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錬金術師は思考する  作者:
第一章 Fortum Aurora
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 自分たちが守り切れなくなった時、すぐに戦線離脱できるようにとアドバイスを受けて取得したスキルを使って、友香は森の中を駆け抜ける。

 暗く視界不明瞭な森の中は胸中の不安を駆り立てて、友香の焦りを増幅させる。

 操られるように動く足、現実で体感したことが無いほどの速さで木々が後ろに流れていく。視界の端に移るMPバーがどんどん削られて行き、もう少しで半分に差し掛かる所で、友香は視界の中に見慣れた金髪を見つけた。


 落葉にまみれた地面にブーツのヒールを突き刺して減速し、見つけた金色になるべく音を立てないように、幹に隠れながら近づいていく。


「なに、あれ……」


 小さく漏れ出た声は、震えていた。

 友香はその光景を見た瞬間、時が止まったような錯覚に陥った。


 金髪のエルフ――いつも友香を励ましてくれるギルドメンバー――と、黒髪の猫獣人――友香をギルドに誘ってくれた先輩――が熊型のモンスターに襲われている。

 そう、襲われているのだ。あの、このゲームを攻略する数多の人々の中でも上位に位置する先輩たちの決死の攻撃が、虫でも払うような動作で、翻されているのだ。

 ギルド仲間、戦士の上位職である戦乙女のアイリスの青い槍が熊の心臓を狙い穿たれるも、太い腕の一振りで軌道を曲げられる。先輩、猫獣人の盗賊シーフが気配を消して機を伺い、背中にダガーを突き立てようと奇襲するも振り向きざまの攻撃を受けて倒れ込む。

 全く、歯が立っていない。


 仲間の前に立ちはだかるのは、体長3mはあろうかという巨大な熊型モンスター。

 歯茎までもむき出しに牙を剥く熊の姿は、ただ恐ろしい。ここがゲームの中だという事実を忘れてしまうほどの、人間が忘れ去ってしまった動物の本能をすくみ上がらせてしまうほどの迫力があった。


 木の影に自然と震えてしまう体を隠して、友香はそっと先輩たちの様子を伺った。

 幸いパーティーを組んだままだったので、友香の視界には先輩とアイリスのHPバーがしっかりと見えている。

 黒髪の猫獣人の上に浮かぶHPは黄色。金髪のエルフの上に浮かぶHPは、赤。


 まずはあと一撃でも食らったら死に戻りしてしまうであろうアイリスさんを先に、と友香は詠唱に入る。

 精霊術師を選択するプレイヤーが少ない原因の一つに、力を行使する際の縛りの多さがある。詠唱中、対象から目を離してはいけない、精霊の存在をたとえ心の中でも否定してはいけない。

 前者はこの世界と重なり合っているが異なる世界に存在する精霊が、対象の姿を見失ってしまうからとされ、後者は精霊が心さえも見抜く力を有し自分たちを信じる信心深いものを好くとされているからだ。


「……ウンディーネ」


 最後に掛ける術の属性をまとめ上げる長の名前を呼び、祈りを込める。どうかアイリスの傷が治りますように、と。

 ふわりと淡い水色の光がエルフの周りに舞い、赤色だったHPバーが伸びていく。それを確認してほっと息を吐いた友香は、ふと強烈な視線を感じ俯いていた顔を上げた。


「ひっ……」


 大きな熊のモンスターが、ギラついた瞳で友香を睨みつけている。

 小声で詠唱、なんて小細工も聴覚の発達した熊には無意味だったらしい。熊がゆっくりと仲間たちから友香へ体を向け、一歩、一歩と足を進める。熊が歩くたび、立っている地面が揺れた。先輩たちの「逃げて」という悲痛な声がとても遠くに感じた。デスペナルティ、出来れば装備以外が良いな、なんて場違いな遺言が友香の頭をよぎる。


 地面の揺れが収まり、友香はいつの間にか閉じていた目を開けた。1mほど手前で、熊が立ち止まっている。大きい。ただでさえ森は薄暗いのに熊が光を遮って、シルエットしかわからない。熊が、右腕を上げる。現実の熊なんて目じゃないくらいに発達した爪が、真上に振りあがった。ギラリと幽かな光も反射する鋭い爪。そして――…



