INTRO
ぬるりと生暖かいものが、指先を伝い床に落ちる。
ぽとりと赤い雫が、一滴また一滴と。小さな澱みを生む。
安物の照明に照らし出された銀の刃からも、赤黒い雫が垂れる。
濡れた手の中から滑り落ちそうになったナイフを、握り直して横に払う。
ナイフはわずかに空を斬る。刃先から散った鮮血が、壁に点々とシミを作った。
耳にうるさいのは自分自身の荒い呼吸。息を吸って吐くたびに、肩も上下に動く。
足元に転がる男は、ついさっき事切れたばかりだ。己の垂れ流した血液の海に沈み、どろりと濁った目で、汚れた天井を見つめている。
廊下の奥から、複数の足音が聴こえてきた。角の向こうから三人ほど、各々銃を携え姿を現す。
連中が銃を構えるのと、こちらが死体を掴み上げたのはほぼ同時。
銃弾は一斉に放たれた。激しい発砲音と、硬い床に落ちる空薬莢の音が、幾重にも重なる。
自分を狙う弾丸の嵐を、死体を盾にしてやり過ごす。すでに動かない人体の盾は、弾丸を受けるたびに、その衝撃でビクビクと痙攣し、どす黒い血と肉片を撒き散らした。
死骸とはいえ人間を、凶器の盾にすることに、何の感慨もなかった。使えるものはなんでも利用する。誰の命であろうと。自身の命であろうと。
発砲音が止んだ。敵方の弾倉が空になったようだ。再装填の暇など与えてやるつもりはない。
盾を無造作に投げ捨て、床を蹴った。俊足を駆使して、敵方との距離を一気に詰める。
急接近に気づいた時にはもう遅い。ナイフの切っ先はまず一人目、両目を横一線に斬り払った。悲鳴を上げる敵の背後に周り込み、うなじを突き上げる。
絶命を確かめもせず、うなじからナイフを引き抜く。その間にフロントブレイクホルスターから銃を抜き、二人目の額を撃つ。
弾丸は貫通し、砕けた脳髄が散った。
三人目は銃の装填が済み、この野郎とか、くそったれだとか、月並みな罵声を上げつつ、銃口を向けていた。
だが怯むことなく、こちらも銃口を突きつけてやる。狙いは下腹部。一発撃ち込むと、三人目の喉から絶叫がほとばしった。
がくりと両膝が床についた。おかげで狙いやすくなった額に、もう一発食らわせた。
複数人分の返り血が、全身を汚した。汚れるたびに、己の心は冷え、穢れていく。
――それでいい。
もっと穢れろ。何もかもを飲み込むまで。闇の獣道を走るのだ。
階段を昇る。上階から降りてくる激しい足音が聴こえる。
――来いよ。
側を離れるべきではなかった。
たとえ一生追われる身になっても、彼女を連れて逃げればよかったのだ。
守れなかった。たった一人守りたかった女性を。
奪われたのだ。己が弱く浅はかだったために。
これは誰のせいだ。
奴らのせいだ。
そして、自分のせいだ。
彼女をこの手から奪った者どもなど、全員消し去ってやる。
何人でも葬ってやろう。どんな手を使ってでも殺し尽くすのだ。
――来いよ。殺してやるから。
慈悲などかけてやらない。命乞いなど聞いてやらない。
だから。
――だから誰か、
――俺を殺してくれ。