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TRACK-5 屑星恋歌 3

 具体的に目的地が決まっていたわけではない。

 ただひたすら、アイデンから遠く遠く離れたかっただけだ。

 更に言うなら、北エリアそのものから脱出したかった。

 北エリアを出て、どこへ向かえばいいものか。考えた時に、真っ先に頭に思い浮かんだのは、東エリアだ。

 なぜ東なのか。そこに大した理由はない。東エリアは北に比べれば面積は狭いが、代表都市アトランヴィル・シティと周辺都市の人口密度は、北エリア各都市のそれよりも高い。

 東西南北、全エリアにおいて、もっとも名の知られた大都市地帯である。

 それほど人が多くいるのなら、犯罪者一家の遺児一人くらい、片隅で息をしていたとしても、さほど気にかけられることもないだろう。

 

 ――東へ……。


 夜行リニアに乗って、東側の領域境エリアボーダーの町に向かう。そこからは大陸横断リニアトランスコンティネンターに乗り、約二日かけてエリア間を移動する。

 大陸横断リニアトランスコンティネンターの乗車チケットは、スカイリニアよりもずっと高い。なけなしの貯金をはたく必要があった。チケットを購入したら、本当に有り金が底を尽きてしまう。

 しかし躊躇はなかった。乗車チケットを買い、初めて大陸横断リニアトランスコンティネンターに乗る。状況が違えば、小学生のように胸を躍らせていたことだろうに。

 やむにやまれぬ事情で乗車することになろうとは、夢にも思わなかった。



 エリアの外には、手付かずの広大な自然が広がっている。観光名所になっている場所も多くあり、それらは政府サンクシオンの環境省が直接管理している。

 荒涼とした大地を、高速で貫き走る大陸横断リニアトランスコンティネンターに揺られ、二日目の日暮れ前に東エリアに到着した。


 さすがに大陸随一の大都市とあって、その喧騒たるや、アイデンの比ではない。町は虹色のネオンに彩られ、昼間以上に輝いている。交通量も倍以上はあるだろうか。

 ビルとビルの間を走るスカイリニアの高架線路エアレイルも、まるで蜘蛛の巣のように、縦横無尽に敷かれている。

 行き交う人々はみな足早で、注意していないと肩をぶつけそうだった。

 想像以上の賑わいに、思わずすくみ上がる。一応は都会育ちだが、ここと比べれば、アイデンの規模は大したことはないように感じた。

 しかもこの町は、東エリアの入り口に過ぎないのだ。目指すアトランヴィルは、まだまだ先なのである。


 荷物を抱え、新天地でうろうろしている十代の少年は、さぞやいいカモに見えただろう。前方から三人の若い男が真っ直ぐに歩いてきて、肩をぶつけてきた。

 瞬間、嫌な予感がした。明らかにわざとである。

 見るからに柄の悪い三人は、高圧的な態度で因縁をつけてきた。逃げようとしたものの、襟をしっかりと掴まれて、それは叶わなかった。

 そのまま、人通りの少ない路地裏に引きずり込まれ、壁際に追い込まれる。

 三人の目的は、案の定金だった。たかが肩を、それも自分からぶつかってきておきながら、治療費をよこせとはどういう了見なのか。

 なぜこういう連中は、どこへ行っても生息しているのだろう。

 わずかに残った金を奪われてなるものかと、必死で抵抗した。身体中を殴られ蹴られ、それでも抗い、逃亡を試みた。

 助けを請うても、誰も見向きもしない。厄介事に好んで首を突っ込む者など、いるはずがなかった。警察が通りかからないかと思ったが、それは塵にも等しい期待だった。


 誰も助けてくれない。誰も守ってくれない。もう誰も目に掛けてくれない。


 失望は、眠っていた反骨精神を呼び起こし、得体の知れない力を湧き上がらせる。

 気が付けば拳を振り上げ、男の一人の鼻っ面を殴りつけていた。

 殴った男の鼻から、赤い筋が流れ落ちる。怒りで顔面を朱に染め、殺気を纏って襲いかかってきた。

 全力で走って逃げた。往来をめちゃくちゃに駆け抜けた。振り返らず、体力の続く限り走った。

 息が切れ、これ以上は心臓が破れてしまうというほどになって、やっと足を止めた。

 人気ひとけのない、飲食街の細道だ。建物の壁に寄りかかり、息を整えながら右手をさすった。

