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41.絡み合う感情①


 夜会の開催が決定し、身につけるドレスや装飾品を決める作業や招待客リストの確認に追われていた頃、アリシアの元に客人がやって来た。



「―――さぁ、特別な一本を用意したわよ!」



 じゃーん!と特別な効果音が聞こえてきそうなほど得意げな顔で、テーブルの上の一本の小瓶に手のひらを向けるのはマルヴィナだ。

 第一王子オズモンドの婚約者であるマルヴィナは、以前アリシアと交わした約束を忠実に覚えていてくれたようだ。アリシアのために選んだという香水の瓶を、きらきらと目を輝かせながら見つめている。



「早く手に取って嗅いでみてちょうだい!なかなか素晴らしい一本を選び抜けたと思うの!」


「……ええ、ありがとう」



 アリシアは透明な可愛らしいフォルムの小瓶を手に取り、手首のあたりにシュッと吹きかけてみた。その瞬間から華やかな香りが広がり、予想以上に好みの香りだったため思わず感嘆の声を漏らしていた。



「わぁ……!とても良い香りだわ」


「でしょう!?最初は華やかな花の香りが広がるんだけど、そのあとに砂糖菓子のような甘さもついてくるの。ほら、そこのあなたたちも嗅いでみて!」



 マルヴィナが声を掛けたのは、扉付近に立っていたミシェルとラウルだった。

 頭を下げてから目を輝かせて近付いて来たミシェルとは逆に、ラウルは特に興味がなさそうな顔をしている。そのことに気付いたのか、マルヴィナが面白くなさそうに目を細めた。



「あなた、最近アリシアの専属騎士になったんでしょう?自分の身だしなみにも気を付けるべきだわ」


「……え、どこか変ですか?」


「整いすぎていて不気味よ。だから香水で少し砕けた雰囲気を出すといいわ」



 会話の中で見事に宣伝を織り交ぜるマルヴィナを見ながら、アリシアは香水の瓶を静かにテーブルの上に置いた。もう片腕にも吹きかけたが、とても良い香りがスッと心の中にまで入り込んでくるようだ。



「マルヴィナ、本当にありがとう。今度は私から改めてお礼をさせてほしいわ。マルヴィナは何が好きなのかしら?」


「え……本当に?」



 何気ないアリシアの問い掛けに、マルヴィナは意外そうに目を瞬いてからその顔に緊張を滲ませる。言いづらそうに視線を落とし、「ええと……」と呟いてはなかなかその先を口にしようとはしない。

 よほど手に入れるのが難しいものが好きなのかといくつか予想を立てていると、マルヴィナが口を開くより先に扉がノックされる音が響いた。


 素早く反応を示したミシェルが扉ヘ向かうと、元から来る予定だったシリウスが姿を現した。

 少し疲れた様子のシリウスは、マルヴィナに対し笑顔を繕いながらアリシアの座るソファの隣までやって来る。



「遅れてすみません。マルヴィナ、変わりはないですか?」


「え、ええ。シリウスは疲れていそうね?」


「夜会の準備に追われていまして……ん、あれ」



 アリシアの隣に迷いなく腰掛けたシリウスが、不思議そうに声を上げたあとずいっと顔を近付けて来た。

 不意打ちの行動にアリシアは固まってしまい、その間にスンと鼻を鳴らしたシリウスは柔らかい笑顔を浮かべる。



「……アリシアに似合う香りだ。さすがマルヴィナですね」



 その眩しい笑顔に目が眩みそうになりながら、アリシアはうるさく鳴り響く鼓動を冷静な顔で必死に押さえつけていた。

 シリウスへの恋心を自覚したあの日から、ほんの少しのことで動揺し心臓が暴れ出してしまうようになっていたが、気持ちを悟られてはいけないと無表情を心掛けている。

 不審に思われないようさり気なく視線を逸らし、マルヴィナの途切れてしまっていた言葉の続きに意識を戻す。



「それで、マルヴィナ……私から返せるものはないかしら?」


「……そうね。シリウスもいるし……思い切ってお願いしてもいいかしら」



 マルヴィナの欲しいものは、シリウスも関係しているようだ。何かは分からないがその先を促すように黙っていると、マルヴィナの決意に満ちた瞳がアリシアへ向けられる。



「私とオズモンド、それからアリシアとシリウス―――四人で、出掛けたいの」



 まさかマルヴィナの欲しいものが一緒に外出することだとは思わず、アリシアはパチパチと瞬きを繰り返す。それがマルヴィナの願いなら、香水を選んで持ってきてくれた恩返しとして叶えてあげたいと思った。

