16.塩が馴染むまで待ちましょう
男は私の質問に答えず、椅子にゆったりと座りなおした。こだわりがあるのか、今度も逆向きに。
「座ったら?時間はあるんだし」
背もたれに肘をつき、だらしない姿で話しかけてくる。
私は警戒しつつも、ベッドへ近寄って腰を下ろした。
何者かはわからないけど、森に迷い込んでから言葉が通じる人に出会ったのは初めてだ。
とにかく少しでも情報が欲しい。
「で、この世界はどう?気に入った?」
ベルフェゴールは、微笑みを浮かべながら聞いてくる。
その笑みは一見優しかったけれど、どことなく真意がつかめない。
「この世界って……そもそもここはどこなの?」
そう聞くと、男は一層笑いを深めた。
「ここはラカン女王国。君のいた世界とは、本来交わらない異世界だよ」
笑いながら、まるで予想外の言葉をぶつけてくる。
理解できない言葉に、冷水を浴びせられたような感覚に陥る。
「異世界、って……なにそれ、なんで私がそんな場所に?」
ここが日本じゃないのは覚悟していたとはいえ、異世界だなんて突拍子のない言葉に思わず眉根が寄る。
「さあ。なんでだろうね?」
ベルフェゴールは困惑する私に構わず、関心がなさそうに返事をした。
「とにかく、異世界だか何だか知らないけど、私は帰りたいの。元の場所に戻りたい。
お願い、会ったばかりで言いにくいけど、よかったら助けてくれない?」
必死になって言い募る。言葉も通じず、化け物が出る世界になんて長居したくない。
普段なら初対面の人や部屋に侵入した怪しい人を、いくら優男だからって頼る気にはなれない。
でも今は非常事態だ。万に一つの可能性でもすがりたい。
「へえ、そんなに嫌だったんだ。まあこっちの世界は人間には危険だしね」
私がそう言うのを予想していたように、ベルフェゴールは言った。
「帰る方法はなくはないけど。でも今の君じゃ無理だよ」
「……どういうこと?」
思わず問い返す。
「異世界の移動は容易い技じゃない。こっちの大気に君が馴染むまで、行うのは不可能だ。
今無理に行えば、死んで塵も残らないだろうね。
まあ、こっちの世界もそんなに悪くないよ。気長にいくしかないね」
ベルフェゴールの声は同情的だったけれど、どこか愉快そうだ。
「馴染むまで無理って、なにそれ……。とにかく、帰る方法を教えて。危険なら今は使わないから」
そう言ってもベルフェゴールは微笑むばかりで、口を開こうとはしない。教える気はないようだ。
私はシーツをぎゅっと掴んで、不安を押し殺す。
どうやら本格的に遭難は長引くらしい。帰り方さえ分からないなんて。
本音を言えば、取っ組み合ってでも帰還方法が知りたい。でもそれは無理だ。
武器も持っていない状態で適うはずがない。それに、馬鹿みたいだけれど心のどこかで、やっと見つけた話の通じる相手に対して遠慮があった。
「……わかった。じゃあ、どうして私は監禁されてるの?」
覚悟を決めて、シーツから手を放す。
今すぐ帰れないなら、この状態を切り抜けなければ。
ベルフェゴールの緑の瞳に、決心した私の顔が映った。