 眼前まで迫った鋭い爪が、停止ボタンを押されたかの如くそこでピタリと静止する。


 遅れて風圧が全身を襲い、友香はペタンと土の上に尻もちをついた。

 ゲームである事を忘れてしまうほどの、恐怖。熊の爪が振り上げられ眼前に迫った時。友香はゲームの中だというのに、本来の体は現実世界で暖かい部屋の中柔らかなベッドの上に横たわっているというのに、確かな『死』を意識した。

 攻略の最前線は、こんな思いをするのが日常茶飯事なのだろうか。後からやってきた恐怖からカタカタと震える体を押さえながら、きっと先輩たちが何かしてくれたのだろうと友香はそちらへ視線を向けた。


 だが、目が合わない。

 先輩たちは、友香には熊が障害物になって死角となっている方向に顔を向け、愕然とした表情を浮かべていた。

 もしかして森に響いた悲鳴を聞きつけて誰か、他のプレイヤーが助太刀に来てくれたのだろうか。震える足をいなして立ち上がり、友香は石の様に固まった熊の影から抜け出した。


 ――あのアバター、作るのに何日かかったんだろう。

 恩人を一目見て最初に思い浮かんだ言葉が、それだった。

 すらりとした長身に長いローブを纏った命の恩人は、とんでもない麗人だった。男に対して使う言葉ではないかもしれないが、友香の頭はその姿を見た瞬間この単語を弾き出した。


 僅かな光にも艶々と光を弾き返す長い黒髪を赤の組紐でゆるく縛り、頬には変わったタトゥーを入れている。一見現実世界ではあまりお近づきにはなりたくない風貌だが、不思議なことにそれが男の持つ雰囲気にピタリと合致していた。むしろ、ミステリアスで素敵かも、と友香は少し頬を染める。

 バランスの取れたすらりと長い手足は芸能人のようだし、通った鼻梁に薄い唇、瞳孔まで金色の不思議な瞳、とパーツの細部に至るまで非常に整っている。現実世界でもゲームの中でも、人々の理想を追求した人工的な美形は溢れかえっている。だが、この人は、そのどれもから一線を画していた。美男美女を見て来た現代っ子の友香を唖然とさせるほどの美貌。


 この外装を作り上げた中の人は、その道一筋うん十年のオジサマかもしれない。そんなおじさんが暗い部屋の中で延々とアバターを弄繰り回している光景を思い浮かべるとドン引きだが、それを思考の外に追いやって一緒にいるのなら、これ以上ない目の保養だ。


 麗人は、熊の影から出て来た友香に艶やかな流し目を送ると片手をローブの中に入れ、懐から短剣を取り出した。

 熊型モンスターは友香が仲間の元へたどり着くまで1mmたりとも微動だにせず、経緯は不明ながらも助かったことを理解した友香は、呆気に取られたままのアイリスに震える体で抱き着く。


 そんなやり取りをしている間に熊の背後に立った麗人は、少しの躊躇も見せることなく毛で覆われた無防備な背中に短剣を突き立て、一気に下へ引き下ろす。

 誤って机から落としてしまった筆箱のように。赤黒い液体と灰ピンク色の紐やら丸い物体やらがずるん、と開いた背中から落下する。その生々しさに、三人は息を飲んだ。


「ひっ……えっ、えっ?」


 なんで、消えないのだろう。友香は顔を青ざめさせながらも首を傾げた。普通モンスターの死体は、HPが無くなると同時に光に変わり、アイテムボックスに戦利品としてその一部だけが残される。

 背中だけがぱっくりと開けられた熊を、チャックを閉め忘れた着ぐるみみたい、なんて思考停止した頭で考えながら、友香は地面に落ちた灰ピンクの臓物と血の水たまりをぼんやりと見る。視界の中で時折臓物が痙攣し、熊がまだ生きている事が分かった。わかりたくなかった。

 友香はじっと見ていると気分が悪くなりそうな血だまりから、それを作り上げた麗人に視線を移した。彼は黒い皮手袋に包まれた手を熊の体内に突き込み、探るように動かす。湿った音が響き、友香は耳を塞いだ。少し経った後、麗人は熊の体液にまみれた手を引き抜く。


