7 どういうつもりかしら?
「何かいたんですかっ」
エマにしか聞こえないような小さな、しかし興奮を隠しきれていない声でアステルは問う。
「ちょっと何かもめてるみたいなの。子供みたいだけど刃物を持ってるから少し危ないわ、ここで待っててくれないかしら」
早口でそう告げると、エマはにっこりと微笑んだ。
アステルはその笑みの意味を悟り、大人しく待っている事を受け入れるとともに密かにむくれた。
――危ないなら頼ってくれたっていいじゃないか、オレは男だしもう17なんだから。
そう思った。
しかしこれは彼女の仕事、素人に手出しは無用。
そのことも重々承知していたからこそアステルは黙って頷いた。
「ありがとう」
エマはそう言うと、ふわりと髪をなびかせアステルに背を向けた。
(オレだって役にたてるはずなのに)
少しばかり自意識過剰なつぶやきをもぐもぐと噛む。
ぼんやりとエマの行く先を眺め、そして――全身に悪寒が走った。
ぞわっと嫌な汗が吹き出す。
とっさに隣の木に背中をつけて身を隠し、今にも身体を突き破って飛んでいきそうな心臓を服の上から押さえつける。
落ち着くため肩の力を抜こうすると、代わりに足の力が抜けてずるずると座り込んでしまった。
心臓が鼓膜にはりついているのではと疑いたくなる程大きな音をたてている。
(よ、良かった、一緒に行こうって言われなくて本当に良かった……っ)
ぎゅっとかたく目をつむる。
そのあとゆっくりと深呼吸をし震えを抑え、木の影からそっと顔を出した。
どういう経緯なのかは全く判らないが、エマに短剣で斬りかかる少女が1人。
その周りに数人の男。血を流している者もいる。
エマは少女の短剣をくるりと軽くかわし、少女の腕を掴む。
そのまま少女に何か言っているようだったが、アステルには全く聞こえなかった。
それどころでは、なかった。
「やっぱり……ティナ、なんで……?」
短剣を振りかざす少女に、アステルは見覚えがあった。
いや、『見覚え』などそんな他人行儀な関係ではない。
彼女――ティナはアステルにとって唯一無二の友であり、そして今、この世の中で最も顔をあわせたくない人間であった。
「……ああ」
ため息とも呻きともつかない声を吐き耳を塞ぐ。
――馬鹿だ。森が楽しいとか綺麗だとか、そんなこと考えてる暇があるなら一刻も早く村の遠くに行かなくちゃならなかったんだ。
まして、少しだけだけど村を出たことが清々しいだなんて思うなんて。
最低だ。
最低だ。
最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ……
自身を呵責し続けてるうち、彼ははっとする。
――もしもエマさんが、ティナの前でオレの名前を呼んだら?
アステリオン・ライトなどという奇異な名前はそうそう聞かない、まして幼い頃からつい先日までずっと一緒だった少年の名。
ティナは確実にアステルの存在に気付くだろう。
(……もし、そうなったら)
首筋に冷たい汗が伝う。
指が震える。
(そうなったら、いっそ、オレは――)
そのとき。
肩を軽く叩かれる感覚がし、息が止まった。
しかし、まばたきも出来ないまま振り返った先にいたのは、不安そうにしゃがみ込むエマの姿だけだった。
全身から緊張感がどっと抜けていく。
「エマさん……」
耳を塞いでいた手をへなへなと下ろし安堵の息をつく。
「アステル君、大丈夫? どうしたの、具合悪いの?」
「いえ、あの、えっと……さっきの人達は……?」
「ああ、あのね」
エマが言うに、あの少女――ティナという名前であることをエマは知らない――は山賊に襲われ、錯乱状態に陥り逆に山賊を刃物で攻撃しだしたらしい。
「こんなこと言っちゃ悪いけど、あの子みたいな素人さんは加減を知らないから……ほっとくと殺しちゃいそうなくらい暴れてたから、ちょっと山賊のほうも手出ししづらかったみたい。血とか出てたし、山賊は殺しちゃまずいって知ってるから。大人だもんね。あ、でも、女の子もちょっと話したらすぐ落ち着いてくれたわ」
なんかお互い様っぽかったからどっちも捕まえはしなかったけど、と苦笑する。
「もういないんですか?」
「ええ。山賊は逃げてっちゃったし、女の子はロートス村……あ、この近くの村のことなんだけどね、そこの出身らしくて。どうしても1人帰るって言うから……。『私に剣は危ないから預かってほしい』って、これも受け取ったし」
エマが鞘に入った短剣を見せる。
アステルに、その剣への見覚えはなかった。
少女は言ったそうだ。
『私、1人で帰れるわ。あの、ごめんなさい……もう大丈夫だからお願い、1人で帰らせてほしいの。おおごとにしてお父さんに心配かけたくないの……』
と。
泣きそうになってうつむく少女を、エマは見逃すことにした。
どっちみち正当防衛であったし、武器を自ら手放しこうべを垂れる彼女を必要以上に責めたてるのは得策ではないと判断したのだ。
そんなエマの言葉を聞き、アステルはふたつ安心した。
ひとつは、ティナがもういないこと。
もうひとつは、自分の大事な友であった少女が何の罪にも問われないこと。
小さく安堵の息をつき、エマを見上げようとした刹那。
彼女はアステルの視界から消えた。
「――え?」
ほんの一瞬視界を横切ったのは、ひらひらとした何か。
それが古い旅装のマントだと、そしてエマはそのマントの中の人間に弾きとばされたのだと理解する頃には、薄汚れたマントとエマはアステルから離れた所で対峙していた。
マントの人は背格好からして男であろう。
そのマント男は手にしていた剣の切っ先を、片膝をついたまま様子を伺うエマに向けた。
「……どういうつもりかしら?」
挑発的にも消極的にも聞こえる彼女のその問いに対し、男は。
「べっつにー? ただ俺、ちょっとイライラしてんだよなぁ、今。すっごく」
目深に被ったフードの陰で、男の口角がつり上がった。
「そんだけだよ」