TRACK-4 疾氷 3
あいつが、と、エヴァンは正面にいる男を睨んだ。色白の顔と形の整った目は、見た瞬間に蛇を連想させる。
広い空間には、癖の悪そうな男たちが詰め寄っていた。ろくでもない話し合いをしていたのは明らかだ。
脛に傷持つ連中の中にあって、彼――ラッズマイヤーの存在は、ひときわ異彩を放っていた。手近にある何もかもを絡めとる、目には見えない奈落の触手を捲いているかのようだ。
(あいつ、笑いやがった)
レジーニの姿を見るや、ラッズマイヤーは笑った。ひどい仕打ちをした相手を前に、よくもそんな態度でいられるものだ。レジーニが苦しんだ年月のことを思うと、到底許せるものではない。
相棒は先に立ち、こちらに背を向けているので、どんな顔をしているのかは分からない。
ただ。
皮膚を傷つけんばかりに握り締められた拳が、わずかながらにも震えていることが、すべてを物語っている。
ふと脇を見やると、意外な人物がそこにいた。
「あっ、お前!」
思わず声を出すと、マキシマム・ゲルトーは人差し指を口にあて、「黙れ」の意を示した。
彼の隣には見知らぬ男がいる。おそらくマックスの相棒、ディーノ・ディーゲンハルトだろう。
エヴァンは、自分の右腕を撃った男をまじまじと観察した。長身で、マックスとの差は優に三十センチはある。顔つきは柔和で、エプロンでもつけていれば保育士と間違われそうだ。とてもではないが、腕利きの狙撃手には見えない。
(なんであいつらがこの場に。グルだったのかよ)
ラッズマイヤーと結託していたのかと思うと、腸が煮える思いだ。
「なんてこった! やはり今日はいい日じゃないか。“旧友”がわざわざ会いに来てくれるとはな!」
ラッズマイヤーは両手を広げ、数歩こちらに歩み寄った。
「レジナルド、いつ以来だろうな。またこうして会える日が来るとは思ってもいなかったよ。ずいぶんと男前になったもんだ」
言ってラッズマイヤーは、周囲の男たちに銃を下ろすよう指示した。
「やめろ、俺の旧友に物騒なもの向けるな」
取り巻きが従うのを見届けると、ラッズマイヤーは満足気に頷いた。
「どうしたんだレジナルド? さっきからずっと黙ったままじゃないか。久々に会ったんだぞ、何か言ってくれてもいいだろう?」
「そうだな。久しぶりだ、本当に」
レジーニは抑えた声で答えた。穏やかではあるが、針のひと突きで破裂しそうな危うさを、そばにいるエヴァンはひしひしと感じた。
「なぜ俺がここにいると?」
「アンダータウンでクアンに聞いたよ」
「ああ、クアン。たしかに、アトランヴィルに戻ってすぐ、あいつに会ったな。あいつときたら、俺の顔を見るなり逃げ出そうとしたんだぜ。大の大人が震えてさあ。そんなに俺に再会したのが嬉しかったのかね」
「僕は嬉しいよ、やっとお前に会えて」
ラッズマイヤーの双眸が、危険な輝きを帯びて見開かれた。
「嬉しいって? レジナルド、今、俺に会えて嬉しいと言ったか? そりゃ本当かよ」
「本当さ、ラッズ。これで」
「やっと決着をつけられる」
どんな思いでその一言を口にしたのか、エヴァンには推し量ることはできない。ほんの少しだけ声が震えていたのを察しただけだ。
ラッズマイヤーは乾いた笑い声を上げた。
「決着? ああ、あのことか。お前はまだ引きずってたのかよ、もう八年も前のことだぞ?
