ。じゃなきゃ、虐待されて死ぬ子供なんていないだろ。
――親ってのは、子供のためならなんだってできる。命だって張れる。
やめろよ。聞いてて、吐き気がする。
今度は、小野田と別の金切り声が響いた。
――ドウシテアノコナノ!?
やめてくれ。気持ち悪い。頭が割れそうだ。誰か……。
――オマエガカワリニ……。
誰もいない。誰も何もしてくれなかった。
頭の中で豪雨のように激しい水音が鳴り響く。
白い小さな部屋。
湿って纏わりつく様な熱気。
嫌だ。ここには居たくない。なのに脚が動かない。
足下に黒い影。どんどんと大きくなる。
苦しい。息ができない。
つま先に生温い感覚がよぎる。
やめろ。来るな!
「……っ!!」
俺は跳ね起きた。
目に薄暗いホテルの部屋が映る。体はベッドの上だ。
いつの間にか寝ていたのか。
息苦しい。喉がからからに乾いて痛い。背中はぐっしょりと汗で濡れている。
隣のベッドを見ると、イェツィラが小さな寝息をたてて眠っていた。寝顔は見た目を裏切らないものだった。
俺は浴室へ移動して、熱いシャワーを浴びる。
嫌な夢を見た。久々だ。
くそ、あのおっさんが変なことを言うからだ。
瞬きすると、白い床に点々と赤黒いものがちらついた気がした。
重傷だな。
小野田の言葉をもう一度思い出す。
子供が大切じゃない親なんていない――、か。
おめでたい幻想だ。
……いいだろう。確かめてやる。
罠の気配を感じたら、即逃げればいい。その後の逃亡は、ちょっと胡散臭いけど蒐集家に任せれば済む。
俺は決断した。
小野田の誘いに乗ろう。