十五
開戦九日目。この六日間で姫の指揮する軍は無事境界の森を抜け公国内に侵攻し、辺境の村々を制圧し回っている。今日の午後には国境側の都市ビルシオンへの侵攻計画を実行するため、境界の森公国側に拠点を置く後方支援部隊も支援準備に追われていた。
だというのに、そんな緊迫した後方支援部隊にありながらどこかのんびりとした空気が漂う一角があった。境界の森特有の、天を突くほどに成長した木々の枝と枝に布を渡し作られた野戦病院。
精神疾患者用の区画では慌ただしく医師達が動き回っているというのに、布一枚隔てたその隣。重傷者用の区画に居る二人の男の内一人は木箱に腰掛け昼食を楽しみ、もう一人は十台ある患者用ベッドの一つに腰を下ろし黙々と本を捲っていた。
「さって、今日こそは患者が来るのかねぇ」
「不謹慎だぞ」
昼食のパンの最後の一欠けらを口に放り込んだ後ガルヴィスがぼそりと言った言葉に、アルファードは本から顔を離さず苦言を言った。
「だってお前、モンスターに襲われただの農民に抵抗されただの、軽傷の奴ら以外診てねーじゃねーか。しかも八割女」
「わざわざ此処に来る度胸に免じて診てやったが。……全員軍属だったな」
「傭兵の奴ら野戦病院が存在する事自体、知らされてねーんじゃね?」
「あり得る」
ポーション等の薬品類は大よそ全てが軍からの支給品。それも前線に立ち、王国軍の八割を占める傭兵達が押し寄せればすぐに無くなってしまう程度の量だ。治癒魔術師もある程度居るが、総魔力量から一人一人診られる人数は決まっている。
「ったくここまで傭兵の扱いが酷い戦場ってのも珍しいぜ」
「そのうちの殆どが冒険者だ、何とかなるだろう」
「あー、奴らならまぁ、大丈夫だろうな」言ってからガルヴィスは部屋をぐるりと見渡し、自分が腰掛けている義足や義手が入った箱を叩いた。
「商売上がったり、ってか?」
「余った分は持ち帰るから問題ない」
「敗走に余計な荷物を持ってけるかよ」
「協会の荷馬車だからな。敗残兵よりもこちらを優先しろと指示が出ている」
「人命より利益優先。……研究狂いの冷血漢が多いのは相変わらずか」
「最高の褒め言葉だ」
くつくつと笑うアルファードにガルヴィスが肩を竦めていると、二人の間にある机上の水晶玉がチカチカと光を放つ。
本を閉じ脇に置いたアルファードが手を伸ばして表面を撫でると、水晶玉が壮年の男の声を発した。
<こちら第十一小隊。重傷者二名、搬送する。一名は右腕欠損、もう一名は両足欠損。精神錯乱の気あり。両者とも傭兵だ>
「……了解した」
水晶玉から放たれる光が収束したのを確認してから、アルファードは懐から時計を取り出し見た。午前12時42分。
「作戦開始時間よりも大分早いな。ついに公国軍が動き始めたか」
「……敗走の準備でも始めるか?」
「傭兵の働きに期待しておく」
今のところは。そう付け加えてからアルファードは立ちあがり、山のように積まれた木箱の中から一つを取り出し地面に置くと、蓋を開けた。
ガルヴィスが中を覗きこめば、中には注射針と採血瓶がふち一杯まで詰め込まれている。
「……んだよ、この怪しげな注射器は」
「運ばれてくる冒険者達から、血液を採取させて貰おうと思ってな」
「血液ィ?」
ああ、と頷きながらアルファードは注射針を二本、採血瓶を四本箱から取り出し銀のトレーへ乗せた。
「二年ほど前から、冒険者達の生態についての研究をしている」
「……何人殺りやがった」
「人聞きの悪い。薬品開発の効能実験に協力してもらっているだけだ」
「そんな怪しい話、喰いつく奴がいるかよ」
「失礼な。貼り出せばすぐに無くなる、城砦都市で一番人気の依頼だぞ?」
蜂蜜色の双眸とその手に持たれた細い針が、光を反射してギラリと光る。本気だ。こいつは本気でやるつもりだ。ガルヴィスは眼を覆いながら天を仰いだ。
