TRACK-6 北風と太陽 2
軽く構えて、相棒と距離をとった。
改めてレジーニの様子を見る。いつものように眼鏡はかけていない。そもそも視力は悪くなかったのだ。手にはブリゼバルトゥ、腰に銃。相手が武装しているということは、オートストッパーの制限がかからないことを意味する。レジーニに対して細胞装置を使いたくはないが、そうも言っていられないようだ。
レジーニの表情が、険悪なものに変わった。同時に、ブリゼバルトゥの刀身の輝きが増す。
「邪魔を……」
ブリゼバルトゥが、下から上に向かって、アンダースローのように振り上げられる。
「するなァァァッ!」
床を抉りながら振り上がった剣から、氷礫の突風が巻き起こる。冷気の刃となった風が、エヴァンを襲う。
瞬時の反応で〈イフリート〉を起動させたエヴァンは、真紅のグローブに変形した腕を、前に向けてかざした。具象装置が発動し、高熱を纏う。刹那、エヴァンに襲いかかった氷礫は、熱に溶かされ、たちまち蒸発した。エヴァンを通り越した冷気は、背後の設置物を破壊し、壁に亀裂を生じさせた。
もうもうと立ち込める湯気が、薄いカーテンのように視界をぼやけさせる。そのカーテンの中で、蒼い光が閃いた。
湯気を斬り払って振り下ろされた冷気の剣を、左腕で受け止める。金属と金属のぶつかり合う高い音が、鼓膜に響く。
エヴァンはブリゼバルトゥを横に払いながら、右ストレートを繰り出した。レジーニは軽く身を捻ってそれをかわすと、今度は胴体を狙ってブリゼバルトゥを振った。
エヴァンはバックステップで切っ先を避ける。が、剣先がわずかにパーカーを裂いた。
(くそ、本気なのか……!)
レジーニが手を抜いている気配はない。エヴァンがマキニアンであることを熟知していながら、武装を解かないことからも分かったことではあるが、レジーニは本気でエヴァンを倒しに掛かって来ている。
思えば、レジーニと本気で戦り合うのは、これが初めてだ。エヴァンは強化戦闘員であり、レジーニは肉体こそ鍛えられているが、普通の人間である。一見するとエヴァンの方に分があるようだが、レジーニは決して油断してはならない相手だ。
しかし、
(武器があっちゃ意味がねえんだよ)
どうにかしてブリゼバルトゥを捨てさせなければならない。武器を無くして、それからが、エヴァンの考える本番なのだ。
距離を取り、向かい合ったエヴァンとレジーニは、互いに向き合うと、
同時に動いた。
四方八方から斬りかかってくるブリゼバルトゥを、イフリートで受け、回避し、反撃を行う。紅い拳は届く寸前で避けられ、すかさず剣撃が繰り出されては、こちらもそれをかわす。
両者は一歩も譲らない。エヴァンがスピードを上げ、手数で圧倒しようと試みれば、レジーニは先の動きを読んで対抗してくる。レジーニが一撃一撃、確実に仕留めようと攻撃を仕掛ければ、エヴァンは柔軟な動作とナノギアを駆使して応戦する。
イフリートとブリゼバルトゥが衝突するたびに、紅い火の粉と氷の結晶が飛び、宙に散った。
レジーニがブリゼバルトゥを構え直した一瞬、エヴァンはハンドワイヤーを伸ばして、機械剣を絡め取った。
そのままレジーニの手中からブリゼバルトゥを奪うと、一本釣りのように振り上げ、部屋の隅に向かって放った。
冷気を纏ったクロセストは、横に回転しながら滑っていった。
「武器は無しだ。素手で勝負しようぜ」
エヴァンはイフリートを解除し、ファイティングポーズをとる。
レジーニは、転がったブリゼバルトゥからエヴァンに視線を移した。瞳はやはり虚ろである。が、幾分かは生気の光が宿り始めているように思えた。息こそ乱れていないものの、肌には赤みが差している。
こちら側に戻ってきている。エヴァンはそう確信した。
もう少しだ。もう少しで、氷が砕けるはずだ。
レジーニはしばし、静かにエヴァンを睨んだ後、徐にホルスターから銃を引き抜き、横に投げた。銃は重そうな音を立てて床に落ち、一メートルほど滑った。
