62.それぞれの光③
「リカ……フレデリカ……!生きて、いたんだな……!」
涙を滲ませたエリクが、両手を広げてフレデリカに近寄っていく。その手がフレデリカの体を抱きしめようとした瞬間、あっという間に床に組み敷かれていた。
妹に腕を締め上げられ、背中に乗られている兄は、何が起こったのか分からないというように瞬きを繰り返し床を見つめている。
「……ん?」
「いきなり何ですかあなた。初対面なのにわけの分からないことを言って抱きつこうとしないでください」
「いでででででっ!!」
フレデリカは冷ややかな目でエリクの後頭部を睨みながら、ギリギリと腕を締め上げている。
アリシアの隣に座るシリウスが、エリクと同じような表情で「どういうことだ?」と呟いた。
「……エリクの勘違いか?」
「分からないわ。フレデリカは……魔族に連れ去られる前の記憶がないの」
アリシアがフレデリカと出会ったとき、魔族に対する恐怖からか、それとも心を守ろうとする防衛本能からか、自身の名前以外の情報は何も覚えていなかった。なのでラウルと同じように家族を失っているものなのだと思っていたのだが、魔術師の末裔であるエリクの妹である可能性が高いようだ。
アリシアは眉を下げると、ソファから立ち上がってフレデリカの肩を優しく叩く。
「……フレデリカ、エリクさんを解放して。もしかしたら……あなたのお兄さんかもしれないの」
「……兄さん?」
フレデリカはきょとんとした顔で自分が踏みつけにしているエリクを見下ろした。それでも一向に腕を締め上げる力が緩まないのは流石である。
エリクは今は余計なことを言わない方がいいと判断したのか、黙ったままその場でじっとしている。フレデリカの視線が何度かエリクとアリシアを行き来したあと、渋々といった様子でその手を離した。
「……どういうことですか?私に兄がいて、それがこの男ってことですか?」
「……覚えられていない挙げ句この男呼ばわりされてるが、この際どうでもいいよな」
ゆっくりと起き上がったエリクは、その隻眼を今まで見たことのないほど優しく細めてフレデリカに笑いかける。
「俺はエリク・ブロンデル。魔術師の末裔であり、お前の兄だ―――フレデリカ」
いつも余裕たっぷりで妖艶な笑みが得意なフレデリカだが、この時ばかりは動揺から笑顔が出せなかったようだ。アリシアはその背中をそっと押し、とりあえず席につくように促す。
壁際には驚きを隠せていないラウルと、相変わらず眉を寄せて難しい顔をしたジェルヴェが立っている。
アリシアはシリウスの隣へと戻り、向かいのソファにエリクとフレデリカが並んで座る。間に空いた人一人分の距離が、今の心の距離を示していた。
「……こうして並ぶと、よく似ているな」
まじまじと二人の兄妹を観察したシリウスがポツリとそう漏らす。アリシアも今まで気付かなかったのが不思議なくらいだと思った。
同じ紺の瞳を筆頭に、顔のパーツの配置がとてもよく似ている。違うのはフレデリカが眩い金髪で、エリクは灰色の髪に所々金が混ざっているところだった。
「私はエリクさんから妹さんの詳しい話を聞いたことがないから結びつかなかったけれど……シリウスは名前を聞いたりしていなかったの?」
純粋な疑問をぶつけてみれば、シリウスは首を振ってから睨むような視線をエリクへ向けた。
「話には聞いてたが、ずっと“リカ”と名前を口にしてたから気付かなかった。……つまり、本当に彼女がお前の妹なら……魔術師の末裔ってことになるな?」
「……そうなるな。でもフレデリカには元々魔力が少なかったから、今から鍛えるにしても夜会で使えるほどにはならないと思うぞ」
エリクが気遣うようにフレデリカを横目で見る。兄と全く目を合わせようとしないフレデリカの視線は、膝の上で強く握りしめている拳に固定されていた。
(突然兄だという人物が目の前に現れても、困惑するわよね。記憶を失ったフレデリカだけれど、過去を気にするような素振りは見せていなかったし……)
喜ばしい再会のはずが、目の前の兄妹には明らかな温度差があった。
その事実にアリシアが心を痛めていると、きつく結ばれていたフレデリカの唇がそっと開き、僅かに震えた声が発せられる。
