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錬金術師は思考する  作者:
第一章 Fortum Aurora
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二十


 午後の陽光が窓から降り注ぎ、宙に舞った埃が光に照らされ煌めく。大半が地中に埋もれた石造りの工房には、ザクリザクリと小気味良い音が響いていた。

 城砦都市周辺地域の冬は、境界の森から運ばれてくる凍えた風により冷たく雪深い。

 この時期になると工房は冷え切って、夜半や朝方は机や床の上に霜が降りるほどだ。暖房器具の類が一切ない工房内は、真昼間であろうと息が白く曇る。


 そんな過酷な状況下を感じさせないほど常と変わらず淡々と作業台で材料を刻んでいたアルファードは、ふと顔を上げ工房の中をぐるりと見渡した後、眉を顰め呟いた。


「遅いな……」


 握っていた武骨なナイフを布で拭ってから鞘に収め、机の上に散らばった材料を種類ごとに分け纏めて行く。

 ぽこりぽこりと沸く鍋を火から下ろし、濡れた布の上に置く。蒸気の上る鍋に蓋を乗せてからアルファードは後ろを振り返った。

 弟子が「材料を持ってきます」と言い残し消えて行った棚の隙間には影すら見えない。まさか、迷ったのだろうか。

 弟子が棚の奥へ消えた時逆さにした赤い砂時計は、もうとっくの間に全てが下へと落ちている。


 ユウイチを弟子として迎え、もう5度目の冬が来た。ユウイチがアルファードに師事を受けに来る事はこの数年でぐっと減り、今年は今日で3回目、今夜別れればもう年内に顔を合わせる事は無いだろう。

 後継者とすべくして弟子にしたのならばとっくの間に破門にしていたであろうユウイチはしかし、今まで指導して来た錬金術師を志す者の中でも上位に入るほどの速さで技能を吸収している。

 性格は真面目で勘が良く、細やかな所にも気を配れる。おまけに修練速度は天才鬼才の域。とはいえ、その素質自体は凡才の範疇。性格的にも向いているとは言えない。

 きっと錬金術師としての大成は難しいだろう。助手として、教師としての道を進んだ方が、恐らく。


 材料全てを瓶の中に収めると、アルファードは部屋の奥、棚の壁の中へと足を進めた。




 12枚の薬草を取り出し青色の瓶を棚に戻した後、アルファードは視界の中に弟子の姿を探した。影すらなく、呼気も聞こえない。

 もっとも天井間際まで伸びる棚に四方を囲まれているこの場において視覚に頼るなど、無駄な事だと分かりきっていたが。


――右側の入り口から入り、すぐ右へ。紫色の魔導書がある棚を目印に左へ曲がる。次の三叉路を右へ。道なりに進み、左の狭い通路を抜け突き当たりにある棚の、上から三段左から六番目、青色の瓶の中に入った薬草を取って来い。


 先に自分が言った言葉を思い返して、口頭では無く簡単な地図を渡した方が良かったのかも知れないな、とアルファードは一人ごちた。


 この工房内にある棚は全て、迷路のように入り組む形で置かれている。

 それは希少な素材や魔導書が多く存在する為……という事情もあるが、一番は奥の区画に置いた危険物――触れた物全てを融かす液体や一文字でも理解すれば発狂する魔導書、眼が合うと呪詛に掛けられる人形等――になるべく人を近づけさせないように、という配慮からだ。

