第二章②
ホームセンター跡から出ると、辺りは既に薄暗くなり始めていた。頭上の空は濃い群青色になり、西の空だけが真っ赤に燃えている。
最寄りの駅を目指して歩き出す。ここからなら、歩いて二十分くらいだろうか。
「一体どうなってる? それに、あんた何者?」
シャツの胸ポケットに小声で話しかける。そこには、水鏡の入ったプラチナクラウンのカードがある。
「順を追って説明します。まず能力者に関して述べ、その後、敵の目的と現状へと至った経緯を示します」
落ち着かない自分とは裏腹に、水鏡は淡々と語りだす。
「能力者とは、体内にバグと呼ばれるエネルギーを有した人間を指します。能力者は自身専用のカードを持ち、該カードを媒介とすることでバグを使用できます」
胸ポケットのカードには、自分の名前が書かれている。ということは、既に能力者になっている、ということだ。
「いつの間にそんなものに……。あ、さっきカードを割った時か?」
あの時は妙な感覚に襲われて、気が付けばカードを握っていた。
「おそらくそうでしょう。外部からのバグに対する免疫反応により、多くの能力者は覚醒します。カードの破壊時には多量のバグが放出されるため、マスターの肉体がそれを外敵と判断し、抗体を生成したのだと考えられます。この抗体が、マスター自身のバグです」
アレルギー反応みたいなものか。花粉を大量に摂取したら花粉症になるように、外からバグをたくさん浴びると能力者になるわけだ。
「能力者はバグを消費して、次の二つの事が行えます。一つ目が基本能力の使用です。基本能力とは、肉体や物質の強化、五感機能の拡張、情報処理の高速化、物質の生成などを指します。ただし、能力者によってバグの適性は異なるため、それぞれ得手不得手とする基本能力があります。そして二つ目が、バディの呼出しです。バディとはバグによって造られた生命体を指し、能力者はカードからバディを呼び出すことができます。バディは、マスターと呼ばれる自身を呼び出した能力者の指示に従います」
だからマスターと呼ばれているのか。しかし、水鏡はろくにこちらの言うことを聞いた覚えがない。むしろ命令されている気がする。
通行人の多い大通りへ出た。道行く人に怪しまれないよう、携帯電話の表面にカードを載せて通話のふりをする。
「バディの呼出しには、二つの条件があります。一つ目は、バディの保存されたカードが能力者自身のものであること。二つ目は、該カードが能力者の手元に存在することです」
水鏡を呼び出す前、彼女を数字のカードから自分のカードへ移動させたことを思い出す。
「さっきあんたを他のカードから移したけど、移動は誰にでもできるのか?」
「バディの移動は、カードの所有者に関わらず自由に行えます。ただし、移動に関わる二枚のカードは接近している必要があります。また、バディを削除したい場合は、カードを破壊しなければなりません。しかし自身のカードが消滅している間は、バグを全く使用できませんので注意して下さい」
「え、カードって壊れても復活するの?」
「破壊から二十四時間後、カードの所有者が存命であれば、その手元でカードは自動的に再生します。この際カードは初期化され、破壊前に保存されていたバディは全て消滅します」
「カードが無事だけど、手元にない場合は? バグは使えるのか?」
「はい。その場合、バディは呼び出せませんが、基本能力なら使用可能です」
そういえば、腰パンの男は死に際にカードを破壊していた。その理由を訊いてみる。
「能力者が死亡しても、そのカードと保存されたバディは残ります」
「能力者を倒せば、バディを奪い取れるってこと?」
「そうです。自身の所有物が敵の利益となることを嫌悪し、死ぬ前にカードを破壊する能力者はよく見られます」
不意に前方から自転車に跨って走って来る警察官が見えた。ぎょっとして体が固まる。
まずい。自分は今、拳銃を所持している。思わず通学鞄を持つ手が震えた。
いや、大丈夫だ。この鞄に銃が入っているなんて、分かるわけがない。堂々としていれば大丈夫。冷や汗をかく自分へ、必死にそう言い聞かせる。
しかし、ふとある事を思い出す。ホームセンターで救急車を呼ぼうとした時、父に左腕を掴まれた。父の手には大量の血液が付着していた――。
やばい……!