いいかげんに忘れて、もっと前向きに生きろ。なんだ、女なんかいくらでもいるだろ。それこそ星の数ほど。世界の半分は女だって、よく言うじゃないか。ましてやお前だったら好き放題に選べる。そうだろ?」
耳を疑う、としか言いようがない。この男は己が犯した非道を、少しも悔いてはいないのだ。
エヴァンは、全身の血が逆流するのを感じた。頭の中が怒りで沸騰する。
「てめェッ!」
踏み出すエヴァンを、レジーニが腕を伸ばして制した。
「そうだな。お前の言うとおりだ。女は星の数ほどいる」
こつ、と靴音が響く。エヴァンとレジーニの間隔が開き、レジーニとラッズマイヤーとの距離が縮まっていく。
「だが、お前が奪ったものは、星じゃない」
ラッズマイヤーが脇にアイコンタクトを送った。即座に部下たちが動き始める。
一人がレジーニの前に立ちはだかり、これ以上進むな、と手をかざした。レジーニはその手を絡めとり、脇腹を蹴りつけた。相手が悲鳴を上げ、体勢を崩したところで更に蹴りを加えて倒す。
右側から新手が襲い掛かってきた。振りかざされた拳が届くより早く、レジーニの一撃が敵の鳩尾に打ち込まれた。次いで顎に肘を食らわせ昏倒させた。
後方からの襲撃は、回し蹴りで阻止した。長い脚が鞭のように撓る。
三人倒すのに、一分もかからなかった。
レジーニは、邪魔してきた連中など始めからいなかったかのように、淀みなく真っ直ぐにラッズマイヤーを目指す。
焦りを見せたのはラッズマイヤーの方だ。それまで下卑た笑みを浮かべていた彼だが、レジーニが顔色一つ変えず部下を沈めたのを見るや、目尻をぎりと引き攣らせた。
「レジナルド、ちょっと見ない間に、なかなかやるようになったじゃないか」
「それはどうも。鍛えた甲斐があったよ」
短い言葉を交わしている間に、ラッズマイヤーの奥にいた男たちが、一斉に出入り口に向かって走り出した。
同時に、ラッズマイヤー陣営も大きく動きを見せた。男連中の半数がレジーニとエヴァンを囲み、残りを率いたラッズマイヤーは逃走を図った。
賞金稼ぎコンビも駆け出した。彼らはラッズマイヤーを追うように、同じ方へと走っていく。
エヴァンとレジーニを囲む男たちが、戦闘体勢に入る直前。レジーニは一人に飛び掛り、跳躍して顎を蹴り上げた。崩れ落ちた身体を身軽に飛び越え、猪突の勢いでラッズマイヤーを追い始めた。
「レジーニ! 一人で行くなよ!」
大声で呼び止めても無駄だった。耳に届いたとしても、聞き入れはしないだろう。
その場にはエヴァンと、彼を囲む八人の男たちだけになった。
「まったくよー、むやみやたらと突っ込むなって、いつも言ってんのはどっちだよ」
ぼやいていると、視界の端に影が映った。突き出されたパンチを半回転して避け、相手の横顔に一発見舞う。その首に腕を巻きつけ、大きく振り上げて地面に叩きつけた。
背後に気配を感じ、とっさにしゃがむ。抱きすくめようとして空振りした敵を、足払いで倒し、無防備な背中に踵を落とした。
そのままブレイクダンスのように身をひねって立ち上がり、近づいてきた二人を蹴り倒す。
勢いをつけたまま、手近な敵の胸部を蹴ってサマーソルト。空中回転の着地寸前、別の男の首に一撃与えた。
その時、直感にも似たひらめきが、エヴァンの脳内で起きた。怪しい気配のする方向へ顔を向ける。
残る二人の男が銃を抜き放ち、構えようとしていた。瞬間、エヴァンの細胞装置が音もなく目を覚ます。銃を持つ者――武装者と、システムが判断したのだ。
エヴァンは両手のハンドワイヤーを伸ばして銃を絡めとり、男たちの手の中から奪い取った。
「俺には武器向けない方がいいぜ。制限なくなるからな」
没収した銃をベルトに差しつつ、エヴァンは残った敵に睨みをきかせた。
突然変形したエヴァンの指に、男二人がざわめく。
「なんだ、今のは」