 けれど―――と隣にちらりと視線を向ければ、やはりと言うべきかシリウスは貼り付けた笑顔の裏から「行きたくない」という感情が溢れ出てしまっていた。


(オズモンド殿下とマルヴィナの間に挟まれて疲れるって言っていたものね……夜会の準備で忙しいのもあるだろうし)


 アリシアとシリウスの返事がないことを不穏に感じ取ったのか、マルヴィナが「そ、そうだわ!」と声を上げ両手をパンと叩く。



「我が家に来てもらうのはどう?今流行している商品がいろいろ見られるし、領地には綺麗な湖もあるの。ボートを漕いで景色を楽しんだあとに、外で食事をするととっても美味しく感じるわよ!」


「……湖」



 マルヴィナの考えたプランは、アリシアの心を的確に突いてきていた。城下町に出るのはまだ少し不安があるが、マルヴィナの家の領地内ならば、限られた人数に白い目を向けられるだけで済む。

 そして何より、かつて魔族の城の敷地内から一歩も外に出たことがないアリシアにとって、“湖でボートを漕ぐ”という言葉はとても魅力的だった。


 それでも、この願いを受け入れることはできないとアリシアは頭の片隅で思っていた。シリウスがオズモンドと仲が悪いことを考えれば、無理して頼むわけにもいかなかった。



「……マルヴィナ、せっかくの提案だけれど……」


「ありがとうございますマルヴィナ、ぜひ訪問させてください」



 断りを入れようとしたアリシアは、シリウスが被せるように了承の返事をしたことに驚いて目を向けた。どうして、と問いたい気持ちが表情に表れてしまっていたのか、シリウスが可笑しそうにくすりと笑う。



「そんなに“行きたい”って顔に書いてあったら、連れて行ってあげなきゃなって思うだろ」



 嘘偽りのないように見える柔らかい眼差しと言葉は、アリシアの願望によるまやかしなのかもしれない。それでも良いと思ってしまうのは、少なくともシリウスとまた出掛ける口実ができたからだ。


 シリウスの返答を聞いたマルヴィナは、花がほころぶように可憐な笑顔を浮かべる。アリシアにはとても真似できない美しい笑顔だった。



「嬉しい……!さっそくおもてなしの手配をしなくちゃだめね!シリウス、予定が空きそうな日が分かったら手紙で送ってね。それから……」



 ソファから勢いよく立ち上がったマルヴィナは、ツカツカとアリシアのそばまで来ると両手を力強く握り顔を近付けて来る。その茶色の瞳が真剣さを帯びてアリシアを捉えた。



「……アリシア。当日は絶対にオズモンドを連れてくるのよ」



 破ったら呪われてしまいそうなほど気迫の込められた眼差しに、アリシアはゆっくりと頷いていた。






 ***


 暗闇に包まれた廊下を、小さな影が素早く移動する。

 僅かに光の漏れた扉を不規則に叩くと、部屋の中から入室許可の声が返ってきた。



「……さて、本日の収穫はいかがなものでしょう」



 窓の外を眺めたまま甘い猫撫で声を出した男の問いに、言いしれぬ不気味さを感じながら跪いた別の男は口を開く。



「……第一王子とその婚約者、及び第三王子と魔族の王女がロンサール商会の領地へ赴くそうです」


「ほう、ロンサール商会ですか……ただの観光だと思いますか?それとも他に意図が?……ふふ、少しつついてみましょうか」



 窓にそっと手を当て、男はくつくつと喉を鳴らして笑う。



「今宵も―――月が、美しい」



 闇の中に輝く少し欠けた月が、不気味な静寂に包まれる城を照らしていた。



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