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OUTRO

挿絵(By みてみん) 

 河から吹く風が、髪やコートを撫ぜていく。

 ネルスン運河に架かるエルマン・ブリッジを望める展望台で、愛車に寄りかかったまま電話をするレジーニは、瞼に触れる前髪を払った。

 いつものようにきっちりとセットしていない。

『それで、全部片付いたの?』

 電話の相手はママ・ストロベリーである。

「オブリールの身柄は、マックスたちが〈プレジデント〉に引き渡した。それからどうなったのかは、推して測るべし、かな。薬物を卸した業者も足がつくだろうし、奴らの計画に加担した連中が、芋蔓式に洗い出されるのは時間の問題だね」

『ま、自業自得だわよ。それよりも、アンタはどうなの。大丈夫?』

 レジーニは苦笑した。

「どうかな。正直なところ、よく分からない。でも、そうも言っていられなくてね。耳元でギャーギャー喚く野猿がいるから」

 今度はストロベリーが笑う番だった。

 会話が一旦途切れたところで、レジーニは咳払いした。

「ストロベリー、その……」

『なあに? 歯切れが悪いわね、珍しく』

「この前のことなんだけど、悪かったよ、手荒な真似をしてしまって」

 ラッズマイヤーに関する情報を、何が何でも手に入れたくて、ストロベリーに対して暴力を振るったことを、レジーニは激しく後悔していた。

『ああ……』

 労わるような優しい笑い声が、通話口から聴こえる。

『いいのよ、アンタの気持ちは分かってたから。ヴォルフやローも、分かってくれてるわよ。でも去年のアンタが逆上してたら、もっとひどいことしてたでしょうね。ちょっと丸くなったのは、誰かさんのおかげかしら』

