20.正統派脱出
「おはよう、お腹が空いたでしょう? 朝ごはんよ」
にこやかに声をかけながら、ジーナさんは部屋の中へと進み、中央のデスクにお盆に乗ったお粥を置いた。
当たり前だけれど返事は期待していないようで、備え付けのイスを引いて私に座るよう身振りでしめす。
慌てて立ち上がり椅子に座ると、ジーナさんはカーテンをまとめたり、ベッドを整えたりと働き始めた。
忙しく働いている人の真横で、呑気にご飯を食べるのはちょっと気が引ける。
でも、用意されたお粥があまりにもおいしそうで、空腹だった私はすぐに遠慮を捨てた。
お粥なら昨日も食べたけれど、あれは多分病人食だったんだろう。
そう思うくらい今日のお粥は豪華だ。
牛乳を使って煮込まれていて、卵や細かく刻んだ人参、大きめにカットされたソーセージが入っている。見た目だけならお粥よりシチューに近い。
口に含むとぷりぷりのソーセージの食感、人参のまろやかな甘み、卵の柔らかさなどが一気に押し寄せてきた。
ここ最近まともに食べていなかったせいで、舌がひどく敏感になっていたらしい。まるで味の洪水だ。
無心のまま必死でスプーンを口に運び、空腹感をおさめる。
やっと一息ついたころにはお皿はほとんど空っぽで、自分のことながらあまりの食欲にあきれてしまった。
ゆっくりとスプーンを下ろし、てきぱきと働くジーナさんの背中を見ながら考える。
昨日ベルフェゴールに会い、言葉が話せるようになったと伝えたほうがいいんだろうか?
考えるうちに、安易に伝えるのは危険かもしれないとの思いが広がってくる。
まず、私に魔法をかけたベルフェゴールが何者かわからない。
「昨日見知らぬ魔法使いが、言葉が話せるようにしてくれました」なんて、自分でも信じられないのに他人を納得させられるわけがない。
多分いくら説明しても、気味悪がられるだけだろう。
それに話せるとわかれば、当然私の身元を聞かれる。
自分が異世界人だと言ったところで、信じてもらえなければ狂人扱いされるだけだし、もし信じてもらえたとして誰かが助けてくれる保証はない。
おまけに、確かベルフェゴールは、異世界の移動は難しいと言っていた。それなら異世界人が一般的なはずがない。
最悪、迫害されて殺される可能性だってあるかもしれない。
やっぱり駄目だ。とても上手いこと取り繕えそうにない。
ここは言葉が分からないふりをしながら、こっちの世界の情報を集めるのがベストだろう。
もしばれたらその時はその時だ。
そこまで考えて一つ頷くと、ジーナさんが視線に気づいて手を止める。
「食べ終わった? お腹が相当空いてたのね、可哀想に」
そう言ってお皿を下げると、ジーナさんは眉根を寄せた。
「まだ子供なのに、新月の森で迷子になるなんて。親はまったく何をしてたのかしら」
どこか憤った調子でそう続けて、ため息をつく。
どうやら私は迷子だと思われているらしい。
確かにこっちの外人顔の人たちと比べると童顔なんだろうけど、もう17歳なのにと切ない気持ちになってしまう。
「礼拝が終われば神官様にお目通しが願えるから、それまではここで我慢してね」
そう言ってジーナさんは軽く微笑みかけると、扉へ向かって歩いていく。
まずい、このままだとまた閉じ込められる。
『あの!』
とっさに日本語で呼び止めると、ジーナさんは驚いた顔で振り返った。
一瞬嘘をつくことに罪悪感を感じるけれど、すぐに決心を固めて椅子から立ち上がる。
『あ、あの……トイレ、貸してください。』
旅先の恥は、かき捨てだ。




