9.背中合わせの道のり
部屋に入って来たミシェルは、最初ソファで仰向けに寝ているシリウスの存在に気付かなかったようだ。
アリシアの要望通りに籠いっぱいに盛り付けられたフルーツを両手で抱え、目を輝かせながら近付いてくる。
「アリシアさま見て下さい、厨房の皆さんが快くフルーツを乗せてくれました!」
魔族の王女からの命令だと気付けば、よほど命知らずの者でなければ快く従うだろう。それを知ってか知らずか、ミシェルは無邪気な笑顔を浮かべていた。
アリシアに籠を手渡そうと思ったのか、いそいそと近付いてきたミシェルは途中でピタリと足を止める。その赤い瞳はソファからはみ出していた長い脚に向けられていた。
ミシェルの視線はソファからアリシア、アリシアからソファへと交互に動き、やがて籠を持ったままくるりと背を向けて扉へと歩き出す。
アリシアはそれを慌てて止めようと声を掛けた。
「待って、ミシェル。力を貸してほしいの」
「……え?」
振り返ったミシェルの驚いた顔を見て、アリシアは懇願口調になってしまっていたことに気付いた。
「ち、力を貸しなさい。今ここに寝ているのはシリウス……殿下よ。体調が悪いみたいでこのままソファの上だとしっかり休めないし、何とか彼の部屋に連れていきたいんだけれど……シリウス殿下の側近を知っているかしら」
「……アリシアさま、シリウス殿下に側近の方はいらっしゃいません」
「いない?」
思わず目を丸くするアリシアに、ミシェルは小さく頷くとフルーツの入った籠を両手で抱きしめるように持ち直す。
「シリウス殿下は……いつもお一人でおられます。殿下ご自身の剣の腕が立つため、側近は不要だと仰られたそうです」
「そう……なら、誰か殿下と親しい人は?」
「……いえ、城内で誰かと親しげに話されているところを、私はお見かけしたことがありません」
眉を下げてそう答えたミシェルの言葉に、自然とアリシアの目は眠っているシリウスへと向く。
第三王子だとしても、側近が一人もいないのはおかしい。自分の手足となる側近がいないのならば、シリウスは全ての仕事を一人でこなしていることになる。
(まさか―――たった一人で王を目指しているの?)
穏やかな寝顔からは想像ができないほどの険しい道のりを、シリウスは今までも一人で歩んできていたのだろうか。
何もかも諦め人形のように生きていたアリシアには、その強い意志は眩しすぎた。
「……ミシェル、ブランケットを」
ミシェルは何も言わずにさっと動き出し、クローゼットの中から丁寧に折りたたまれたブランケットを取り出した。
肌触りの良い高級なブランケットを受け取ったアリシアは、そっとシリウスの体に掛ける。
「このまま寝かせてあげましょう。私は向かうところがあるから、あなたは好きに過ごしていいわ」
「……はい、分かりました」
シリウスを起こさないよう気遣っているのか、ミシェルはギリギリ聞き取れる声で返事をすると扉を開けてくれた。
一度横目でシリウスの寝顔を確認してから、アリシアは気配を消すように歩いて部屋から出る。静かに扉を閉めミシェルと反対方向に歩き出すと、きょろきょろと周囲を見渡す。
(さて―――どこに向かおうかしら)
ミシェルには向かうところがあると言ったアリシアだったが、もちろん向かうところなどあるはずがない。
けれど、どうしても確かめたいことがあった。
姿勢を正し人気のない廊下を歩きながら視線を彷徨わせていると、大きな柱が目に入る。周囲に人影がないことを確認してから、その柱の裏に隠れるようにして立ち止まった。
(一、二、三……どうやら私を狙っているわけじゃないみたいだわ)
三つ数えたところでそう判断したアリシアは、柱の影から顔を出すと人気のない廊下に向かって口を開く。
「……あの、私に何か用かしら?それとも―――シリウスに?」
瞬間、空気が揺れた。
