TRACK-3 狂い吹雪 4
アンダータウン。グリーンベイに入り口が開いているそこは、呼び名どおりの地下街である。元々は、一般的なショップや飲食店などが建ち並ぶ、健全な商店街だった。しかし土地の値上がりや、新しいショッピングセンターに客を取られるなどの要因で経営破綻し、一時期閉鎖空間となっていた。
そこに、いつの頃からか流れ者たちが集まるようになり、自分たちだけの“街”を築き上げた。
オリエンタルカラーを基調とした多国籍景観は、訪れた者の視界を圧倒する。他に類を見ない、独特の裏町。それがアンダータウンである。
アンダータウンの通りに掲げられた看板は、多くの見慣れない外国文字で埋められていた。いったい何ヶ国分の言葉が、この地下空間で飛び交っているのだろう。
道は地下の住人たちの往来でごった返しており、誰にもぶつからずに進むのが困難なほどだ。
住人たちのほとんどが外国人である。外の大陸から訪れた人々だ。
空気に淀みを感じないので、空調システムは正常なようだが、地下内は独特の匂いに満ちていた。屋台から漂ってくる焼いた肉や魚。パレットのような色彩鮮やかな香辛料。衣類に染み込んだ香油。路上で修理しているバイクの油。
ここは本当にアトランヴィル・シティなのか。そう疑ってしまうほど、地上とはまったく違う様相に、ただただ驚く。
以前からその存在を聞かされていたが、実際に足を踏み入れたのはこれが初めてである。エヴァンは、あちらこちらに目を奪われながら歩いていった。
時々物売りの子どもらが、手作りのおもちゃのようなものを押し付けてきた。それらをやんわりと断りながら、とある場所を目指す。
(大きな鳥の彫像がある店、だったっけ)
まずはそこへ行け、とヴォルフに指示された。彼もこちらに駆けつけるそうで、指定の場所で落ち合うことになっているのだ。
(レジーニの野郎、何やってんだよ)
暴れている、と聞かされた時、〈プレイヤーズ・ハイ〉での暴挙が思い出された。出来事をヴォルフに話すと彼は、そうか、とだけ答えた。
レジーニは何者かを捜している。その人物を追って、このアンダータウンまで足を運んで来たに違いない。
(とっ捕まえたら、絶対に聞き出してやる)
いつまでもおとなしく、蚊帳の外に放り出されっぱなしでいると思ったら大間違いだ。
人々に押し揉まれながら進んでいくと、真紅に塗り染められた美しい大鳥が、優雅に翼を広げているのが目に入った。あそこだ、と確信して駆け寄る。
そこは、宮殿のような門構えの建物の前であった。門の上に横長い古木の看板がかけられ、くすんだ黒い異国の文字で、何かが書かれていた。屋号と思われる。
門の下の観音開きは、屈強な二人の男が番をしており、大鳥の前に立ったエヴァンを、ぎろりと睨みつけた。
「別に怪しい者じゃねえって。待ち合わせしてるんだ。そうだ、あんたら、ここで暴れてたっていう奴知らね? 嫌味ったらしい眼鏡のスーツ野郎」
門の番人たちはエヴァンの質問には答えず、黙って睨み続ける。
「なんだよ、愛想ねえな。もうちょっと笑ってみろよ、顔が怖ェえぜ」
「そいつらには母国語しか通じねえ」
馴染み深い低い声が聞こえた。そちらに顔を向けると、樽のように膨らんだ筋肉の塊が、のしのしと歩いてくるところであった。
「ヴォルフ、レジーニはどこなんだ」
「それを知るために、ここに来たんだ」
ヴォルフは険しい顔つきで答え、門番たちと向き合った。聞いたことのない異国の言葉で話しかけると、二人の門番は顔を見合わせ、かすかに頷き合った。
門番たちのいかつい手によって、厚い門が開かれた。
ヴォルフが門をくぐる。エヴァンも後に続いた。通った途端、門はただちに閉められた。
門の内側は、雑草のような植物が鬱蒼と茂る前庭だった。地面には緩やかに蛇行する敷石が埋められており、ヴォルフは石をたどって奥へと進んでいく。
エヴァンは彼の広い背中を追った。
建物の中には入らず、外壁をぐるりと回りこんで、着いた場所は後庭である。前庭と違い、きれいに整えられた庭には、一人の男が待っていた。
男は中肉中背。年は四十代後半くらいか。ぎょろっとした大きな双眸が特徴的な、外国人である。作務衣に身を包み、頭にタオルを巻いて、台に載せた盆栽の剪定をしている。
ヴォルフとエヴァンの訪れに気づくと、剪定鋏を操る手を休め、にやりと笑った。
「オヤ、大将。来るの早かったネ」
訛りの強い話し方である。
「地上の景気はどうヨ。地下はまあまあよ。そのおニイさんは?」
男は値踏みするかのように、エヴァンを眺める。
「あいつ誰だ?」
小声で訊くとヴォルフは、
「ファイ=ロー。アンダータウンの主だ」