すぐに左腕を見る。だが血の跡は視認できない。制服が黒くて助かった。目を凝らすと、微かに手形が確認できた。周囲の人を見る。誰も気付いている様子はない。よかった……。
だが、ほっと息をついたのも束の間、自転車の警官はすぐ目の前で突然停車した。虚を突かれて体がびくりと反応し、脈が速まる。なんで……!?
警官がこちらを見る。睨んでいる。その瞳に全てが見透かされているような感覚に陥る。しかし、ここで足を止めれば怪しまれるだけだ。なんでもない風を装って、警官の傍らを通り過ぎようとする。
すれ違う直前、警官に無線連絡が入った。彼はその応答に出る。
「……高層マンションから子供が転落? 場所は!?」
どうやら自分とは無関係なようだ。少し落ち着きを取り戻す。だが同時に、子供の転落を聞いて安心している自身の冷酷さに幻滅した。
警官は無線で何事かを聞きながら、自転車の向きを百八十度変える。
「……は? 現場に何もない? 通報者の見間違えじゃないのか」
訝しげにそんな台詞を吐きながら、警官は何処かへと走り去っていった。
それを見送って安堵するこちらの事などつゆ知らず、水鏡は平然と説明を続ける。
「一般的にバディは、能力者より数段高い戦闘能力を有します。バディは、マスターから供給されるバグを消費することで、基本能力とアプリケーションを使用できます。アプリケーションとは、バディごとに異なる固有能力のことです。省略して、アプリとも呼ばれます」
具体的なイメージが湧かない。超能力とか、魔法みたいなものか?
「えっと、人間を生きたままバラバラにしたり、逆に怪我を修復したり、とか?」
確認のため、好きな漫画から具体例を拝借する。だが、あんなバイオレンスな戦いは御免だ。
「はい、そういったアプリケーションもあり得ます」
交差点の赤信号で立ち止まる。だが落ち着かない。敵がすぐ傍にいるかもしれないのだ。はやる気持ちが逃げ場をなくして勝手に口を開かせる。
「あんたのアプリは?」
「私のアプリケーションは、ファイアーウォールです。空間上に、平面をある程度任意の形状で生成できます」
対埴輪戦での黒い板が思い返される。要するに、バリアか?
「ファイアーウォールは、片側の面が透過率百パーセントとなっており、もう一方が逆に反射率百パーセントとなっています」
なんだかよく分からない。それが何を意味するのか考えても、焦りが邪魔をしてなかなか本質を掴めない。しばらく頭を捻って、ようやく理解する。
「ああ……、一方通行になってる、てことか」
敵側に反射面を向ければ、相手からの攻撃は跳ね返す。しかし、バリアの反対側にいる自分からの攻撃は全て相手の方へ通る。攻防一体というわけだ。結構便利なアプリかもしれない。
「そうです。ただし、反射面へ非常に強力なエネルギーが加わると、ファイアーウォールは破壊されますので注意して下さい」
無敵のバリアというわけではないのか。そういうのは、大抵ボス敵に効かないんだよな。
「マスターかそのバディであれば、通常物体と同様に平面を動かすこともできます」
また、そういう抽象的な説明を。
「どう使うのか、もっと具体的に言ってくれないか」
不機嫌さを露わにして水鏡へぼやいた。
「例えば、外側に反射面を向けて棒状に展開すれば、手で持って武器として使用可能です」
さっき持っていたナイフはそれか。
「どのくらいの大きさまで張れるんだ?」
「正確にはお答えできません。マスターの適性に伴い、バディのパフォーマンスも変化するためです。マスターのバグを物質へ変換する適性が高ければ、ファイアーウォールの最大面積も大きくなります。しかし、先の戦闘で展開できたファイアーウォールは非常に小規模なものでした。よって、マスターの物質変換に寄与する適性は、著しく低いと考えられます」
著しくって……。
「現状、展開可能なファイアーウォールは、二百平方センチメートル程のようです」
