TRACK-2 修復と綻び 2
右腕に異常を抱えたまま、エヴァンはひとまず〈パープルヘイズ〉に戻った。レジーニも同行し、事の次第をヴォルフ・グラジオスに報告した。
〈パープルヘイズ〉の店主にして裏稼業者の窓口である彼は、さすがに例の二人組を知っていた。大きな鼻孔を更に開き、ふんと息を吹く。
「マックスとディーノか。また面倒な連中に目ェつけられたもんだな」
「いきなりサブマシンガンかましてきやがった。何なんだよあいつは」
これまで特殊な敵ばかり相手にしてきたエヴァンとって、普通の肉体を持つ人間にやり込められたという事実は、少なからずプライドを揺るがす事態である。
ふてくされるエヴァンの鼻先に、ヴォルフの太い人差し指が突きつけられる。
「手強い奴らだぞ。長年組んでるから、お前らと違って息も合ってる。エヴァン、マキニアンだからって油断するなよ」
「分かってるよ。次に会ったら絶対に泣かす、あのチビスケ」
こけにされたことを思い出し、怒りがぶり返してきた。荒ぶる感情を少しでも抑えようと、右の拳を左手に打ちつける。両手が衝突した瞬間、小さなパチッという音と共にノイズが弾けた。
「本当に分かってんだろうな。その腕のザマは何だ。ちゃんとアルに治してもらえよ」
「そ、それも分かってるって」
隣のレジーニは眼鏡の位置を正し、レンズ越しに蔑みの視線を投げてよこす。
「ついでに足りない脳ミソを補完してもらいたいところだが、アルにそんな無理難題を吹っかけるわけにはいかないか。もう一つ言っておくが、マックスはお前より年上だ」
「マジかよ嘘だろ!? あんなチビで童顔だぞ?」
「あんなチビで童顔だが、女が途切れたことはない」
さらりと放たれたレジーニの一言には、エヴァンから声というものを一瞬奪い、彫刻のように固まらせるのに充分な威力があった。酸欠の金魚よろしく口をパクパク動かして、やっと喉から出てきたのは、腹の底からほとばしる屈辱であった。
「なんであんなのがモテるんだよ! あんなガキみたいな見た目で、俺も知らないあんなことやこんなことを経験済みだと!? 許せん! 絶対に許せん! 非モテの敵!」
「どこに対抗意識を燃やしてるんだ馬鹿が」
「お前も非モテの敵だーッ! 爆発しろ!」
怒りの絶叫を上げると、それに呼応するように、右腕のノイズが強くなった。
男としてのプライドが激震しているエヴァンの頭頂に、極太の拳が振り下ろされる。脳震盪を起こしかねないヴォルフの拳骨は、もはやハンマーに等しい。脊椎を貫く強烈な痛みに緩和されたのか、ノイズは小さく治まった。
「痛ってえ!」
「キーキー騒ぐな! ホエザルかお前は! そんな調子じゃ連中に勝てねえぞ!」
石頭が、と呟き、ヴォルフは拳をぶんと振った。
「その落ち着きのなさと考えの浅さをどうにかしねえと、今に泣きを見ることになると、肝に銘じておけ。細胞装置まかせの戦い方が、どの敵にでも通用すると思うなよ」
「分かってる、分かってるって!」
説教はごめんだと、投げ槍に答える。ヴォルフは眉間にしわを寄せ、更に言葉を積もうと口を開きかけた。が、無駄だと判断したのか一旦つぐんだ。
次に口を開いた時、言葉はレジーニに向けられた。
「ともかく、マックスとディーノが動き出した理由を探るしかねえな。ストロベリーに声かけとくか」
「僕も探ってみるよ」
短く答え、レジーニは入り口ドアへと歩き出した。用が済めばさっさと立ち去る。仲間の前であろうとも、相棒のこのスタンスは変わらない。
ドアから外に出る間際、レジーニは一度だけ振り返り、いたずらめいた眼差しをエヴァンに向けた。
「エヴァン、マックスについて一つ教えてやろうか」
「何だよ。つまんねーコトじゃねえだろうな」
あまり興味が持てないのでそっけなく返すと、レジーニはどこか面白がるような、それでいて何かを企んでいるかのような顔つきになった。
「あいつには不名誉な通り名があるんだ。本人の前で言うなよ、即行で殺されるぞ」