 その手に握られた物を見て、友香は首を傾げた。

 黒から赤黒に変わった手に握られていたのは、親指大の紫色の水晶玉だ。どんな構造をしているのか、黒と白、時折紫の靄が水晶玉の中を絶えずたゆたっている。

 水晶を抜かれた事で何かが起こったのか、直立不動のままだった熊のモンスターが光となって消えていく。地面に落ちた臓物や血、それに麗人の手についた血も一緒に。


 視界の隅に「Yours Win!」「Lv Up!」の文字が躍って、友香はアイテムボックスを開いた。好みの色を選べる桜色のモニターの中には、「クロウベアーの肉」「クロウベアーの毛皮」「クロウベアーの爪」が新たに追加されている。アイリスと先輩も、それぞれ同じようにモニターを開いて確認していた。


 宙に浮かべていたモニターを消した友香は、きょろきょろと辺りを見回しあっと声を上げた。

 足早に立ち去ろうとしていた麗人に小走りで駆け寄り、黒いローブの裾を掴む。


「あ、あの、助けていただいてありがとうございました! もしかして、最前線のむぐっ……」


 最前線の方ですか? の言葉は背後から伸ばされた手に阻まれ口から出ることは無かった。

 友香の口を後ろから塞いだ二人は、麗人にちょっと待っててください、とにっこりほほ笑んでから友香を麗人から引き離し、彼に背を向けた。


「ちょっとちょっと、あんたなんかした!? イベント発生するようなことした!?」

「えっ? えっ?」

「何でここにあの人がいるの! クエストでしか会えないレアキャラじゃなかったの!?」

「ま、迷子になって……」

「迷子で出てくるような人じゃないの! 森に来るなんて情報無かったのに……」


 こそこそと小声で意味の分からない事を言い争う二人に友香が疑問符を浮かべていると、二人は揃ってため息を吐いてから、顔を合わせうなずき合った。


「とりあえず、何らかのイベントが発生している可能性が高いわ。クロウベアーなんて、このレベル帯には生息してないもの」

「とりあえず友……ウィステル、あんたNPCとPC見分けるマーカー切ってるでしょ。つけて、今すぐ」

「え? は、はい」


 先輩の勢いに押された友香は再度モニターを開いて切っていたマーカーをONにする。先輩とアイリスには、青色のマーカー。そして腕を組んで立っている麗人の上には――NPCである事を示す、緑色のマーカーが浮かんでいた。


「えっ!? えぇふぐっ……」


 友香が上げた驚愕の声は、再度手のひらに吸い込まれた。






 人間と猫獣人、それにエルフの――冒険者。


 三人集まり何やらこそこそと話し合っている少女たちを見ながら、アルファードは眉をひそめた。

 アルファードに限らず、城塞都市の住人にとって昨今の冒険者達の印象は悪い。

 そもそも冒険者ギルドに集まる多くの依頼は本業の片手間や夢を持つ子供が武を磨くため、それかちょっとした小遣い稼ぎに利用するためにあって、冒険者だけを生業として生きていくのは酷く難しい。

 よしんばそれを職業としている者がいたとしても、それはごく一部の上位の者――それこそドラゴンを狩る事が出来る者――の話であって、大多数は仕事が無く一日の食い扶持にさえ困る貧困層。あとは冒険者を自称する破落戸ごろつきであったり、後は旅人がその資金を稼ぐためする程度だ。

 本来冒険者というのは、そう名乗らざるを得ないほど追い詰められている者たちの事を指す――はずだった。


 だが、ここ数年、城塞都市においては一年半前。冒険者には肌艶が良く見目麗しいのがどっと増えた。冒険者をするくらいならば、もっと稼げる娼婦や男娼をやれと言いたくなる者たちが、大量に。

 その冒険者たちは、街の住人の愚痴を聞く限り毎晩宿に泊まり、屋台の飯を漁って過ごしている。その上三日以上同じ街に留まる事が無いという。そして、大体九日経ったらまた戻ってくる。最初聞いた時は貴族のぼんくら息子、娘たちの道楽かとも思ったが、それにしては数が多すぎる。