「ちっさっ!」
思わず声を荒げてしまった。信号を待つ数人が一瞬こちらを見た。ちょっと恥ずかしい。
でも二百平方センチメートルって、正方形なら一辺が十四センチとかだろう。体を全くカバーできていない。バリアとして成り立っているのであろうか。
「それって、使えるレベルなの?」
「短刀として使用する等、用途がないわけではありません。敵の攻撃範囲が局所的、かつ攻撃箇所が明確であれば、防御手段としても使用できます」
つまり、フェイントには全く対応できないということだろう。もはや普通のナイフを持っているのと、さほど変わりがないのでは……。
「ですが、アプリケーションの適用範囲が大きく制限されていることは事実です。私とマスターは、非常に相性が悪いと言えるでしょう」
そりが合わないと思っていたら、能力でも合わなかったようだ。気が滅入る。果たしてそんな状態で、生き延びることができるのだろうか。
……いや、弱気になるのはよそう。この逃亡がいつまで続くかも分からない。少しでも楽観的になれる材料を探した方がいい。きっと自分にも何か、他に高い適性があるだろう。水鏡に質問してみる。
「正確には分かりかねますが、先の戦闘から、マスターは肉体や物質を強化する適性が高いと推察されます」
案外いい答えが返ってきた。基本攻撃力が高いというのは、概して下手な小細工ができるより優位であると相場が決まっている。……まあ、ゲームの中では、だが。
信号が青に変わったので、再び駅へ向かって歩き出す。
「他にはどんな適性があんの?」
「バグの適性は、接続適性、増強適性、侵略適性、情報適性、変異適性の五つに分類されています。ですが、適性に関しては後回しとし、他の説明を優先させることを推奨します」
またしても口答えをされる。こいつは本当にこちらの指示を聞く気があるのだろうか。
「なんで?」
「マスターの知能では、理解までにかなりの時間を要します」
「あんた、意外と毒舌だね……」
カードを割ってやろうか。とも思ったが、自分の首を絞めるだけなので、ぐっと堪えた。しかし、はっきり言い過ぎだろう。確かに成績はあまり芳しくないが。
「バディはマスターを傷付けられないんじゃなかったのか」
「はい。命令されない限り、それは不可能です」
「今、心が傷付いたんだけど」
「バディはマスターに対して物理的な攻撃を制限されていますが、精神的苦痛に関してはその義務を負いません」
はあ、そうですか。
「またマスターの知能に関してですが、元マスターとの比較から見解を述べました。故に、マスターの知能が一般的に問題視される水準なのかは判断しかねます」
フォローになってない。いや、こいつにそんなものは期待していないけど。
石ノ森駅は帰宅する人々でごった返していた。駅前の広場には、会社帰りと思われるスーツを着た男性や、スーパーの袋を下げた主婦、下校途中の中高生がひしめき合っている。
「栄港へ向かって下さい」
耳に当てたカードから水鏡の指示が出た。
栄港駅は石ノ森駅から電車で四十分程度かかる。海に面しており、コンテナ船が入港する港や、海運されてきた荷物を貯蔵する大規模な倉庫群を有する地域だ。
「そこが目的地?」
「車内で説明します」
未だに自分が何処へ向かっているのか知らされていない。何故そこを目指しているのかも。いやそれどころか、バグに関してさえまだ全貌を理解できていない。
ルールをいち早く覚えるためには、言葉だけでなく、実際にやりながら体得するのが望ましい。ゲームならこういう時チュートリアルが入るのだが、現実はそうもいかない。敵はポーズをかけても待ってくれないし、最初は何故か都合よく雑魚敵しか現れないなんて事もないからだ。ルールを教わりながら戦闘するなど、無謀極まる。なんて不親切なのだろうか。現実はもう少しゲームを見習った方がいい。
大きく息を吐いてから歩き出す。しかし、広場の雑踏に足を踏み入れることは躊躇われた。これだけ人が多いと、逆に不安だ。誰が敵だか分からない。
