TRACK-2 修復と綻び 1
ビジネス街の通りをやや奥に行くと、高級タワーマンションの集合地帯がある。ほとんどが五十階以上の高層マンションであり、数多くのセレブや芸能人が暮らしている。成り上がりを夢見る若いビジネスマンらにとっては憧れの的であり、この地帯のタワーマンションに住むことは、ステータスの一種と捉えられている。
レジーニが自宅マンションのエントランスホールを横切り、地下駐車場に向かっている時、入り口の自動ドアが開いた。
何気なくそちらを一瞥した。ホールに入ってきたのは相棒であった。
仮にも裏稼業者でありながら緊張感を微塵も感じさせない相棒は、パーカーのポケットに両手を入れたまま、ワークブーツをごとごと鳴らしながらこちらに歩み寄ってくる。
「何しに来た。用もないのにここへ来るなと、何度も言っているだろう」
突き放す言葉を投げると、エヴァンは不満もあらわに反論した。
「よく言うぜ。呼び出したのそっちだろ。急いで来いっつーから、店抜けさせてもらったんだぜ」
「呼び出しただと? 僕がか?」
そんな覚えはない。レジーニは訝しく思い、眉根を寄せた。
「メールくれたじゃん」
「本当に僕からのメールだったのか? 勘違いじゃないだろうな」
「あのな、馬鹿にしすぎだろ。俺だって、よく知ってる奴からの連絡を間違ったりするかよ」
「だが僕に覚えはない」
「じゃ、そっちが勘違いしてんだろ」
「馬鹿な。お前じゃあるまいし」
「テメー……」
エヴァンは一瞬頬を引きつらせた。その表情がすぐさま警戒の色に染まる。その理由はレジーニにも察しがついた。
二人は互いに合図を送ることなく、同時に反応した。エントランスホールの左右に分かれ、柱の影に身を隠す。
直後、天を砕く雷鳴の如き轟音が響き渡った。轟音とともに放たれたのは鉛の飛礫。何十発もの弾丸が、ホール内のありとあらゆるものに命中し、粉砕していく。
レジーニとエヴァンは柱の影に隠れたまま、頭をかばい身を縮めた。嵐のような弾丸は、彼らが潜む柱にも当たり、そのたびに強化コンクリートの欠片を散らせた。
やがて嵐はぴたりと止み、静けさが訪れた。いくつもの空薬莢が床に落ちたであろう、乾いた金属音が聴こえる。
「スケコマシメガネ! 生きとるか!」
訛りの強い言葉が静寂を破る。
「死んだんやったら返事せえ!」
レジーニは苦虫を噛み潰したような顔で眼鏡を押さえた。声を聴いた途端に頭痛が起きたのは、おそらく気のせいではない。
厄介な相手が現れた。非常に厄介な相手だ。
「ゴルァ! 聞いとんのかスケコマシ! 俺が返事せえゆうたら返事せんかい!」
向かいの柱に背を預けるエヴァンが、緋色の双眸をめいっぱい見開き、何かを訴えかけてくる。言葉に出さずとも、言いたいことはだいたい分かる。
『あいつ言ってることめちゃくちゃだぞ!』
そういう奴なんだ、という意味を込め、レジーニは渋い顔で頷いた。柱から身体の一部が出ないよう注意を払い、声を張り上げる。
「マキシマム・ゲルトー! どうしてお前がここにいる!?」
「生きとるんなら言わんかい! 久しぶりやなレジナルド・アンセルム、略してスケコマシメガネ!」
一文字も略されていない。
「俺がなんでここにおるか、やと? お仕事しに来とるに決まってんやろ!」
「お前の“仕事”は賞金稼ぎだろう! なぜ僕たちを狙う!」
ガシャン、とマガジンが装填される音がした。
「賞金稼ぎが狙う理由は一つやろが!」
再び襲い来る弾丸の嵐。コンビは反撃する隙を得られず、またもや身を丸めた。
此度の銃撃はすぐに収まった。レジーニはエヴァンと同じく柱にもたれ、慎重に相手の様子を伺った。
一見して十代の学生としか思えないほどの童顔と低身長。凶悪なことに、その容姿に不釣合いなサブマシンガンを抱えている。
間違いなくマキシマム・ゲルトー、マックスである。
彼は別のゾーンに属する賞金稼ぎの裏稼業者だ。ワーカーが所属外ゾーンで仕事を遂行することは、さほど珍しいものではない。マックスのような賞金稼ぎ業だと、狩る対象となる賞金首が大陸中に存在するので、フットワークの軽さが重要になる。つまり、すべてのゾーンの賞金稼ぎはどこに現れてもおかしくはない、ということになるのだが、レジーニが解せないのはその点ではない。
「マックス。僕らに懸賞金をかけたのは誰だ」
「そんなん教えられるかいアホ! それになスケコマシ、懸賞金がかけられてようがなかろうが、俺はお前に言いたいことが山ほどあんねん」
「『言いたいこと』ならマシンガン抜きで言え!」
エヴァンにしては珍しく、適切な意見である。
「なんや、お前が噂の相方か。ちょっと顔見せてみ」
マックスが軽い口調で言うものだからか、エヴァンは柱から少し顔を出すという、途方もない愚挙に出た。案の定顔を出した途端に発砲された。エヴァンが顔を引っ込めるのと、弾が柱の角をかすめて砕くのは紙一重のことだった。凶弾を逃れたエヴァンは、「危なかった」というような表情をしてみせるが、馬鹿の脳ミソなど吹き飛んでしまえと思うレジーニである。
「お前アホか! この状況でホンマに顔見せる奴がおるかい!」
