TRACK-3 狂い吹雪 3
「ちっちぇえくせにキャンキャンうるさい。そのうえ危ねえ武器を振り回しまくる。ぴったりの通り名じゃねえか」
レジーニからこの名前を聞かされた時、エヴァンは腹を抱えて笑った。これほど絶妙な名称があろうか。
いつの頃からか、マキシマム・ゲルトーを指してこう呼ぶようになったそうだが、最初に呼んだ人物のネーミングセンスは、褒め称えられてしかるべきである。
「気にすんなよ。世の中にはもっとひどかったり、似合わなかったりするあだ名つけられてる奴が五万といるからな。お前のはぜんぜんマシ……」
鼻で嗤うエヴァンの言葉が終わらないうちに、マックスが仕掛けてきた。跳ねるように駆けるや、頭を低くしてエヴァンの懐に踏み込んでくる。
一撃くるな、と読んだエヴァンは、受け流して反撃するつもりで構えた。
マックスの右ストレートが来た。目論見どおりだ、と思った瞬間。
マックスはパンチを繰り出さず、エヴァンの襟と袖を掴んできた。そしてすかさず肘を持ち上げ脇に回りこみ、エヴァンを半身分振り回した。エヴァンがバランスを崩したところで、こめかみへの肘打ちが入る。更には投げ飛ばし、地面に叩きつけた。
この間、ほんの数秒足らずである。
背中に強烈なダメージを受けたエヴァンは、一瞬息を詰まらせむせた。苦痛に顔を歪ませながら、どうにか上体を起こす。
視線の先には、怒りで眉の吊り上った賞金稼ぎの姿があった。
「誰が凶悪チワワじゃゴルァ! もういっぺん言うてみいや、このボケ猿が!」
「そういうとこが凶悪っつーんだろ」
立ち上がり、用心深く相手との距離を開ける。
「あ、違った。チワワが付くんだっけ」
「黙らんかい!」
憤怒の形相で、再度踏み込んでくるマックス。同じ手を食らうつもりは毛頭ない。マックスの“掴み”を、腕のリーチ差で流し、右フックを打つ。マックスがよろけた。間を置かずミドルキックを放つ。足を掴まれる可能性もあったが、ガードを下げさせることが狙いだった。
今度は読みどおり、マックスはガードを低くしたが、こちらの攻撃の方が早く決まった。エヴァンのミドルキックが、マックスの脇に直撃する。ガードが低いうちに追い討ちをかけるべく、ハイキックを仕掛けた。
マックスの頭部めがけて繰り出した蹴りだが、相手はそれを、交差させた両腕でブロックした。
ブロックした瞬間、マックスはエヴァンの蹴り足を払い流した。反動で身体が半回転するエヴァン。マックスのローキックに、腿の裏を狙われた。
瞬時に体勢を整え、脛でローキックを受け止める。キックを止めた後、逆の足で蹴り返した。
この蹴りを、マックスは流さず、脇に抱え込んでタックルに持ち込んだ。
「このやろ……ッ!」
テイクダウンを奪われたエヴァンは、マックスの胴体を両足で挟み、横に引き倒す。そのまま体勢を変え、マウントを取ろうとしたのだが、
「腹が空いとるわ!」
隙をつかれ、逆にパンチを食らってしまった。
鳩尾にめり込んだ一撃に悶えて崩れる間、マックスはするりとエヴァンの拘束から逃れた。
「動きが大きいで。組み伏せてくれ言うてるもんやぞ」
せせら笑うマックス。エヴァンの頭には、血が昇りつつあった。つれない相棒に、隠し事をする仲間。腹立たしい要素はすでにあるのに、そこへ加えて、アルフォンセにちょっかいをかける凶悪チワワの存在。
「このクソチビ」
ぎらぎらした怒りの炎を、瞳に燃え滾らせるエヴァンは、全力でマックスに挑みかかった。
マックスは武装していない。非武装の人間に対しては、オートストッパー機能によって、細胞装置は起動しない。本来の格闘技術のみで応戦しなければならないが、元・軍部所属者の身としては、負けられない。
