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TRACK-3 狂い吹雪 1

 目の前で何が起きているのか、今見ているものが何なのか、すぐには理解できなかった。

 馴染みのドラッグクイーンが、自分の経営するバーのカウンターで、絞殺されそうになっている。

 黒髪の、眼鏡をかけた、眉目秀麗な男に。

 ストロベリーの圧迫された喉から、苦しげな呻き声が漏れた。その弱々しい声を聞いた途端、エヴァンの呪縛が解けた。

「な、」

 ようやく言葉がり上がってくる。


「……に、やってんだよ、お前ッ!」


 駆け出し、相棒を後ろから羽交はがい絞めにした。ストロベリーから引き離そうと、力任せに相棒を引っ張る。

 ところがレジーニの力は思いの外強く、なかなかストロベリーの首から手を離そうとしない。本気で殺そうとしているのか。

「やめろレジーニ! 手を離せ! ママを殺す気か!」

 踏ん張ってレジーニの胴を更に強く引く。相棒とストロベリーとの距離が、徐々にだが開き始めた。

 相棒はその間、一言も口を利かなかった。眼鏡の奥の碧眼は、ただ一直線にストロベリーを見据えている。

「聞いてんのかよ! やめろって言ってんだろ!」

 レジーニの長い指が、ドラッグクイーンの太い首から離れた。次の瞬間、彼の手が、今度はエヴァンの襟元を掴んだ。瞬きもしないうちに、エヴァンの視界がぐるりと回転する。気がつけば床に叩き落されていた。

 レジーニは投げたエヴァンには目もくれず、再びストロベリーに掴みかかった。急いで起き上がったエヴァンは、相棒とストロベリーとの間に割って入る。

「レジーニ、冗談が過ぎるぞ! なんのつもりだ!」

 緋色の目でレジーニを睨みつける。しかし、彼はやはりエヴァンを見ない。極北の如く凍った眼差しを注ぐ相手はドラッグクイーンただ一人。

「無視すんなコノヤロー!」

 苛立ち、声を荒らげるエヴァンの肩に、ストロベリーのたくましい手が乗せられた。

「いいのよ小猿ちゃん。いいの」

「よかねーよ! 何言ってんだ!」

「いいのよ、こうなるって分かってたから」

 ストロベリーの表情は苦悶に満ちている。だがそれは、絞殺されかけた苦しみによるものではないように思われた。

 ストロベリーはそっとエヴァンを脇に押しやり、レジーニと向き合う。自慢のホワイトブロンドの乱れをさっと直し、厳かに言った。

「レジーニ、落ち着いてよく聞きなさい。アタシも知ったばかりのことで、まだ詳しいことは分からないの。本当よ」

「それを信じろって? 情報屋のお前がか?」

 やっと口を開いたレジーニ。吐き出された声色は、いつにも増して低く冷たく、肌に突き刺さる氷柱つららのようだ。

「言えよストロベリー、本当は知ってるんだろう?」

 氷の碧眼に、どす黒い闇が渦巻いているのがえる。決してエヴァンを見ない暗黒の氷球。見られただけ、触れるだけでもたちまち凍傷になってしまいそうなのに、氷の深淵では灼熱の溶岩がどろどろと煮えたぎっていた。