 奥の区画へ続く道には数多の仕掛けが施されており、侵入者の行く手を様々な方法で阻むが不自然なほど運の良い弟子の事だ、万が一という可能性がある。


 対処の厄介な液状にはなってなければ良いが、と思いつつアルファードは工房の床に敷いてある魔法陣へ意識を向けた。


「……面倒な」


 魔法陣の上に立つ弟子の位置を読み取り、アルファードは顔を顰めた。ユウイチが居るのは、四半世紀以上も昔に作った作品の前だ。

 呪詛や液体化など状態異常の心配は無いものの、この後のユウイチの言動を予想すればこの上なく骨が折れる。

 重苦しいため息を吐いてから、アルファードはユウイチの元へと歩を進めた。




 壁際に存在する、角と辺を真鍮によって縁取られた正六角柱のガラスケース。その前に立ちすくみ、ガラスの中へ視線を注ぎ続ける弟子の背中にアルファードは声を掛けた。


「迷ったか」


 気配に気付きもしなかったのだろう、突然の背後からの声に肩をびくりと跳ねさせてからユウイチは振り向いた。


「此処は予想以上に入り組んでいただろう、配慮が足りなかったな」

「あ、いえ」

「後で地図を渡す」

「……はい、ありがとうございます」

「戻ろう。薬学の続きを――そんなにそれが、気になるか?」


 会話を交わしている最中も落ち着きなくガラスを気にする弟子に言葉を切って問いかければ、ユウイチは一言謝り、困惑の表情も露わにガラスケースを指差す。

 頭に胴、四肢の先には五本ずつの指。弟子が指差すガラスケースの中には、人間の少女の形をした物体が培養液の中浮かんでいる。


「あの、一体この子は――これは、何なんですか?」

「ホムンクルス。……前に教えただろう」


 どこか確信を持ったユウイチの言葉に返し、アルファードはガラスケースに歩み寄り手を伸ばした。不思議な事にその指先はガラスをすり抜け、ゆらゆらと浮かぶホムンクルスの頬を撫でる。

 黒い革手袋が真白い皮膚に触れた瞬間、ホムンクルスの長い睫毛がピクリと僅かに震える。


「まさか」


 それを見たユウイチは、青褪めながら喘ぐように呟いた。


「この子、もしかして……生きて、るんですか……?」

「完成自体はしているな」


 問いかけに素っ気なく返しホムンクルスの瞼や頬を確かめるようになぞった後、アルファードはガラスケースから手を抜いた。「戻るぞ」振り返って弟子にそう声を掛ければ、ユウイチは信じられないとばかりに頭を振る。


「戻るって、そんな……出してあげないんですか!?」

「出す? これを? 何のために」

「師匠! この子、生きてるんですよ!? こんな……こんな所に閉じ込めておくなんて!」


 一言一言、ありったけの感情を込めユウイチは叫ぶように言う。

 そんな弟子の様子を冷めた目で見つつ、やはり面倒な事になったとアルファードは小さくため息を吐きだした。

 すぎるがつくほどお人好しの弟子がガラスケースに閉じ込められた少女、などと言う光景を見過ごして置く筈がないのは容易に予測出来た事だ。


「お前が何を勘違いしているのか、予想は出来る。再度言うが、これはホムンクルスという物体だ。……言っただろう? 水銀と硫黄と塩と。その他諸々の素材を元に作り出した、人形ひとがただ」


 ホムンクルスをただの物として見れるか、否か。それが錬金術師として歴史に名を残せるかどうかの境界線とまで言われている。

 自分で作り出した人造生命体に情を抱き、入れ込み溺れ才能と時間を無駄に浪費していく錬金術師達を一体何人見てきた事か。

 ホムンクルスへの同情心がありありと浮かぶユウイチの顔を眺めながら、アルファードは眼を細めた。


「この子は人です。だって……生きてる」

「どうだろうな。舌の動かし方、発音方法、言語。それらを自ら学ぶのではなく、他者に擦り込まれる事でようやく人と言葉が交わせる。それがホムンクルスという人造生命体だ」


 言いながら、奴らにとっては人もホムンクルスも同列か、とアルファードは自嘲の笑みを零す。

 自分の事をただの優越感に浸るための道具としか見ない冒険者達にとって、ホムンクルスも自分もそう大差無いのだろう。


「今これを出す理由は無い。ただ存在するだけのホムンクルスなど、愛玩人形にも劣る木偶だ」


 此処まで言われ尚物言いたげな様子を見せるユウイチに呆れた目を向けながら、アルファードはならばと問いかけた。


「それともお前が、これの世話を焼くか?」


 『錬金術を極めたい』ただそれだけの理由で錬金術師を志し、教えを受けに来るのは年に数度。そんな男がたかがホムンクルス一体に固執する筈がない。

 そんな思いで口にした言葉は予想と裏腹に、確かな決意を持って肯定された。


「それで、師匠がこの子を出してくれるなら」


 凛とした強い光を宿した黒い瞳に、アルファードはゆったりと眼を細めながら問いを重ねる。


「来れない日は?」

「アスティさんに頼みます。僕には借りがあると、あの人は言っていたから」

「それはもう昔の事だ。お前が図書館の仕事を辞めてから、何年経ったと?」

「例え断られても、子供を預ける場所を知っています」


 アルファードの教えを淡々と享受していた日々が嘘のように、確固たる強い意思を持ってユウイチは喰い下がる。

 その顔をじっと見つめながらアルファードは口元に小さく笑みを乗せた。ただ教えを享受していた今までとはまるで違う。今のユウイチの表情からは、何をどうしてでも自分の意見を貫き通そうとする覚悟が感じられた。


