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錬金術師は思考する  作者:
第一章 Fortum Aurora
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 鳥のさえずりが窓越しに聞こえる。錬金術師は一晩中絶えず続けていた作業の手を止め、椅子から立ち上がり窓を覆っていたカーテンを開けた。

 差し込んでくる日の光に少し目を眇めてから空を見上げる。快晴。今日も、空は眩しいほどに澄み渡り青い。

 数ヶ月前、小一時間だけ降ったにわか雨を最後に雲ひとつない見せない空。それに幽かな、けれど確かな異変を感じて、左頬に特徴的な刺青を入れた錬金術師――アルファードは憎々しいほど晴れ渡った青空を蜂蜜色の双眸で睨み付けた。




 葉を伝い、水滴が地面に滴り落ちる。

 身支度を済ませた後玄関前の薬草畑に水を撒くのは、この家に住み始めてから続くアルファードの習慣だ。


 ここ数年間は、市場における慢性的なポーション不足のためぐんと仕事が増え、すっかり外に出かける機会も無くなってしまったが。この一年間、例えどんなに忙しくてもこの日課は欠かすことが無かった。

 そのおかげか、今年も高品質な薬草が栽培できた。薬草畑全体の土の色が変わった頃を見計らい、魔法を掛ける手を止めた。


 指先についてしまった水滴を振って落とし、門を開いて敷地を出る。

 敷地から一歩外に出ると同時に、門横に設置してある絵の色が赤から緑に変化した。それを横目で確認したアルファードの眉間に少し皺が寄る。


 いつからか皆が掲げるようになったこの絵札を、少し不気味に思う。持ち主の行動を逐一把握し、その思考を読み取って色を変える魔具。裏の仕事に従事する者たちでさえ、家を購入したら玄関前に暗器の絵を掲げる。

 何を考えているのか、一度問い詰めてみたい。馬鹿正直に周囲に自らの仕事を教える犯罪者たちと、それを素通りする憲兵たちを。

 だが、それを実行しても意味はない。意味さえ理解されず終いには異端の目を向けられるだけだ。


 一つため息を落としてから、膝下まで覆う黒いローブを翻しアルファードは薄暗い境界の森へと足を進めた。




 夏の痛いほどの日差しは、鬱蒼と茂る木々たちに遮られ僅かしか落ちない。

 乾燥しきり、ただそこにいるだけで喉が渇きそうな外の空気と正反対に、森の中は肌の上で空気が玉結びそうなほどじっとりと湿っていた。

 暗く多湿な森の中をぐるりと見まわしてから、アルファードは迷いのない足取りで歩を進め始めた。


 向かうのは、もう何年も足を踏み入れていない場所。地図も無い状況でたどり着けるか少し心配だったが、それも杞憂だった。昔足しげく通った場所は、体も覚えている。


 でこぼことした道なき道を進む途中、木々の隙間から青い体躯が姿を現した。

 青い毛皮に覆われた体、上顎から生えた巨大な牙。この森に群れで生息するモンスターの一種、ブルーウルフ……だという事は分かるが、周囲に仲間が見えない。はぐれた個体だろうか。


 青い狼はしばしアルファードをじっと見つめていたが、襲ってくることなく踵を返した。

 この森に群生しているモンスターは、理性的で賢い。人間に襲い掛かった時の勝率や自分が勝った際、負けた際に同種族が受ける被害を理解している。


 立ち去っていく青の毛皮を眺めながら、そういえば、と知り合いが言っていた言葉を思い出す。

 曰く、最近やけにモンスターの素材だけが出回っている、と。

 一時期市場には、こちらから攻撃しなければ襲ってこない、兎に似た形をした穏やかな性質のモンスターの毛皮が大量に出品された。その量はとても個人で仕留められる範疇ではなく、何らかの――それも構成員が千以上の巨大な――組織ぐるみの暗躍が疑われている。ポーションなどの治療薬、剣や防具の需要の増大も、その説に拍車をかける。

 モンスターと動物の違いは、体内に魔力を貯める機関が存在するかどうか。確かにモンスターは強く気性の荒い種が多いが、動物にも獰猛な物はいる。にも関わらず、性質に関わらずモンスターの素材だけが出回っている現状。


 継続する少雨に、武器や防具、ポーションの需要の急増。それに加えてモンスターの死骸の異常な出回り方。どれもこれも、ここ数年での出来事だ。それら全てが見えない糸で結びついているような気がしてならず、アルファードは顎に指を添え考え始めた。


 一度物事を整理しようと、現場の一部である森の中をぐるりと見渡す。そしてふと、目についた物をよく見ようと片膝をついて顔を寄せた。


「これは……」


 膝ほどしかない、低木に茂った葉が葉脈に沿って朽ち始めている。そっと手袋に包まれた指を滑らせると、葉はパラパラと崩れ落ちていく。

 目を眇めてから顔を離し、その木全体を観察する。

 王国ではこの森にのみ生息する、常緑の木。秋にも葉を落とさず、湿気った森の中で朽ちる原因など無いはずだ。


 ふと突飛な説を思い立ち、アルファードは木の根元に手をかざした。使用するのは、土魔法。

 暗い色をした、水を多分に含む土が隆起し、それより薄い色をした土をのぞかせる。魔法を止めずにいると、更に薄い色の土が現れる。

 立派な土壁が完成した時、地表に晒された部分からはすっかり水気が失われていた。さらさらとした、砂のような土を触りながら、アルファードは地表部分にのみ水分が留まっているのだろう、と結論付ける。