 エヴァンがどれだけへまをしようとも、短慮な発言をしようとも、こんな目をしたことは一度もなかった。


「あいつがどこにいるのか言え」 


 こんな目は知らない。こんな目をする人間は知らない。

 レジナルド・アンセルムという男を、初めて“こわい”と感じた。

「信じてレジーニ、アタシはまだ何も掴んでない。それにね」

 ストロベリーは、首の痛みを和らげるように、片手で喉をさする。

「もし知っていたとしても、アンタが狂うと分かってるんだから、教えるわけないでしょ」

「そうか。なら、やはり知ってるわけだな」

 レジーニの右手が、ぎり、と握られた。手加減をしない本気の握り方だ。

「いいえ、知らないわ。本当だってば! 無駄なことはやめてちょうだい!」

 悲鳴に近い声を上げるストロベリー。海千山千のドラッグクイーンも、今のレジーニには恐れをなしている。

 レジーニは無言で拳を振り上げた。エヴァンはとっさにその拳を止める。

 氷の碧眼が、ついにエヴァンを捉えた。途端、極北の冷気が、エヴァンの背筋を舐めた。

「やめろレジーニ。どういう理由があるのか知らねえけど、相手はママだぞ」

 相棒の殺気に気圧されつつも、説得を試みる。通じるとは思えなかったが。

 レジーニはしばし、まるで初対面の相手を前にしているかのように、よそよそしくエヴァンを見た。

 やがて拳を引き、ストロベリーを睨みながら数歩下がる。そのまま方向転換すると、大股で店を出て行った。

 エヴァンは慌ててあとを追った。自動ドアをくぐり外に出て、速足で歩き去ろうとするレジーニの肩を掴む。

「待てよレジーニ、どういうことか説明しろよ」

 引き止めてこちらを向かせようとしたその時、エヴァンの手は激しくはじかれた。


に触るな」


 相棒は再び背を向けた。こちらを振り返る気配はない。

 通りの向こうに消えていこうとするレジーニを、エヴァンは追いかけることが出来なかった。



〈プレイヤーズ・ハイ〉に戻ると、ストロベリーはカウンターに座っていた。暗く沈んだ顔で、片手を額にあてている。

「ママ、大丈夫か」

 いたわりの言葉をかけると、ドラッグクイーンは「ええ、ありがとう」と、か細い声で答えた。

「何があったんだ、ママ。なんであいつ、ママにあんなことを? 普通じゃなかったぞ」

 レジーニは普段から、何かとちょっかいをかけるストロベリーに対して、手厳しい反応をすることが多い。だがそれは犬のじゃれ合いと同じで、仲間への信頼感あってのことだ。だが先ほどのレジーニの態度は、あのは、本気で危害を加えようとする者のそれであった。

 レジーニは本気でストロベリーに暴力を振るおうとしていた。エヴァンにはそれが信じられないし、理由も思いつかない。

「ママ、レジーニは誰の居場所を知りたがってたんだ? あいつがあんなに荒れるなんてどういうことだよ」

 エヴァンの知るレジーニは、いついかなる時でも冷静沈着で、腹立たしいほどに精神的余裕のある男だ。しかし今日の相棒には、それらが失われていた。

 まるで別人のように。

「ごめんね小猿ちゃん」

 疲れたようにため息をつきながら、ストロベリーは口を開いた。

「アタシの口からは言えない。少なくとも今はね」

「なんで? あのレジーニがあんなになっちまうようなことがあったんだろ? よっぽどのことじゃねえか。なんで言えねえんだよ」

「言えないのよ。アタシから説明するわけにはいかないの。すごくデリケートな問題だから」

「レジーニが居場所を捜してる奴に関係あるんだろ」

「小猿ちゃん、お願い、それ以上訊かないで」

 ストロベリーは首を横に振り、エヴァンをなだめるように片手を上げた。だが、そんなことで引き下がるエヴァンではない。

「ママ。レジーニの奴、今まで一度だって、俺に昔の話をしてくれなかった。だから、あいつのことが分かんねえんだ」

 生まれ育ち、裏社会に踏み入ることになった経緯いきさつ、なぜ〈異法者ペイガン〉の道を選んだのか。これまで色々と質問してきたが、何一つまともに答えてくれなかった。いくら食い下がってもはぐらかされるばかりで、真実にはたどり着かない。

 お前が知る必要はない。返ってくるのは、そっけない一言だけだ。

 本人がだめならと、ヴォルフにも訊いてみたことはある。しかし、彼の口からも、似たような言葉が繰り返されるのみだった。 

レジナルド・アンセルムという男のことを、エヴァンはまともに知らないのである。

「ひょっとして、昔なにかあったんじゃねえのか?」

 ストロベリーは眉尻を下げ、もう一度首を振る。

「本人に話す意志がないのなら、アタシからも説明することはできない。ごめんなさいね」

 何度頼んでも、ストロベリーはかたくなに口を閉ざし続けた。

 仕方なく、レジーニの問題は一旦脇に置き、賞金稼ぎコンビについて何か情報はないか尋ねた。ストロベリーは、彼らがこの町にいることは把握していたが、誰がエヴァンとレジーニに懸賞金をけ、あの二人をつかわしたのかは分かっていなかった。

 高い情報収集能力を誇るストロベリーにしては、珍しく仕事が遅い。レジーニが荒れている原因と、ストロベリーの仕事が遅い原因は、おそらく同じではないか。エヴァンにはそう思えてならない。

 分かったことは、百戦錬磨の裏稼業者の内面を揺るがすような事態が、今まさに起きているということだけだ。

 


〈プレイヤーズ・ハイ〉を後にしたエヴァンは、ぶらりぶらりと町を歩いた。ゲイバーでの思わぬ展開に出鼻をくじかれ、やる気が宙に浮いてしまったのだ。

 レジーニを捜そうと思い、電話をかけたものの、繋がらなかった。電源を切っているのか、あるいは意図的に無視しているのか。

 ヴォルフにも連絡をとってみようと思ったのだが、こちらも繋がらない。あるいはと考え、シーモア・オズモントにも電話してみた。

 オズモントはエヴァンとレジーニの、正確にはヴォルフの協力者で、ワーズワース大学に勤める生物学者である。彼とは連絡がついたものの、あいにくと講義の直前で、事情を説明する時間はなかった。

 もうあてになる人間はいない。

 誰とも連絡がつかず、一人蚊帳の外に追いやられた気分だ。知らないうちに賞金首にされ、危険な二人組みに狙われるようになった。その矢先、相棒は豹変し、事情を知るであろうドラッグクイーンは口を閉ざす。ヴォルフと連絡がとれないのも、関係があるような気がしてならない。

「どいつもこいつも何なんだよ」

 苛立ちまぎれに独りごちる。自分が見えている範囲内で何かが起きているのに、物事は知らないところで進行している。それが腹立たしくてならない。

 ぶつけどころのない気持ちをしずめるために歩き続けた。

 ふと気がつくと、市立図書館の前に来ていた。建物を見た途端、アルフォンセに会いたくなり、エヴァンは入り口に足を向けた。


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