三
この三人組はモンスターを凶暴化させる特殊な香水でも付けているのか、と内心嘆息しながらも、死んだばかりで生暖かいモンスターの体内から宝玉――魔晶を引きずり出す。
この作業も本日十回目だ。
モンスターを魔獣として位置づける、体内の魔力を生成する機関。それを破壊されたモンスターの体は、塵となって朽ち果てる。
通常、魔晶は皮も肉も骨も利用できる部位すべてをはぎ取った後に取り出すものなのだが、冒険者とは言えうら若き少女たちが顔を青ざめさせる目の前で赤と桃色と白の世界を繰り広げるわけにはいかなかった。何より、万が一吐かれでもしたら面倒な事この上ない。
消えていく鹿型のモンスターは、気性の穏やかな種だった――はずだ。三人組を見つめる形相からは、とてもそうとは判断できなかったが。
塵と消えていく死骸へじっと視線を注いでいると、アルファードはふと自分の指先に視線が集中しているのに気が付いた。
「いるか?」
指先に摘まんでいた小ぶりの魔晶を、鎧を身に纏ったエルフへ無造作に放る。
取り零しそうになりながらも何とか手中に収めたエルフは、それを木々に遮られながらも幽かに届く木漏れ日に透かし見て、驚嘆の声を上げた。
「ま、魔晶!?」
その言葉にあとの二人もそれをじっと見つめ、驚きの表情を浮かべる。
モンスター側から近寄ってくるのであれば、いくらでも触れる機会はあるだろうにとアルファードは首を傾げる。
またノコノコとこちらに近付き姿を現そうとしているモンスターの気配を察知し、短剣を取り出す。そしてモンスターの素材が出回り始めたのはこのせいか、と一人納得。
爆発的に増えた冒険者全員が、このような体質を持っていたのだとしたら、あの市場破壊とさえ言われる事態も頷ける。乱獲ではなく、正当防衛だったと。それも一部に過ぎず、原因となるものは他にもあるのだろうが。
魔晶を見ながら何やら談義をしている三人組を背に、アルファードは姿を現したモンスターに短剣を振り上げた。
険しい道なき道を時折ポップするモンスターを退治しながら進み、此処だと言いながら麗人が最終的に足を踏み入れたのは、霧と木々に囲まれた大きな湖の前だった。
波一つない静かなエメラルドグリーンの水面が、鏡のように周囲にある雲や木々を映し出している。
おまけに湖からはこんこんと絶えず霧が湧き出ていて、湖の前の開けた平地はさながらスモークを焚いた舞台のよう。
そのステージに立つのが現実にはあり得ない、酷く浮世離れした美貌を持つ男だという事も相まってとても……ある意味、とても雰囲気ある場所だった。
何度もレベリングの為境界の森へ訪れ、今実装されている場所すべてのマッピングが完了しているアイリスが出した地図を横から覗き込むも、普段地図が表示されるモニターは一面真っ白で、自分や味方の位置を知らせるアイコンさえ点滅していない。
友香は同じようにモニターを覗き込んでいた先輩と顔を見合わせ、ざっと青ざめた。
今自分がいる場所は誰も足を踏み入れたことの無い、本当に実装されているのかどうかの、存在すら怪しい場所だ――。
何やら、大昔に流行したデスゲームやゲーム内に閉じ込められる都市伝説。そんな雰囲気を感じる。
年頃の少女の御多分に洩れずそのテの話題がひどく苦手な二人は、一人平然と辺りを見回すアイリスの両腕にしがみ付く。
麗人は三人組のそんな様子を一瞥しただけで気にも留めず、霧に覆われた地面に膝を付いた。波ひとつなく、静寂の湖面を覗き込みながら、右手を皮手袋から抜き取る。
躊躇いなく入れた湖の中は、夏だというのにひんやりと冷たい。その感触に眼を細め、少し水中で手を揺らしてから立ち上がり、ゆっくりと振り返る。
本物の黄金を流し込んだかのような光彩。そして、現実であれば生物皆が黒いはずの瞳孔は、光彩よりも尚濃い金色で少し赤みがかっている。空は霧で覆われ、薄暗いというのに不思議とはっきりと見える双眸。それを向けられた二人はびくりと肩を跳ねさせ、アイリスの両腕に抱き着く力を強めた。
「ウィステル」