簡潔に答えて、男の近くに寄っていった。
「ロー、しばらくだな」
「だあね。おたくの噂は聞いてるヨ。メメント狩り、順調らしいネ。ところでサ、ひょっとしてそのおニイさんって」
「ああ」
「へええ、あの中にこんなのがいたの」
ヴォルフとローは、エヴァンを横目で見ながら、意味ありげな会話を交わす。一人訳が分からずにいると、ヴォルフが耳打ちしてきた。
「ローは〈墓荒らし〉の頭領でもある。お前を掘り起こしたのはローだ」
「この人が俺を!?」
思ってもみなかった答えに、エヴァンはまじまじと、アンダータウンの主を見つめた。
エヴァンはある事情により、十年もの間コールドスリープ状態にあった。エヴァンを納めた凍結装置は、彼が所属していた組織〈SALUT〉の本拠地があった場所に埋もれていた。
凍結装置を解除し、エヴァンを自由の身にしたのはオズモントである。そのオズモントの元に、装置を運んだのはヴォルフだ。
そして、装置を実際に掘り起こし、ヴォルフに譲ったのが、ローなのだという。
彼が装置を見つけ、掘り起こしてくれなければ、今も眠りの中に封じ込められていただろう。
ファイ=ローは片手を顎に当て、エヴァンの腹や腕を軽く叩き、瞳を覗き込んだ。
「チョット細いケド、なかなか丈夫そうな身体してるネ。イイよ。特に目がイイね。火みたいな瑪瑙だネ」
それから彼は、ヴォルフを見上げた。
「いくら出したら売ってくれる?」
「おいやめろよ!」
とんでもない申し出に、エヴァンは慌てた。ヴォルフも頷く。
「ああ、やめとけ。こりゃ売り物にならん。ポンコツだからな」
一言余計であった。
「そうなの? あんな機械の中にこんなのが入ってるって分かってたラ、もっとイイトコに売れたんだけどネ。ま、今更ダカラもういいよ。それで? 大将。シャイナ迎えに来たんでショ?」
「シャイナ?」
誰のことかと首を傾げるエヴァン。すかさずヴォルフが説明する。
「氷の男って意味だ。ローはレジーニをそう呼んでいる」
ヴォルフは視線をローの方に戻した。
「ロー、レジーニはどこにいる? 何があった?」
「シャイナね、誰か捜してたみたいヨ。で、ソイツがいる賭博場に行った。ソイツ、大した奴じゃない、ただのチンピラね。シャイナがほんとに捜してた奴はソイツじゃない。シャイナの捜してる奴の居場所、ソイツが知ってたってコト。ソイツ逃げたから、シャイナ追いかけるデショ? そしたらアチコチで暴れちゃうじゃナイ? 逃げたソイツ、とっ捕まえて白状するまでボコボコしてたトコ、ウチの若衆に取り押さえられたノネ」
ローは後方に向けて顎をしゃくった。
「奥にイルよ。まあ、散々荒れてたケドね。ウチの若衆、何人もやられちゃって手が出せないネ。今はどうにかおとなしくしてくれてるみたい。シャイナが荒れてる原因聞き出そうにも、あのヒト、誰にもオープンじゃないでショ? でも、賭博場にいたそのチンピラから、ダイタイ事情がつかめたよ」
「そうか。なら、やはり」
「だね」
ヴォルフが唸り、ローは眉根を寄せる。
「ラッズマイヤーが戻ってきたか」
一人取り残されてばかりのエヴァンは、苛々と片足を踏み鳴らす。
「だからさ! 俺だけ置いてけぼりにすんなっつの! 一体何なんだよ? レジーニの身に何が起きてるってんだ。誰だよ、そのラッズマイヤーって」
「昔、アトランヴィルにいた奴だ。そこそこの地位にいた男で、ジェラルドから一部地域の管理を任されていた」
ジェラルド・ブラッドリーは、アトランヴィルを含む広域裏社会の頂点に立つ〈長〉で、「帝王」の異名を持つ大物である。
ヴォルフの説明を、ローが引き取った。
「ケド、やることがめちゃくちゃでネ。頭は悪くないケド、なんていうの、うん、アレは人間のクズだね」
やれやれと肩をすくめるロー。
「やり過ぎだったのヨ。だから帝王に見限られたね。でも、粛清される前に逃げた。それから一度も、コッチに戻って来なかった。それが最近になって、アイツがココにいるって噂、聞いたのね」
「なんで突然戻って来たんだ」
「それはね小炎、たぶん帝王が今、お留守だからだよ」
「留守?」
「先週からいない。チョット遠いとこまで行ってるんだって。帝王がいない間に、悪いことしようとしてるんだって」
「そのラッズマイヤーってのが、レジーニの荒れる理由か?」
エヴァンの知るレジナルド・アンセルムは、たかが一人相手に、あそこまで自分を見失うような男ではないのだが。
「エヴァン。レジーニは昔、まだ俺のところで〈異法者〉をやってなかった頃、ラッズマイヤーの下にいたんだ」
と、ヴォルフ。ローは同情するような表情で、うんうんと頷いている。