 学校で起こした喧嘩とは、どこか違う生々しさを感じていた。相手の鼻を潰した時の感触がまだ残っている気がして、何度も服にこすりつけた。

 よく見れば、皮がすりむけて血が滲んでいる。口の端も切れていて、鉄の味がした。頬も痛い。

 身体が震えてくる。自分で自分を抱き、震えを抑えようとその場にうずくまった。


「ちくしょう……、ちくしょう……」


 呟く声が、誰かの耳に届くことはない。町の喧騒にかき消されるだけだ。そのうち自分の存在も消えていくのかもしれない。

 動く気力の起きないまま、じっと身体を丸めていた。

 と、ふいに頭上から女の声がした。

「あなた、どうしたの?」

 顔を上げると、きっちりと化粧を施した女が、不思議そうにこちらを覗きこんでいた。

 二十代の半ばくらいだろうか。上質のコートを羽織り、エナメルのブランドバッグを腕にかけ、ヒールの高いブーツを履いていた。近づかなくても分かるほどに、香りの強いコロンを纏っている。水商売の女だと思われた。

「怪我してるじゃない」

 女は顔をしかめ、顔に触れてきた。反射的に身を引く。

「病院に行ける? ついて行ってあげましょうか?」

「いえ、結構です」

 病院で治療を受けるほど、金銭に余裕はない。

「化膿したら大変よ、そんな綺麗な顔してるのに」

「そんなのどうでも……」

「お金がないの?」

 痛いところを突かれ、黙ってしまった。すると彼女は、そっと腕を取って立ち上がらせ、

「しょうがないわね、来なさい」

 やや強引に歩き始めた。

 その有無を言わさない態度と、拒むほどの体力が残っていなかったのとで、仕方なくついていった。

 

 着いた先は、女のアパートだった。閑散とした通りの一角に建つ、家賃の安そうな古いアパートの五階である。

 ティナと名乗った彼女は、部屋に入るなり、「臭うから」と、問答無用でシャワーを浴びるように指示してきた。ここはおとなしく従うべきと判断し、口答えはしなかった。

 久しぶりに湯を浴びることが出来たのは、素直に嬉しいことだ。

部屋に戻ると、彼女はてきぱきと手当てをしてくれた。動きが手馴れている。

 もごもごと不明瞭な声で礼を言うと、ティナは照れくさそうに、いいのよと答えた。

「あなた、ひょっとして家出してるの?」

「はあ、まあ」

「ふうん」

 彼女は興味なさそうに頷いただけで、事情を聞こうとはしなかった。

 そのうち彼女もシャワーを浴びに、バスルームに消えた。その間に出て行こうかと考えたが、腰が重くて動けなかった。一息ついて緊張の糸が切れたのだろう。安全な場所から、また冷たい外に出て行くのが、とても億劫になってしまったのだ。

 これはよくない。そう思い直した時、彼女が戻ってきた。温まって薄紅に色づいた肌を部屋着に通し、乾かした長い髪をかき上げる姿が、やけになまめかしく目に移る。

 思わず顔をそむけた。鼓動が速まり、頬が熱を帯びるのが分かった。

「どうかした?」

「いえ、別に」

 ティナは面白がるように微笑み、隣に座った。湯上りの香りが漂ってきて鼻をくすぐる。頭がくらくらした。

 化粧を落したティナは、さっぱりとした顔立ちになっていた。隙なくメイクアップした時よりも、こちらの方が綺麗だと思った。

「あなた、これから行くところあるの?」

 首を横に振ると、ティナは、やっぱりねと頷いた。

「あなたみたいに家出してきた未成年、たくさん見てきたわ。男女問わずね。こういう大きな街では、ぜんぜん珍しくないのよ。そういう子たちの大半は、まともな職に就けることなく、薄暗い世界で生きていくことになるの。悪いけど、あなたもきっとそうなるわ。見れば分かる」

「本当に? 適当なこと言わないでくださいよ」

「あなた、育ちがいいでしょ? そして世の中を知らない。勉強は出来そうね。でも、勉強が出来るだけでは生き抜いていけないわよ。どこまでの覚悟をもって家出したの?」

「どこまでって」

 そこまで考えたことはない。

「世間は家出人に対して厳しいわよ。身元が不安定な相手を雇うような、気前のいい働き口なんてそうそうない。そうなると、自然と足が向くのは裏社会。あちら・・・は、働き手をいくらでも欲しがってるからね」