低く艶めいた美声で、麗人が呼ぶ。名前を呼ばれた友香は半泣きになりながらも、アイリスに背を押され彼の立つ湖の畔へ一歩ずつそろりそろりと近付いた。
湖から湧き出る白い霧は、5cmのヒールを隠す高さまで地面を覆い尽くしている。スモークをかき分け、友香は彼の左に1mほどの距離を開けて並び見上げた。
麗人は、自分の胸下にある友香の目を見つめながら口を開く。
「呼び出してくれないか」
脈略の無い言葉に友香が疑問を投げかけようとした瞬間、目の前に黄金の蔦の装飾をされたウィンドウが浮かび上がる。通常のモニターよりも横長のそれは、イベントでしか見られないものだ。
そこに書かれた文面を目で追い理解すると、友香は不安げな面持ちで後ろに控える二人を振り返った。
先輩とアイリスも友香と同じように目の前に浮かぶウィンドウに目を通す。そして頷きあい、友香に頑張れ、と口を動かした。
そうだ、このイベントを遂行できる精霊術師は今この場に、私しかいない。頼ろうとも、精霊術を取得していない先輩たちにこの役目はできない。
友香は瞼を下し、一度深呼吸をしてから麗人の黄金の瞳を見つめた。
「やってみます」
湖の縁に膝を付き、祈りを捧げるように胸の前で指を組む。
そして、思いを込める。どうか姿を現してくれますように、と。このイベントが何を指示しているのか、自分は今何を呼び出そうとしているのか、そしてこのイベントを遂行出来たら、何があるのか。次々湧き出てくる疑問を無視して、友香はただただ一心不乱に祈った。
思いを込めてから大体一分ほど経過した後、柔らかな風が頭上を通り抜けた気がして、友香は閉じていた目を開けた。
白い霧に覆われた地面から、ゆっくりと視線を上げる。白い地面、湖の縁、エメラルドグリーンの水面。そして視界に映ったものに目を見開く。
透き通った湖の上、何もないはずの虚空に白い爪先が浮いている。
青色に彩られた爪先は、水面から大体15cmほど上の空中で静止している。きゅっと引き締まった足首、雪のように白い足は幾重にも重なった布から伸びている。裾広がりの青いマーメイドラインのドレスが、折れそうなほど細くくびれた腰や華奢な肩を包み込む。滝のように流れる白銀の髪は絶えず風と戯れているというのに、その体は少しの揺らぎも見て取れない。
清廉とした美貌の中目尻に青を乗せた瞼を閉じる、ひたすら現実離れした存在が宙に浮いていた。
精霊術師が祈ることで現れた存在。それはつまり――そこまで思考を巡らせて、友香たちは食い入るように女性の形をしたそれを見つめた。
「久しぶりだな」
友香の横から響いた甘い声に反応し、長いまつ毛に覆に縁どられた目がゆっくりと開く。
ガラスのように、あるいはこの湖のように透き通った青色の瞳が奥にいる先輩とアイリス、目の前に立つ友香、そしてその隣に立つアルファードを順に映した。
真っ直ぐに自身を見つめる黄金と目が合うと、女は静謐に整った顔をほころばせた。
「おお、久しいな、いったい幾年の年月が経ったのやら。……十か、それとも百か?」
紅を引いたように赤い唇から零れ落ちるのは、鈴の音や風の音が何重にも重なりあって出されたような音。声というよりも音色、と形容するのが正しいような。人には――いや、喉という発声器官で空気を震わせる生き物たちには決して出すことのできない、不思議な事だった。
五年だ。古めかしい口調で、音色の重なり合った声で持って投げかけられた言葉に麗人は静かに返す。
「それよりも、だ。聞きたいのだが――」
「雨の事であろう?」
女は彼の言葉の先を読んで言葉を紡ぐ。清らかな美貌が憂いの表情を浮かべた。
「ここ最近、この土地は水に連なる者にとって酷く居づらく変容してしまった。……下級の者共はもうほとんどが移り住んでしまった」
「原因は?」
「わからぬ。水以外の奴らは変わらぬのだが……祝福を受けしこの森でさえ、我らに叶うのは宙に留まる事のみ。地中に染み入ろうとすると……そうさな、拒まれるのだ」
女が胸元で握りしめていた手をそっと開くと、雪のように白い指先に青い粒が戯れるように纏わりつく。