勝つ自信はあった。いつだったか相棒に言われたが、マキニアンである自分が、体力勝負で負けるわけにはいかないのである。ところが。
相手は小柄で体重も軽い。こちらの優位に終わるだろうと、高をくくったのが間違いだった。
マックスはエヴァンの攻撃を、ある時は受け流し、ある時は逆に利用し、自分の攻撃に繋げるのである。小柄ゆえに機動力が高く、スタミナもある。
これまでの対戦相手のほとんどが人外であったエヴァンにとって、“生身の人間”との戦いは、苦もなきことだと思われるものだった。しかし、今相手をしているマキシマム・ゲルトーは、エヴァンを完全に手玉に取っていた。
最大の要因はそれぞれのスタイルにある。打撃を主体とするエヴァンに対し、マックスの主体は組み技なのだ。
エヴァンにも組み技の心得はある。しかし経験値が足りなかった。組み技は豊富な経験と、それに裏付けられた実力がものを言う。その点において、マックスは圧倒的にエヴァンの上をいっていたのだ。
寝技に持ち込まれれば、打撃は効力を発揮できない。体格や重さも関係がなくなる。
マキシマム・ゲルトーは、エヴァンにとってもっとも相性の悪い相手だった。
純粋な実力の差だ。マックスはエヴァン以上に、裏社会での修羅場を、いくつもくぐり抜けてきたのだろう。
頭の中に、ヴォルフの言葉が蘇る。
――細胞装置まかせの戦い方が、どの敵にでも通用すると思うなよ。
体力本位では駄目なのだということを、まざまざと見せつけられた。
悔しさを一撃に乗せ、何度目かの蹴り技を繰り出す。
マックスはその蹴り足を、やはり抱え上げて地面に引き倒し、自らも倒れこんで袈裟固めを決めた。
「どや! 喧嘩の仕方もよう知らんペーペーが、とっとと降参せえ! そんで俺様に向かってのたまいよった無礼千万な暴言を撤回せえ!」
「だれが降参なんかするか! 撤回しねえ!」
威勢よく言い返したつもりだが、首をがっちりと押さえ込まれているため、実際にはくぐもった声にしかならなかった。
「そーか。ほなら罰として腕一本もらうで」
マックスは余裕の動きで、エヴァンの右腕を極めた。電撃のような痛みが襲い、エヴァンは思わず苦痛の声を上げた。
「ほれ、早よギブアップせな、腕逝ってまうど」
対するマックスは、実に腹立たしい勝者の笑みを浮かべている。と、その顔が、怪訝そうに曇った。
「ん? お前の腕、ディーノにヤラレたんと違ったか?」
「忘れてたのかよッ! あんな掠り傷だっつの!」
アルフォンセに治してもらったことは、絶対に言わない。本当は自慢したかったが、アルフォンセが貴重なクロセスト専門武器職人であることがばれるのは避けたい。それに、自分がマキニアンであることも、極力伏せておくべき事実だ。
「そーかそーか。負傷しとんのやったら勘弁したろと思ったんやが、そういうことやったら、遠慮なく逝かさしてもらおか」
マックスはエヴァンの腕を、更に締め上げた。
「この、なめんな……ッ!」
左肩に力を込め、上半身を持ち上げるエヴァン。左側に体重を寄せ、右腕を締められたまま、マックスを持ち上げた。
「おお?」
マックスが、意外なものを目の当たりにしたように、両目を見開く。
「おりゃあ!」
気合一発、エヴァンは左肩ブリッジでマックスを斜め上に転がし、技から逃れた。
「猿のくせにやるやんけ。まあ、このくらいの返しは、出来て当たり前やけどな」
転がされたマックスは、ひょいと起き上がり、歯を見せて笑った。
「うっせえ! 寝技ばっか仕掛けてしやがって、ちょっとは打ち込んでこいっつーの!」
一方のエヴァンは、締められた右腕をさすりつつ、マックスとの間合いを計る。
