34.答辞はシンプルにまとめよう
花壇の近くに小包を抱えたジーナさんの姿が見える。
同じようにジーナさんも私達に気付き、微笑みかけてくれた。
ちょうどマルスさんも正門から入ってきて、軽く手を振っていた。
笑いながら駆け寄ろうとした時、信じられないものが目に入って笑顔が凍る。
同時にひいい、という息に似た悲鳴が口から飛び出した。
マルスさんの背後から、3メートルはある虎が入ってきた。
ゆうゆうと白い小路を進み、上機嫌にこちらに近づいてくる。
対して私は、気絶こそしなかったが、血の気が引いて自然に足が震え出してしまう。
蒼白になった私の肩を、ティザさんがぱっと支えてくれた。
「大丈夫、あれは私の虎です。人に危害は加えません」
ティザさんは落ち着いた口調でそう言い、私の肩を抱いてどんどん虎に近づいていく。
虎は確かに人に慣れているようだ。威嚇する動作もせず、じっとこちらを見つめている。
恐怖で固まる私ごと虎に向かい合い、ティザさんは優しく頭を撫でた。
虎は気持ちよさそうに目を細め、もっととねだるようにティザさんの手に顔を擦り付ける。
「本当によく慣れていらっしゃる。こんなにおとなしい虎は珍しいですね」
マルスさんはそういって、手綱をティザさんに手渡した。
今まで恐ろしく鋭い牙や、黒い縞が入った黄金の毛並に目を奪われていたため、虎が茶色の鞍を付けていたことにそこで初めて気づいた。
虎は革製の鞍以外にも、荷物を背の両側に下げている。
まさか、と思った瞬間、ティザさんは虎の背に飛び乗った。
虎は主人を乗せたことが嬉しかったのか、グルグルとうなり声を上げた。
「エリカさん、私の前に座ってください」
回れ右して駈け出そうとすると同時に、ティザさんの声が飛ぶ。
私の声にならない悲鳴を無視して、ティザさんは驚くほどの力で私をぐいっと引っ張り上げた。
「ティ、ティザさん」
思わず名前を呼んでティザさんの腕にしがみつく。
鞍の上で引っ付くと迷惑だと分かっているが、虎の上で落ち着くなんてとても無理だ。
ティザさんは私の背を安心させるように、ぽんぽんと叩いてくれた。
申し訳なさが募るけれど、恐怖はちっとも減ってくれない。
「首都へは長旅になるから、道中気を付けるのよ。
魔女様の言うことをよく聞いて、いい子でね」
いつの間にかそばにいたジーナさんが、半泣きの私にそう言って小包を渡してくれた。
マルスさんはジーナさんの肩を抱き、少し寂しそうに微笑みかけてくれる。
2人の微笑みを見て、こんなことをしている場合じゃないと我に返った。
だって、きっと2人にはもう会えないから。
今は、異世界に来て初めて助けてくれた人と、ちゃんとお別れしなくてはいけない時だ。
「マルスさん、ジーナさん、ありがとう」
虎への意識を切り替えて、できるだけ2人をしっかりと見つめる。
「助けてくれて、本当に嬉しかった。ありがとうございます」
頭を下げ、感謝の言葉を異世界語で紡ぐ。
最後は自分の正体を隠すための日本語ではなく、相手の言葉で感謝を伝えたかった。
2人が目を見開く。私がこっちの言葉を喋れたのかと驚いているんだろう。
どう説明しようか、と迷った時にティザさんが口を開く。
「エリカさんが、どうしても自分でお礼が言いたいというので、私が大陸語を教えたんです。
私からもお礼を言います。この子を保護していただいて、本当にありがとうございました。」
自然な口調でそう言い、ティザさんは2人に向かって頷いた。
それを聞いたジーナさんの目から涙が零れ落ちる。
マルスさんはジーナさんを支え、小路の後ろに下がった。
ティザさんが軽く手綱を引くと同時に、虎が勢いよく走りだす。
白い小路を力強く蹴り、重厚な門をくぐって神殿の外へと駆けていく。
あっという間に優しい2人の姿は見えなくなり、強固な塀が目立つ神殿も小さくなっていく。
強く吹き付ける風のせいか、それとも別れの寂しさのせいか、鼻の奥がツンと痛んだ。
“あまり泣いてはいけないよ”
ふと、メッセージカードの文句を思い出す。
私は強い風に構わず、目じりに浮かんだ涙をぐっと拭い去った。
まるで、あのどこか艶のある、ベルフェゴールの声に答えるように。