 通常、水は土に吸収され下へ下へと落ちていき、地下水となる。だが、この森では水は土に浸透せずに、森の外を鑑みると本来乾燥しているであろう空気を重くさせるだけ。


「まるで、演出しているような……」


 思わず口から出た言葉に、アルファードは馬鹿馬鹿しいと首を振る。

 確かにこの薄気味の悪い暗い森には、立っているだけで汗ばむような、じっとりと湿った空気が似合いだろう。

 だが、そんな事をして得をする人間がいるのか、と問われればそれは否。この境界の森はどの国の物でもない無法地帯。たとえこの森が火事で焼失しても、国に属さない故にどの国にも損害は無い。

 このまま木々が乾燥して枯れ果てても。また百年前のあの戦争の時のように、驚異的な再生力でもってこの森は元と変わらずそこにあるだろう。


 心の中に朧げな疑問を持ったまま、地面に作り上げた土壁を元に戻す。

 また道とも言えぬ森の中を進もうと足を踏み出したその時。甲高い女の悲鳴がアルファードの耳に届いた。






「もしかして……ううん、やっぱり迷子……だよねぇ?」


 薄暗い森の中で、一人の少女が眉を寄せて小さく呟いた。

 赤緑青茶の幾何学模様が端に刺繍された白いニット帽を両手で被りなおして、少女はきょろきょろと木と木と……辺り一面木々に覆われ鬱蒼とした周囲を何度も見回した。少女が首を振るたびに、帽子の下から垂れるセミロングの淡い栗色の髪がさらさらと揺れる。

 不安からか、おっとりとした黒目がちの瞳が零れ落ちそうなほど涙で潤む。


「ど、どうしたら……きゃあ!」


 周りを忙しなく映しながら踏み出した足が木の根に取られ、少女は派手に転倒する。

 いたた、と呻きながら立ち上がる少女の体には不思議なことに、傷は愚か土さえも付着していない。

 よくよく少女の服装を見てみると、裾に帽子と揃いの刺繍がされた白いポンチョにショートパンツ、足元はヒールのついたショートブーツ。とてもではないがモンスターの跋扈する森に来るような恰好ではなく、おまけに今の時期は夏。場違いにもほどがあった。


 だが、そんなこと本人にとって何ら気にすることではない。ヒールも、厚手の貫頭衣も機能性に何ら問題は無く、形など装飾品でしかない。

 この服は同じギルドに所属する、服飾スキルを持つ仲間が作り上げたオリジナルの防具。痛覚は90%が遮断され、肌は温度を感じない。まして服に土が付くなんてリアルはあり得ない。


 だって、自分にとってこの世界は――ゲームなのだから。


 ウィステル――本名藤乃友香は、大規模ギルドに所属する中堅プレイヤーだ。職業は、選択条件が難しく数少ない精霊術師。

 発表時から注目を浴びていたこのゲームのβテストにダメ元で応募してみるも落選し、ゲームショップに発売日の朝早くから並ぶも購入できず。圧倒的な『ご縁』の無さで、結局このゲームを始めることができたのは、今からふた月前の事。オンライン上での販売が開始された、発売一か月後の事だった。

 周りよりも一月遅れてゲームに触れた友香は幸か不幸か、学校の先輩からの紹介で前線ギルドである『フラワークロック』に入ることが許されていた。

 万単位でいるプレイヤーの中で、比較的上位の人が数多く所属する中、一人足並み遅れた友香は最初の一ヶ月、酷く肩身の狭い思いをした。


 ギルドの人たちは、みんな優しい。一から始めた友香のレベルに合わせたダンジョンを自分達の経験から吟味してくれて、レベルアップにも付き合ってくれる。モンスターとの戦闘時も、友香は仲間に守られ後方で呪文を唱えるだけでいい。

 精霊術師はあまりなり手がいないから、成長記録がお礼だよと笑う先輩に友香はしかし、笑い返せなかった。


 ギルドメンバー全員が新たに発見されたというダンジョンに喜々として出かけ、しんと静まり返った部屋の中で友香は幾度も不安に駆られた。


 私は今、このゲームを心から楽しめているだろうか――


 一から一人で始めたのならば絶対に無理なペースで急成長し、友香はあと一週間もすれば仲間のいる最前線に合流できる。

 だが、現実リアルも大事な友香がプレイするのはギルドの既定の最低限……一日2時間、12倍速のゲーム内では、丸一日だけだ。


 もし、このままLvが上がり続けて、合流出来て共に戦う事になったら。法律で定められている連続接続時間ぎりぎりまで、毎日6時間もこのゲームに拘束されなくてはいけないのだろうか。

 そんなのは嫌だ。そんな事になるのならばいっそ、心から楽しめないこんなゲームはやめてしまいたい。けれど、先輩という現実での知り合いがいる手前、そんな腑抜けた理由で辞められない。


 付き添ってくれていた仲間と共にいるというのに、そんな鬱屈とした気持ちでいたせいだろうか。気が付けば友香は、ギルドの仲間とはぐれてしまっていた。

 この境界の森は、適正レベルが友香自身のレベルの3、4上だ。しかも精霊術師は後衛で、攻撃発動までの時間が長い。仲間たちを見つけられなければ、友香の死に戻りは確実。


 どうしよう、と再び目を潤ませた友香の耳に飛び込んできたのは、いつも気丈に振る舞うギルド仲間の、引きつった甲高い悲鳴だった。



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