九
ゴリゴリと、慣れない手つきで青年――ユウイチがすり鉢で薬草をすり潰す音が工房内に響き渡る。
境界の森のほど近くに建つ、アルファードの家の地下――正確には天井近くに10センチほどの小さな窓がある半地下――にある工房は、上に立つ家と同じだけのスペースを丸々一部屋として作られており、端に立った人間が指先ほどの小ささになる程度には広い。
だが、その広い空間の半分以上は書庫や倉庫として使われており、工房に入った人間がこの空間を広いと感じる事はまずない。
室内に入るとまず目に入るのは壁のように一面に並べられた棚。辛うじて人一人が通り抜けられるスペースを残して迷路のように並べられた棚の数、大よそ二百以上。棚には本や薬品類が隙間なく並べられ、それでも入らなかった物が工房の机の上に乱雑に積まれていた。
ユウイチとアルファードがいるのは、その反対側。唯一の出入り口である地上への階段側に置かれた作業台に、斜めに向かい合って座っていた。
ユウイチの眼の前にはクレシオ(何故か冒険者たちの間では始まりの街と呼ばれている)で買ったと言う初級薬学作成キットと、材料達。アルファードの前にはユウイチの作った四つの作品が並べられている。
アルファードは教えを請うユウイチに試験と称して10個、ポーションを作らせる事にした。
ポーションは、少しでも錬金術や薬学の心得があれば子供でも作れるお手軽な薬だ。
とはいえ全くの素人が作ったものでは薬草本来の苦みやえぐみが酷く、市販する事も出来ないが。
誰でも出来る。だからこそ、その人物がどれだけ修練を積んだのか、どれほどの段階にいるのかが顕著に表れる。
アルファードの前に並ぶ丸型フラスコを満たす緑色の液体は、淀んでいたり葉の切れ端が浮いていたりで、はっきり言ってお粗末なものだ。
コトリと新たに机に置かれた、五つ目のポーションを手に取り吟味する。
丸きりずぶの素人が作ったもの。葉の濾し方もすり潰し方も、全くなっていない。これで錬金術を極めるとは、良くも言えたものだ。
だが――…アルファードは眼の前に並んだフラスコの中の一つを抜き取り、両手に持った二つを見比べる。
不思議なことに、色、淀み、浮いた葉の切れ端まで。丸きりコピーしたように、二つは同じだった。
それらを同時に振って、反応を確かめる。ガラス瓶に液体が付着し、伝い、葉の切れ端が底へと沈み、淀みが混ぜ合わさってまた戻る。
奇妙なことに二つのフラスコは、鏡写しの如くすべての反応において全く同じ反応を見せた。
二つを置き、五つ目のフラスコに数字の5が書かれた紙を貼って並べる。
番号を振らないと分からないほどに、ユウイチの作った五つのポーションは酷似していた。
コトリ、とまたポーションが置かれる。それを解析する前に紙を貼ろうと手に取り――アルファードは顔を顰めた。
結局、ユウイチの作ったポーションの内、1から5と7、6と8から10は形、反応において全く同じと言って良い出来だった。
同じ薬を何個も作る、というのは大量の薬を納入する錬金術師や薬師にとってなくてはならない技能だ。
だが、ユウイチはその手つきからして全くの初心者。そんな技能を身に付けるならばまず学べ、という段階だ。
それに同じ製品を複数作るには同じ工程を何度も繰り返さなければならず自然、手つきは洗練されてくる。だがユウイチの調合には洗練のせの字も見当たらない。
濾し方、すり潰し方、火の掛け方。十の完成品を作る工程すべてにおいて、ユウイチは違う動作をしていた。
葉の繊維が残るほど杜撰にをすり潰したかと思えば、形が無くなるほど丁寧にすり潰し。20秒ほど濾すだけだと思いきや、一分間、じっくりと葉の水分がなくなるまで濾し。
だというのに。手順は違うというのに、完成したものは浮いた葉の切れ端までまったく同じもの。
アルファードは手持無沙汰に室内のものを見ているユウイチの姿を興味深げに一瞥し、また手元に視線を戻す。
ユウイチが前半に作った物と、後半に作った物。素人目には同じに見えるだろうが、全く違う。
後半に作った物は、前半に比べて格段に良くなっている。
正しいやり方を教えたとか、何か特別な素材を入れたとか。そんなことは一切ない。
前半とまったく同じような手順で、同じ素材を使って。なのに、出来た品は良くなっている。
そんな事あり得ないと断言できる筈なのに、この手にはそれが起きた証拠がしっかりと存在している。
顎に手を当て、理由を考えては否定し。
それを5回ほど繰り返した後、アルファードはユウイチを弟子に迎えるか否かを決めた。
「(本当、いろんな物が…)」
棚に並ぶ良く分からない瓶詰めの薬草類を見ながら、ユウイチは感嘆の息を吐いた。
行き成りの試験には少し緊張したが、10個作ったポーションの内6個はDランク、途中でスキルレベルが僅かに上がり、4個はC-だった。
自信はない。自分が試験官だったら落とすか落とさないかの瀬戸際、という微妙なラインだからだ。まぁ落ちた時は落ちた時で、とユウイチはもう二度と入れないかもしれない本職の錬金術師の工房をじっくりと見まわした。
ふと、本棚に並べられた本と本の間に紙片が挟まっているのに気が付いて、取り出してみる。
「(えーと…夢魔の涙、人魚の血…悪魔の角…)」
メモ書きの上に浮かびあがった補助ウィンドウに並ぶ物騒なラインナップに、無言で紙片を元の場所へ戻す。