「足無くして大金払って、挙句の果てに血まで取られる。……さすがに同情するぜ」
ふむ、とアルファードは顎に手を当てた。こうも羅列されるとさすがに不憫だと思ったのか。
数秒ほどで考えが纏まったのかアルファードは心底不服そうな表情をありありと浮かべつつ、ならばと言った。
「一割は俺が負担してやろう。三割引だ、お買い得だな」
「……お前、冒険者共に恨みでもあるのかよ」
脱力しながら言ったガルヴィスの言葉に、アルファードは薄らと冷笑を浮かべた。酷く艶めいたそれは、その顔を見慣れているガルヴィスでさえ凍りつくほど冷たい魅力に溢れている。
「あるぞ。たっぷりと、な」
その冷艶な笑みは、精神錯乱の気がある患者が運ばれてくるとの情報を聞きつけ室内に足を踏み入れた女医に被弾した。
ざわざわと、布一枚隔てた向こう側が俄かにざわめきに満ちる。机上に義足や義手を並べていたアルファードが顔を上げ、近くに立っていた女医に無言で目配せすれば。その視線の意味を読み取った女医は心得たとばかりに頷き、外の様子を見に部屋を後にした。
「医者は秘書じゃねーぞ」
頬杖を突きながら言ったガルヴィスの言葉を黙殺し、作業を続けていれば入口に垂れさがる布の隙間から女医が顔を覗かせる。心なし顔色が悪い。
「……何があった?」
「両足欠損の患者が運ばれて来ました。錯乱しています」
「右腕欠損の患者は?」
「暴れて担架から落ちたらしく、まだ到着していません」
「分かった。患者の所へ」
アルファードは注射針を一本、採血瓶を二本トレーから取り出し懐に入れ、先導する女医に続き外へ出た。
境界の森は、背の高い木々に日の光が遮断され年中薄暗い。だが、野戦病院の周りは木々の枝から吊るされた夥しいほどの魔具が地上を照らし、森の外と変わらぬ明るさを保っている。
そんな枝から吊るされた照明の内一つの真下に、人の輪が出来ている。野戦病院の中に居ても聞こえていた喚き声は、その中心から発せられていた。
女医とアルファードが人垣に近付けば、集っていた人々は捌けるように道を開けた。その顔には一様に、この場を収束出来る人がやっと来た、と言わんばかりの安堵が浮かんでいる。
開けられた道を進んでいけば、そこでは担架に乗せられた両足の無い男を軍人が三人がかりで取り押さえる、という戦時中以外では滅多に見られないであろう光景が広がっていた。両足が無く、両肩を二人がかりで押さえられているというのに男は呆れるほど元気に喚く。
「ログアウトするから治療なんか必要ねーって言ってんだろ!!? 離しやがれ……!
くっそ、どうなってんだよリアリティ制限弄ってねぇのによぉ……!!」
なるほど、確かに錯乱している。
担架に乗せられた男は暴れてポーションも治癒魔法もかけられなかったのか、傷口のすぐ上を布で縛り止血すると言う原始的な応急処置をされているだけだ。
アルファードは取り押さえている軍人の内一人に近付き、声をかけた。
「両足欠損の患者だな」
「ええ。第十一小隊に組み入れられた傭兵の一人です」
「……はぁ? 錬金、……え?」
男が狼狽し大人しくなった隙に膝を折り傷口を見る。両足は太ももの中ほどから切断され、足の断面には金属片が刺さっているが魔術的な要素は見受けられない。
ただの爆傷だ、と呟けば衛生兵なのだろう、軍人の内一人が男の傷口から手慣れた様子で金属片を抜きとり薬品をかけ始めた。
そのついでに、という訳でもないがアルファードも男の左腕に持っていた注射針を刺し血液を採取する。採血瓶の中を満たす液体はいたって普通の、赤色をしている。
かなりの痛みが走るはずなのに、麻酔でも打たれているのか男は声一つ上げずに茫然と宙を見ていた。ふらふらと眼球が上下に動き、投げ出された指も僅かに上下する。
注射針を腕から抜き女医に目配せすれば青白い顔をして頷いた。やはり本職から診ても、この男は精神疾患を患っている様に見受けられるらしい。
