TRACK-5 屑星恋歌 2
深夜だったが、スカイリニアの最終便には間に合った。その便がどの方面に向かう車両なのか、よく確かめることもなく飛び乗った。
どこへ向かってもいい。遠く、出来るだけ遠くへ行ってくれればそれでよかった。
郷里である、大陸北エリア代表都市アイデンは広い。一晩で出て行くには無理がある。どこかで夜を明かさなければならなかった。
スカイリニアには、二時間近く揺られただろうか。窓の外の宵闇が色濃くなり、降る雪も量を増していった。高架線路の下のネオンだけが異様に明るく、地上の方が星空のように見える。
だが、あれは偽りの星だ。地面から離れられない人間の抱く、仰ぎ見ることしか出来ない天への望情の表れだ。
美しい星の光、手を伸ばしても届かない。届かないなら、代わりの光で地上を照らそう。
手に入らないなら、自分たちで造った光で、いっそ天をくらませてしまおう。
地上は汚れているから、偽物の光で覆い隠してしまおう。
穢れが天に見つからないように。
スカイリニアの終点で降り立ったのは、小さな町だった。真夜中だったので、町の印象はただただ暗く、窮屈だった。
あまりにも寒かったので、スカイリニアのステーション近くに建ち並ぶビジネスホテルのうち、適当な所を選んで駆け込んだ。
明らかに未成年であるから咎められるかと危惧したが、支払いに問題がないと分かった従業員は、何も言ってこなかった。
初めて泊まったビジネスホテルは、簡素で味気なかったが、掃除は行き届き、居心地は悪くなかった。
冷えた身体をシャワーで温め、のろのろとベッドに潜り込み、ようやく一息つく。
すると、様々な負の思考が、容赦なく襲いかかってきた。
これから一人で生きていかなければならないという不安。
信じていた人々から背を向けられた絶望。
故郷を追われたという怒り。同時に、逃げてきたのだという敗北感。
誰にすがることも出来ない。
去来する思いは最後に、もっとも厄介な感情を沸き起こしてしまった。
寂寞。
どうしようもない感情に押しつぶされ、子どものように丸くなって膝を抱えた。
身体の震えを止めようと肩を抱くが、簡単には鎮まらなかった。自然と涙もあふれてくる。
だが、泣いたところで何も解決しない。だから泣くのはこれきりだ。
眠れず、ベッドの中で何度も寝返りを打ち、やっと眠りに落ちたのは、夜が明ける手前のことだ。
わずかな睡眠をとり、だるい身体を引きずって、再びスカイリニアに乗った。
もっと遠く、もっと遠くを目指して。
アイデンを出てからしばらくの間の出来事は、たいして記憶に残っていない。
公共交通機関や徒歩で移動を繰り返す。育ち盛りだが食費は節約し、寒さをしのぐための宿泊費に回した。もちろん、最安値のホテルだ。
何度も警官に補導されそうになったが、その度に逃げた。声をかけてきた警官の中には、「外科医一家崩壊殺人事件」唯一の生存者の顔を覚えている者もいて、そういう警官に出くわした時は面倒だった。居場所を掴んだ警官は当然、あの弁護士に連絡を入れるだろうから、全力で逃げなければならず、体力も気力もかなり消耗した。
不良に絡まれたこともある。荷物と携帯端末を奪われてなるものかと、身体を張って抵抗した結果、しこたま暴力を振るわれた。
男色家に、ホテルに連れ込まれた日もあった。少なくなってきた所持金と、飢えた腹を満たすためには、身体を売るしかないと考えた。だが結局怖気づき、男がシャワーを浴びている隙に逃げた。
アルバイトを探すも、今時未成年を住み込みで働かせてくれるような所などない。やはりビジネスホテルを渡り歩くしかない。そう考えた。
だが運悪く、いや、当然のことながら、これこれこういう少年が宿泊しにきたら知らせるように、という警察からの通達が各ホテルに配布され、近づくことが出来なくなってしまった。