その日は右腕を負傷したまま、〈パープルヘイズ〉での勤めをこなさなければならなかったが、ヴォルフの配慮により、いつもより早く帰らされることになった。店内業務に支障はないといえども、右腕から放電する様子を客に見られれば怪しまれることは間違いないし、早く治すに越したことはない。幸い大して忙しくもなかった、という理由もある。
アパートまでの足取りは重かった。帰ったら、アルフォンセにメンテナンスを頼まなければならない。平素ならば喜んで頼むところだが、昨日気まずい出来事があったばかりで、まだ顔を合わせづらい。
彼女の部屋の前で、しばしの間うろうろする。インターホンがなかなか押せない。押そうとして手を上げては下ろし、上げては下ろしを数回繰り返す。
埒が明かないと、なけなしの勇気を振り絞り、ついにインターホンを押した。
呼び出しベルが鳴って、しばらく待つ。が、部屋の住人は出てこなかった。もう一度押して待った。やはり応答はない。
みるみるうちに、失望が胸中を支配する。時刻から考えて、もう帰ってきているはずだ。それで応答がないというなら、
(まだ怒ってる)
エヴァンは肩を落とし、すごすごと自室に逃げた。
部屋で待っているのは、飼っている小亀のゲンブだ。亀の状態を見て、少し汚れてきた置石を洗ってやる。きれいになった石を水槽に戻すと、小亀はさっそくよじ登った。
小亀の世話を済ませたあと、フリーマーケットで購入した中古の長椅子に倒れ込んだ。頭の中はアルフォンセのことでいっぱいだ。怒っている、嫌われたかもしれないという恐怖。信頼を取り戻さなければ、という焦り。何よりも、どうすれば彼女との仲を進展させることが出来るのか、という最大の課題。
この五ヶ月エヴァンを悩ませ続けたのは、辛辣で冷徹な相棒でも、凶悪な怪物でも、未だ記憶に曖昧さの残る自身の問題でもなかった。
(情けねえ)
茶色混じりの髪を掻きむしり、憂鬱なため息をつく。急に弱くなってしまったような気分だ。彼女と出会ってから、見知らぬ自分がどんどん出てきては、その存在を主張する。何もかもに戸惑うばかりだ。
誰かに恋をするということは、こうも人を変えてしまうものなのか。相手の一挙手一投足に一喜一憂し、喜んだり落ち込んだりする。浮き沈みに疲れ、もうたくさんだと投げ出したくなる時もある。それでも結論は変わらない。アルフォンセを愛している。彼女のいない世界など、もう考えられない。
複雑な想いを抱えたまま、長椅子にうずくまった。
しばらくしてからがばっと起き上がり、両手で頬を叩いて気合を入れた。
「ちくしょう! 男らしくねーぞ! ビシッと行けビシッと!」
もう一度アルフォンセを訪ねようと決意し、ゲンブにガッツポーズをしてみせ、ドアに向かった。
ドアを開けたその時、エレベーターが開いて誰かが降りてきた。反射的にドアを半分閉め、身を潜める。隙間から外を覗くと、アルフォンセが自室の鍵を開けるところであった。
(まだ帰ってなかったんだ)
無視されたのではなかったのだと分かり、ほっと胸を撫で下ろす。
アルフォンセが部屋に入る前に呼び止めようとしたのだが、今度は斜向かいの部屋のドアが開き、エヴァンはまたもや身を潜めなければならなかった。
斜向かいのドアから現れたのは、淡い金髪の少女――マリー=アン・ジェンセンだった。
マリーは一つに結んだ長い髪を揺らしながら、たたたっとアルフォンセに駆け寄る。
「アル、おかえりなさい。今日は遅かったね」
「ただいまマリー。ちょっとお仕事がたまっちゃって」
「そっか。じゃあ疲れてるよね」
「どうしたの?」
「宿題、分からないところがあるから、教えてもらおうと思ったの」
「私でよかったら」
「ほんと? いいの? じゃあこっち来て!」
マリーは弾んだ声を上げてアルフォンセの手を引き、自宅に招き入れた。
マリーの自宅に入っていくアルフォンセを、身を隠したまま見送ったエヴァンは、ドアを完全に閉めてもたれかかった。
「こりゃしばらくかかるな」
再びジェンセン宅のドアが開いたのは、それから三十分ほど後のことである。
