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錬金術師は思考する  作者:
第一章 Fortum Aurora
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 リゼットは応接室の扉を開いて中を覗き込み、溜息を一つ吐いた。心底呆れたという感情を隠す気が微塵も感じられない、お手本のような嘆息。


「支部長。客人を待つ間に仕事をするとか格好付けておいて、実際はこれだなんて。……どういう了見ですか?」


 リゼットはずかずかと室内に足を踏み入れると、ソファーにだらしなくうつ伏せになった男の後頭部を、手前の机に置いてあった紙を丸めて作った紙筒で容赦なく叩いた。うぅ、と頭に衝撃を受けるたびにくぐもった呻き声が紙筒の下から上がる。


 男が十数回目の呻き声を上げた頃になって、やっと客人を入口付近で待たせていた事を思い出したのかリゼットはハッとした表情で顔を上げると、慌ててアルファードに席を勧めた。

 そしてソファーにうつ伏せになった男の体を起して無理やりソファーの背に凭れかからせると、自らもその隣に腰掛けた。


「支部長がお待たせしてしまい、大変申し訳御座いません」


 こほん、と一つ咳払いをしてから頭を下げると同時に隣の男の頭も手で押さえ無理やり下げさせる。

 男は無理やり頭を押された事でようやく覚醒したのか、ゆるく首を振ってから開いた――それでもまだ半分ほど閉じかけた――瞳でアルファードの事を見た。


「何時も通り、起きぬけに顔を合わせると心臓に悪ィな…… 」


 眼の前のテーブルに放置していた冷めきったコーヒーをズッと啜り、前方にある整った美貌を見つめながらそう呟く男の顔には、疲労が色濃く残っている。

 男は三十代も半ばほど。精悍な顔の作りをしており歓楽街に出れば引く手数多だろうに、眼の下の隈と白髪交じりのぼさぼさの髪、伸ばしっぱなしにされた無精ひげが酷く野暮ったい印象を与える風貌をしていた。

 端正な顔立ちで小奇麗なリゼットと並んで座ると、さながら美女と野獣という印象を見る者に抱かせる。


「――相も変わらず、仕事は忙しいのか?」


 自分の顔を眠気覚まし代わりに使う視線にうっとおしげな表情を浮かべつつアルファードが尋ねれば、男はそりゃあもう、と大業な仕草で頷いた。


「時期ギルド長の話が来た時は俺がパーティー1の出世株だ! って有頂天だったけどよ。いざ蓋を開けてみればこれだぜ? しかも年々忙しくなりやがる」


 俺は馬車馬かっつーの、こんなことならさっさと隠居してりゃあ、と湯水の如く溢れ出る愚痴を、リゼットが出した紅茶を飲みながら聞き流す。


 男から漏れ出る愚痴は、直接的な表現はないものの大半が五年以上前から劇的に増加した、ある特殊な冒険者達に関するものであった。

 道楽冒険者、といつだったか男が酔っ払った時に呼んだ事があるがまったくその通り。

 道楽として依頼をこなし、魔物を狩り、冒険をする者たち。驚くべきことに、その数は万を超える。

 そんな者たちの扱いに、客を呼び寄せる必要の無くなった飲食業と宿屋以外の住人達は頭を悩ませている。


「野郎ども、犯罪すれすれの行為を平気でやりやがって……俺が一体何枚の謝罪文を書いたと……」


 何故、曲がりなりにも大都市の冒険者ギルド支部長という地位にある男がこのような醜態を、知己であろうと客人の前で晒すほど追いつめられているのか。

 そう疑問を問われれば、そもそも冒険者ギルドがこのような事態に対応できる組織形態を持ってはいなかった、という事に尽きる。


 設立された当初の事は忘れたが此処百年ほどのギルドの役割は、言ってしまえば『職業紹介所』だった。

 地域住民達から短期の仕事を募集し、犯罪履歴等をしっかり調べ上げた、ギルドが後ろ盾した冒険者にそれらの仕事を割り振る。


 従来の冒険者達は家や職を持たない社会的弱者が半数ほどを占め、冒険者ギルドは仕事を紹介することで社会的弱者達に金銭的援助をするという慈善団体的な側面も持ち合わせていたのだ。

 ほんの一握りの、歴史の教科書に出てくる冒険者のような力を持った者達には国からの依頼をこなさせ、手綱を切っていた。


「ったっく国から来た奴ら、ほいほい辞めやがって……しわ寄せは俺みてーな元冒険者に来るんだっつーの」


 そんな役割を成していたからか、冒険者ギルドというものは中立を謳いながらも国との結びつきが非常に高い組織だった。

 支部長や副支部長などの重要な役割に就くものは元文官や武官が多く、この男の前の支部長も元王立騎士団所属の武官であった。


「特に文官が駄目だな。無駄にプライド高くて、そのくせちょっと仕事が多いくれーでぴーぴー喚きやがる。本当にあれでタマ付いてたのかよ。不甲斐ねぇったらありゃしねぇ」

「文官が不甲斐なくて悪うございましたねぇ」


 にやにやと緩んでいた顔が、横から掛けられた声でに凍りつく。

 何を隠そう、リゼットはてんてこ舞いな冒険者ギルドの様子を見かねた国が派遣してきた、王城に籍を置く優秀な文官である。


 先の失言が無かったかのように椅子に座り直すと、男はアルファードが持って来た――持ってきてリゼットに丸めて紙筒にされた――書類を開き直してこほん、と一つ咳払いを落とした。