ここまでの道中では人と距離をとることができた。だが、ここではそうもいかない。否応なしに他人と接近しなければならない。すれ違いざまに突然、後ろから刺される可能性もある。
「水鏡」
「はい、何でしょうか」
「バグを使った肉体強化はどうやる?」
「既にマスターは無意識的にそれを行っています。現在、バグが全身へ一様に展開され、身体能力は向上しています」
「どのくらいの効果があるんだ? 例えばナイフで刺されたら、どうなる?」
「マスターは肉体強化能力に長けていると考えられますが、訓練を行っていない現状では充分な効果を得られません。仮にナイフがバグで強化されている場合、防御はまず不可能でしょう」
やはり単独でこの人混みの中に入るのは危険だ。
「水鏡、出てきて一緒に行動した方が良くないか? 二人なら死角も減るし」
「同意しかねます。私の格好は目立ちます。敵に容易に発見されてしまうでしょう」
「じゃあ、なんでそんな格好をしてるんだ!?」
そりゃあどう考えても、あの姿は目立つだろう。下着と言ってもおかしくない露出の上に、コート一枚だ。変質者か。大体何の意味があって、あんな服装をしているのか。
「バディは自身の身なりを選択できませんので」
「なら、誰が決めてる?」
「バディの外見は、それを作成した能力者の記憶や個性を反映して決定されます」
「つまり、あんたを造った能力者が変態だったということか」
しかもそいつは、間違いなく巨乳好きだ。ここまで恥ずかしげもなく自身の欲望を形にするとは……、どう考えてもろくな人間ではない。いや、そもそも胸は大きいほどいい等というのは、分かってないとしか言いようがない。何という浅はかな思考であろうか。
が、そこまで考えて、恐ろしいことに気付いてしまった。
水鏡を造ったのが、父だったらどうしよう。
「一応訊いておくけど、水鏡を造ったのって父さんじゃないよね?」
「はい、マスターの御父上ではありません」
良かった。死者の尊厳は守られた。
しかし、能力者が見た目を決められるのなら、バディは美男美女揃いになりそうなものだ。先のホームセンターの腰パン男は、何故あんな埴輪みたいな形状にしたのだろう。並々ならぬ埴輪に対するこだわりがあったのだろうか? しかし、彼のヒップホッパーみたいな服装とはどうにも結びつかない。
カードの中から水鏡が言い添える。
「誤解があるようなので補足しておくと、バディの外見と精神は能力者が自由に決定できるわけではありません。記憶や深層心理の影響を受けて、自動的に形成されます。故にバディの外観が、能力者の忌み嫌う対象と類似するケースもあります」
それはなんという不幸な事故だろうか。自分のバディがゴキブリとかだったら、ショックで間違いなく寝込むだろう。しかし、巨乳の露出狂がトラウマになっている人間もいまい。
「服装の問題ですが、服さえ用意して頂ければ着替えることが可能です」
着替えられるのか。それを先に言え。
だとすれば、その辺で服を買って着替えさせるべきだろうか。だが着替えたところで、水鏡の容姿ならば注目を浴びることに変わりはないだろう。
「マスターは、どの程度の金銭を所持していますか?」
水鏡から質問されたのは、初めてではないだろうか。しかし痛い所を突かれた。
「んー、あんまりないね……」
手持ちは心許なかった。なんせ月のお小遣いは五千円だ。
これからどのくらいお金が必要になるかも分からなかったので、水鏡に訊いてみる。
「それは分かりかねます。栄港までの交通費である三百六十円は必要ですが、その後はマスターの安全が保障されるまでの期間に依ります。可能な限り節制することを推奨します」
彼女を着替えさせるのは、諦めた方が良さそうだ。
しかし財布の中にあるお金だけで、長く逃亡を続けられるとは思えなかった。キャッシュカードも持っていない。父から拝借しておくべきだった、と酷く後悔した。