「アホか。打撃系だけが決め技とちゃうねんぞ。自分の得意分野に相手引きずり込むんは基本やろ。ホンマにペーペーやな」
「ペーペーペーペー言うな! まだ終わってねーぞ! かかってこい!」
ファイティングポーズをとるエヴァン。一方的にいいように料理されたままでは終われない。
マックスは見下した目つきになり、鼻で嗤う。
「なんべんやっても結果は一緒やぞ。お前、組み技主体の相手との戦い方知らんやろ」
「やってみなけりゃ分かんねーだろ。叩きのめしてやるから来いよ!」
挑発するように手招きする。しかしマックスは、煽りには乗ってこなかった。
「そんなにすっ転ばされたいんなら、いくらでもやったるわ。お前、体力とスピードはあるらしいけどな、それだけで勝てる喧嘩なんぞ、たかが知れとるっちゅーことを教えたる」
涼しい顔で挑発し返すマックス。指先だけ動かして「いつでもこい」と呼んでいる。
煽る側に立っていたはずのエヴァンだったが、逆に挑発に乗せられるはめになった。一気に脳が沸騰し、どこかがぷっつりと切れる。
「お前だけは、絶対にぶちのめす」
拳を更に硬く握り、腰を落として構える。いつでも踏み込めるように体勢を作る。
一呼吸置いて、仕掛けようとしたその時、軽快な電子音があたりに鳴り響いた。エレフォンの呼び出し音だ。エヴァンとマックス、どちらのエレフォンが鳴っているのかは分からなかった。
しかし、電話がかかってこようと関係ない。エヴァンは呼び出し音を耳から締め出し、マックスにのみ集中した。
「ちょっとタンマ! 電話や」
当の対戦相手は、さっと片手を挙げて「待った」をかけてきた。勢いを殺がれたエヴァンは、つんのめって立ち止まった。
「何だよ! 大事な勝負の最中に、電話なんかどうでもいいだろ!」
「どうでもいい訳あるか。これがお仕事の電話やったら、お前なんぞよりよっぽど重要や!」
言いながらマックスは、エレフォンの画面を覗き込む。が、通話モードにはせず、ただ肩をすくめた。
「俺やないわ。お前のや」
「は、俺?」
マックスに促され、エヴァンは渋々エレフォンを手に取った。マックスの言葉通り、呼び出し音は、エヴァンのエレフォンから鳴り響いていた。
発信者はヴォルフ・グラジオスだ。
「なんてタイミングでかけてくんだよ、あの熊親父」
「出てみ。急用なんとちゃうか」
「馬鹿言え! 勝負の最中だぞ」
「俺は勝負やとは思とらん。さっさと出ろや。ちょうどええから俺は帰るわ。気も済んだしな、いつまでも遊んどるわけにもいかんねん」
「はあ!?」
未だ鳴り続けるエレフォンを片手に、エヴァンはマックスを睨めつけた。マックスはエヴァンの返事を待たず、踵を返して歩き去ろうとしていた。
「待てよコラ! 逃げるのかテメー!」
小振りな背中に怒鳴ると、マックスは振り返りもせず、通りの向こうへと遠ざかっていった。
一人残されたエヴァンは、マックスを追いかけようとしたが、逡巡の挙句、踏みとどまった。
イライラが頂点に達しようとする中、エレフォンの通話機能をオンにする。
「なんだよ、取り込み中だったんだぞ。さっきは掛けても出なかったのに、何の用だよ」
我ながら不機嫌そうな口調である。不完全燃焼の気持ちを、特に関係のないヴォルフにぶつけてやろうと思ったのだ。
ヴォルフはエヴァンの苛立ちに気づかなかったのか、それとも無視したのか、特に言い返すこと無く話しだした。
『エヴァン、今どこにいる』
ヴォルフの口調は、珍しく焦っているように聞こえる。
「は? 図書館だけど。アルの職場の」
『そうか。近くて都合がいい』
「なにが」
『今すぐアンダータウンに行ってくれ。レジーニが暴れてるらしい』