「あー……それで依頼の品は?」


 その言葉に、アルファードは何処からともなく取り出した一本の瓶をコトリと机の上に置いた。

 窓から差し込む光を反射して瓶の中の液体が煌めく。輝くようなサファイアグリーンを確認して、男はおお、と感嘆の声を上げた。

 手にとってコルクを開け、香る芳香を胸一杯に吸い込んでから一気に呷る。


「くーっやっぱ、疲れてるときはこれに限るな、おい。これであと半年は頑張れるぜ」


 例の液体・・・・を微塵の躊躇なく一気飲みした男は、隈の無くなった顔でからりと笑った。肌艶も良くなり、5才は若返った様に見える。

 男の劇的な変化を間近で見ていたリゼットはこれはすごい、と呟きながら空になった瓶を両手で持ち上げ、しげしげと見つめる。


「素晴らしい。王城に卸す事は無いのでしょうか」


 期待の込められた視線に、アルファードは無理だな、と間髪いれずに答えた。生産が追い付かない、と付け加えて。

 いくらアルファードと言えど、あの悪臭を月に何回も経験するのは御免被りたかった。


「ならば、レシピを錬金術協会へ」

「難しいだろうな」

「それほどの技術力が?」

「いや……作ること自体は簡単だが……」


 あの悪臭の中一日以上作業する手を止めないでいられる人が一体どれだけいるものか。

 言い淀むアルファードに、リゼットはきょとんと首を傾げた。


「……秘伝の物だ」


 尤もらしい事を真面目な顔で言えば、知識を尊ぶこの国の文官はなるほど、と頷き引き下がる。

 アルファードは渡された空になった瓶を懐に仕舞い、依頼の品をすべて入れた箱を机の上に置いた。




「んで、本当の理由は?」


 依頼書に書かれている品数と薬品の数が合っているか。その確認作業をしているリゼットの後ろ姿を眺めながら、男がにやにやと笑いながら潜めた声で問う。

 アルファードはメモに書きつけていた手を止めて肩をすくめた。言うつもりはない、という意思表示だった。


「蛙の足でも入ってんのかよ?」


 男のその言葉に、再び動き出そうとしていたペンを持った指先が止まり、形の良い顎に当てられた。

 少々ばかりの思案の後、アルファードは眼を伏せていや、と呟くように言った。


「……入っているのは、ミミズだ」

「…………マジで?」


 真っ青になって口に手を当てた男の様子をぼんやりと眺めながら、アルファードはあの薬の製造過程は永遠に黙っている事を決めた。

 ミミズ以上におぞましい材料が、あの液体には山ほど入っていたからだった。




「はい、確かに全品確認いたしました。……支部長、どうかなされたのですか?」


 100点近くに上る薬品の確認作業を驚くほどの短い時間で終わらせたリゼット・ブノワは、口元を押さえ青い顔でソファーの背もたれに突っ伏する上司を見て首を傾げた。

 自ら新しく入れ直した紅茶を啜っていたアルファードにちらりと伺うも、目を伏せられる。

 もう一度ぐったりとした上司の姿を見てから、またこの人が自業自得で何かやったのだろう、と納得してリゼットは上司の横に腰掛けた。


「代金の方ですが、ポーションが――…」


 説明をする言葉を止めずに、リゼットは悟られないようこっそりと、対面する男の顔を盗み見た。

 男は――アルファードは、賛美以外の言葉が思い浮かばないほどに美しかった。驚くべき事に、貴族ではない。リゼットは、王侯貴族以上の美しさを持つこの男の存在が、出会ったばかりの頃は信じられなかった。


 容姿の美しさは、一重にその人物の魅力として数える事が出来る。魅力とは観衆を魅了する力。即ち、一種のカリスマである。

 そのカリスマを王へ献上するために、貴族達はこの国が建国された当初から美しい容姿を持つ人間の血を諸外国の貴族達から出来うる限り積極的に取り入れて来た。もちろん、子孫が愚かにならぬ様に聡明な血も取り入れて。


 だというのに、この目の前の男は。リゼットが社交界で見たどの貴族よりも、いつかに仰ぎ見た王族の方々よりもさらに美しい。

 美しく、しかも叡智に富んでいる。

 もしかしたら、至宝と讃えられていた今は亡き先王の姉君よりも。

 もしかしたら、あのお伽噺の――。


 リゼットがつらつらと品物の数とその代金を説明していると、アルファードが途中でああ、と声を出して話を遮った。

 低く、甘い。声までもが、美しかった。


「何か、不備でも?」

「いや。……いつも通り、四分の三は銀行に預けておいてくれ」


 万人を魅了するだろうアルファードの瞳が真っすぐにリゼットの事を見つめた。限りなく金色に近い、宝石のような瞳。リゼットはその美しさに一瞬息を飲み、そうと悟られないよう巧妙に恍惚を混ぜ込んだ吐息を吐いた。

 ええ、そのように。リゼットは頷いた。その姿は魅力を兼ね備えた、完璧な副官以外の何者にも見えなかった。



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