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5.小さな変化


 僅かに開いた扉の隙間から最低限の食事を受け取り、部屋の中から外を眺めて過ごす生活が三日過ぎた頃。

 控えめなノックの音が響き、アリシアは窓の外から視線を動かした。



「……?」



 すぐに部屋の中に入って来ないということは、シリウスではない。誰かが廊下で入室許可の返事を待っているのだと、アリシアは不思議に思いながら口を開く。



「どうぞ、入ってくだ……入って」



 敬語を使いそうになり、慌てて止めた。“魔族の王女として圧倒的な存在感を見せつける”という契約を思い出したからだ。

 姉たちはいつも周囲にどういう態度を取っていただろうかと記憶を辿っているうちに、とてもゆっくりと扉が開く。

 その先に立っていたのは、顔を真っ青にして震える一人の少女だった。



「……しっ……、し、しし失礼しますっ……」



 か細い声でそう言いながら、使用人のような服を着た少女は床を見つめながら部屋に入って来た。体の前に添えられた両手は、これでもかというほどスカートをきつく握りしめているのが分かる。


(怖いのね……魔族()が)


 怖がるのも無理はないだろうと、アリシアは震える少女を見てそう思った。

 魔族は強大な魔力を私利私欲のために使い、何の力も持たない人間たちの生活を蹂躙してきた。兄や姉たちが気分で連れてきた人間を奴隷のように扱い、ゴミのように捨てる光景を嫌と言うほど見てきたのだ。



「……」



 目の前にいる自分よりも年下に見える少女に、アリシアは掛ける言葉が見つからない。どんな言葉を発したところで、人から向けられる感情は恐怖か怒りのどちらかしかないのだ。

 ひたすら下を向いて震えていた少女が、何とも言えない空気に包まれる部屋の中で口を開く。



「……ほ、本日より……身の回りのお世話を、させていただくことになりましたっ……」



 その言葉を口にするのに、少女がどれだけの勇気を振り絞ったのかアリシアには分からない。ただ、少女が望んでその役割を受け入れたわけではないということは嫌でも分かってしまう。

 どういう理由でアリシアの侍女に選ばれたにしろ、少女にとっては死刑宣告でもされた気分になっただろう。


 窓際から離れたアリシアの靴音に反応し、少女が大きく肩を跳ねさせる。それでもこの場から逃げようとしないのは、単純に動けないからなのか、それとも正義感が強いからなのか。