女の子たちの楽しそうな話し声が聴こえてきて、エヴァンは外の様子を静かに伺った。
アルフォンセを見送るマリーが自宅に戻ったのを確認し、廊下に出る。
アルフォンセがこちらに気づき、振り返った。エヴァンと目が合うと、気まずそうに俯いた。
エヴァンは足早に廊下を渡り、アルフォンセの前に立った。
「アル」
名を呼ぶと、彼女は上目遣いでこちらを見上げた。
「君に、その、頼みがあるんだ」
言って右の袖をめくり上げ、アルフォンセの前に差し出す。ほのかに青白く細い放電現象は、未だに続いていた。
右腕のノイズを見たアルフォンセは、さっと表情を変えた。
「ノイズが……。一体どうしたの?」
「ちょっと、撃たれて」
「撃たれたの!?」
「だ、大丈夫! ナノギア起動してたから、当たったけど貫通してない。ただ、当たったせいでこんな風になっちまって。診てもらえるかな」
躊躇するかもしれない、と思った。メンテナンスするには専用の機材が必要であり、その機材はアルフォンセの部屋にある。
昨日の出来事を考えると、部屋に入れたくないと思われても仕方がない。
しかしアルフォンセは、
「入って。すぐ準備するから」
迷うことなく招き入れてくれるのだった。
アルフォンセの部屋には、これまで何度か訪れたことがある。食事を作ってくれたり、メンテナンスを受けるためだったり、用事はその程度で、そこから甘い展開に進んだことは一度もない。
室内はいつも、ほんのりと良い香りに包まれている。アルフォンセが好きな、柑橘系のアロマだ。
アルフォンセは、エヴァンをリビングの椅子に座らせ、国防研の研究者だった父親の遺した機材を持ち出してきた。
エヴァンは右腕を晒して、テーブルに乗せる。まるで病院での採血か点滴を受けるかのような格好だ。
アルフォンセはコンピューターを立ち上げ、右腕の間接と首筋の接続孔をケーブルでつないだ。
「じゃあ、状態を見てみるね」
しなやかな白い指が、キーボードの上を滑る。アルフォンセは真剣な眼差しで、ディスプレイに見入った。
アルフォンセの亡き父は、対メメント専用兵器クロセストの開発研究者だ。マキニアンの要である細胞装置も、彼女の父の研究チームが生み出したものである。
アルフォンセは独学でクロセストやナノギアについて学び、第一級特殊兵器取扱資格を手に入れた〈武器職人〉だ。クロセストの武器職人は人数が少なく貴重な人材である。アルフォンセはエヴァンとレジーニの専属であり、エヴァンのナノギアメンテナンスをまかせられる唯一の存在だった。
「機能テストを開始します」
アルフォンセの言葉の後、右腕のナノギアが起動し、エヴァンの意思と関係なくシステム〈イフリート〉への変形を始める。真紅の〈イフリート〉はいつもと変わらぬ形状だった。しかし、
「変形速度が落ちてる」
「やっぱりそうか」
「ええ。システムそのものに異常はないみたい。でも変形への指令伝達系統が少し滞ってる。撃たれた時のショックが原因ね。このくらいならすぐに修復出来るわ。少しの間、このまま待ってて」
「分かった」
アルフォンセがプログラムを実行させ、ナノギアの修復が開始した。実際に何が起きているのかは目に見えないが、体内では機能修繕が実行されている。
修復実行中は身動きがとれない。アルフォンセの作業も一旦終わる。二人の間に沈黙が流れた。
アルフォンセは身を縮めるようにして、膝の上に両手を置いている。時折顔を上げるも、エヴァンと目が合うと、すぐにそらしてしまう。
気まずい思いをしているのはエヴァンも同様だ。だが、今は目をそらしたりはしなかった。どんな事情があっても、アルフォンセを見ていたいと思う。彼女の喜怒哀楽、すべての表情を胸に刻みつけたい。
「アル。昨日はごめん」
深海色の瞳が、ゆっくりとエヴァンに向けられる。
「あんなことするべきじゃなかった。俺、焦りすぎだよな。ほんとにごめん。もう二度としないって誓う」
真摯な気持ちで謝罪を述べた。許してくれるまで、何度でも頭を下げる覚悟はある。でも、なるべく早く許してほしい。そしてまた笑顔を見せてほしい。答えが返ってくるまで、エヴァンはじっと待った。
