02.寒中水泳、ダメ、絶対
目が覚めた。
こんなにはっきり夢を覚えているのは久しぶりだ。
今は12月に入ったばかりで、無駄に窓の大きいこの部屋は寒い。
布団を頭からかぶって、寝ている間に寒さですっかり冷えてしまった顔を温める。鼻の代わりに氷がくっついてるに違いない。
ぐずっ、と鼻を鳴らしてから夢の内容を振り返る。
あんなに綺麗な花畑、どこで見たんだろう。
ぼんやり考えていると、あの光景はなんだか懐かしいものに感じられた。
昔行ったテーマパークだろうか。
あまり覚えていないけど……写真が残っていた気がする。
………。
だめだ、寝そう。この体勢。
我が家は二度寝に寛容だけど、せっかくのテスト明けの休みが無駄になるのはごめんだ。
思い切って起き上がって伸びをする。名残惜しいけど布団とはおさらばだ。
適当に選んだセーターとジーンズに着替えながら、ふと時計を見ると朝の9時だった。
今日は土曜日だけど、お父さんもお母さんも確か仕事だったし、妹は部活に行ってるから家は私と愛犬しかいない。
誰もいない家でぼんやりと菓子パンを食べ、身支度を終えてからキッチンのテーブルに置いてある本に気付く。
しまった、これかなり前に借りた図書館の本だ。
確実に返却期限過ぎの本を手に取って、ため息をつきながら愛用の白いショルダーバッグに突っ込む。コートとマフラーで防寒し、仕方なく家を出た。
玄関を出たところで、愛犬のジャンがひょっこりと犬小屋から顔を出した。気配を察して出てきたらしい。
おはようと挨拶をして頭を軽くなでてやると、ジャンは柴犬らしい耳をぺたりと垂れて、尻尾を元気に振る。
相変わらず可愛いなあ、こやつめ。
調子に乗ってわしゃわしゃと撫でていると、ジャンは降参というようにお腹を見せて地面に転がった。
可愛いジャンに和みつつ、空を見上げる。
空は雲一つ見当たらないほど晴れていて、陽が射すところは思ったより寒くない。
自転車で行くつもりで家を出たけれど、やっぱり徒歩で行くことにする。
私はジャンにじゃあねと軽く挨拶をし、のんびりと図書館目指して歩き始めた。
本当に天気がいい。
日差しが暖かく、冷たい風さえなければ春が来ているようだ。
コートの下は少し汗ばみ始めていて、もっと薄着で出たらよかったかと考えさせられる。
マフラーをとって本が入ったバッグに押し込み、川沿いの土手を歩き続ける。
名前はわからないけれど、この辺りには花が多くて晴れた日は散歩にはうってつけだ。
夢で見た花は綺麗だったな、と周りの花につられて思い出す。
あれは日本ではあまり見ないけれど、西洋では多く栽培されている種類の花だ。
日本では、エリカと呼ばれる花。別名ヒース。
私と同じ名前の花だ。
そのせいか夢に出てきた花が分身みたいに思えてくる。
そんなことを考えながら歩いていると、普段なら気にも留めない、名も知らない周りの花の香りがひどく心地よかった。
突然、周りを包む花の香りをさらうように、突風が吹いた。
あまりの風の強さに目を開けていられず、とっさに手で目をかばう。
風はまるで威力を見せ付けるかのように、コートの裾を吹き流す。
息を止めて耐える私に構わず、風の勢いは止まるどころかどんどん強くなり、コートだけでなく地面に踏ん張る私自身もずりずりと後ろへ押し流す。
慌てて、薄目を開けながらしゃがみこもうとして、バランスを変えたのが悪かったらしい。
後ろ向きに吹っ飛ばされた。
とりあえず、並の風ではない。
なぜなら、今、私が、飛ばされている。
土手から、川に向かって、まるで小石でも投げるように。
浮遊感が気持ち悪い、とか。
オズの魔法使いに出てきたドロシーはこんな気分だったのか、とか。
川に突っ込んだら溺れて死ぬ、とか。
新しい靴が台無しになる、とか。
いろいろなことを思ったけれどどれも役には立たなくて、最後に覚えているのは全身を包んだ水の感覚だった。