「お前は五年もの間この家から一歩も外に出ていない。伝手は無きに等しい人間が行き成り依頼して。快諾を貰えるとでも?」

「地に頭を付けても頼み込みます」

「相手も慈善事業ではない。金銭の工面は?」

「当てはあります」


 梃子でも動かない様子のユウイチに、ようやくアルファードは頷いた。ほっと息を吐くユウイチを尻目にガラスケースへ腕を入れると、中のホムンクルスを引きずり出す。

 少女の形をしたそれを荷物として肩に担ぎ、何か言いたげな弟子の視線に気付いて横抱きに抱え直す。


「調整に時間がかかる。客間で待っていろ」


 ぐったりと力無くしな垂れるホムンクルスに心配気な眼差しを注ぎ続けるユウイチにそう指示を出せば「調整、」と不安げに呟かれる。

 意思疎通も交わせないままで良いのか? と問えば、納得したように頷き言われた通り工房を後にしようと背を向ける。


「時にユウイチ」


 腕の中のホムンクルスをじっと見下ろしながら、その背中にアルファードは声をひとつ掛けた。


「好きな色は、何だ?」






 煌々とした灯火が、天井から吊るされた照明器具の中誇らしげに燃えている。

 蝋燭の明かりとも電気器具とも違う柔らかな黄色は、その淡い色に反して部屋の四隅までもをはっきりと照らし出した。

 テーブルにソファー、立派な柱時計。広い部屋に置かれた木製の家具達は古く、けれども伝統的で重厚な雰囲気を持ってこの部屋に招かれた客人を向かい入れた。


 もう両親に叱られる結花の姿を他人事ひとごととして見ていられないかもしれない、とユウイチは布張りのソファーの上で一人項垂れた。


 とっぷりと暮れ太陽が姿を消した空を窓越しにちらりと見てから、ユウイチはステータスウィンドウを起動させた。ウィンドウの左下、やけにゆっくりと移り変わるデジタル表示は現実の時間経過を示している。

 ゲーム内で半日を過ごしても、現実で刻まれたのはたったの1時間だけ。

 12倍速で流れるこのゲームでは2日半で1ヶ月、30日で1年が経ってしまう。法律によりVR機器に接続出来るのは連続6時間までで、どんなに頑張ってもこちらに来れるのは月2回3日ずつが限度だ。


 おまけに大学やバイトやらの隙間を縫って、となるとあの子の世話をする時間はもっと少なくなるだろう。

 もう少し自分に時間があればと思い至って、ようやくユウイチは明け方までゲームに熱中する廃人達の、妹の気持ちが少しわかった。

 きっと彼らはこの世界の事を、現実を犠牲にするのを厭わないほど大切に思っているのだろう。


 はー、と大きなため息を吐いてから立ち上がり、ユウイチは室内をうろうろと歩き回り初めた。緊張感漂う場面でじっとして居られないのはユウイチの悪癖だ。

 入試の時や合格発表の時は必ず時間前ギリギリまでトイレに籠るのが常。している事と言えば、洗面台でひたすら流れる水を眺め心臓を落ちつける事だけなのだが。

 この家にもトイレは存在するが、汚物は魔術によって分解され、手は清潔に保たれる不思議な水に手を浸すだけ。流水をひたすら眺め精神を統一する方法は出来そうにもない。


 今更ながらぶり返した緊張で力の抜けた両手を握ったり開いたりしながら、ユウイチは先ほど師と交わした約束を思い返した。

 自分でも驚くほど上手く説得できたと思う。苦手な師の笑みを正面から向けられて、それでも意思を貫いたあの時の自分を褒めてやりたい。

 けれども、問題は。


「お金、だよなぁ……」


 半年前に見た時(ゲーム内では既に6年が経過している)、城砦都市内の託児所前には「ひと月200リブラで預かります」との看板が立てかけてあった。

 そもそも中学生程のホムンクルスを託児所に預けても良いものか、と根本的な所に若干の不安を抱きつつユウイチは頭の中で算段を弾く。1ヶ月が1年に等しいユウイチにして見れば、ひと月経過する毎に2400リブラ支払わなければいけない訳だ。