 目の前で足を止め、アリシアは少女の頭を見下ろした。



「……顔を上げて」


「……っ、は、はいっ……」



 慌てて顔を上げた少女の赤い瞳がアリシアを捉え、大きく見開かれた。

 そんなに恐ろしい顔だろうかと思いながら、アリシアはなるべく威圧感を与えないよう抑えた声で問い掛ける。



「あなた、名前は?」


「……ミ、ミシェル、です」


「そう、ミシェル。私の身の回りの世話はしなくていいわ。その代わり部屋の掃除だけお願いできるかしら」



 ミシェルの口から漏れたのは、「ふえっ」という気の抜けた声だった。

 それ肯定の返事だと都合良く受け取ったアリシアは、さらに言葉を続ける。



「掃除の間、部屋を空けられるか確認しておくから。掃除が終わればあなたの仕事は終わり。あとは自由に過ごしていいわ」


「……え」


「今日はこのまま部屋にいるけど……そうね、ずっと窓の外を眺めているから気にしないで。掃除だけ頼んだわよ、ミシェル」



 そう言い終えると、アリシアは窓辺に戻って近くのイスに静かに腰掛けた。

 暫くして、ミシェルが戸惑いながらも動く気配がする。この部屋のどこかにある掃除用具を探し始めたようだ。


 窓の外を眺めるアリシアの耳には掃除の音だけが届き、時折ミシェルが何かに躓いたり物を落とす音も聞こえてくる。

 自分以外の誰かが近くにいるというだけで、不思議とアリシアの心は落ち着いていた。例えそれが、対等な関係ではなかったとしても。



「……あ、あの……終わり、ました」



 遠慮がちに小さな声が掛かり、アリシアは振り返ることなく「お疲れさま」と答える。



「もう下がっていいわ。誰からどう指示が出ているか分からないけど、何か言われたら私から追い返されたと言ってみて」



 窓に映るミシェルは、アリシアの背中をじっと見つめているように思えた。少しの沈黙のあと、先程よりも大きな声が耳に届く。



「……そ、それでは、失礼致します。また明日……よ、よろしくお願いします」


「……ええ、よろしく」



 パタンと音を立て扉が閉まってから、アリシアはようやく振り返った。魔族として威厳ある態度を取れていただろうかと、それだけが気にかかる。

 シリウスが王となるまで、誰一人味方のいないこの城で、アリシアは生き抜かなければならないのだ。






 空が夕焼け色に染まる頃、三日ぶりにシリウスが部屋にやって来た。

 酷く疲れ切った顔でイスに座ると、片手で額を覆いながら薄紫の瞳を細めてアリシアを見る。

 アリシアは今度はどんな話をされるのかと黙って待っていると、最初に届いたのは大きなため息だった。



「……部屋を訪れた夫に、何か気の利いた言葉はないのか?」



 それは、思ってもいない言葉だった。アリシアは瞬きを繰り返し、シリウスが求める“気の利いた言葉”を捻り出す。



「……お疲れさまです」


「はい、失格」



 片手で追い払うような仕草をしたシリウスは、再びため息を吐くとすぐに立ち上がる。



「無駄な時間だった。そもそもどうして俺はここに来たんだ?……ああそうだ、祭典の日取りが決まった」


「……いつなの?」



 勝手に来て勝手に言葉を求められ、無駄な時間だと吐き捨てるなんてあんまりではないかと思いながらも、アリシアは祭典の日取りについて訊ねる。

 胸元のポケットから一枚の封筒を人差し指と中指で挟んで取り出したシリウスは、それを投げ捨てるようにアリシアへ渡してきた。



「各地に送られた祭典の招待状だ。詳細はそこに記載がある。……封筒の趣味が悪いのは俺のせいじゃないからな」



 金の蛇と薔薇の模様があしらわれた封筒を開き、アリシアは中の手紙に目を通した。やたらと長い前置きの挨拶(マクラウド国が魔族を討ち滅ぼしたという文が何回も登場している)のあとに、開催日時が小さく記載されている。

 たとえ開催日が明日であろうとも、アリシアに拒否する権限は無い。実際の開催日は一か月後となっており、招待状を折りたたんでから顔を上げる。



「一か月後ね、分かったわ。……その間に、この部屋を出る許可を貰いたいのだけど」



 さすがに一か月も部屋に籠もっていては体に悪い。ミシェルも掃除の間ずっとアリシアがいれば気が散って仕方がないだろう。

 アリシアの言葉に、シリウスは髪を掻き上げながら気怠げな声を出した。



「あー……、契約に反することをしないなら好きに過ごせって言わなかったか?」


「聞いていないわ」


「そりゃ悪かったな。くれぐれも下手な行動はするなよ?男遊びはバレない程度にしてくれ」


「……」



 シリウスはアリシアが男遊びをするために部屋の外へ出たがっていると思っているようだ。

 確かに姉や兄は好みの人間がいると力で服従させ愉しんでいたが、アリシアに男を侍らせる趣味はない。それを否定してもシリウスにはどうでもいいことだろうと考え、アリシアは小さく頷くだけに留めた。



「それじゃ、次来るときはもっとマシな言葉を期待しておく」



 明らかに嘘だと分かるような冷ややかな笑みを浮かべ、シリウスはひらひらと手を振って部屋を出て行く。閉まった扉を見つめながら、アリシアはモヤモヤとした感情を自分が抱えていることに気付いた。


(何かしら……納得できないような、この気持ちは)


 常に虐げられ、何もかも諦めて受け入れることが当たり前になっていた心の中に、小さな反抗心が芽生えていたことは―――アリシアにはまだ、分からなかった。



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