「よしてくれ。どうしてこの僕が、あんな猿に影響されなけりゃならないんだ」

『あらアタシ、小猿ちゃんだなんて一言も言ってないわよ』

 レジーニは目を瞑る。してやられた。通話口の向こうでは、ストロベリーの愉快そうな笑い声が響いている。

『冗談よ冗談。でも、変わったわよ、本当に。今のアンタ、すごくいい男だわ。帰ってきたらハグさせてちょうだい。今日行くんでしょう?』

「ああ。ひとつ用事を済ませたらね」

 レジーニは、スーツの内ポケットに入れたチケットを取り出す。東エリアと北エリアを結ぶ、大陸横断リニアトランスコンティネンターの往復乗車チケットだ。

 初めてこのチケットを手にした時は、身を切る思いで代金を支払ったものだが、今では簡単に手に入ってしまう。かつてとの違いに、レジーニは自嘲気味に口の端を持ち上げた。

「一週間ほどになるかな。その間の〈異法者ペイガン〉の仕事は、あいつにどしどし押し付けてやってくれと、ヴォルフに言ってある」

『先輩様は怖いわねえ。こう言っちゃなんだけど、よく北に戻る気になったわね』

「どうしても会いに行かなくちゃならない人がいるんだ。もうこの世にはいないけど、せめて墓を」

『家族の?』

「いや。そっちは気が向いて、ついでがあればね」

『んまあ、不義理だこと』

「何とでも言え。それじゃあ」

 簡単に挨拶を交わし、電話を切った。

 手に取ったチケットを、じっと見つめる。

 本当なら、もっと前に行くべきだった。亡くなったと知った時、すぐにでも。

 けれど、振り返るのが怖かった。自分が辿って来た道を、見つめ直すのが怖かった。

 何より、薄暗い道を歩いてしまった姿を、彼に見せたくなかった。

 だが、今なら。

 今こそ、会いに行ける。彼が遺してくれた言葉の意味を理解できた今なら。

 彼がどこで眠っているのかは、もう調べがついている。墓石には、本名が刻まれているに違いない。やっと知ることが出来る。


        *


 エヴァンはすっと右手を差し出す。

 正面に立つディーノは、一瞬きょとんと目を丸くしたが、すぐに顔を綻ばせて、手を握り返した。

「お前らには、なんだかんだで世話になったよな」

「いいえー、お互い様やし」

 人当たりのいいディーノは、しっかりと握手をした後、ぐるりと首を巡らせた。

 少し離れた所で、小柄な人物がこちらに背を向け立っている。  

「ほら、マー君も挨拶せな」

 マー君ことマックスは、肩越しにちらりと振り返り、また前を向いた。

「もー、意地っ張りやなあ」

 ディーノは、やれやれとばかりに苦笑いする。

 エヴァンはマックスに近づき、ディーノと同じように右手を差し出した。

「照れ臭えのはお互い様だ。けど、一応、な」

 マックスは、エヴァンを一瞥した。

「なんかさ、お前らには色々と教えられた気がするよ。だから、まあ、その、ありがとな」

 照れながらも礼を述べると、マックスは複雑そうな表情で、エヴァンの顔と差し出された右手を見比べた。

 それから、渋々、といった様子で右手を出した。そのまま握り返すかと思いきや、

「殊勝なこっちゃけどな、こっちは馴れ合う気ィはないねんで」

 パシン、と掌を叩いて払った。

「おいコラ、チワワ。男がせっかく和解の握手をしようとだな」

「和解なんぞいらんねんドアホ。青臭いことしよって、アホらし」

 言い放ったマックスは、路肩に停めてある電動車まで、すたすた歩いて行った。

「アトランヴィルくんだりまでわざわざ出張ってきたっちゅーのに、こんな面倒くさいぺーぺーの世話焼くハメになるとは思わんかったわ。おかげでエラい手間がかかったで」

 などと、大声で悪態をつきながら、マックスは助手席に乗り込んだ。

「あいつも全然可愛げが無え」

 払われた右手を振り振り、舌打ちするエヴァン。ディーノは笑いながら、その肩をぽんぽんと叩いた。

「勘弁したって。あれでも素直な方やねん。マックス、気に入らん相手には触りもせえへんから」

「まあ、あいつらしいけどな」

 マックスが車に乗り込んでしまったので、エヴァンはディーノに別れの挨拶をした。

「お前ら、これからどうするんだ?」

「アトランヴィルでのお仕事はもう済んだから、このまま俺らのゾーンに帰るわ。報酬もたんまり入るよって、ちょこっと休暇もらおかーって、話しうてるとこ。マー君がここで仲良うしとったおねえちゃん方、みんなメガネさんに鞍替えしてもうたから、新しいおねえちゃん漁りに行く言うて、はりきっとるわ」

「まさか、あいつがレジーニを目の仇にしてたのって、女関係のせいかよ? レジーニ、たしかにモテるけど、自分からモーションかけたりなんて滅多にねえぞ。逆恨みじゃねえか」

「そやねん。けど、男の沽券に関わるっちゅーやつらしいわ」

 二人が立ち話を続けていると、電動車から、マックスの苛々した声が飛んできた。

「ディーノ、早よ行こや!」

「おっと、お呼びやわ。ほな相方君、俺らこれで」

「ああ」

「ひょっとしたら、近いうちにまたこっち来るかもわからん。そん時は仲良うしたって」

「仕事か?」

「実はな、御大に『うちのゾーンのワーカーにならんか』ってスカウトされててん。今回この仕事が俺らに回ってきたのも、実力確かめるためとちゃうやろかと思うねん。ちゅーわけで、またいずれ」

 そう言って、ディーノはエヴァンに手を振り、マックスの待つ電動車に乗り込んだ。

 走り去っていく電動車の後ろ姿を、エヴァンは見えなくなるまで見送った。

 そうしながら、彼らがアトランヴィルの裏稼業者バックワーカーになった時のことを考える。

 業種は違うが、何かと縁がありそうな気がした。時々は顔を合わせることもあるはずだ。

きっと、悪態合戦が恒例になるに違いないだろう。

 それも悪くない。


        *


 小高い丘の上に、墓石が整然と並んでいる。

 丘の中腹にある一基の墓石を目指して、ミカエルは一人、小道を登って行った。

 一人では危ないのではないか、と友人でもあるマネージャーがついて来ようとしていたが、ミカエルは大丈夫だからと、やんわり断った。

 先日、知らぬ番号から、ミカエルに直接電話が掛かってきた。話があるから墓地に来てほしい、と言うのだ。

 電話の主は名乗らなかった。不審に思ったミカエルだったが、警察への連絡は避けた。

 理由は二つある。一つは、相手がミカエルの名前を知っていたこと。これは、ミカエルの表の顔・・・ではなく、ミカエル自身に用がある、ということだ。

 もう一つの理由は、呼び出した場所である。指定された墓地には、ミカエルにとって大切な人が眠っているのだ。

 マネージャーは、ストーカーやパパラッチの可能性を恐れたが、ミカエルはその二つの理由から、呼び出しに応じることを決めた。自分の立場を考えれば、マネージャーの危惧は当然だが、ミカエルの決意は変わらなかった。

