09.エジソンに拍手
ああ、私はまだ17歳なのに。
読みたい本も食べたいお菓子も山のようにあったのに。
でもたぶん、私は頭がおかしくなったんだ、と目の前の光景を見て悲しくなる。
だって、こんな生物は、知らない。
いや、知らない以前に、ありえない。
この生き物に比べれば、まだ雪男やツチノコのほうが信じられる。
化け物、としか言いようのない信じられない存在を前に、浮かんだのは狂った自分に対する憐みだった。
冷たい森も、大きい狼も、今まで最悪だと思っていたことすら、全部遠い世界のことのようだ。
もう何もできない。
気絶して木から落ちなかっただけ上出来というありさまだ。
でも現実は、そんな私に構わず進んでいく。
狼は一瞬で自分の不利を悟ったらしい。
くるりと身を翻すと、野性で育った獣だけができる素早い動きで、化け物を残して逃げていく。
その動きは敵とはいえ、思わず見とれてしまうほど優雅だった。
対して熊のような化け物は、優雅とは程遠い。
不機嫌そうに唸り声をあげると、乱暴に木立を薙ぎ払いながら狼の後を追っていく。
木の上で震えている私に一瞥もくれなかった様子から、多分もともと狼を追ってきたのだろう。
獣2匹が立てる音はすぐに聞こえなくなって、あっという間に私一人が取り残された。
しばらくたって我に返ると、ほとんど落ちるようにして木から降りる。
地面に降り立つと、私は全速力で獣と反対方向へ走り出した。
どれほど走ったのだろう。
とにかくあの場から遠ざかりたい一心で、一瞬も止まらず走り続けていた。
でもとうとう、落ちていた蔦に足を取られて転んでしまう。
どうやら相当走り続けていたらしい。立ち上がるどころか、腕を動かすことすらできない。
呼吸をするだけで精いっぱいだ。
それでも憎らしいことに徐々に呼吸が落ち着いてきて、私を現実に引き戻す。
もういやだ。こんな狂った現実見たくない。
「なんなのよ、あの化け物!」
たまらず、頭を押さえながら叫ぶ。
あんなの、絶対にありえない。
妖怪? 突然変異? 宇宙人?
もう訳が分からない。この森では変なことばかりだ。
ううん、変なのは、森じゃなくて私の頭なのかも。
「家に、帰りたい」
口に出せばもっと弱気になってしまいそうで、堪えていた気持ちがあふれ出る。
今すぐ家に帰りたい。家族や友達に会いたい。
涙が出てきた。うつ伏せに倒れて泣くなんて何才以来だろう。
号泣する体力もなく、でも涙を止める気力もなくて、ただ静かにこぼれてくる涙を放っておいた。
このまま地面と同化したい、とぼんやり考えながら転がっていると、周りが暗くなってきた。
もういい。このままここにいよう。
化け物を見たショックから回復できず、飲食さえする気が起きない。
そのせいだろうか。なんだか目がちかちかする。
これ以上幻覚を見るのはごめんだ、と思ってからふと違和感に気付く。
ぐったりと地面に伸びていた体を起こして、周囲を見渡す。
今何か、光ったように見えた。
最初は違和感だったものが、周囲の暗さが増すにつれて確信に変わる。
地面から木の根を這い、幹にかけて光が広がっていく。
顔を近づけてよく見ると、どうやら苔のような植物が光っているらしい。
光はどんどん強くなって、きらきらと輝いていく。
まるでイルミネーションだ。
言葉を失って、その神秘的な美しさに見とれる。
青白い光を放つその植物は、どうやら月の光を反射しているらしい。
そのせいか、光はここから見る月面を写し取ったようだ。
周囲の情景も昼のようにはいかないが、動き回っても大丈夫なほどよく見える。
強い光をもっと見たくて、苔の密集している方向へ歩き出す。
無心で美しい光に導かれていくこの瞬間だけは、私はこの森を怖いと思わなかった。