「…………白銀の、義足?」
茫然と宙を見ながら男はぽつりと呟く。女医は狂人の戯言だと思って聞き流したようだが、アルファードにはその言葉に心当たりがあった。確か持って来た義足の中に、そんな開発名が付いていた物があったはずだ。
男はどこか夢見心地な表情のまま懐に手を入れて袋を取り出しアルファードに差し出す。
「……両足分で4,200リブラ。……確かに」
袋を受け取り入っていた硬貨の数を確認したアルファードは、眉間に皺を寄せた。その心情を一言で言い表すならば、気味が悪い、だろうか。
自分が持って来た義足の開発名を違わず言われ、適正価格の七割という気まぐれで設定した値段丁度のお金を支払われる。あたかも自分の脳内を覗き見たような言動と行動は、この上なく不愉快だ。
「運んでくれ」
衛生兵が男の治療を終わらせたタイミングで言えば、軍人達は頷いて担架を持ちあげる。
照明の下に集った人々に見送られながら、両足を失くした男は布製の野戦病院の奥へと消えて行った。
「ひとつ、聞いておきたいのだが」
問いかければにベッドに寝かされどこか宙を見ていた男の瞳がゆっくりと脇に立つアルファードを映した。その腕には人工血液を輸血するための管が刺さっている。
「今後、違う義足に変更する予定はあるか?」
「……は?」
ぼんやりとした、質問の意図を理解しているのかさえ不明なその表情に、こみ上げるため息を寸でのところで飲みこみ。柳眉を寄せてから、アルファードは机に置いた義足をコツリと叩く。
その名の通り白銀で表面を覆われたこの義足は、戦場での用途を想定して開発された物だ。
「これを完全に身体の一部にするか、それとも接続式にして他の義足も使えるようにするか。
……どちらがいい?」
「…………接続、式で」
「わかった」
アルファードは頷くと机の上に置いていた瓶を掴み、コルクを抜いて中身を切断面へと垂らしていく。瓶の中の液体は、空気に触れると水銀のように物体化し男の傷口に纏わりつく。あまり気持ちの良い光景ではないだろうに、男はその様子を焼き付けるようにじっと見つめていた。
両足の切断面を液体が完全に覆った事を確認し、結合魔法をかけようとして――ふと、アルファードは指先を止める。
義肢を接続する時は麻酔を打つか麻痺魔法をかける事が推奨されている。その無反応さから勝手に麻酔を打たれている物と思っていたが、暴れている男に麻酔を打つ事は不可能。此処で麻痺魔法を掛けるにしても、状態異常魔法の二重掛けは魔術協会の方から禁止されている。
衛生兵に麻痺魔法がかかっているか聞いておけば良かったか、と内心舌打ちしつつアルファードは男に声をかけた。
「少し、痛むぞ」
神経一本一本を繋げるのだから、実際は少し痛むどころではないのだが。傷口に塩を塗られた挙句針で一本一本突き刺されるような痛み、とは麻酔無しでの経験者の弁だ。
男の様子を見ながら、アルファードは丁寧に神経を繋いでいく。麻痺魔法はかけられていなかったのか、男は苦痛に震えた。
「は? 何で、いた、痛てぇ。ぐっ……あり得ねぇだろ、こんなの」
あり得ない、あり得ないと男は口端から泡を飛ばし繰り返した。
黙ってその様子を見ていたガルヴィスが、こめかみの辺りでくるくると指を回す。こいつ、頭イっちゃってんじゃね? という言葉がその行動と浮かべた表情で読み取れた。
多くの重傷患者を診てきた身としては、呻く元気がある時点で賞賛に値する。冒険者は痛みに強い、という噂は本当なのかも知れない。
アルファードが左足から指を離すと、男はほっと息を吐く。次は右足だ――とは言わない。黙って男に麻痺魔法をかけ、右足にも同じ処置を施していく。今度は、喚かなかった。
結合魔法をかけ終わると、机の上に並べられた四本の“白銀の義足”の内二本を男の足を取り付けて行く。