 マネージャーはSPとともに、丘の麓に停めた電動車で待機している。何かあれば、すぐに駆けつけられる。

 小道を登り、目的の墓が見えてきた。

 墓前には、仕立てのよいコートを着た、背の高い人物が立っていた。その足元の墓石に、太陽の雫のような色鮮やかな向日葵が、幾本も捧げられていた。ハウス栽培で育った花だろうか。この時期にわざわざ向日葵を選ぶのだから、強い想いが込められているのだろう。ミカエルはそう感じた。

 向日葵を見るといつも、この墓で眠る人のことを思い出す。

 ミカエルの訪れに気づいたその人物が、こちらを振り返った。黒髪に碧の瞳を持つ、眼鏡をかけた美形の男である。

「俺を呼び出したのは、君か?」

 問いかけに、男は頷いた。

「急なお呼び立てに応じてくださり、ありがとうございます。ですが、よく来てくださる気になりましたね」

「呼び出した側がそれを言うかい? どうやって俺のプライベート番号を知ったのかは分からないが、君が用があるのはクライヴ・ストームではなく、ミカエル・イルマリアなんだろう?」

 クライヴ・ストーム。それが、ミカエルの表の名である。今やクライヴ・ストームの名は、トップミュージシャンとして大陸全土に知れ渡っている。

「君は誰だ。なんだってこんな場所に?」

 ミカエルは探るように、目の前の男を見つめた。彼は秀麗な碧眼を伏せ、じっと墓石を見つめている。

「用件はこれです」

 彼はコートの内側から、小さなメモリーチップを取り出すと、ミカエルに差し出した。

「これは?」

 受け取りながら、ミカエルは尋ねる。

「ルシアが遺した最後の音源です。あなたにお返しします」

「ルシアの?」

 ミカエルは思わず目を見開いた。渡されたチップと男、そして墓石へと視線を移す。

「君は、妹の……」

 この男が何故、八年前に死んだ妹の墓前に呼び出したのか。兄であるミカエルと同じく、ミュージシャンを志していた彼女の音源を持っているのか。それはもう、訊く必要はない。

「僕だけが持っていても仕方がありません。彼女の音は、もっと大勢の聴衆に聴かれるべきで、彼女もそれを望んでいた。ですから、あなたに」

「いいのか?」

「託せる相手があなたの他にいますか? ただ、もしも曲を世に出すのであれば、一つだけ約束してほしいことがあります」

「それは?」

「決してルシアの名前を出さないでください。あなたの曲として発表してください。本当なら、彼女自身の実力で世に出るべきものだった。それを、クライヴ・ストームの亡き妹が遺した音源、などと、マスコミなどに美談として面白おかしく祀り上げられたくはない。そんな形で、世間に名を広められたくないのです」

 男の気持ちは痛いほど分かる。妹には才能があった。彼女はきっと、自分の力で成功を掴むことが出来たはずだ。なのに、こんなお涙頂戴なエピソードを添えられて名が知れるのは、おそらく不本意だろう。ミカエル自身も、それは望むものではない。

「分かった。約束しよう」

 メモリーチップを握り締め、力強く頷く。ミカエルの応えに満足したのか、男は堅かった表情を緩めた。

「では、僕はこれで」

 男は軽く会釈すると、ミカエルの脇を通り過ぎた。足早に去ろうとする男を、ミカエルは慌てて呼び止める。

「待ってくれ、君の名前は?」

 男は立ち止まり、振り返る。

「また会えるか? 君とは、ちゃんと話がしたい」

 しかし男は、ゆっくりと首を横に振った。

「もう会うことはありませんよ。二度とね」

 名乗ることなく再び歩き出した彼は、もう振り返らなかった。丘を降りていく彼を、ミカエルはじっと見つめ続けた。


 しばらくして、ミカエルも丘の墓地を後にする。

 今日は風が暖かい。冬は終わったのだ。

 先日降った雪が、ほんの少しだが、まだ道端に残っている。

 だがそれも、やがて溶けるだろう。


 雪が溶ければ、春がやって来る。


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