堪らず水鏡へ不平を漏らす。
「なんでホームセンターから出る前に訊かなかった? そうすれば、父から借りられたのに」
「考えが至りませんでした。同様の問題が発生せぬよう、思考方式を改善します」
謝らないのか。己の非は認めているようだが。
いや、何を考えているんだ。キャッシュカードを借りなかったのは、あくまで自分の落ち度だ。その責任を彼女へ押し付けて……。情けなくて自己嫌悪に陥る。
苦々しい顔で駅前の広場にいる高校生達を見渡す。友人がいればお金を借りられるのだが、こういう時に限って誰も見当たらなかった。
仕方がないので、意を決して広場の群集へと身を投じる。プラチナクラウンのカードは、携帯電話の上から胸ポケットへ戻した。電車内で電話のふりはできないし、人混みの中では両手が自由になった方がいい。
人々が立ち止まらず、常に流れている経路を伝って移動する。立ち止まっている人物は、待ち伏せの可能性があるからだ。他人とぶつかりそうになる瞬間は、体に緊張が走った。後ろから足早に近付いて来る人に怯えながら進む。
だが結局何事もなく、駅の中へと入ることができた。
改札を抜けてホームへ移動すると、ちょうど栄港行きの電車が到着した。乗り込んで、人のいないスペースを探す。車両端に手頃な場所を見つけたので、そこに陣取った。
電車が発進する。車体はだんだんと加速し、車窓に映る建物の照明が次々と流れていく。かたかたと鳴る走行音のおかげで、周りに悟られず水鏡と会話ができる。
「父から貰ったカードに、『脚』ていうのが入ってたんだけど、あれもバディ?」
「はい。敵の目的は、そのカードと『脚』の両方です。『脚』は、アンヘルという名のバディの一部です。アンヘルはマスターの願望を一度だけ実現するアプリケーションを有しています。ですが、アンヘルを呼び出すためには、離散したアンヘルのパーツを一枚のカードに集めなくてはなりません。『脚』はそのパーツの一つです。パーツ単体では意味をなしません」
水鏡の話から察するに、敵はアンヘルを集めて願いを叶えるつもりなのだろう。おそらく父は、それを阻止しようとしていたのだ。だとすれば、敵の望みは邪なものだと推察された。
「この『脚』を消せば、アンヘルは二度と呼べないってこと?」
パズルのピースが永遠に揃わなくなれば、敵の野望は潰えるはずだ。
「いえ、アンヘルはパーツが欠落しても、新しく能力者が覚醒した際、確率的にそのカードへパーツを再生させます。その確率は、能力者の覚醒した場所がパーツの損なわれた場所に近いほど上昇します。アンヘルを完全に消滅させるには、パーツを全て揃えたカードを破壊するしかありません」
どうやら駄目らしい。まあ、それで敵の目的を潰せるなら、父がとっくにやっているか。
「そういえば、バディの名前の隣に数字があったけど、あれは何?」
カードの裏面には、保存されたバディの名前と一緒に、数字が記述されていた。水鏡は30、「脚」は25だった。
「それはコストです。バディをカードへ保存すると、該カードの所有者はバグを一定量失います。これをコストと呼び、所有者のバグ総量に対する割合で表します。例えばコストが三十のバディを保存すると、カード所有者は全バグのうち三十パーセントを失います」
バディを保存するだけでバグを使うのか。しかも割合ってことは、どれだけバグの総量が増えても、保存できるバディの数は変わらないということだ。
「コストを差し引いた、残り七十パーセントが運用可能なバグです。これを能力者とそのバディが共同で使用し、基本能力やアプリケーションを行使します」
「魔法を覚えるほど実質の最大MPが減る、ってことか……」
無意識的にゲームで喩えてしまう。