「……あなたが……魔術師だというのなら、ラウルの話だとアリシアさまよりも優勢な魔力を持っているってことですよね。その力で……アリシアさまを攻撃する意思は本当にないんですか?」
こんな時でも、フレデリカはアリシアの心配をしてくれているようだ。その事実に感謝の気持ちが溢れ、脆くなってしまった涙腺がすぐに緩む。
エリクは隣に座るフレデリカを物憂げに見つめたあと、深くため息を吐いて固く握られていた拳の上にそっと手を添えた。
「俺は確かにお前を拐った魔族を憎んでいたし、実際にこの手で何人もの魔族を葬った。王女さんにも散々酷い言葉を投げ付けたことは否定しない。……でも、王女さんを攻撃する意思はもう無い」
「……」
「意思を証明することは難しいが……今日お前が生きていたと分かる前から、王女さんを知る内に考えは変わっていったんだ。魔族だからという理由で物事を決めつけていた、自分の浅はかさを恥ずかしく思うくらいだ。それに……」
エリクの隻眼がアリシアへ向き、その口元に笑みが浮かべられる。
「……お前が王女さんをどれだけ慕っているか良く分かる。妹を救ってくれた恩人に、それから……友人の大切な人に、刃を向けようだなんて思わない」
友人、の部分でエリクがシリウスに笑いかけ、アリシアは顔が熱くなるのを感じていた。シリウスから直接“大切な人”という言葉をもらったわけではないが、少なくともそう思ってくれているのかもしれないと考えるだけで胸の奥がムズムズとしてしまう。
すると、シリウスが苦笑しながらアリシアの肩を抱き寄せた。
「安心しろフレデリカ。エリクと……それからジェルヴェが、アリシアを傷付けるようなことはこの先も永遠に無い。二人の誠実さに誓って俺がそう断言する」
「……分かりました。分かりましたからその手を離してくださいっ!」
「本当にアリシア大好きが溢れてる側近だな。……エリク、お前の立ち位置はだいぶ低そうだぞ?」
眉をつり上げ威嚇するフレデリカに笑いながら、シリウスが面白そうにエリクにそう投げ掛ける。
肩を竦めたエリクも同じように笑いながら、どこか晴れ晴れとした顔をしてフレデリカを見た。
「望むところだ。離ればなれで過ごした年月を、あっという間に埋めてやる……よろしくな、リカ」
エリクが差し出した手を、フレデリカはじっと凝視してから躊躇いがちに握る。
「……は、い」
「はい、って。兄妹なんだからもっとくだけなさい。お兄ちゃんは寂しいぞ」
「わ……分かったわよ」
照れたように顔を背けるフレデリカの様子は微笑ましく、アリシアの隣に座るシリウスもどこか嬉しそうな顔をしていた。まだ距離のある兄妹だが、今後上手くやっていけるだろうとアリシアの直感が告げている。
穏やかな空気に包まれる中、シリウスが扉付近で立ちながら成り行きを見守っていたラウルとジェルヴェに声を掛け、ソファに座るよう促した。
これから本題に入るようで、シリウスはそれぞれに用意してあった資料を手渡していく。ザッと目を通して見ると、そこにはこれまでにシリウスが調査したであろう宰相や他の人物たちの悪事の内容が記されていた。その内容は見ていて気持ちの良いものではなく、初めて目にするアリシア、ラウル、フレデリカの三人は揃って顔をしかめてしまう。
「いいか、当日はこの内容と証拠を持って夜会の会場で揺さぶりをかける。招待客たちには悪いが、見届ける証人は多いほど後に俺が王になる道の助けとなる。それから、二枚目に夜会当日に予定している流れが書いてあるから読んでみてくれ。今から簡単に説明する」
シリウスの説明を聞きながら、アリシアはそこに書かれた文字を追い頭の中で計画内容を思い描いていた。
宰相たちの悪事を上手く裁くことができれば、国王を裏で操る影を排除することができる。そのあとはシリウスが国王になるため、また別のことを仕掛けるらしい。
ひとまず、夜会での目的は宰相たちの悪事を暴き認めさせ、その地位から失脚させることだ。
「―――以上だ。この紙は今この場で燃やすから、しっかり内容を頭に叩き込んでくれ。当日は全てが思い通りに進むとは限らない。それでも……俺は、お前たちを信頼している」
国の根底を揺るがす大きな事を成し遂げようというのに、シリウスはなんてことのないような意地の悪い笑顔でニヤリと笑う。
この国の第三王子からの信頼を、この場にいる全員が真剣な顔で受け取っていた。