「おちょくってんじゃねーぞテメー! 絶対ブッ飛ばすからな!」
怒りで頬を高潮させるエヴァンは、柱の影からマックスに対して中指を立てた。馬鹿同士で潰し合ってくれないだろうか。レジーニはそう願う。
「エライ残念な相方掴まされたなスケコマシ。ご愁傷さん」
「その残念な男に、僕を装ってメールを送り、呼び出したのはお前か」
「こんな簡単に引っかかるとは思わんかったけどな。相方変えるなら早い方がええんとちゃうか」
「それには同意するね」
「同意すんな!」
馬鹿の抗議は聞くに値しない。
「それで? マックス。ディーノはどうした。そっちの相棒は。今日は狩りに来たんじゃないのか」
マックスには、ディーノ・ディーゲンハルトという相棒がいる。賞金首を狩る時、彼らは二人で対象を追い詰める。だが、必ずしも二人そろって現れるというわけではない。
ディーノが目に見える範囲にいない場合、危険指数は最大レベルに跳ね上がる。
「ディーノは車でお留守番や。安心せえ。今日はただのご挨拶だけや。俺らがこの町におること覚えとけ。そんで、いつ命取られんのか、怯えながら過ごすこっちゃ!」
言い終わるや否や、三度目の嵐が起こった。銃声に紛れて、マックスの哄笑が聴こえてくる。相変わらずの銃火器狂ぶりである。
多少なりともマキシマム・ゲルトーの人となりを知るレジーニには、気が済むまで撃てば彼は立ち去るということを心得ている。このままじっとしてやり過ごせば、余計に戦う必要はない。
レジーニはエヴァンに「手を出すな」をいう合図を送った。
相棒はふてくされて唇を尖らせた。柱越しに、マックスがいるであろう方向を睨み、身体の向きをゆっくりと変える。
(あの馬鹿!)
銃声が止まった。エヴァンが動く。相棒の右腕が赤い金属に変わる。
「ナメんなこの野郎!」
「エヴァン、出るな!」
頭に血を昇らせた相棒が柱の影から躍り出るのと、レジーニが静止の声を上げるのは、ほぼ同時だった。
エヴァンが柱の影から出て行った刹那。
相棒の右半身が、強烈な衝撃を受けたかのように、大きくのけぞった。
背中から倒れた相棒は、左手で右腕を押え、苦痛に顔を歪める。
レジーニはジャケットの下に忍ばせていた銃を抜き、エヴァンの側に駆け寄る。
銃を構えたその先で、勝ち誇った笑みを浮かべるマックスは、悠々とこちらに背を向けた。
反撃は無駄だ、と、背中だけで警告している。マックスの余裕の根拠は、ディーノの存在だ。今マックスを撃とうとすれば、引き鉄に指をかけた瞬間に、こちらの命が奪われる。
レジーニが撃てないと分かりきっているマックスは、振り返ることなくエントランスホールを出て行った。
残されたレジーニは、忌々しげに舌打ちをし、銃をジャケット下のホルスターに納めた。
足元では、エヴァンが歯を食いしばり、痛みに耐えていた。右腕をかばい、よろめきつつも何とか立ち上がる相棒に、レジーニは手を貸さなかった。衝撃にくらべてダメージはあまり受けていない、と判断したからだ。
撃たれる瞬間、エヴァンの右腕は細胞装置が起動していた。そのおかげで、衝撃はあったものの、弾丸そのものは弾かれたようである。
「ちくしょう、撃ちやがったあのクソチビ! 腕が痺れてやがる」
「マックスじゃない。ディーノ・ディーゲンハルトだ」
「あ?」
「あいつの相棒は狙撃手だ。お前がただの一般人なら、その腕はとっくに使い物にならなくなっている」
「くそッ、見えてねえとこから攻撃するなんて卑怯だろ」
「狙撃手が遠方から狙うことのどこが卑怯だ。そもそもお前が考えなしに行動するのが悪い」
「俺のせいかよ!」
叫んだ途端、エヴァンは呻き声をもらした。負傷した右腕を掴む左腕に、ぐっと力がこもる。
撃たれた右腕を取り巻くように、細く薄い放電現象が起きている。マキニアンの身体に異常が発生した証拠であるノイズだ。
「レジーニ、あのチビを知ってんだろ。何者だ」
「マキシマム・ゲルトー。レムル・シティを中心としたゾーンに所属する賞金稼ぎだ。あいつとディーノとは、まあ、ちょっとした腐れ縁でね」
「こんなとこでマシンガンぶっ放しやがって。なんて奴だよ」
「マックスは極度の銃火器狂で、相棒のディーノは凄腕の狙撃手。あいつらに狙われるのはまずい」
性格はともかく、裏稼業者としての精度は高い二人組みである。腐れ縁とはいえ、これまで完全な敵対関係になったことはないが、メメントに劣らぬ脅威であることは間違いない。
「そもそも何しに来たんだ。あのチビが賞金稼ぎで、俺たちが賞金首なら、なんで本気でかかってこなかったんだよ」
「奴ら、というかマックスは、ああやって標的に圧力をかける主義なんだ。自分たちが狙っていると敢えて警告し、じわじわ追い詰めるのがマックスのやり方だ。というか、単に暴れる機会を増やしたいだけだと、僕は思う」
他のマンション住人が来なくて幸いだった。だが、これだけの騒動である、誰かが警察に通報している可能性は高い。ただちにこの場を離れ、且つ防犯カメラのメモリーに細工しなければ。
(それにしても、僕らが賞金首だと?)