仕事は得られず、泊まる所もなくなり、橋の下や公園の片隅で、毛布にくるまって震えるしかなくなった。
そんな時、情けないことだが、家出したことを後悔するのだ。周囲からの仕打ちに耐えれば、少なくとも寝る場所に困ることはなかった。どのくらい辛抱すればよかったのかは知れないが、いずれ周りは、殺人者の息子に興味を失くし、見向きもしなくなっただろう。弁護士の家乗っ取りも、どうにか阻止出来たかもしれない。
そして、覚悟を決めて校長に身を委ねていれば……。
そこまで考えて、首を振る。同性愛者を差別はしないが、そんな気もないのに男に抱かれるなど御免である。
悔いても後の祭りだ。もうどうしようもない。
考えの至らなさに、つくづく子どもだと思った。学校でトップ成績を誇ろうが、所詮は十四の子どもだったのだ。
木枯らし吹きすさぶ公園の、遊具の中で丸くなっていた夜更け。
うとうとしていると、肩を叩かれた。はっと目を覚ます。直感で警察だと思った。
慌てて飛び起きた途端、眩しい光が顔に当てられた。目がくらみ、反射的に腕で顔を覆う。
「誰だ、こんな所で」
低い声で話しかけられた。やはり警察か。どうやって言い逃れよう。それともおとなしく署についていって、留置所でもいいから一晩泊めてもらうか。
観念し、隠していた顔を晒す。明かりの向こうで、息を呑む小さな音が聞こえた。
「なんとまあ! 君、何をしているんだね。こんな寒い夜に、女の子が一人で野宿など」
性別を間違えられることはよくある。
「すみません、あの、男です」
顔を照らしていた光が下がり、声をかけてきた人物の全容が判った。
まず、警官ではなかったことに驚いた。制服を着ていない。いや、私服警察か? それも違うようだ。
彼は汚れた上着を何枚も重ね着していた。ニット帽をかぶって手袋を嵌め、破れたマフラーを首に巻いていた。履いているのは、場違いなスキーブーツだ。
伸び放題になっている、ぼさぼさの髪と髭。かさかさにひび割れた唇。赤い頬。漂ってくるすえた体臭。ホームレスである。
一瞬彼の姿が、近い将来の自分自身のように見え、戦慄した。遠くない未来が現実を突きつけにきた、そんな錯覚に陥った。
ホームレスは、手にした照明を掲げ、こちらの顔を覗き込む。
「男の子か。いや、この際性別はどうでもいい。子どもがこんな時間にこんな所で、毛布にくるまって寝ていること自体がおかしいのだ。しかも冬に」
彼の話し方は明朗で、尚且つ穏やかだった。“怒る”のではなく、“叱る”口調だ。
「家出でもしたのかね。悪いことは言わない、家に帰りなさい。親御さんにちゃんと謝るんだ。さあ、いつまでもここにいては風邪を引いてしまう」
「無理です。帰る所はありません」
「そんなことはないだろう。家族が待っているよ」
「誰も待っていません。もう家族はいないんです」
事実だから、そう言った。
ホームレスは訝しげな表情で、首を少し傾けた。やや沈黙した後、
「ともかく、ここは寒い。凍死してしまうぞ。ついて来なさい」
手招きをする。
躊躇していると、「子どもを見殺しにさせる気か」と軽く睨まれ、ついて行かざるを得なくなった。
ホームレスは、重ね着のためにずんぐりした身体でのそのそ前を歩き、時々、ちゃんとついて来ているかを確かめるように、後ろを振り返る。
「君はどこから来た? 名前は?」
問われた二つを答える。
「アイデンから来たのか。それはまた」
「あの、あなたは誰なんですか?」
ただのホームレスではないような気がして、尋ねてみた。彼は少し目を細め、
「本名は捨てた。ここいらでは“プリースト”で通っている」
と、答えた。
プリーストに連れられてやってきたのは高架下だった。そこには鉄の扉が設置されていて、地下に通じていた。
地下には六、七人のホームレスたちが集まっていて、火を熾した油缶を囲み、暖を取っていた。