ぽつりぽつりと、女の姿が見えてから現れ始めた蛍のように霧の中を泳ぐ青い光。それが下級であれ「精霊」の名を冠するものだという事に、目の前で進行していくイベントを見ていた三人は気が付いた。
「……お前たちの行動をそこまで抑制できる存在がいるなど、信じがたい」
「だが、事実」
「拒まれる、と言ったな。魔術的なモノか? それとも――」
「まるで東の土地のように、というべきか。かつてあの土地も、まずは我らを拒むことから始まった。このまま雨が降らずにいれば緑は絶え大地は乾き、風はいたずらに砂を撒き散らすだけ」
幻想的な音色で紡がれる言葉を聞いたとたん、麗人は不愉快だと言わんばかりに顔を歪ませ吐き捨てるように言った。
「これが、世界の選択とでも?……馬鹿馬鹿しい」
「東の地が砂に塗れたように、最北の大地が氷に閉ざされたように。何らかの切欠があり、誰かが望むから世界はその願いを叶えるのだ。この世界の理はこうだと、そなたは誰よりも心得ているだろう?」
「しかし、一体――…」
「あ、あのっ!」
自動で進んでいくイベントの内容に耐え切れず口を挟む。あっさりしているが、もしかして、もしかしなくてもこの国、ピンチ?
最後まで聞かずに小さく手を上げると、黄金と青の二対の瞳が友香へ向いた。
交わされる話の意味は半分もわからない。だが、誰かが望んだ事でこの国がまずい事になるのは理解できた。
もしこの会話通りにマップの変更があるのなら、どれだけのプレイヤー達が被害を受ける事か。たった一度きりのイベントで扱う事じゃない、と内心運営に文句を言いつつも、友香は口を開く。
「誰かが望んだから雨が降らないのなら、誰かが望めば、雨は降るんですか?」
震える声で、胸に手を添え言った言葉にきょとんと一度瞬きをした後、麗人は首を振る。
「世界さえ動かす意思、というのは何百、何千の人々の心からの望み。それが――」
「否、可能かもしれぬぞ」
「……なに?」
女が青く染まった指先を友香へ向ける。すると勝手にステータス画面が開き、独りでにスキルの項目までスクロールされる。常時は黒い文字が連なるその中に、たった一つだけ赤い文字で書かれた文字がある。信仰系スキル:【祈祷】は三日ほど前、皇国に訪れた際取得したものだ。
信仰系スキルなんて、神父や修道女、僧兵といった職業を選択しない限りプレイヤーには使い道が無い。殆どのプレイヤーが手に入れてすぐに捨てるこのスキルは、どうやらこのイベントで日の目を見るらしい。
「そなたらが誰よりも強く。何よりも願うのならば」
可能かもしれぬ、と女は笑う。
ごくりと唾を飲みこむ友香の両肩に、ぽんと手が乗せられる。振り向けば、いつの間にかそこに立っていた先輩とアイリスがこくりと頷く。どうやらこの二人も、【祈祷】を消さずに持っていたらしい。
不安を隠せなかった先ほどとはまるで打って変わり。友香もまた自信を持って女に向かって頷いた。
ざあざあと音を立てて、文字通り滝のように降る雨粒。
朝、水を撒いたばかりの薬草は鋭い雨に打たれくたりと首をもたげている。朝と同じようにガラス越しに空を見上げれば、覆い尽くすのは黒い雨雲。これは明日も雨になりそうだ。
帰り際に渡した色とりどりの雨傘三つ、仲良く並んで城塞都市の砦へ進んで行くのを窓越しに認めたアルファードは、憂鬱気にため息を落とした。
「世界にとって、人の価値は平等ではない……」
口から漏れ出た言葉は一体いつどこで、誰に言われたものだったか。
たった三人の少女の祈りで、世界は意思を真逆に変えた。それはつまり、世界にとってあの冒険者三人組が――…
そこまで考え、首を振って思考を中断する。
今物思いに浸る時間は無い。大幅な需要の増加によって、作り手であるアルファードの元には平日休日、昼夜を問わず薬の作成依頼が絶えず舞い込んでくる。
今日は時間的な余裕があったので森へと足を伸ばしたが、想定より大幅に時間を割いてしまった。
窓から離れ、地下にある工房へ足を動かす。明日までに完成させなくてはならない依頼があった。