49.絡み合う感情⑨
アリシアの持つ“魔族”と“第三王子の妻”という肩書きは、どうやら隣国でも通用してくれるようだった。
それは決してアリシアの力だけではなく、シリウスとオズモンドの二人の王子の力も関係している。結果的にマルヴィナの婚約は白紙にはならず、ロンサール商会の商品を定期的にマクラウド国の王城に差し入れるという流れで落ち着くことができたのだった。
一晩マルヴィナの邸宅に宿泊し、翌朝マクラウド国へ戻ることに決まったあと、アリシアはシリウス、オズモンド、マルヴィナと共に四人で客室にいた。
シリウスに半ば無理やりベッドに横にさせられたアリシアの近くには、先ほどからずっと俯いたままのオズモンドがイスに座っている。一向に口を開かないことに痺れを切らしたのはマルヴィナで、その背中をバシンと勢い良く叩いて眉をつり上げた。
「もう、背筋を伸ばしなさい!言わなきゃいけないことがあるって引き止めたのはオズモンドでしょう!」
マルヴィナの父親との話が終わったあと、客室で休むことになったアリシアはオズモンドに引き止められた。シリウスが話は明日の帰りの馬車でしてほしいと言ってくれたのだが、どうしても今話したいと言われ今の状況に至っている。
いつもならばすぐにでもマルヴィナに文句を言いそうなオズモンドだが、ちらりと視線を向けただけだった。やけに大人しい雰囲気に戸惑ったアリシアは、遠慮がちに自分から話しかけることにした。
「ええと……どうしましたか?」
「……た」
「え?」
「……悪かっ、た。その……いろいろと」
オズモンドの小さな謝罪の言葉は、しっかりとアリシアの耳に届いていた。けれどそれが本当にその口から出た言葉だと信じられず、瞬きを繰り返してからすぐ隣に座っていたマルヴィナに視線を移す。
「……オズモンド殿下も湖に落ちたの?」
「とても信じられないとは思うけど、至って正常だわ」
「〜っおい、失礼すぎんだろ!」
勢い良く顔を上げたいつもの様子のオズモンドを見て、アリシアはようやく本人の心からの言葉なのだと受け取ることができた。“いろいろと”という部分には、初めて会った時から暴動に巻き込まれた時のことなどが含まれるのだろう。
正直、オズモンドが誰かに謝ることなど天地がひっくり返ってもないものだと思っていた。ラウルやフレデリカの言う“暴君”が、シリウスよりもオズモンドに当てはまるということが今になって気付く。
(でも……こうして自分に非があると認めて謝ってくれるだなんて、私はまだオズモンド殿下という人を見誤っていたのね)
フンと鼻を鳴らし顔を逸らしたオズモンドのことを、アリシアはまだ王子に相応しいとは思えていない。それでも、最初の印象よりも良い方向へ流れていることは間違いなかった。
「……オズモンド殿下。確かにいろいろと言われた気がしますが、今の謝罪でじゅうぶんですよ」
「……いや……まだある。マルヴィナを助けてくれたこと……感謝する」
謝罪だけではなく感謝の言葉も貰ったアリシアは、まじまじとオズモンドを観察してから思わず壁際に腕を組んで寄り掛かっていたシリウスへと視線を移す。
シリウスも珍獣でも見るかのよう目をオズモンドへ向けており、アリシアの視線に気付くと肩を竦めていた。弟にも兄の心の内は分からないらしい。
隣に座るマルヴィナは、どこか嬉しそうにそんなオズモンドの様子を見ていた。変化を一番感じ取っているのはマルヴィナなのかもしれない。
「私は……マルヴィナを友人だと思っています。なので助けるのは当たり前です。結果として、魔族の力に頼ることにはなってしまいましたが……」
「いや、だからだ。その力が無かったら、もっと助けられるのが遅れてたはずだ。だから……あんたが魔族で、あの場にいてくれて良かったと……俺はそう思う」
