0 村を出ることになりました
拙い文章ですが、よろしくお願い致します。
その家は闇に包まれていた。
どこもかしこも塗りつぶしたように真っ暗、無音。
そんな家の中でたった一箇所、消え入りそうに光る小さな灯火が在った。
机の上の古いランプである。
紅茶色の髪に若草色の瞳の少年がひとり、そのランプの光に照らされ机に向かっていた。
家に照明が無いわけではない。
ただ、この日は夜の闇の中で赤々と灯りをともす気になれなかったのだ。
今日のこの国――エーテルハウト国では、魔石と呼ばれる摩訶不思議な鉱石とそれから抽出された成分が様々なものの資材として使われている。
暖をとり調理をするための発火のアイテール、食材の品質を保つための冷気のアイテール、汚れを落とし清潔さを維持するための石鹸のアイテールなど種類や用途は多種多様。
少年の手元のランプはそんな文明の一端であり、どこかへ燃え移る危険を孕む火よりずっと安全な光源である。
そんな灯りのもと少年はペンを握り、友人へ向けて手紙を書いていた。
否、書こうとしていた。
しかし――
(何書けばいいんだろう……)
首をひねり頭をかかえ、推敲に推敲を重ねてようやく絞り出した文章が『村を出ることになりました』。
たった一言、村を去るという事実を述べただけであった。
「……はあ」
少年は書くことを決められない自分の優柔不断さを心の中で嘆きつつ、ペンを置いた。
自分に言い聞かせるように、ぼそりと呟く。
「別に、言いたいことがない訳じゃないんだよ」
そう。
ずっと一緒に過ごし遊んで仲良くしてきた友人達に、伝えたいことは山ほどあるはずなのだ。
それなのに、言葉にすればするほど、薄っぺらな戯れ言にしか見えなくなっていく。
心からの感謝も、美しい思い出も、辛い別れの言葉すらも。
キラキラとした木漏れ日のような記憶や想いが歪んでいくようで、紙に何も綴る事が出来なかった。
そして結局。
「『村を出ることになりました。今まで色々とありがとう、本当に感謝しています。どうかお元気で。』……うん、もういいよこれで」
妥協に妥協を重ね、この文章で落ち着く事にした。
稚拙で他人行儀な手紙である事は少年自身も承知だが、悩んだところでこれ以上のものが完成する気がしなかった。
便箋を丁寧に二つ折りにして封筒に入れる。
その封筒の裏に名前を書き、ほんの少し後悔した。
少年の名はアステリオン・ライトという。
しかし、アステリオンという仰々しい名前を本人は好いていなかった。
だから彼の知り合いは皆、彼をアステルと呼ぶ。
彼――アステリオンは、アステルと呼ばれるのが好きだった。
だからこそ微かに後悔したのである。
(アステルって書けばよかった……)
まぁ書き直せないし仕方ないかと諦め、手紙を用意していた鞄に入れる。
中身は少量の食料と応急処置用の薬やガーゼ、あるだけかき集めた金、そして今入れた手紙。
村から出る途中で友達の家に置いていくつもりである。
「行ってきまーす」
家の倉庫から勝手に持ち出した細身の剣を持ち、真っ暗な家の中で小さくそう呟くと、心の中にじわりじわりと名残惜しさが広がっていった。
アステルは、村を出る事を両親に伝えていない。
伝えたら何と言われるか想像もつかない。
(もしちゃんと伝えてたら、行ってらっしゃいって言ってくれたのかな)
そう考えると、心臓がぎゅっと縮んでいくような苦しさが込み上げてきた。
それは波紋となってゆらゆらと身体中に広がっていく。
少しだけ、悲しかった。
(ああもう、後悔してばっかじゃダメだ!)
寂しさを振り払いランプを片手に持ち、足音を立てないようそっと家を出る。
夜の澄んだ空気を吸い込み歩き出した彼の足取りは、けして軽いものではなかったが、先刻とは明らかに違う不思議な清々しさと潔さを纏っていた。
「そうだ」
手紙を友人の家に密かに届けたところで、アステルは良いことを思いついた。
「これから僕、自分のことオレって言おう」
幼い頃から17歳になった今まで、一貫して変えていなかった一人称。
僕がオレになったところでどうという訳でもないのだが、少し自分が大人になった気がして嬉しかった。
夜空には満月、雲一つない満天の星空。