65.笑顔のために③
楽しい雰囲気で賑わっていたはずの空間は、一瞬でヒヤリとした冷たい空気に支配される。
衛兵たちは憎しみのこもった鋭い視線をアリシアへと向け、片手で剣の柄を握っている。その場から動けなくなったアリシアを庇うように、シリウスが手を広げて一歩前に出た。
「お前たち……この城の衛兵じゃないな?」
静かな怒りを含んだ低い声に、衛兵たちが肩を震わせる。けれど固く口を閉じ、第三王子からの問いに答える者は誰もいなかった。
シリウスは自身の剣にスッと静かに手を添え、話の矛先を国王へと向けた。
「……陛下、これはどういうことでしょう?どうして俺の妻が夜会の場で兵に囲まれなければならないのですか?」
丁寧な言葉遣いの中に棘があることは、誰の耳で聞いても明らかだろう。
国王は可笑しそうに笑い声を上げると、やれやれと言うように首を横に振った。
「シリウス……お前は本当にその魔族に毒されてしまったのだな。恋は盲目とはよく言ったものだ。彼女に刻みつけた自分のものだと主張するような痕が、その証だろう」
それがアリシアの首元のキスマークを示しているのだと分かり、咄嗟にその痕を片手で隠してしまう。そんなアリシアの行動の何が可笑しかったのか、国王の隣にしなだれかかっていた王妃がくすくすと笑い肩を揺らした。
「シリウスを手に入れ、次はこの城を……そして我が国を乗っ取ろうとでも思っているのかしら?魔族とは本当に卑しい種族ね」
「……お二人共、ご冗談はおやめください。アリシアがいつ、この国を我がものにしようと行動していましたか?」
王妃の言葉にすかさずシリウスが言い返してくれたが、アリシアは招待客たちが動揺したように顔を見合わせ何かを囁き合っていることに気付いていた。
魔族の王女に対する疑惑の種を先に植え付けられてしまい、このあと何を言ったところで言い訳にしか聞こえなくなってしまうだろう。
(私たちが何か行動に出る前に……潰そうと考えていたのね)
国王と王妃の後方で、宰相が口元に笑みを浮かべて立っている。眼鏡の奥で光る瞳が、勝利を確信しているかのようにこの状況を見つめていた。
「おお、シリウス……!何と嘆かわしいことか……!安心してくれ、何も私たちはお前を責めているわけではないのだ」
芝居がかった台詞で国王は額に手を当て、天を仰ぐように上を向く。
その口元が笑っていなければ、本当にシリウスを心配しているかのように見えたかもしれない。もっとも、全てを知っているアリシアには国王の言動は演技としか思えなかった。
勝算のないまま率先して魔族討伐の声を上げ、実際の全ての指揮をシリウスへと丸投げし、挙げ句に生き残ったアリシアを有無を言わさず押し付けた。自らの私利私欲のためにしか行動せず、国の実権を宰相たちに握られていることに気付きもしない。
―――そんな国で誰が幸せになれるのだろうと、純粋な怒りだけがアリシアの唇を震わせた。
「……この場にいる誰も、シリウスを責める資格などありません」
息をするのも拒まれるかのような静寂の中、アリシアの声が大きく響く。振り返ったシリウスの目は、「大丈夫だから」と訴えているようだった。
ここで感情のままに文句を吐き出して、シリウスの立場を不利にするようなことだけはしたくはない。けれど、これだけは言わなければとアリシアは深く息を吸う。
「……魔族が犯してきた罪は決して消えません。生き残りとなった私のことを憎いと思う人がいるのも、恐怖を抱く人がいるのも当然のことなので構いません。でも―――私は絶対に、シリウスが護ろうとするこの国に手を出すようなことはしません」
突き刺さる多くの視線で、肌が焼けてしまいそうだった。どこにいても逃れられない周囲からの視線だが、魔族の国にいた時と違うのは、アリシアがその視線から逃れるように俯いてしまわないことだった。
シリウスとこの先共に生きたいという願いから、笑い合いたいという願いから―――目を逸らしてしまえば、今ここに立っている資格はない。
