38.花開く④
穏やかな快晴の中、騎士たちの訓練場には気温以上の熱気が漂っていた。
広い訓練場を取り囲むようにずらりと並ぶ人だかりには、騎士に混ざって休憩中の使用人の姿も見受けられる。それぞれが近くの人と興奮したように会話をしており、隠すことのない大きさの声はアリシアの耳にも届いていた。
「楽しみだなぁ、このあとの試合!」
「でも珍しいよな〜シリウス殿下が新人騎士と単なる手合わせじゃなくて正式な試合をするなんて」
「よっぽどラウルに実力があるんだろうよ。あいつはやるやつだって最初から気付いてたぜ、オレは!」
「私、この試合が見たくて早めに掃除を終わらせたんだから。ドキドキしてきたわ」
「見に来られない子が悔しがっていたわよね。ねぇ、どっちを応援する?」
「それは聞いちゃいけない質問よ。もしシリウス殿下を応援しなかったら……」
女性の使用人の声がだんだんと小さくなり、その視線が自分へと向いていることがアリシアには嫌でも分かった。シリウスを応援しなければ魔族の王女から処罰されるとそう思い込んでいるのだろう。
吹き抜ける風が長い髪を揺らし、アリシアは乱れた髪を直すフリをして顔を腕で隠す。試合を観戦しやすいようにと誰かが用意した特等席は、とてもではないがくつろげる場所ではなかった。
シリウスとラウルが試合をすると決まってから五日後の今日、本来ならば密かに行われるはずだった試合がまるで大きなイベントのように扱われていることには理由があった。
シリウスがあとで面倒事にならないようにと試合をすることを国王に報告すると、その場にいた王子二人が観戦すると言い出したらしい。
そうなれば、王子たちに万が一がないよう衛兵など複数名の配置が必要になる。それによって他の人たちに隠れて試合を行うことは不可能になり、ならばいっそのこと周知してしまおうという結論に至ったようだ。
(……シリウスは、この状況も上手く利用するかだなんて余裕そうに言っていたけれど……本当に大丈夫なのかしら)
内心はそわそわと落ち着きのないアリシアだったが、ゆっくりと息を吐き出してから背筋を伸ばしてイスに座り直す。
夫の勝利を信じて疑わない妻に見えるよう意識して前だけを向いていると、ちょうど反対側で楽しそうに話していた騎士たちがサッと四方に視線を散らばらせ口を閉じてしまった。別に睨んだわけではないのだが、そこまで目つきが悪いかと少し傷付いてしまう。
開始時間の少し前になると、渡り廊下からぞろぞろと護衛を引き連れた王子たちがやってきた。
第一王子のオズモンドは、アリシアと目が合うとフンと鼻を鳴らしながらもすぐ近くに用意されていたイスに躊躇いなく座る。その魔族相手に臆さない様子を見て、騎士たちが尊敬するような眼差しを送っていることにアリシアは気付いた。
「……へー、もしかして兄さんはもう彼女と知り合ってるわけ?」
そう言いながらアリシアを挟むように反対側に座ったのは、第二王子のデリックだ。
こうして顔を合わせるのは初めてで、アリシアはシリウスに似た髪色と瞳をまじまじと観察してしまう。肩に少しかかる長さの栗色の髪を手の甲で払い、薄紫の瞳が見返してきた。
「さすが魔族の王女と言うべきか、異性を誑し込むのが上手いんだな。そのキレイな顔でどう誘惑するんだ?俺に試してみてくれてもいいけど」
デリックは嘲笑うようにそう言うと、片足を組んで「ほら」と催促してくる。
明らかに蔑まれていることが伝わり、アリシアは眉を寄せながらも返答に迷った。こういう時に笑って誤魔化すことができないのが不便だと悔しい思いをしていると、意外なところから助け舟が出される。
「……はっ、やめとけデリック。こいつは無遠慮で人の神経を逆撫でするシリウスと同じタイプの女だぜ?関わって損はあっても得なんか一つもねぇよ」
