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8.無防備な顔ふたつ


 アリシアは困っていた。

 それは、数日後に開かれる盛大な祭典に不安を抱いているからではない。たまにふらりと部屋にやって来るシリウスが、相変わらず無茶な要望を言うだけ言っていなくなるからではない。

 侍女のミシェルの視線が、痛いくらいに突き刺さってくるからだ。


 ある日を境に、ミシェルは部屋の掃除が終わってもアリシアが戻るのをそのまま待つようになった。

 そして窓辺に座り外を眺めるアリシアを、何も言わずに見つめてくるのだ。その瞳が何故か輝いているように思え、余計にアリシアは理由が分からずに困っている。


 顔を合わせた初日、ミシェルは間違いなくアリシアを恐れていた。それがどうしてこうなったのか、今はまるで観察日記をつけているかのように何をしていても視線を向けられてしまう。

 意を決して視線を合わせてみると逸らされるのだが、それは恐ろしいからというよりも気恥ずかしさからのようで、そわそわと結った髪を触り始めるミシェルの心境がアリシアには全く分からなかった。


(私、ミシェルに飴を与えたりしていないわよね……?どうして急に警戒心が緩んだのかしら?)


 不思議に思いながらも、このままではマズいかもしれないということにアリシアはハッと気付く。当面の目標は“魔族の威厳を見せつける”ことだというのに、側仕えの侍女がにこにこと笑顔を浮かべていたら魔族の印象が和らいでしまうかもしれない。



「……ミシェル」



 凛とした佇まいを意識して背筋を伸ばし、ちらちらと視線を飛ばしてきていたミシェルの名前を呼ぶ。



「私、今すぐフルーツが食べたいわ。籠いっぱいに入れて持ってきてちょうだい」



 顎を少し上に向け偉そうに見えるよう命令を下せば、ミシェルの顔は何故かパッと明るくなった。



「はい!お任せくださいっ!」



 小動物のように素早い動きで部屋を出て行ったミシェルは、やはりアリシアを怖がっているようには見えず、突然の命令に嫌がる素振りもなかった。アリシアの“姉のように気まぐれで他人を振り回す”作戦は失敗だ。

 どうしたものかと僅かに眉を寄せて扉を見つめていると、ノックもなく突然開きシリウスが中へ入って来た。



「……何だその顔は。前に課題に出した笑顔の出迎えはどうした?」



 嘲るような笑みと共に、シリウスは躊躇いなく足を進めるとソファに腰掛けた。

 もしアリシアが着替え中だったらどうするのだろうと思いながらも、目の前の王子はそんなことは気にしないだろうという結論に至る。

 ちなみに課題と言うのは、毎回シリウスがアリシアに押し付けていく要望だ。「笑顔で出迎えてみろ」は一番最近言い残された言葉なのだが、アリシアには一番の難題だった。



「シリウス、何も楽しくないし嬉しくもないから笑えないわ」


「……ほぉ、言うじゃんか。でもあんた、楽しくても嬉しくても笑わなそうだけどな。愛想笑いすらしないし」


「それもそうね。……そもそも、私の妻としての役割はあなたに笑顔を向けることじゃないでしょう?」



 どこから持ち出したのか、シリウスは手元のグラスに並々と酒を注いでいた。昼間から飲酒とは王子としてどうなのかと疑問に思いながら、アリシアはグラスの中で揺れる液体をじっと見つめる。