イフリートのシステムが、オートストッパーにより機能停止するのを、エヴァンは感じ取った。レジーニは確実に武装を解いている。武器を隠し持っている様子はない。
ここからが本戦だ。
ナノギアが停止している状態のエヴァンの実力は、マキニアンとして強化されなかった場合に備わっていたであろう程度まで制限される。つまり、ごく普通の肉体で鍛えられた場合の戦闘能力だ。言うなれば“真に純粋なる実力”である。
この“真に純粋なる実力”で、果たしてどこまでレジーニに対抗できるだろうか。
だが、絶対に負けるわけにはいかない。氷を砕くには、勝たなければならないのだ。
そして、氷を砕くのは武器ではなく、この手でなければならない。
(俺に出来るのは、このくらいだからな)
小難しいことを考えるのは性に合わない。あれこれ策を練ることも出来ない。
出来るのは、真正面からぶつかっていくことだけ。
レジーニが両腕を上げ、ゆっくりと構えた。
エヴァンとレジーニ。互いに間合いを計りながら、少しずつ距離を詰めていく。
呼吸のタイミングが重なった瞬間、仕掛けた。
ロー、ミドル、ハイ、三段階のキックを互いで止める。すかさずエヴァンは回し蹴り、それをレジーニは腕で止めた。そのままエヴァンの足を掴むと、勢いをつけて捻る。宙で一回転するエヴァンは、両腕をついて地面への激突を防ぎ、掴まれていない方の足で、レジーニの頭を狙った。レジーニは上体をのけぞらせて一蹴を避ける。
体勢を戻したエヴァンは拳を繰り出した。レジーニも応戦する。
四つの拳が、瞬きを許さぬスピードで交わる。突き出された一打を受け止め、あるいは払い、防御の隙をついて反撃に出る。
レジーニが再びエヴァンの腕を掴んだ。手前に引き、よろけたエヴァンの脇腹に、鋭い蹴りを見舞う。続いて腿、三撃目に足首を掬い上げた。
地面に叩きつけられる寸前、受身を取ったエヴァンは、両足を振ってレジーニの足を払った。
足を掬い上げられたレジーニは、側転でダメージを軽減。エヴァンはその隙に体勢を整えた。
「ほら、来いよ。俺まだ全然余裕だぜ」
エヴァンは手招きして挑発する。レジーニは挑発には乗らなかったが、眉根を寄せ、顔をしかめた。
「なぜお前はいつも、つまらないことで俺の手を煩わせるんだ。話は聞かない、言うことも聞かない、学習は遅い。野生の小猿の方が、もっと利口だ」
「ああそうだよ、俺はバカですよ。けど今のお前は、俺よりずっとずっとバカだからな。そこんとこ理解しろよ」
「お前と組んで……」
レジーニが腰を落として構える。来る、と感じたエヴァンは、直ちに迎撃態勢をとった。
「後悔してるよ!」
怒りの言葉とともに、レジーニの攻撃ラッシュが始まった。
更にスピードを上げ、途切れなく攻めてくるレジーニを、エヴァンも同じ速さで応える。
エヴァンがそのスピードを超えようとすると、レジーニもまた速度を上げた。
力は拮抗していた。
ほぼ同じ能力で渡り合う二人、一瞬でも気を抜いた方が敗北する。一挙手一投足を、一秒ごとの変化を、一時でも見逃すことは出来ない。
「俺と組んで後悔してるって? 一人じゃ寂しいくせに意地張んなよ!」
「黙れ! 一人でも充分だったんだ!」
「嘘つけこのムッツリ!」
「誰がムッツリだバカ猿!」
レジーニの足底が、エヴァンの胸板を蹴りつける。後方に倒れかけたエヴァンだが、何とか踏みとどまった。
「一人でやっていけるようなことなんてねえんだ、レジーニ。いつだって誰かが支えてくれてんだよ。自分で気づかなくても、忘れちまってても、お前の側には誰かがいてくれてただろ」
レジーニの顔が、痛みをこらえるように歪む。
「知ったような口を利くな。お前に何が分かる!」
再び蹴りの一撃。鞭のような強烈な蹴りが、エヴァンの胴に炸裂した。
「分かるわけねえだろ……ッ、何も話してくれねえじゃんか!」