「詳しいコト分からないケド、アイツの元・部下ってだけで同情するヨ。シャイナには何度も地下のメメント退治してもらったカラ、今回はお咎めなしでイイよ。大将にも借りが多いから、これでチョットはチャラにしてくれない?」
「ああ、充分だ。すまん」
「いいってコト。ほれ、案内するから、シャイナ連れて帰んな。かわいそうに、あのヒト、あんなに疲れた顔してサ。イイ男が台無しさ」
剪定鋏を盆栽の側に置いたローは、くいくいと指先を曲げて、エヴァンとヴォルフを招いた。
アンダータウンの主に案内され、屋敷の奥へと向かう間、エヴァンは肝心な疑問をヴォルフにぶつけた。
「ヴォルフ、レジーニがラッズマイヤーって奴の元・部下で、そいつがクズだってのは分かった。それとレジーニの変わりようと、何が関係すんだよ。何でママに乱暴なことしてまで、そいつの居場所をつかもうとしてるんだ?」
ヴォルフはすぐには答えなかった。答えることをためらっているらしい。
やや間を空け、蒸気のような鼻息を吹いたあと、覚悟を決めたように言った。
「レジーニはラッズマイヤーに裏切られた。恋人を殺されたんだ」
ローに案内されたのは、ごく普通の部屋だった。てっきり牢のようなところに閉じ込めてあるのかと思っていたエヴァンは、少し拍子抜けした。
部屋の扉を開ける時、ローはエヴァンに話しかけた。
「小炎、アンタ、シャイナの相棒だね?」
「ああ、そうだけど」
「シャイナの心、真冬の湖みたいネ。凍ってるのさ、ずっと、ずっとね。でもその氷、触ると火傷するくらい熱いヨ。だから触れない、誰にも。あのヒトいつか、自分の氷に燃やされてしまうよ。そうならないように見ててあげな」
ローは、こずるそうな目で、エヴァンの瞳を覗き込む。
「ココのメメント、退治してくれるヒトいなくなったら困るカラね。でショ?」
エヴァンはその言葉に対し、どう答えていいのか分からず、曖昧に頷く以外になかった。
ファイ=ローの手で鍵が解除され、扉が開く。
部屋の中は、まるで竜巻が発生したかのように、めちゃくちゃに荒れ果てていた。家具という家具は破壊され、中に収めていたものが散乱している。カーペットも壁も汚れだらけだ。
瓦礫と化した家具の上に、レジーニは座っていた。俯き、膝に肘を置いて、両手の中に顔を埋めている。指先には、眼鏡が引っ掛けられていた。
この部屋を、レジーニが荒らしたというのだろうか。あの沈着冷徹な相棒が?
エヴァンは、にわかには信じられなかった。
「あーららーららー、派手にヤッテくれたネー、シャイナ」
呆れたようにローが独りごちると、レジーニはゆっくりと顔を上げた。極北の氷壁のような碧眼が、エヴァンたちを見る。
ローの言うとおり、レジーニの表情には疲れが滲んでいた。それは肉体的な疲れではない。精神を蝕む、病のようなものだ。
「レジーニ」
エヴァンより先に、ヴォルフが部屋に進み行った。
「この大馬鹿野郎が。立て。帰るぞ」
レジーニはしばし、無表情でヴォルフを睨んでいた。そのうちすっと立ち上がり、眼鏡をかけると、無言のままヴォルフの脇を通り過ぎた。エヴァンにも声をかけず、そのままローの屋敷の廊下を歩いていく。
「おいコラ! 待てよクソメガネ!」
スーツの背中を追いかけ、エヴァンは前に回り込んだ。レジーニの態度が気に食わない。自分を無視するのはいつものことなのでかまわないが、わざわざ迎えに訪れたヴォルフまで相手にしないのは許せなかった。
「何か言うことがあるだろ。俺にじゃねえ、ヴォルフにだ」
「何を言えと?」
「迎えに来てくれたんだぞ。礼くらい言え」
「頼んでないが」
「お前なあ!」
ネクタイを掴み、力任せに引き寄せる。
「昔の仲間のせいで荒れてんのは分かった。けど、だからってこんなことしていいわけねえって、俺にだって分かるぞ」
「仲間?」
レジーニの碧眼に、怒りの灯火が閃いた。
「あいつが仲間? ヴェン・ラッズマイヤーが? ふざけるな」
エヴァンの手を乱暴に払い、逆に襟首を締め上げる。
「もう一度言ってみろ。殺してやる」
「レジーニ……」
「僕の問題だ。勝手に踏み込んでくるな。勝手に探ろうとするな。土足と手垢で触れようとするな」
「けどよ」
レジーニはエヴァンの襟首から手を離し、その横をすり抜けた。
追いかけようと足を踏み出すも、その先へ進めない。レジーニの背中が「ついてくるな」と言っている。そんな訴えは無視すればよかったのだが、漂ってくる拒絶の意思が、エヴァンを押しとどめた。
ヴォルフは去り行くレジーニを、追うことなく見つめていた。
悲しんでいるような、あきらめたかのような、ゆがんだ表情を浮かべて。