マックスとディーノから狙われる理由は一つ。懸賞金がかけられた、すなわち賞金首になったからに他ならない。
(懸賞金をかけたのは誰だ)
仕事柄、どこで敵を作ってもおかしくないのは事実だ。しかし、メメントだけを相手にする〈異法者〉が、賞金首になることはほとんどない。
賞金稼ぎの口から依頼人の正体を知ることは不可能だ。こちらで調べるしかないだろう。
今後どう動くかを胸中で静かに決める傍ら、マキニアンの相棒は腕の状態を調べていた。
伸ばした右腕が、赤い金属に変形していく。通常ならものの一瞬で完了する変形が、数秒の時間を要した。ノイズは治まっていない。
「ちぇッ、ちょっと調子悪いな。次にあったら絶対にぶっ飛ばしてやる、チビスケ」
「調子が悪いのならアルに診てもらえ」
レジーニが何気なく言うと、エヴァンは眉を歪めて情けない顔つきになった。右腕を通常状態に戻し、居心地悪そうに身じろぎする。
「え、いや、大丈夫だってこのくらい。ほら、細胞装置動いてるし、別に怪我したわけじゃねーんだから」
「起動速度が低下しているだろうが。常に万全の状態を保つことが重要なんだぞ。マックスとディーノにロックオンされている今は、特にな。いざという時に細胞装置に支障が出て命取りになる、なんてのは御免だ」
「で、でも、アルだって忙しいんだしさ、仕事」
「帰ってからでも出来るだろう」
「でも、な、分かるだろ? ちょっと今デリケートな状態なんだって」
エヴァンがアルフォンセと顔を合わせたくない理由は分かっている。しかしながらその程度の問題は、この危機的状況と天秤にかけるレベルではない。
レジーニはぐずるエヴァンの頬を片手で掴み、ぐいと引き寄せ、小刻みに揺らした。
「いいか。この僕がやれと言ったことは必ずやれ。必ずだ。文句は認めない。分かったか新人?」
「……了解先輩」
ディーノ・ディーゲンハルトはスコープを通して、銃弾が確実に標的――相方に攻撃を仕掛けようとした青年の右肩に命中したこと、マックスが無事にこちらに戻って来ることを確認すると、構えていたライフルを車窓から下ろした。
あの血気盛んそうな青年が、これまで一匹狼を貫いてきたレジナルド・アンセルムの相棒か。意外な組み合わせのように、ディーノには思えた。
レジーニの相棒の右腕だが、急所は外してある。赤いグローブ状の防具を装着していたようだが、それでも相応の衝撃は受けたはずだ。当分使い物にならないだろう。それも仕方のないことだ。彼に恨みはないが、相方を守るための当然の処置である。
ディーノ自身には、レジーニとの因縁などはない。だが、これは”仕事”なのだ。こちらとて、いつ誰に狙われるのか知れたものではない。裏社会に身を置くもの同士は、常に”お互い様”なのである。
帰還した相方マックスを乗せ、ディーノは車を発進させた。
愛用のサブマシンガンをレジーニに向けることが出来、よほど爽快な気分なのか、マックスは上機嫌だった。
「スケコマシの奴、とんでもないポンコツを相方にしよった。あれはただのアホや。話にならんわ。あんなコンビ、俺らの敵やない」
「うん、なんかソリの合いそうにない組み合わせやね。せやけどマックス、俺らの仕事これでええの? ここれだけで?」
マックスは鬱陶しそうに片手をひらりと振る。
「ええんちゃうの。ほいほい言うこと聞いとったらええねや」
「そうか?」
「そうや」
「そうか」
マックスが納得しているなら、ディーノにこれ以上の意見はない。
賞金稼ぎの二人組みを乗せた電動車は、一路北へとひた走った。