 リブラの通貨価値は公式で提言されていないが、プレイヤーの価値観的に言えば1リブラ約100円。月24万円の支払い。室内を歩き回りながら、ユウイチは眉間に皺を寄せた。


 当てがある、というのも嘘ではない。

 このご時世、殆どのVRゲームは大手のウェブマネー会社と提携している。パッケージ価格だけでも十分楽しめるのだが、もっと上を求める人のためのプラスワン要素だ。

 チャット機能で使う絵文字の種類を増やしたり、ウィンドウのデザインを変えたり。現実においてはモンスターのキャラクターグッズが購入できたり、確かNPCの3Dモデルをダウンロード、なんて事も出来た筈だ。


 記憶にうっすらと残る情報を当てにすれば、それらの商品を500円買うごとに1ずつポイントが付き、貯まったポイントはゲーム上の様々なものに還元出来る。

 確か30ポイントで5000リブラと交換できたはずだ。2ヶ月毎に、現実で1万5千円分の買い物をすれば良い。

 そう考えると意外と余裕な気がして、ユウイチはぐっと拳を握りソファーに座り直した。



 コチコチと時を刻み続ける柱時計は、間もなくユウイチが客間に来て1時間が経過した事を教えてくれる。

 師に教材として渡された本をひたすら読みこんでいたユウイチは、時計を見上げ眉尻を下げた。

 別れ際具体的な数字は言わず調整に時間がかかる、とだけ師は言った。ホムンクルスの調整。言葉だけでも難しいと判断できるそれはたった1、2時間で済む話なのだろうか。


 夕餉時を指す短針を確認して、夕飯の支度をはじめようと机の上に広げた分厚い本を閉じ、インベントリにしまう。

 ログインしている全ての時間をこの家で過ごすうちに判明した事だが、師は食にまったく関心がない。

 一日二日食事を抜くのは日常茶飯事だと言う師にユウイチが家事を買って出たのは、気遣いと同時に無償で下宿先を提供し錬金術を指南してくれる師への負い目もあった。


 今日は無理を言った謝罪の意味も込め、目一杯腕を振るおう。そう決めたユウイチが立ち上がろうと足に力を込めた時、タイミング良く部屋のドアが開いた。


「待たせたな」


 そう言いながら室内に踏み入れた師は、つかつかと大股で歩いてくるとテーブルを挟んだ向こうの二人掛けソファーに腰を下ろし、長い足を組んだ。

 一見乱雑な仕草でさえ気品に満ちていると感じるのは、師の持つ独特の雰囲気のおかげだろうか。


 正面にある師の仏頂面を眺めながら、ユウイチは「えっと」と口ごもり首を傾げた。


「どうした、入ってこい」


 ちらりと誰もいない隣へ視線を流しため息を吐いた師は、扉に向かってそう声を掛ける。

 暫しの沈黙の後、アンティーク調のドアノブがゆっくりと下がり扉が開いた。おずおずと僅かな隙間から顔を出したのは、黒い髪を肩下で切り揃えた幼い少女。

 照明器具に照らされてキラキラ光る銀色の瞳が部屋中を忙しなく映す。潤んだ大きな瞳とぱちりと眼が合い、ユウイチは思わず目を泳がせた。

 そんなユウイチにこてんと可愛らしく首を傾げた後、少女はユウイチの前に座る師をじっと見つめた。

 自分を映した瞬間不安げによせられた眉に目を眇めた後、師は自分の隣を指で軽く叩く。


 少女は扉の僅かな隙間に猫のようにしなやかに体を滑り込ませると、ぺたぺたと素足のままソファーまで歩み寄りちょこんと師の横に腰かけた。

 そのつむじを見下ろし、ユウイチに顔を向け直した師は気だるげに口を開く。


「調整は最低限に済ませた。これの事は何も知らぬ赤子だと思って接すれば良い」


 こうして動く姿は何処からどう見ても人間なのに、師の口から出るのは一貫してこの少女の事を物として扱う言葉だ。

 それに思う所はあるものの、少女が扉から顔を出した瞬間から一つどうしても気になる点があったユウイチは、恐る恐ると言った体でそれを口にする。


「その、色って……」


 工房で見た時は透き通るようだった少女の髪が、闇のような深い黒に染まっている。