あっという間に背後に人の気配を感じたアリシアは、振り返る間もなく首筋にヒヤリと冷たい何かを当てられ動きを止める。それが刃物だと気付いたときには、耳元で唸るような低い声が響いた。
「……何故分かった?」
何故と問われれば、アリシアは当たり前の答えを返すことしかできない。
「私の部屋の扉の外から、ずっと人の気配を感じていたので」
シリウスがアリシアの部屋を訪れるとき、決まって扉の外に感じる気配があった。それをずっとシリウスの側近の者だと思っていたのだが、ミシェルの話だと側近はいないと言う。
それならば、魔族の王女であるアリシアを狙う者か、逆にシリウスを狙う者だと判断したのだ。
「命を狙うには絶好の機会の今、あなたはそれをしない。でも、部屋に残してきたシリウスを狙うわけでもない……目的を訊いたら教えてくれるのかしら?」
「……」
そう簡単に教えてくれるわけもないだろうと思っていたが、アリシアの首筋から刃物が遠退いた。それでも振り返らずに相手の出方を待っていると、少ししてから大きなため息が聞こえてくる。
「……シリウスさまの言う通りだな」
「……え?」
「やけに肝の据わった、魔族らしからぬ女だという意味だ」
それをどう受け取ればいいのか分からず、アリシアは眉を寄せて考える。その間に背後の殺気立っていた気配が薄れたかと思えば、後頭部をぐっと鷲掴みにされてしまった。
「……!?なにっ……」
「静かに。今ここで危害を加えるつもりは無いが、お前に敬意を払うつもりも無い。そして、お前に顔を見られるわけにもいかない」
「……あなたは、シリウスの影の護衛騎士か何かなの?」
目の前に広がるきらびやかでどこか物寂しい廊下を見つめながら、アリシアは背後の謎の人物に問い掛ける。
シリウスに敬称を付け呼んでいることから、間違いなくその下で働く者なのだろう。それも、周囲に知られていない影で動く者だ。
王家には正体を隠し情報収集に動く部隊があるとも聞く。実際に謎の人物の気配は魔族であるアリシア以外ではなかなか感じ取れないだろう。
「……」
長い沈黙は、どう答えるか迷っているようにも思えた。
シリウスに口止めされているのならば無理やり明かすのも悪いかと、アリシアは話題を変えることに決める。
「……あなたがどこの誰でも構わないけれど、シリウスを慕っているのなら私の部屋から彼の部屋まで連れて行ってくれるかしら?寝心地の良いベッドで寝かせてあげて」
「それは……お前の作戦か?わざとシリウスさまを心配するような態度を取り、こちらを油断させているのか?」
全く見当違いなその問いに、アリシアは頭を悩ませる。
魔族が他人を心配するはずがないと当然のように思われていることが、悲しくもあり恥ずかしくもあった。そう思わせてしまうほどの蛮行を繰り返したことが、魔族の最も重い罪なのだ。
「あなたがそう思うなら、そういうことにして。……一つだけ、確認したいことがあるの」
「……言うだけ言ってみろ」
「あなたは……シリウスの味方なのよね?」
背後から聞こえたのは、嘲笑うよな小さな笑い声だった。
「は、そうだと言ったらどうする?シリウスさまの腹心である俺をこの場で排除するか?」
「そんなことはしないわ。ただ―――シリウスが独りじゃなくてよかったと、そう思っただけよ」
それはアリシアの本心からの言葉だったが、シリウスの腹心だと名乗る人物の耳には戯言のように届いただろう。
気付けば背後の気配がなくなっており、ゆっくりと振り返ったアリシアの目には誰の姿も映らなかった。
(……シリウスを引き取り行ってくれたのかしら。もう少ししたら戻りましょう)
ふぅ、と息を吐き出してから、刃物の当てられていた首筋に手を添える。
その手のひらに付着した真っ赤な血は、“自分が魔族であることを忘れるな”という一種の戒めのように思えるのだった。