背筋を伸ばしたまま前を見据えるアリシアに、国王はたじろぎながら半歩下がる。すると、その背後からついに宰相が姿を現した。
「……残念ながらアリシアさま。あなたのその言葉は、なんの根拠もありません。……魔族の残忍性は、誰よりもそこにいる衛兵たちが知っているようですよ?」
心を痛めているかのように胸元に手を当て、宰相がそう言いながら眉を下げる。
アリシアとシリウスを取り囲むように立つ衛兵たちは、皆が憎悪の眼差しを浮かべ唇を噛み締めていた。そのうちの一人が震えながら剣を抜くと、招待客たちの中から何人もの悲鳴が上がる。
「……俺たちは、みんな……魔族に家族を奪われたんだ……!この悲しみを、憎しみを、あんたの綺麗事のような言葉で消せるはずがない……!」
振り絞るような声で投げられた言葉は、以前アリシアが町に出たときにいくつもぶつけられてきたものと同じだった。魔族の存在そのものを否定し、受け入れられるはずがないという拒絶と非難の言葉だ。
アリシアが生きている限り、悲しみと憎しみに満ちた声は無くならないだろう。それでももう、シリウスが蔑ろにするなと言ってくれた命を差し出すようなことはしない。
「―――剣を捨てろ」
地を這うような声を出したのはシリウスだった。背中越しにでも怒りが伝わってきているが、その手はまだ剣を抜いてはいない。
(……私に疑いの目が集中している今、シリウスが剣を抜いたら宰相の思い通りになってしまうわ。きっと私と共謀していたとか何とか言って、一緒にこの場から排除しようとするはず。そして……シリウスも、そのことに気付いている)
剣の柄を握る手が強張っているのがその証だった。先手を取られた今、慎重に行動しないと宰相があっという間に招待客の感情を操りアリシアとシリウスを捕らえようとするだろう。
シリウスに剣を捨てるよう命じられた衛兵は、既に何かを決意しているかのような目をしていた。王子の命令に背き投獄されることを恐れる気持ちよりも、魔族の生き残りに一矢報いたい気持ちの方が強いのだろう。
(魔族という私の生い立ちを上手く利用して疑惑の種を蒔いたということは、きっとこのあとも更に助長させるようなことを言ってくるはずだわ。その前になんとかしないと……)
アリシアは顔を動かさず、視線だけを素早く周囲に走らせた。
ラウルは他の護衛騎士たちと共にステージ脇に立っている。下手に動いて一緒に捕まらないよう、駆けつけたくなる気持ちを抑えて必死にその場に留まっているように見えた。
エリクも同じように緊張した面持ちで、状況を探るかのようにステージから少し離れた場所に立っていた。フレデリカとジェルヴェの姿はアリシアの位置からは見えず、このままでは意思の疎通ができない。
不測の事態に陥った際の対策はいくつか練っていたが、今の状況は全く予想外のものだった。それほど宰相が一枚上手だったと言うべきか、油断しないようにしていたはずが気付けば背後から刃を突き立てられてしまっている。
宰相はアリシアを捕らえろという命令を下さず、ただ成り行きを見守っているだけだった。
衛兵たちと睨み合う膠着状態が続き、次第に招待客たちがざわつき始めたのが分かった。
「……ねぇ、これは出し物とかではないのよね?」
「当たり前だろう。魔族の王女が、この国を乗っ取ろう画策していて、それを陛下が見破ったんだ」
「シリウス殿下は、それを知っていて手を貸していたってことか?」
アリシアだけでなくシリウスをも疑う声が耳に届き、アリシアは悔しさでぐっと拳を握る。このままでは目の前の衛兵たちが痺れを切らし、斬り掛かってくるのも時間の問題のように思えた。
その時、ステージ上の思ってもいないところから静かな声が発せられる。
「―――おい、もうやめろよ。シリウスの言う通り剣を下ろせ」
両腕を組み気怠げにそう言ったオズモンドの瞳は、今までにない強い光を宿していた。