周囲には廃材で作った粗末な小屋が、人数分こしらえてあった。ここは彼らの住処なのだ。
「おう、プリースト。おかえり」
ホームレスたちが一斉にプリーストを迎え、一斉にこちらを凝視した。
「なんだあ? 駄目じゃねえか、そんなお嬢ちゃんをこんな場所に連れて来ちゃあ」
一人が顔を顰めると、プリーストは片手を振って弁解する。
「この子は男の子だよ。ともかく、ちょっと火に当たらせてやってくれ」
ホームレスたちは快く場所を空けてくれた。彼らに混じって火の側に立つ。空調システムによるものではない自然な温かさが、指先からじんわりと伝ってくる。
焚き火ならキャンプファイヤーで馴染みがあったが、これほど“生きる”ということに直結した火に触れたことなどなかった。
身体全体が温まっていくのを感じる。どこからかわずかに吹いてくる風に揺られる炎を見つめていると、凝り固まった心がほぐされていくような気がした。
ホームレスたちはいろいろな事を訊いてきた。名前、どこから来たのか、なぜ家出したのか、これからどこへ行くつもりなのか、帰る気はないのか。
名前と出身地は素直に答えたが、家出の理由やこれからのことは曖昧に受け流した。帰る気はない。
こちらが多くを語るつもりがないと察すると、彼らはそれ以上追及してこなかった。それぞれ事情を抱えた者たちの集まりだからだろう、こういった場合、深追いしない方がこちらのためにも向こうのためにもなるのだと分かっているのだ。
やがて彼らは、他愛なく談笑し始めた。家出少年をも、ごく当たり前のように会話の輪に加え、芸能界のゴシップや最近起きた笑える事件、頼りない政治家たちへの愚痴など、とりとめもなく話し続けた。
彼らにつられて、いつの間にか大口を開けて笑っている自分がいた。こんなに笑ったのはいつ以来だったろうか。笑うことを忘れていた顔の筋肉が、急激な活動に驚き、痛みを訴えた。けれど、それも苦にならないほど、楽しかった。
その夜はプリーストの小屋に泊めてもらった。小屋の中は、多少臭いがこもっていたものの、意外にも――と言っては失礼だろうが――快適に整えられていた。廃棄された断熱材を壁に使っているので、寒気もあまり進入してこない。公園の遊具の中と比べるべくもないほどだ。
「君は本当に、これからどうするつもりなのだね」
数枚重ねた毛布にくるまり、並んで寝そべった時、プリーストは厳かな口調でそう尋ねてきた。
「アルバイトを探します」
「そうか。働く気はあるんだな」
「はい。でも、住む所がないので、そこをどうしようかと考えていました」
プリーストはしばし黙り、ふうっと溜め息のような息を吐いた。
「君がよければ、しばらくここにいてもいい」
運良くレストランのアルバイトが決まり、ホームレスの住処から通う日々が始まった。
職場の人々に素性を訊かれたくなかったため、勤務中は黙々と働いた。単に余計な人間関係を築きたくなかっただけなのだが、幸いにも周囲には、勤勉な姿勢と受け止められたらしい。下っ端ではあるが、それなりの信用を得られた。若い女性客が増えたことも喜ばれたのだが、その点に関しては努力外の結果なので、どうとも思わない。
レストランでのアルバイトにおいて、もっとも都合がよかったのが、余った料理や食材の持ち帰りが許されていたことだ。それらを持ち帰り、住処のみんなに差し入れた。彼らはそれを大喜びで受け取り、きれいに平らげる。
彼らに喜んでもらえると、役に立てているような気がして嬉しかった。
彼らは“生き方”をよく知っている。
どこへ行けばおこぼれに預かれるか。
何をすればわずかながらにも収入を得られるのか。
ボランティアによる炊き出しが、毎週どこで行われているか。
リサイクル衣料がどこでもらえるか。
人目につかずに釣りが出来るポイントまで把握している。