「すっげぇ……」
「三十分程度、大人しくしていろ」
足元を見ながら陶然とした表情で呟く男にそう声をかけると、男は頷いた。その眼はどこか宙を見たままだ。
はぁ、とため息を吐きつつアルファードは外へと足を向ける。暴れて担架から落ちた右腕欠損の患者が来たようで、つい先ほどと同じ様に外から喚き声が聞こえていたからだった。
枝に吊るされた照明が全て消され、月の光も背が高い木々が邪魔して届かない。草の上に等間隔に置かれた蝋燭の明かりが暗い森の中を照らし、野戦病院の布壁は時折蝋燭の前をよぎる兵士の影を不気味に映し出す。
「薄気味悪いな」そんな中、蝋燭の明かりに照らされその白い美貌を闇にぼうと浮かび上がらせたアルファードがぽつりと呟いた。ガルヴィスは咥えていた煙草の灰を土の上に落としながら尋ねる。
「……冒険者共の事か?」
今日一日で八名の重傷患者をこの男は診た。本来ならば結合師という職業人がいるのだが、義肢や人工臓器と生身の肉体を接続するという作業は非常に難しくその数は少ない。おまけに殆どが軍お抱えの人間で今回の戦場には派遣されず、この男がいなければ重傷者は皆捨て置かれる運命にあっただろう。
だからこそ作って売って装着も出来るという、一人三役をこなせるこの男が錬金術協会からこの戦場へ派遣されてきたのだが。
「……十年前、ギルドの斜め向かいの雑貨屋が突然閉店しただろう」
記憶を掘り起こす。ああ、確かにいた。ノイローゼになって王都の医者にかかる様になった老人が。
「雑貨屋の元店主に限らず、商売人にはそうなる者が多い。……その理由が、今日わかった」
へぇ、とガルヴィスは煙草を咥えながら相槌を打った。最も、この男がノイローゼになる事など想像すら出来ない訳だが。
そんな内心を見透かしたのか、どこか疲れの浮かんだ顔でアルファードは恨めしげに言った。
「お前も見せてもいない商品の商品名を寸分違わず言われて、脳内で気まぐれに付けた値段の額そのままの貨幣を渡されてみろ」
想像してみた。……確かに気味が悪い。
「精神感応系の能力を持った民族、の一種とかか?」
「民族……なるほど」
魔力を使った訳でもないのに植物の成長を増幅させたり、過去や未来を物に触れることで読み取ったり。そんな特殊能力を持つ人間は国家を形成するほど多くはないが、確かにいる。
なんとなく浮かんだ説は一考に値するものだったのか、頷きながらアルファードは懐から一本の空き瓶を取り出した。
「んだよ、その空き瓶は」
「冒険者から抜いた血液を入れたものだ」
「……空だぞ?」
「消えたのだろうな」
そして、もう一本取り出す。今度は赤い液体が入っている。
「これは、つい一時間前は空だった瓶だ。三人目の冒険者から採取したもの」
「民族とするならば、精神感応能力を持ち肉体を――…」そこで口を閉じ、深く考え始める。
顎に手を当て考え込むアルファードを尻目に、森の木々をぼうっと眺めつつ煙草を燻らせていたガルヴィスは、ふとある事を思い出し恐る恐るそれを口にした。
「お前、弟子の妹が冒険者とか……言って、なかったか?」
アルファードが顔を上げ、冷や汗の浮かぶガルヴィスの横顔をちらりと一瞥してから頷く。
「一度食事に薬を混ぜたきりだ。安心しろ」
安心できない。ガルヴィスは口端を引き攣らせながら短くなった煙草を消した。話を聞く限りはお人好しな青年の様だし……この男とも良い関係を築いているのだろう、きっと多分。
そう無理やり自分を納得させて、ガルヴィスは空を仰いだ。相変わらず木々が邪魔して星は見えないが、きっと上には綺麗な星空が広がっている。王国と公国では、この戦争が始まって以来不自然なほど晴れの日が続いていた。
夜の寒々しい空気を吸い込んで、ガルヴィスはこれからの不安を全て飲み込んだ。