 それを一気に飲み干したシリウスは、口元を親指で拭いながら気怠げに口を開いた。



「もしあんたが命惜しさに俺にすり寄ってくる女だったら、この部屋に閉じ込めて放置してたな」


「……それなら、あなたに笑顔を向ける役割はいずれ本当の妻になる女性に望んで。私には無理だわ」


「はいはい。魔族の女ってのは可愛げがないんだな」



 投げ捨てるように吐き出された言葉に、アリシアはムッとして眉を寄せる。いくら憎い魔族相手だからといって、契約を結んで協力関係にあるのに酷い物言いだ。

 シリウスの目的は、アリシアが魔族の王女としての存在感を周囲に知らしめることのはずだ。その裏で王位の簒奪を計画しているようだが、詳細は全く不明である。



「……にこりともせず隣に立っていろと言ったのはあなただわ。今更可愛げを求めるなら、他の女性に計画を持ちかけたらどう?」



 思わず言い返したアリシアの言葉に、シリウスを纏う空気の温度が一段と下がった。冷ややかな瞳をアリシアに向けながらも、グラスを丁寧にテーブルの上に置く。



「勘違いするな。あんたとの婚姻は俺が望んだことじゃない……ただ、意味のない婚姻を結ぶくらいなら利用しようと考えただけだ。他の誰かを選べるなら、俺だってそうする」


「……」



 取って付けたような乾いた笑い声が響き、アリシアは冷静さを取り戻していた。見方によっては、シリウスも魔族という存在の被害者だ。

 もし自分が普通の人間で、普通に笑顔を向けることができたのなら、シリウスも同じような笑顔を返してくれるのだろうか―――そう意味のない場面を想像していると、シリウスがゆっくりとソファから立ち上がる。



「……無駄話だった。とにかく、祭典中は前に指示した通り堂々とした態度を貫け。余計な言動は……」



 言葉の途中でシリウスの足元がふらつき、ガタンと音を立てテーブルにぶつかる。そのまま倒れそうになる体を、アリシアは瞬時に動いて支えることができた。

 すぐ近くで栗色の髪がサラリと揺れ、どこかぼんやりとした薄紫の瞳がアリシアを映す。至近距離でシリウスの整った顔を見て、ようやくその顔色の悪さに気が付いた。



「ねぇ、大丈夫なの?顔色が……お酒の飲み過ぎかしら?」


「……は、こんな少量の酒で酔ってたまるか。少し足がもつれただけだ」



 そう言いながらも、シリウスはアリシアに支えられて立っているのが精一杯のようだった。

 額には汗が滲み、荒い呼吸が繰り返される。どうみても体調が悪そうな姿を見て、アリシアは動けなくなっていた。


(どうしよう、このまま放っておくなんてできないわ)


 ぐっと唇を結び、アリシアはシリウスの体を再度ソファに座らせるように動かす。すると、虚ろな目をしたシリウスが睨むような視線を向けてきた。



「……おい、何のつもりだ。俺は自分の部屋に戻る」


「そんなふらふらで戻れるわけないでしょう、少し休んでいって。ミシェルが戻ったら……」



 ソファから立ち上がろうとするシリウスと、そのままソファに寝かしつけようと体を押すアリシアの力が反発し合う。

 体調不良のせいかシリウスの力は弱々しく、突然フッとその体から力が抜けた。それにより、無理やり押さえ込もうとしていたアリシアはシリウスに覆い被さるようにして一緒にソファへ倒れ込んでしまう。


 ふわりと漂うバニラのような濃厚な香りは、魔族の城の中で常に血の匂いを嫌と言うほど嗅いでいたアリシアには新鮮な香りだった。



「……おい、早く退いてくれ」



 シリウスの胸元に抱きつくようにして倒れていたアリシアは、頭上から聞こえてきたか細い声にハッと我に返った。慌てて体を離して起き上がれば、額に片腕を乗せたシリウスが「最悪だ」と呟く。



「魔族に襲われかけた……俺の体が目当てだったのか……」


「なっ……!ち、違うわ!私はただ休ませてあげようとっ……!」


「……くっ、ははっ……冗談、だ……」



 言葉尻がだんだん小さくなったかと思えば、シリウスの瞼が閉じ、すぅすぅと規則的な寝息が聞こえてくる。

 シリウスにとって敵であろうアリシアの前で無防備に眠る姿は、一国の王子としてはあり得ないものだろう。思わずその寝顔をまじまじと見つめてしまう。


(信頼……は、絶対にないわよね。お酒に弱いのか、あまりに疲労が溜まっていたのか……どっちかしら)


 最近部屋に訪れるシリウスはどこか疲れ切った顔をしていたことを思い出していると、ノックの音と共にミシェルの「フルーツをお持ちしました」という明るい声が届く。

 この状況を見て、果たしてどんな顔をされるのだろうかと頭を抱えたくなりながら、アリシアはシリウスの気持ちよさそうな寝顔を見ながら入室許可を出すのだった。



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