「手が変形しなかったか?」
うっすらと畏怖の念を浮かべる男たち。その眼差しに、少しばかりの優越感を抱く。
「こんなの序の口だぞ。本気出したらこんなもんじゃねーからな。けど一般人には本気出したくない。黙って通してくれりゃあそれでいいよ」
これは本心だ。彼らの相手などしていられない。すぐにでも相棒を追いかけなければならないのだ。賞金稼ぎコンビの動向も気になっている。
しかし敵方にも意地はあるらしく、退く様子はない。
左手の男が殴りかかってきた。エヴァンはパンチを弾くように防ぎ、面食らっている相手の鼻に頭突きを見舞った。鼻血を垂らしてよろめく男を、速い回転を加えた回し蹴りで始末する。
更に回転し、後方に向けて蹴りを繰り出す。最後の一人が、同じように放ってきた回し蹴りを受け止めるためだ。
高く振り上げられた状態のまま、二本の脚が交差した。両者の目線が合う。敵はぎょっとして目を見開き、エヴァンはにやりと笑って、少し首を傾けてみせた。そして脚の交差を解き、フェイントをかけてから肩、脇、腿に強烈な蹴撃を与える。仕上げの一蹴で、男を吹き飛ばした。
エヴァンを阻もうとした八人は、いまや全員地面に横たわり、負傷箇所をかばいながら、呻き声をあげている。
「悪いな」
先を急ぐエヴァンは一言だけを残し、レジーニを追うために駆け出した。
朽ち果てた工場の敷地を、銃を手にした男たちが走り抜けていく。
目標であるラッズマイヤーは、部下たちに囲まれている。
追うレジーニに向けて、複数の銃口が火を吹いた。とっさに近くのコンテナに身を隠し、銃弾の嵐から逃れる。同時に銃を手に取った。実弾銃ではなく、エネルギー弾を射出するクロセスト銃だ。こちらならば、どの銃よりも弾数は勝り威力も高い。
その場には留まらず、コンテナの森を慎重に進んだ。何人か追ってくるのが分かった。こちらの位置をつかまれぬよう、撹乱しつつ前進する。
進行方向に敵が姿を見せた。一旦左側のコンテナに隠れ、銃弾をやり過ごす。相手の撃ち方が一時止んだ瞬間、反対側のコンテナに移った。その際敵に反撃し、倒した。
コンテナ森を縫っていくと、突然一人が目の前に現れた。敵が得物を構えるより早く、レジーニはその手元を蹴り上げ、銃を落とさせた。一瞬怯んだ隙に髪を掴み、腹に膝を数回食らわせる。呻き声と胃液を吐き出す男を放り捨て、再び走り出す。
コンテナを抜けた先は、工場の別棟だった。天井の高い、かなり広い空間だ。ここで待ち受けていた三人を、身を潜めつつ銃撃に応戦。一人ずつ接近し、格闘技で仕留めた。
ラッズマイヤーはだいぶ奥へと逃げたようである。忌々しい思いを抱えながら、廃墟内を縦断していった。
すると、放置されたままの機材の向こうから、大きな人影がのっそりと現れた。
柔和な風貌に似つかわしくない、凄腕の狙撃手ディーノだった。
「どうも、メガネさん。お久しゅう」
ディーノは人当たりのいい微笑を見せた。対してレジーニは蔑笑を浮かべる。
「お前たちの目的はもう分かった。ずいぶんと回りくどいことをするものだな」
「これが今回のお仕事なもんで。しかしまあ、こっちの事情をさくっと見抜くとは、さすがですわ」
ひょいと肩をすくめるディーノ。
「あんたとラッズマイヤーに因縁があるのは知ってます。詳しいことまでは聞いてへんけどね」
「聞く必要はない。そこをどけ、邪魔だ」
「そうもいきませんわ。俺らの目的が知れたんなら分かりますやろ? 体裁が必要ですねん。それに、時間稼ぎも」
「知ったことか。どかなければ排除する」
「願ったりですわ。メガネさん、心中お察ししますけど、ちょっと付き合うてもらいます。ホンマすんません」
す、と構えるディーノ。謝罪を口にしながらも、彼の目つきは本気である。
「謝るな」
レジーニは銃をジャケットの中にしまい、戦闘体勢に入った。
「後悔するぞ」