しかしこれは、相当ハードな仕様だ。もしバディをたくさん呼び出せば、ただでさえ少なくなったバグを、さらに能力者とバディ達の間で分かち合わなければならない。バグを大きく消費する行動は取れなくなるだろう。それは戦術の自由度に直結する。つまり、バディが多いほど有利とも限らないわけだ。とはいえ、この仕様は今の自分にとっては有り難いのだが。
「マスター、MPとは何の略称でしょうか?」
水鏡が訊き返してきた。
「ああ……、なんでもない。ゲームの話」
「ゲーム? あの、ピコピコするものですか?」
「昭和か!」
ムカッときて、声が荒くなった。慌てて周囲を見渡す。幸い誰にも聞こえた様子はない。呆れとも安堵ともつかない溜息をつく。
「あのね……、ピコピコって、今日日そんなサウンドエフェクト存在しないから。今のゲームの効果音は、下手な映画よりずっとリアルだし」
「そうなのですか。不勉強でした」
「前にやったFPSは……、あ、FPSってのはファーストパーソンシューターの略ね。要は一人称視点の戦争ゲームだけど、本物の銃声を録音して使ってるし、今やってるRPGも……」
「マスター」
「ん?」
「もう結構です。不必要な情報だと判断します」
あ、そう……。なんだかゲームを蔑ろにされたようで、虫の居所が悪い。いやまあ、確かに彼女の言う通りなのだが……。
「とにかく、敵がこの『脚』を狙う理由は分かった。それから、『脚』は自分のカードへ移動しない方がいいってことだな」
「はい」
バグとバディとカードの関係は、ゲームに置き換えれば理解しやすいと気が付いた。
バグはMP、バディは召喚魔法、自分のカードが装備欄で、他人のカードが予備のアイテム欄だ。能力者は、召喚魔法だけでなく攻撃や防御にもMPを消費する。さらに召喚された生物の攻撃、防御にもMPが消費される。召喚魔法は装備しないと使えない。装備すると、正味の最大MPが減る。だから、装備する召喚魔法は最低限にする。不要な召喚魔法は予備のアイテム欄に保存しておき、必要な時だけ装備する。これで無駄なくMPを運用できる。
どうだ、ゲームの知識も役に立つだろう、と心の中で勝手に勝ち誇った。
そういえば、この「脚」の入ったカードの持ち主は誰なのだろうか。裏面に書かれた人物の名前は、苗字の読み方が分からない。くろか、つ、はら……?
「この数字のカードは、誰の物なんだ?」
「それは敵のカードです」
「だから『脚』だけでなく、カードも狙っているのか」
カードが無ければ、バディは呼び出せない。つまり、アンヘルも呼び出せない。
だとすれば、このカードは破壊できない。父があんな状態になってまで奪い取った物を、むざむざと敵の手元で再生させるわけにはいかないからだ。
敵のカードは今こちらの手中にある。このアドバンテージを活かすにはどうしたらいい?
「敵の人数は?」
「それは分かりかねます。マスターの御父上達の戦闘は、途中までしか見ておりませんので。また、敵が新たに能力者を雇っている可能性もあります」
敵が数字のカードの持ち主だけなら、話は簡単なのだが。とはいえ、敵一人のMPをゼロにする方法はある。問題は、それがどのくらいの難易度なのか、だ。
「カードをバディでいっぱいにするのは、難しいのか?」
「現在、私がマスターを誘導しているのは、それを行うためです」
「栄港でバディが手に入ると?」
「はい。ストアと呼ばれる、バディやカードを扱う店などもあります」
「え、バディって買えるの? いくらで?」
「バディによりますが、最低でも五百万円は必要かと」
「買えるか!」
思わず声が大きくなる。数名の乗客がこちらを見た。……しまった。喉の調子が悪いふりをして誤魔化す。乗客の顔が戻ったのを確認してから水鏡を非難する。
「さっき最低は三百六十円でいいって言ったじゃん……!」
お小遣いでバディを買おうと思ったら、千ヶ月かかるわ。
「はい。店から買うわけではありませんので」
「まさか盗むとかじゃないよね?」
「はい。マスターの実力では無謀です」
ああ、そうですか。ていうか、いつの間に実力を知った?