思っていたよりも、錬金術師という職業は危険なものなのかも知れない。
ユウイチはそっと気付かれないよう自分の作ったポーションを検分しているアルファードを見やった。
図書館司書であるアスティから散々その容姿についての説明は受けていたが、初めて見た時は度肝を抜かれた。
何と言うか…アバター職人の本気を見た。モデリング技術の結晶、と言っても良いと思う。
顔の作りや髪の一本一本、身体のバランスまで。男として嫉妬を覚えるよりも先に、整いすぎてすごいという感想が浮かんでしまう。ある意味技術の無駄遣いだ、と遠目からでも整っていると分かる横顔を見ながらユウイチは心の中で一人ごちる。
美貌の主から目を離し、ユウイチは棚で出来た迷路の中へ足を踏み入れた。
図書館でのアルバイトが終わったのが19時頃だったので、もう日は沈み切っている。天井近くに設置された狭い窓から差し込むのは仄かな月の明かりだけだ。
その月明かりもユウイチよりも背の高い棚達に遮られ、角を一つ曲がっただけで辛うじて自分の手が見えるほどの薄闇に変わる。
立ち止まって本棚に眼を凝らせば、薄闇の中に煌々と光る補助ウィンドウが浮かび上がった。ユウイチは無粋なそれを消しながら目を閉じて、耳をすました。
「(……静かだ)」
広い工房内は、時折ユウイチとアルファードの衣擦れの音がするだけで、しんと静まり返っていた。
ありがちな場面音楽が一切流れないこのゲームをしていると、ふとした瞬間これは現実なのではないか、と見紛ってしまう事がある。
気まずい沈黙の息が詰まるような感覚、モンスターとの戦闘時の緊張感。
VRでゲームをしたのはこのタイトルが初めてなユウイチにはてんで分からないが。ネット上の反応を見る限り、このゲームは従来ものとは比べようも無いほどに現実に近いらしい。触角や嗅覚と言ったリアリティ制限が掛かっていなければ、丸きり現実と言っても良い、とも。
そっと棚に手を置けば、布越しに物を触るような曖昧な感触がした。ユウイチはリアリティ制限を最低値まで下げている。これが触角再現の限界、ひいては現代技術の限界、という事だろうか。
ユウイチが棚の木目やささくれを触っていると、突然周囲が明るく照らし出された。光源の方を向けば、アルファードがカンテラを持ち佇んでいる。
「何か、気になるものでもあったか?」
ばちりと眼が合うと一度瞬きをしてからそう尋ねてきたアルファードに、ユウイチは首を振る。
そうか。アルファードは一つ頷き、棚にカンテラを置いてから踵を返し来た道を戻って行く。さらりと流れる絹糸のような髪が棚の角に消えて行くのをぼうっと見送ってから、ユウイチは置き去りにされた照明器具を見て首を傾げた。
「(…これは好きなだけ見ていて良い、ってことか?)」
それともついて来い、という事か。少々悩んだ末に、ユウイチは棚にズラリと並んだ本の一つに手を掛けた。自分に都合の良い方の解釈を選んだのだ。
結局、読書に熱中してしまったユウイチが時間を確認したのは、空が白み始めた夜明け間近の時分であった。
非常にバツが悪そうな顔をして棚の影から顔をのぞかせたユウイチの視界に入ったのは、作業台で黙々と作業をするアルファードの後ろ姿。もしかして一晩中こうして起きていたのだろうか。作業の為か、それとも自分のせいか。後者だとすれば、立つ瀬がない。
作業の邪魔をしないよう、出来るだけ音を立てずにそっと近づこうとすれば。どういう訳か、棚の影から出て数歩もしない内に振り向かれる。
不機嫌そうな色を宿した(様に見える)赤味がかった金色の双眸に冷や汗をかきながら近寄り、ユウイチは努めていつも通りの笑みを顔に張り付けた。
「すみません、こんなにお邪魔してしまって」
頭を下げながらもユウイチの頭の中はどうればこの場から退出できるか、という考えが支配していた。
初めて上がり込んだ他人の家に夜明けまで居座って本を読み漁り、おまけに試験の結果は微妙。これは、落ちた。むしろ出入り禁止で然るべき。
しかし、笑みを貼り付けながら器用にも顔を青褪めさせるユウイチの耳に飛び込んできたのは、落第の通知でもなければ二度と来るな、という言葉でもなく。いや、という小さな呟きだった。
「むしろ、その勤勉さと集中力は錬金術を学ぶ上では長所だろう」
言ってから、アルファードは手元に視線を戻す。予想とまったくもって正反対の言葉を掛けられたユウイチは茫然としながら、はぁと返した。もしかしてこれは、褒められているのだろうか。
「ありがとう、ございます……?」
首を傾げながら語尾上がりで言ったお礼への返答は、パチリというペンチがワイヤーを切断する音だった。
暫しの沈黙。ユウイチにとってこのゲームをやってきた中で最も長い五分間が過ぎた頃、漸くアルファードは口を開いた。
「……次に来るとしたら、いつ頃になる?」
理解するよりも先に、ユウイチの頭は計算を始める。今が早朝5時。大学が終わるのが17時ぐらい、このゲームは12倍速で――
「一週間後、位ですかね……」
「そうか。では一週間後の……午後2時に来い」
パチリ、パチリとアルファードの手元で鳴る音と共に聞こえた言葉を理解して。ユウイチは勢い良く頭を下げた。
「これからお願いします、師匠!」
いつも静まりかえっている工房に、場違いなほど溌剌とした声が響き渡った。