アルフォンセは首を横に振り、ためらいがちに口を開いた。
「私の方こそごめんなさい。突き飛ばしたりして」
「アルが謝ることなんて、一つもないよ」
「正直に言うとね、私、今まで誰かとちゃんとお付き合いしたことがないの。だから、その、どういう反応すればいいのか分からなくて、つい」
「誰とも付き合ったことがないって? マジで?」
あまりに意外な事実である。アルフォンセほどの女性ならば、男が放っておくはずはないのに。
アルフォンセが頷くので、エヴァンは内心、諸手を挙げて歓喜した。愛する女性の初めての相手になれる。この栄誉は絶対に逃したくない。
「そ、そっか。だったらしょうがないよな。ほんとごめん、びっくりさせて」
「ううん、そんな。私こそ」
恥じ入ったように頬を染めるアルフォンセ。いかに彼女が純情か、エヴァンは改めて理解した。
(焦るな俺。アルが俺を“男”として受け入れてくれる心の準備が出来るまで待て)
どの道己自身も、異性との交際は初めてなのである。きちんと付き合えるようになるまでに、学ばなければならない項目が山積している。
気まずかった空気が、少しずつほぐれていくのが分かった。アルフォンセははにかみながらも笑顔を見せてくれるようになった。許してもらえたようだ。
ナノギアの修復が完了した。再度機能テストを行うと、システムは通常通りに起動した。
ケーブルを抜いている間、エヴァンの腹が空腹を訴えて鳴いた。腹の虫の鳴き声を聞いたアルフォンセは、ぷっと吹き出して言う。
「ミートパイ、食べる?」
「食べる!」
翌日、〈パープルヘイズ〉は店休日である。
賞金稼ぎの二人組マックスとディーノに関する情報は、まだエヴァンのもとに届いていなかった。ヴォルフは、ストロベリーにも声をかけておく、と言っていたので、彼女(彼)ならば、すでに有力な情報を掴んでいるかもしれない。
〈プレイヤーズ・ハイ〉というゲイバーの店主にしてドラッグクイーンのママ・ストロベリーは、優秀な情報屋という裏の顔を持っている。行動の派手な賞金稼ぎの動向を掴むなど、たやすいに違いない。
エヴァンは思い立ち、〈プレイヤーズ・ハイ〉を訪ねることにした。いつもなら相棒に尻を叩かれなければ、こういった情報収集活動はやらない。だが今回ばかりはやる気が起きた。
「長年組んでて息も合ってるから、手強い相手だって? こっちだって負けてねーんだからな」
ふつふつと湧き上がってくるのは、賞金稼ぎコンビへの対抗心。エヴァンはディーノ・ディーゲンハルトとは面識がないので、正確にはマックスのみへの対抗心なのだが。
「組んでる期間が重要じゃねーんだよ。フィーリングだフィーリング」
レジーニと組んでから八ヶ月経つ。だいぶコンビも板についてきたのではないか、と思っている。相変わらず“教育的指導”は受けているし、馬鹿だ猿だと罵られてはいるが、それはもう挨拶のようなものとして受け取るべきだろう。
絶対に誰にも負けないコンビになれる。一月前のスペル事件を解決した時に、そう確信した。趣味趣向、性格の不一致の問題はあれど、根の部分には同じものを持っているはずだと信じている。
しかしながら、まだ“本物のコンビ”にはなれていない、という自覚はあった。“本物”になるためには、「出来る相棒」だと認めさせる以外にない。
そのために、こうして自発的に行動を始めているのだ。
言われなければ何もしない奴だ、と思われたままでは癪に障る。
〈プレイヤーズ・ハイ〉は夜間のみ営業している店だが、ママ・ストロベリーは大抵昼間から店で待機している。今日もいるだろうか。
入り口の前に立つと、自動ドアは開いた。留守ではないようだ。
「ママ、いるか?」
エヴァンは声をかけながらドアをくぐった。が、足はそれ以上動かず、その場に張り付いてしまった。
ママ・ストロベリーはいた。巨きな背中をカウンターに押しつけられた格好で、首を絞められていた。
ドラッグクイーンの首を絞めていたのは、相棒だった。