「あなたは、どうしてそんなことを」

 水商売人の全員が、裏社会に詳しいとは限らない。だがティナは、勝手知ったる風にすらすらと言葉を連ねる。

「あたしも家出娘だったのよ。十六の時にこの街に流れ着いた。で、見ての通り、今では立派なショーガール。あたしのもう一つの仕事は、裏の働き手を捜し出すこと。今までに何人も送り出してきたわ。これでも見る目はあるのよ」

「僕に、裏の仕事をやれって言うんですか」

「あなたには、もうその道しかないと思う。堅気の世界じゃもうやっていけない。そんな目つきだわ。断言してもいい」

 ティナはなだめるような柔らかな表情で、話を続けた。

「ここであたしが誘わなくても、いずれ同じ道を辿るでしょうね。嫌ならいいのよ、強制じゃないから。今晩は泊めてあげるから、明日の朝、出て行ってちょうだい」

 自分で連れ込んでおきながら勝手な言い分だ。しかし、すべて裏の働き手を捜すスカウトとしての行動だったのだと考えれば、納得のいくことではある。

 堅気の世界ではやっていけない。ティナの言葉が、頭の中でぐるぐる巡る。自分でもそんな気がしていたから、余計に動揺した。

 ひょっとしたら、まだやり直せるチャンスがあるかもしれない。そんな思いを捨てきれずにいたが、人間の醜さの数々を目にしてしまった以上、善人の皮を被った連中の中で生きていくことなど出来なかった。

 優しくしてくれたのは、世の中から捨てられ、あるいは世の中を捨てた、地下の人々だけだ。

 教会で忠告してくれたあの人の姿が脳裏に浮かび、胸が締めつけられる。

 

 ――ごめん。


 謝ってもどうにもならないことだが、謝らずにはいられなかった。

 

 ――ごめん。こんな風になって、ごめん。


「仕事って、何をすればいいんですか」

「初心者は簡単な“お使い”からまかされるわ。徐々に場数を踏んでいけば、もう少し踏み込んだ仕事を割り振られるようになる」

「僕は、アトランヴィルに行きたいんです」

「だったら、行く先々で仕事をもらいながら、アトランヴィルに行けばいいわ。そのくらいの融通は利くわよ。それに、アトランヴィルなら、裏の仕事に事欠かないわ」

「そうですか……」

「やる?」

 あとには引けない。もう手遅れだ。

 引きとめようとする何かを振り切るように、重々しく頷いた。

 ティナはにこりと微笑み、ひたりと身体を寄せてきた。彼女の温かな肌が腕に触れる。

「年はいくつ?」

 地下暮らしの間に、誕生日を迎えた。

「十五です」

「あなたなら、放っておいても面倒を見たがる女が絶えなさそうね」

「そう、でしょうか」

 ティナとの距離が徐々に縮まり、吐息が頬にかかるほど近くなった。

「経験、ある?」

「なんの、ですか」

 ティナの艶やかな肢体が、ゆっくりとのしかかってきた。いつの間にか仰向けに倒され、彼女の長い髪が顔に降りかかる。大きく開いた襟ぐりから、肌色の谷間が垣間見えた。

「あの……」

「黙って。あたしにまかせて」

 耳に甘い声色で囁かれ、ふっくらとした唇で口を塞がれた。



 思えばそれは、一種の“儀式”だったのだ。

 踏み入れてはならない世界へ踏み入るための、肉体をとす儀式にすぎない。

 ティナは親切で優しかったが、そこに何らかの感情が伴っていたわけではない。彼女は彼女が生き抜くために、必要な役割を果たしただけだ。

 あるいは単純な気まぐれだったのだろうか。 

どちらにしろ、それでいい。

 もしも彼女が、哀れみだの同情だのを抱いて肌を重ねてきたのであったなら。

 あまりの惨めさに、生きることを放棄したかもしれない。 


        *


 お使い、というのは、要するに運び屋のことだった。

 主に、身一つで持ち運べるもの――銃一挺、薬物、極秘のデータ、伝言――を、相手に届けるだけの仕事だ。

 一見簡単だが、こういった仕事を任される下っ端は、警察や敵対グループから真っ先に目をつけられる立場にある。故に、逮捕者はもちろん、敵対グループに捕まり、消される者が後を絶たない。だから、働き手は多いに越したことはない、というのだ。


 ――生き抜いてやる。


 どれほど下っ端扱いされてもいい。どんな仕事を押し付けられても構わない。自ら堕ちることを選んだのだ、どんなことがあっても生き延びてみせる。

 