ホームレス仲間同士で情報を交換し合い、“みんなで生きていく”というスタイルを、誰に強要されることなく、ごく自然に貫いているのだ。
衣食住に困らない暮らしを当たり前のように送りながら、希薄な人間関係で満足し、その裏側に潜む本性を見ようとしなかった自分が、とても小さく思えた。
彼らの側は居心地がよかった。彼らの暮らしに溶け込み、残飯を口にし、古着を纏うことへの抵抗もなくなった。
成績を気にすることも、周囲に嫌われないように、肩を強張らせながら人付き合いする必要はない。
ようやく自由になれた気がした。
ホームレスたちに仲間として受け入れられ、気ままな生活を送る中、一人険しい表情を向ける人物がいた。プリーストだ。
プリーストの目は、「いつまでここにいるつもりだ」と訴えてくる。その目を受け止めれば、出て行かなければならない気がして、わざと避けていた。
言いたいことは分かっている。
――しばらくいていい、とは言ったが、もう二ヶ月を過ぎている。いつまでも面倒を見ていられない。いい加減に出て行ってくれ。
プリーストが、不親切でそんなことを考えているのではないことは、頭では理解していた。だが、また辛い放浪が始まるのかと思うと、居心地のいい場所を離れることが出来ない。
プリーストは何度も、話し合いをしたそうな様子を見せた。しかしそれを避け、ずるずるとホームレス生活を続けた。
冬の盛りの十二月。
世間は星誕祭で浮かれている。伝説によれば、この時期にこの世界が誕生したとされているが、正確なことは知る由もない。
街は星誕祭のためにきらびやかな装飾が施され、道行く人々は楽しそうに笑っている。星誕祭シーズンが終われば、今度は年末年始である。
少し前までは、この時期をホームレスとして過ごすことになるとは、思いもよらなかった。だが、心は満ち足りていた。
星誕祭当日。レストランのアルバイトを終えて住処に戻ると、仲間たちが廃棄処分されていたケーキやオードブルを仕入れ、パーティを開いていた。
その輪に混ざっていると、しばらくしてプリーストから話しかけられた。
「ちょっと付き合わないか」
プリーストに案内されたのは、郊外の教会だった。
礼拝堂では、聖歌隊のチャリティコンサートが行われていた。集まった観客は、聖歌隊の子どもたちの家族や、敬虔な信者、そしてホームレスだ。
シスターの奏でるパイプオルガンに乗せて、子どもたちの清らかな歌声が堂内に響き渡る。プリーストと並んで座り、しばし天使たちの歌に聴き入った。
「ミサには通っていたかね?」
問われたので、首を横に振った。
「ううん。うちは特に信心深いわけじゃなかったから」
「そうか。私の家族は敬虔な信者ばかりでね、毎週欠かさず、教会に足を運んだものだ」
「実家っていうと」
「生家だよ。その教会にはいい神父が勤めていた。勉強も教えてもらった。優しい人だった」
曲目が変わる。
「君が誰だか、知っているよ」
ぎくりと身体が強張る。何も答えずにいると、プリーストは構わず話し続けた。
「過去のニュースを漁れば出てくるものだ。辛かったな」
「もう、過ぎたことだよ。それに僕にはどうしようもなかった」
「それで家を出たのか」
二人の間に沈黙が流れた。先に口を開いたのはプリーストだ。
「私は以前、会社を経営していた。二十歳の頃に、友人と起業したんだ。若さとやる気だけはあったから、どんな逆境にも挫けずに、がむしゃらに働き続けた。ようやく努力が実り、軌道に乗った時は、達成感と満足感に魂が震えたよ」
当時のことを思い出したのか、プリーストは寂しそうに薄く笑った。
「結婚して二児を儲けた。それからも働いて働いて働いて、利益を追求し続けていった。家庭を省みることなく、妻も子どももほったらかしだ。結果がどうなったか、想像がつくだろう? 妻は外に男を作り、子どもを連れて出て行った。その男とは、共に起業した私の友人だ」