「カードの容量を減らすには、ワームバディを使用します。ワームバディは、アプリケーションによって自己増殖します。ただし、戦闘能力や知覚機能を一切有しません。故に、マスターの命令を受け付けず、ただプログラムされた通りに増殖だけを繰り返します」
つまり、カードの容量を圧迫するだけの存在、ということか。
「なんでそんなのがいるんだ?」
「他の能力者を妨害する目的で作成されたのだと思われます」
「そんなの、カードから消せばいいじゃん」
「カードからバディを消去するためには、該カードを破壊する必要があります」
あ、そうか。バディは他のカードへ移動できるけど、消去することはできないのか。
ならば、ワームバディはかなり厄介な存在と言えるだろう。一度感染すれば勝手に増えて、カードの容量、つまり能力者のバグをゼロにしてしまう。ワームを除去するには、他のカードへ全て移動するか、感染したカードを壊すしかない。壊すカードが自分の物なら、二十四時間バグが使えなくなるし、他人の物ならカードは自分の手元へ返ってこない。
勝手に増殖して容量を喰う、というのはコンピュータプログラムのワームと全く同じだ。だからワームバディというのだろう。
だが今回はわざとワームに感染して、その性質を逆手に取るということか。確かにそんなはた迷惑なものなら、買わずとも入手できそうだ。
「栄港にワームをばら撒いている奴がいるのか」
「はい。以前、元マスターが感染しました。能力者の集まるストア等は、そういった人物が出現しやすい傾向にあります」
その方が感染させやすいからだろう。しかし、一つ気になることがある。
「ところで、バディってどうやって造るんだ?」
「自身のカードを空の状態にして、作成するアプリケーションを意識しながら、しばらく集中すればバディが作成されるそうです。ただし、全てのバグを作成へと割り当てる必要があるため、作業中はバグによる防御が行えません。また、作成が行えるのは一度きりです。マスターのバグ適性が分からない今の状態で、バディを作成することは推奨できません」
「適性は、どうやったら分かるんだ?」
「対象のバグ適性を把握するアプリケーションを有したバディが存在します。そのバディを持つ能力者に診断してもらうのが一般的です。栄港のストアにもいると思われますが、マスターが診断を受けるのは、金銭的な理由から難しいでしょう」
今は水鏡を頼る他ない、ということか。彼女に聞こえないように小さく溜息をついた。
栄港で電車を降りる。駅の構内に人は数人しかいない。改札を抜け、プラチナクラウンのカードを乗せた携帯電話を耳に当てる。携帯電話の電源は念のために切っておいた。
カードの水鏡が指示する。
「南東方向にある廃倉庫群へ向かって下さい。その中にストアとなっている建物があります」
駅を出ると、周囲はすっかり暗くなっていた。駅前の時計塔は十九時過ぎを指している。
遠くに真っ黒な海が見える。倉庫の建ち並ぶエリアは、そちらにあるようだ。
出発の前に、電車の中で思い付いたことを訊いてみる。
「警察に保護してもらうのは、駄目なのか?」
今更だが、冷静になって考えてみると、これが最善策ではないかと感じていた。
正体不明の敵に狙われている等という訴えだけなら、警察は相手にしてくれないだろう。だが今は、実際に父が殺されている。犯人が次に狙うのは、自分かもしれないと伝えれば、警察は保護してくれるはずだ。問題はカードを探しに来た腰パン男の死体だ。しかし彼には悪いが、知らぬ存ぜぬを通せば何とかなるかもしれない。少なくとも真犯人は見つからないだろう。
だが、水鏡はこの提案をすぐに退けた。
「はい、先にも述べた通り、根本的な解決になりません。御父上の死が発覚し、マスターが保護を求めたとなれば、敵はマスターが目的のカードを所持していると考えるはずです。警察の保護は一時的なものに過ぎませんから、解除されれば直ちに敵が接触してくるでしょう」
「保護中に敵が捕まる可能性は?」
「限りなく低いと思われます。マスターの御父上は、敵バディによって致命傷を負わされたと考えられます。故に物的証拠が一切ありません。また一般的に能力者は、バグの存在が公になることを避けますので、事件に関する証人は現れないと考えられます。仮に犯人を特定できたとしても、警察が身柄を確保できるとは思えません。指名手配などによって、犯人の社会的な自由度が低下するだけでしょう」
「じゃあ、いっそバグの存在を公表したら?」
「その行為は著しく危険です。先ほど言及したように、多くの能力者はバグが公になることを望んでいません。故にバグの存在を公表すれば、彼らはマスターを排除対象とするはずです」
一縷の望みが見えたかと思ったが、あっさりと光明は断たれた。やはり自力でなんとかする他ないようだ。
辺りを見渡す。人気はない。ゆっくりと深呼吸してから、海へ向かって歩き出した。