今まで一度も言われたことのない言葉が、アリシアの心をするりと撫でるように染み込んでいった。そこにいることを責められることは何度もあっても、感謝されたことは一度もない。
アリシア以外の魔族が滅ばされたあの日から、予想外の日々が毎日のように続いている。ただ一つだけ確かなのは、その日々がアリシアの心の隙間を優しく埋めてくれていることだった。
涙を流すことを思い出した涙腺は、いとも簡単にじわりと緩んでいく。
オズモンドとマルヴィナがぎょっと目を見開いたことに気付き、アリシアは慌てて顔を背け零れ落ちそうになっている涙を隠した。
「……ごめんなさい、ちょっと目にゴミが……」
「ごまかさなくていい、アリシア」
ふわりと優しく頭を撫でられ、涙に揺れる視界の中に微笑んだシリウスの姿を捉えた。いつの間に近付いて来ていたのか分からなかったが、その温もりと柔らかい眼差しがアリシアに安心感を与えてくれる。
「……兄さん、アリシアは今感極まりやすいみたいなので。あまり泣かせないでください」
「感極ま……?俺何か変なこと言ったか?」
「本気で分かっていないところがイラッときますが……今日の兄さんの言動は今までで一番マシです。アリシアへの言葉、俺からも礼を言います。ありがとうございます」
少し早口で言い終えたシリウスを、オズモンドが幻でも見ているかのような不思議そうな顔でまじまじと眺めている。
シリウスと同じ薄紫の瞳が鼻を啜るアリシアへ向き、またシリウスへと戻った。
「……シリウス、お前……そんな顔もするんだな」
「……どんな顔ですか」
「いや、何でも。少しだけ安心した」
「安心?」
まるでシリウスの何かを心配していたかのような言い方に、アリシアは思わず問い掛けてしまった。すると、オズモンドはハッとしたように口元を押さえるとみるみるうちに顔を赤くする。
ずっと微笑ましそうに笑顔を浮かべていたマルヴィナに気付いたオズモンドは、とてもバツが悪そうな顔でいつもの舌打ちを一つ鳴らした。
「……くそ、とにかく今日だけは俺もお前に礼を言ってやる。マルヴィナとの婚約を白紙に戻さないよう手を貸してくれて、その……助かった」
アリシアはシリウスが何か憎まれ口を返すような気がしたが、そのようなことはなく静かに「どういたしまして」と謝罪を受け入れていた。どこかぎこちない兄弟の雰囲気に、アリシアとマルヴィナは自然と目配せを送り合う。
(……良かったわねマルヴィナ、あなたの願いはたった今、大きな一歩を踏み出したわ)
互いに歩み寄る姿勢を見せたシリウスとオズモンドの関係が、今後どう変わっていくのかはまだ分からない。それでもアリシアは、この光景を無かったことにしたくはないと強く思った。
「言いたいことは言ったから、俺は部屋に戻る。慣れないことすると体が痒くて仕方ねぇ……行くぞマルヴィナ」
「ええ。アリシア、シリウス、ゆっくり休んでね。それと……私もあなたのことを友人だと思っているわ、アリシア」
とても綺麗な笑顔でそう告げたマルヴィナは、オズモンドと共に部屋から出て行った。パタンと音を立て閉まった扉を見つめながら、アリシアの瞳からはまたポロポロと涙が落ちていく。
自分でも不思議なほどに自然と込み上がる喜びの涙は、失った悲しみの涙より何倍も温かく優しいものだった。
無言で泣き続けるアリシアを見て困ったように笑いながら、シリウスがベッドに腰掛ける。
「……城に戻ったら、部屋を一つにしよう。そうすれば、あんたの涙をすぐに拭ってやれるから」
伸びてきた手がアリシアの涙を優しく掬い、その言葉は心も一緒に奪っていく。
アリシアが小さく頷けば、滲む視界の中でシリウスが穏やかに微笑んでいた。