今度は自虐的に、鼻で笑う。
「その男は私の家族だけでなく、会社まで奪っていった。家族や周囲に目を向けず、自分ばかりを見ていた私は、気がつけばすべてを失い、路上に立ち尽くしていたんだ。行く当てもなくさ迷い、辿り着いたのがあの地下の住処さ」
コンサートが終了した。温かい拍手が、惜しみなく聖歌隊に捧げられる。
「あそこは私にとっての“終の棲家”だ。あそこに住む皆にとっても同じだろう。だが、君は違う」
「どうして? 僕にとっても“終の棲家”だよ。あんたのことも、みんなのことも好きだ。僕も世間を追われた。なぜ違うんだ」
「違わなければならないんだ。分からないかね? まだ十代じゃないか。例え世間を追われたとしても、君が世を捨ててはいけない。そんな若さで、我々のような有様になりたいというのか?」
「僕はそれでもいい。今の暮らしがいいんだ」
「馬鹿を言うな」
プリーストは語気を強めた。
「君には未来がある。君自身の力で築き上げることが出来る未来が、この先にはあるんだぞ。それを放棄して、あんな淀みの中でくすぶり続けるつもりか。それは我々にとっては、侮辱以外の何物でもない」
「プリースト、何故」
「我々は世間に挑戦した。経緯や結果はどうあれ、全力で社会に挑み、戦った。戦い抜いての現在なんだ。だが君はまだ、何にも挑戦していない。君は世間に追われたと言ったが、それは自分自身に負けただけだ。世間と戦って負けたわけじゃない」
コンサートが終わり、聖歌隊の子どもたちが、家族に連れられて帰って行く。一部の観客はそのまま残り、祈りを捧げている。
プリーストはこちらに身体を向け、真っ直ぐに見つめてきた。
「厳しいことを言うが、君はもう行くべきだ。始めてしまった旅を続けなければ」
「どうしても、行かなきゃならない?」
情けなく小声で問うと、プリーストは大きく頷く。
「旅というものには、必ず終着点がある。そこに辿り着くまでは、辛い道のりかもしれないが、それでも歩き続けなければいけない。時には足を止めてもいい。疲れたら休め。だが、旅が終わるまでやめるな。歩き続けた先に、きっと君がいるべき場所がある。いつ辿り着けるか、それがどこなのかはまだ分からないが、ここでないのは間違いない」
「僕がいるべき場所って何」
「自分の目で確かめなさい。私が思うにそれは、各々にしか分からないことだよ」
プリーストから目を逸らし、どこともつかない方向を眺めた。
本当は分かっている。これ以上プリーストたちに甘えていてはいけないのだ、と。
みんなで囲む焚き火のぬくもりから離れたくなくて、今日までずるずると世話になってきたけれど。
そうか。もう、行かなくてはいけないのか。
深呼吸し、少し間を空け、意を決して頷いた。
プリーストはほっとしたような、それでいてどこか悲しげな表情で頷き返した。
「年が明けたら旅立て。君の行く道に光が射すように祈っているよ」
「ありがとう」
「一つだけ言っておこう」
「はい」
「旅人には必ずと言っていいほど、付き纏うものがある。悪魔だ」
プリーストの真剣な眼差しが、胸の内をえぐるように突き刺さる。
「悪魔は旅人の前に立ち塞がり、甘い言葉を囁く。そうして、偽物の終着点を見せるんだ。いてはならない場所に引き留め、奈落に墜とす。悪魔の言葉に耳を貸すな。しっかりと目を開き、進むべき道を見失うんじゃない」
年が明け、数日経ってから、約束どおり旅立った。
ホームレスの仲間たちは、心から名残惜しんでくれ、同時に行く先に幸のあらんことを、と祈ってくれた。
プリーストは最後まで、その名の由来を教えてくれることはなかった。
後に風の便りで、彼は二年後に亡くなったと聞いた。
彼の言葉が何を意味していたのか、それを身をもって知った時には、すでに抜け出せないほどの深淵に嵌っていた。