体勢を戻す隙に、エヴァンはレジーニの懐に入り、肘を見舞った。
「お前が話してくれなきゃ、知りたくても知りようがねえじゃねえか!」
「猿なんかに理解されたくない! もういい加減放っておいてくれ、うんざりなんだ!」
「ほっとけるか! このクソッタレのムッツリメガネが!」
組み合ったエヴァンとレジーニ。同じ力がぶつかり合う。エヴァンはほんのわずかな攻撃チャンスを見逃さなかった。すかさずレジーニの襟首に腕を回す。
レジーニの身体が、エヴァンを超えて持ち上がる。エヴァンの雄叫びとともに、そのままもつれ合うように倒れこんだ。
投げ技を決めたエヴァンは、足元をふらつかせながら立ち上がる。地面に叩きつけられたレジーニは、まだ立てずにいた。片手をつき、どうにか立とうとはしている。
エヴァンは相棒に歩み寄り、手を差し出そうとした。が、その時。動けないと思っていたレジーニが、立ち上がりざまに回し蹴りをしてきた。とっさに後退して回避するエヴァン。その隙にレジーニは素早く後転し、エヴァンとの距離を開けた。
彼の足元には、先ほど捨てた銃が転がっていた。レジーニは銃を拾い、エヴァンに狙いを定めた。
「おい、武器は無しっつっただろ!」
レジーニを批難するように、エヴァンは目尻を吊り上げた。
嫌な感じがする。レジーニは、素手での対決では分が悪いと判断したからといって、武器に頼るような男ではない。だとするならば――。
生気が戻りつつあった碧の目が、また少しずつ曇り始めている。
エヴァンは深呼吸し、一歩レジーニに近づいた。
安全装置が外れる。銃口が心臓を狙っている。
「言ったはずだぜ。この先に行きたけりゃ、俺と戦えってな。つまり俺を倒せば、望みどおり、この先へラッズマイヤーを追っていけるってことだ」
一歩一歩、ゆっくりと歩み寄っていく。
レジーニは、エヴァンが近づきつつあっても、後ずさりしなかった。その代わり、銃を降ろしもしない。
「分かってるだろうけど、俺は撃たれても、負けてない限りはここをどかねえぞ。負けたとしても、お前の足にしがみついてやる。俺は絶対に、お前を先には行かせない。どうしても行きたいなら、俺を殺すしかないな」
レジーニとの距離が、目と鼻の先にまで縮まる。エヴァンは自分から、とん、と銃口に胸を押しつけた。この状態で引き金を引かれれば、弾は確実に心臓を貫通する。即死である。
「ラッズマイヤーを殺したいなら、まず俺を撃てよ」
感情を消した緑の目が、エヴァンに突き刺さる。
エヴァンは少し間を空け、レジーニに撃つつもりがないのを確かめながら、言葉を続けた。
「レジーニ、何度でも言う。この先には行くな。復讐なんてやめちまえ。あいつを殺したって、それでお前は救われんのかよ。ルシアの仇? お前自身の恨みを晴らすため? 本当はそんなんじゃないんだろ」
レジーニは答えない。
「お前が探すべきなのは、仇でも、死に場所でもない。お前の欲しいものが、こんな所にあるわけない。でも、俺は知ってる。お前も知ってるはずだ。そうだろ?」
エヴァンは言葉を切り、右手を差し出した。目線はレジーニから離さない。
「帰ろ。な?」
無理やり銃を奪うことはせず、エヴァンは辛抱強く待った。
やがてレジーニは目を伏せ、銃を持つ腕を引いた。そして手の中で銃をくるりと回転させ、銃身を握ってグリップをエヴァンに向ける。
エヴァンは安堵の溜め息を漏らした。武装を解く、という意思の表れだ。
ほっとして、差し出されたグリップを握り、安全装置を起こそうと指をかける。
その瞬間。
レジーニは空いていた左手でエヴァンの手を掴み、安全装置を起こそうとする指を、引き金に掛けさせた。
「お前……、何してんだよ!」
慌てたエヴァンは、銃を離そうとするも、レジーニに固定されて出来なかった。
エヴァンに握らせた銃に、レジーニは自身の心臓を押し当てる。
「撃てよ」
虚無に浸かる目で、エヴァンを見つめる。
「俺を殺せ」