 ギルドの依頼で人の家に朝早くから夜遅くまで、時間を問わず訪ねて来ては意味の分からない事を一方的に喚き散らし、自分の用事が済んだらお構いなしに帰っていく。

 傲岸不遜で、意味不明。アルファードに限らず、街の住人達にとっての総合的な印象はこんなところだ。


 木皮が剥がれ落ち始めている幹に触れていると、長い話し合いが終わったのか冒険者三人組がこちらへ駆け寄ってくる。

 しかし、この三人組――

 季節感も、意図しているだろう服装の雰囲気もちぐはぐだ。まず、森に来るような恰好ではない。


 栗色の髪の純人種の少女はこの猛暑に冬を意識しているのか、白いニット帽に厚手の貫頭衣。黒髪の猫獣人は夏……それも海にでも行くのか、肩を出したブラウスにオレンジの腰巻。足元に至っては、高いヒールのサンダル。金髪のエルフはモンスターと戦うことを意識しているのか腕と足に青い鎧を付けているものの、肝心の胴体はジャケットにスカート。

 服に魔力で常温を保つ効果のある刺繍を縫っているのならこの季節感無視の服装も許容範囲だが、高価なそれを身に纏っているのならばますます冒険者をしている意味が分からない。

 最近の冒険者は恰好が、と冒険者ギルドに務める知り合いがぼやいていたが全くその通り、これではいつ死んでもおかしくない。


「あ、あの、助けていただき本当にありがとうございました! 私、冒険者のウィステルと申します!」

「同じく冒険者のアイリスです。危ないところでした。貴方がいなかったらどうなっていたことやら……」

「ビオラよ。本当にありがとう、来てくれて助かりました。……それにしても何でクロウベアーがここに、」


 厚着の少女――ウィステルがぺこりと頭を下げながら言った礼を皮切りに、後の二人もそれに続く。

 アイリスと名乗ったエルフは胸に手を当てながら小さく微笑み、ビオラと名乗った猫獣人はアルファードに感謝しながらもクロウベアーがいた方向を見て顔をしかめた。


「餌が無くなったんだろう」


 アルファードのその言葉にビオラの朱色のネコ目が瞬く。腰を折って足元の低木の葉を一枚摘み、三人組の前に朽ち始めた葉をかざす。


「ここ最近晴れの日が続いただろう。……乾燥に弱い植物はこの様だ。餌が無くなって、川の向こうや山からこちらへ降りて来たか、」

「ちょ、ちょっとストップ!」

「……なんだ」


 ビオラが話を遮って手のひらをアルファードに向ける。どうやら待て、の合図らしい。

 三人組は再び円陣を組んで話し合いを再開した。手に負える話じゃ、中断、応援を呼んで、もう一度。そんな声が断片的に聞こえてくる。

 しばらくして話し合いが終わったのか、くるりとこちらを向いた少女たちの瞳には決意の色が見えた。


「えっと、話で聞く限り貴方は雨をどうにかするためこの森に……?」

「……まぁ、そうだな。調査の一環もあったが――」

「わ、私たちも付いて行っていいですか!?」


 断る、と即答しかけて口を噤む。人間の少女が被るニット帽にされた刺繍。あれは――

 アルファードはウィステルに近付き、思いのほか背の低い少女と目線を合わせるため腰を折る。下を向いたせいで顔にかかる髪が鬱陶しい。零れ落ちる髪を耳に避けながら、指先を少女の頭へ這わせた。


 赤、青、緑、茶。精霊魔法の主要属性を象徴する四つの色を組み合わせた特徴的な幾何学模様。


「ウィステル……と言ったな。お前、精霊術師か……_」


 こくこくと、耳まで顔を赤らめた少女が何度も首を縦に振る。


「水の力は?」

「つ、使えます、使えますぅ……っ」


 自信満々なその返答にふむ、とアルファードは少女から体を離し――何故か三人ともがほっと息を吐いた――考える。これからしようとしている事は、精霊術師がいた方が成功率は高い。行くまでの手間と、成功した場合の利益。アルファードはその二つを天秤にかけ――…


「いいだろう、ついて来い」


 裕福ながらも、冒険者として生活しこの森に足を踏み入れたのだ。それなりの護身術は心得ているだろう、と三人の少女を目的地へと連れて行くことにした。




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