オズモンドが肩を竦めながら失礼なことを言い出すが、捉えようによってはデリックのアリシアに対する興味を逸らそうとしてくれたとも考えられる。
第一王子といることで面倒事に巻き込まれたアリシアとしては、第二王子といればまた別の面倒事に巻き込まれてしまう気がしてならなかった。二人の王子をシリウスの道のために動かせるよう努力すると決めてはいたが、いきなり同時進行はハードルが高い。
「……へぇ、あっそう」
デリックは素っ気なくそう呟いたが、声とは裏腹に興味深そうな視線がアリシアに向けられていた。せっかくオズモンドが助け舟を出してくれたのだからと、小さく息を吸ってから口を開く。
「……黙って聞いていれば、お二人とも随分な言い草ですね。デリック殿下、あなたは私に誘惑されたくてここまで来たのですか?」
声に抑揚をつけずに冷ややかさを意識してみれば、デリックは小さく笑った。
アリシアがシリウスに一目惚れして婚姻を結んだわけではないことを、この王子二人は知っている。だからこそ、強がっているような態度を可笑しく思ったのだろう。
「魔族の体に興味はあるが、寝首を掻かれても困るからな。……おっと、主役の登場だ」
試合の準備が整ったのか、シリウスとラウルが向かい合う形で訓練場にやって来た。
アリシアはドレスの裾を握り二人の顔を交互に見る。どちらも緊張はしていないようだが、互いに剣を交える相手に牽制するような視線を送っていた。
(……私は、どちらを応援するべきなのかしら)
アリシアにとって、ラウルは大切な側近だ。彼以上に護衛騎士として命を預けられる人はおらず、落ち込みやすいアリシアをいつも明るく励ましてくれていた。
けれど、ラウルが試合に勝てばすぐにでもこの城から連れ出そうとするだろう。その計画が上手くいく保証は無いが、少なくともシリウスから遠ざけようと考えていることは分かる。
ラウルは目の前の試合に集中しているのか、周囲の好奇に満ちた視線や野次は気にしていないようだった。
フレデリカと一緒に、どこか遠い土地で元気に新しい人生を歩んでくれていればいいと願ってはいたが、まさかアリシアのために舞い戻ってくれるとは予想していなかった。それが嬉しい反面、申し訳ないとも思ってしまう。
視線をシリウスに移せば、薄紫の瞳がじっと向けられていることにアリシアは気付いた。どこか苛立ちを含んでいるような鋭い目に射すくめられていると、試合開始の合図の笛が鳴る。
ワッと一際大きな歓声が響き、訓練場の中央で二つの影が同時に動く。剣がぶつかり合う音が二度三度と空を切り裂くが、アリシアはその動きを目で追うことはできなかった。
以前騎士たちに混ざって剣を振るうシリウスの姿を見てはいたが、あの時はまだ本気を出してはいないのだということが嫌でも分かる。そして戦いながらも僅かに笑っている口元に余裕を感じ、ぞくりと肌が粟立った。
(……すごい、としか感想が浮かばないわ)
シリウスと同様に、ラウルも生き生きとした表情で剣を振るっている。
二人の戦いを見ていた人たちは、繰り広げられる剣技に見惚れ言葉を奪われているようだった。アリシアも一挙一動を見逃してはならないと、膝の上でぐっと両手を握り目を凝らす。
このまま勝負がつかないのではないかと思わせるほどの長い時間が過ぎ、シリウスとラウルの刃が至近距離で交えた時だった。
ほんの僅かにラウルの動きが鈍ったかと思えば、シリウスの剣が容赦なく胴体を横に薙ぐ。ドサッと鈍い音と共にラウルが地面に倒れ、数拍置いて試合終了の笛が鳴り響いた。
「―――勝者、シリウス殿下!」
審判をしていた騎士が片手を振り上げそう告げると、割れんばかりの拍手と歓声が青空を彩る。
得意気に微笑むシリウスの瞳は、真っ直ぐにアリシアへと向けられていた。