『好きな色は、何だ?』『色ですか? ええと……黒、ですかね』『なるほど』工房から出る直前に交わした会話が頭をよぎる。

 もしかして、自分は気付かぬうちにこの少女にとってとても重大な選択をしてしまったのではないか。

 師はユウイチの言葉に軽く頷くと、隣に座る少女の髪を一房するりと指で掬った。


「髪色の改変はそう難しい事ではない。この色が気に入らなければ後で変換方法を教える」


 そんな、屋根の色の話でもするようなトーンで言われても困る。

 大慌てでぶんぶんと首を振るユウイチに「そうか」と少しばかり残念そうに言った後、師は視線を斜め下に下ろし、じっと自分を見上げる少女の瞳を見つめ返した。


「弟子のユウイチだ。分かるな?」


 こくりと少女が無言で頷き、ユウイチに顔を向ける。自分を真っすぐに見つめるガラス玉のような銀色の瞳にぽりぽりと頬を右手でかきながら、ユウイチは少女に向かって左手を差し出した。


「アルファードさんの弟子のユウイチって言います、よろしく。ええと……何ちゃん、って呼べば……」


 良いのかな? と問いかけるユウイチに、少女が愛らしくコテンと首を傾げる。口ごもったユウイチが視線で力添えを頼めば、師は「そう言えば」と今気付いた風に言った。


「名前が必要だな」

「(やっぱり付けて無かったんだ……)」


 徹底してこの子の事を物として扱う師を見ていれば、ユウイチでもある程度の予測は付ける事が出来た。

 今は物として見ていようと名前を付けて呼んで、多くの時間を一緒に過ごせば如何に師匠であろうと少しの愛着ぐらいは湧く筈だ。……多分。

 そんなユウイチの思惑を知る由もなく、師はどうした物かと首を捻る。


「Isc-013……いや、クロで良いか」


 識別番号らしきものをぽつりと呟いた後、混じりけの無い漆黒の髪を見ながらそう言った師にユウイチは我慢ならず立ちあがった。

 物からペットへのランクアップは喜ばしいが、出来る事ならもう一段階飛ばして欲しかった。


「せめてクロエにしましょうよ! ね、クロエちゃん!」


 師に向かって力説した後、突然立ち上がったユウイチにぱちくりと大きな瞳を瞬かせていた少女に話しかける。

 勢いに押され少女――クロエが頷いたのを確認し師に視線を向ければ、ではそれでとあっさり頷かれる。

 ほっと息をつきソファーに沈むように座り込むユウイチを一瞥した後、師は静かに立ち上がった。


「今晩はクロエと交流でもしていろ。夕食はいらない。何かあれば地下に来い」


 そう言って部屋を後にする師をどうして良いか分からず無言で見送り、ユウイチは目の前に座るクロエをじっと見た。

 師の姿が見えなくなると同時にどこか物哀しげな雰囲気を漂わせ始めた少女に何と話しかけたらいいか分からず唸っていると、クロエはそっと口を開いた。


「……お話、して」


 仲良かった頃の妹と同年代の少女に上目遣いでそう請われれば、妹を持つ身として答えない訳にはいかない。

 何を話題にしたものか、と少しばかり悩んでから「じゃあ」とユウイチは話し始めた。


「師匠と出会うきっかけでも。6年前に偶然馬車で乗り合わせた、今も王立図書館の司書をしているアスティさんが……」


 語り出しの単語を耳にした途端、一言も漏らすまいと身を乗り出したクロエ。キラキラと輝く銀色の瞳に苦笑を零しながら、知らず知らずのうちにユウイチは言葉に熱を込めた。




VR法…基本的にゲーム会社向けの法律

・デスゲームの禁止

・プレイヤーを長時間(6時間以上)連続で拘束する事の禁止

・味覚・触角・嗅覚・痛覚完全再現の禁止

・ヘッドセットから流れ込んでくるプレイヤー個人個人による思考記録の漏えい防止の義務

・ゲーム内通貨からのリアルマネートレーディングの禁止

他諸々

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