 ティナの計らいで、旅の行く先々で“仕事”を請けられるようになった。

 裏の仕事は、堅気の世界よりも実入りがいい。一つ所で働いてから、しばらくして移動し、次の街でまた稼ぐ。

 繰り返すうちに裏仕事にも慣れ、自分なりに要領を掴み、確実にこなせるようになっていった。

 身を守るために、見よう見真似でストリートファイトを覚えた。もう二度と屈辱を味わいたくない一心で、必死に戦い方を習得した。身体を鍛えることは仕事にも役立ち、警官や敵対グループからの追跡からも、やすやすと逃れられるようになった。

 仕事の成功率が上がれば、信頼を得られるので報酬も増す。生活に必要最低限の出費しかしないので、金は貯まる一方だった。

 いつの間にか口座ウォレットには、これまでに見たこともない数字が記されていて、少し困惑したほどだ。

 報酬が入り、携帯端末エレフォン口座ウォレットを確認し、充分すぎるほどの財を手にいれたことを実感する。金がたまってもさほど嬉しくはないが、あって困るものでもない。

 気がつくと、家を飛び出した当初に所持していた貯金額を遥かに超えていた。

 

 あの時、貯めた金で何を買おうとしていたのか、何故かどうしても思い出すことが出来なかった。



 ティナの言ったとおり、移動先では必ずといっていいほど、世話を焼いてくる女に出会った。

 彼女たちは独り身ばかりで、寂しさを紛らわせるために家に招き入れる。

 寝る場所と食事をペット感覚で提供してくれる、気軽で都合のいい相手だ。

 その代わり、こちらは身体で寂しさを解消してやる。

 しばらく厄介になってから、次の街を目指す。それをまた繰り返す。

 薄汚れた仕事をこなすことや、愛してもいない女と夜を過ごすことへの罪悪感は、とうの昔に捨て去った。

 誰かと深く関わることをやめ、他人とは淡々と接することに徹した。

 何も持たない。執着しない。

 何も持たなければ、何も失わない。面倒事を抱えないように、何よりも自分自身を守るために、世界と己の間に壁を築き上げた。

 暗い道を歩き、雑音を締め出して、自分が生きるためだけの行動しかとらない。

 人を殴ることにも慣れてしまった。銃の扱いも自然と覚えた。

 そんな生活を続けて、アトランヴィルにたどり着いたのは、十八の頃だった。

 多少の憧れを抱いていた大都会も、擦れた心には何も響かず、ただ単に広くて大きな街だという、味気ない感想しか持てなかった。

 ここに来れば、何かが変わるとでも考えていたのだろうか。そんなことも思い出せない。



 アトランヴィルでの生活は、それまでと大して変化はなかった。

 相変わらず気楽な下っ端役を続け、女の世話になる。

 本来なら祝うべき成人を迎えたのは、アトランヴィルに来てから何人目かの女の腹上だった。

 その女の顔と名前はもう忘れたが、珍しく数ヶ月、関係が続いた相手だった。自分以外の男がよそにいることには感づいていたが、所詮こちらは下衆なヒモだ。女に遊ばれていたとしても、何も問題はない。

 

 ある朝のことだ。前の晩、対立関係にあるグループの若手と一戦交えて帰ったあと、女にしつこく身体を要求され、疲れて泥のように眠っていた。

 窓から朝日が射し込む時刻になっても、裸のままベッドでまどろんでいた。

 玄関の方から、騒がしい音が聴こえてくる。話し声のようだ。女が誰かと言い合っているらしい。

 起き上がるのも億劫だったので、気にせず惰眠を貪っていた。ひょっとしたら、彼女の本命男が乗り込んできたのかもしれない。まあ、構わない。充分眠らせてくれれば、おとなしく出て行ってやるよ。

 荒々しい足音が、寝室に近づいてくる。ああ、やっぱりそうなのか。

 やれやれ、と寝返りを打とうとした、その時。

 突然何か重たいものが、身体の上に落ちてきた。あまりの唐突さと重苦しさに、はっと目を開ける。

 何者かが自分の上に乗っているのだと気づいた瞬間、顎を掴まれて引き寄せられた。

 目と鼻の先に、見知らぬ男の顔があった。整った顔立ちだが、わずかな体温も感じられない、蛇のような目を持つ男だ。


「おい小僧。お前、どこのどいつだ、え?」


 その瞬間、蛙の如く蛇に囚われたのだ。


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