3.貼り付けた笑顔の裏で
「ーーーじゃあ、基本の部分はこんなところだな」
シリウスは出来上がった手元の書類に何度も目を通してから、一番下の部分にサインを入れる。
それをアリシアに渡すと、大きな琥珀色の瞳で書面をじっと眺めていた。
魔族の生き残りである王女の姿を、シリウスはじっと観察する。
魔族といっても、普段の姿形は人間と何も変わらない。強いて言うならば、純白の髪が特徴的な種族だった。
協力な魔力を持っているのは王族のみで、それに加え魔物の姿に変身もできる。その恐ろしく凶悪な姿を、シリウスは先日の戦いで実際に目にしていた。
けれど、アリシアがその魔物の姿に変貌する様子はどうしても想像できなかった。
そんなことを考えているうちに、アリシアの長い睫毛が持ち上がり視線がぶつかる。
「……確認しました。問題ありません」
「よし、じゃあ俺の名前の下にサインしてくれ」
掴んだら折れてしまいそうなほど細い手が、滑らかにアリシアの名前を綴る。
とても綺麗な姿勢を崩さず、その表情はずっと真剣だった。
(……自分の運命を泣き喚いてもいいものなのに、よく平然としていられるな……この王女)
シリウスが魔族の国へ先陣を切って攻め込み、初めて対峙したときもそうだった。
アリシアは他の魔族のように対抗せず、逃げようともせず、ただ激しい雨に打たれながら、じっと立っていた。
長剣を向けられても物怖じせず、表情ひとつ変えなかった。それがシリウスの目には、とても不気味に映ったのだ。
それは、こうして再び対峙することになっても変わらない。何もかも諦めたような顔を、アリシアはずっと貼り付けている。
「終わりました」
「……これで契約を交わしたことになる。あとは取引が完了するまで、あんたは俺の妻だ」
「はい。……なんとお呼びすればよろしいですか?」
アリシアに淡々とそう訊かれ、シリウスはその態度を崩してみたいという衝動に駆られた。
「妻だからな、シリウスと呼んでくれ。敬語も必要ない」
「分かったわ、シリウス。嫌でなければ、私のこともアリシアと呼んで。……シリウス?」
躊躇いも照れも一切無くアリシアに瞬時に対応され、シリウスは眉を寄せてしまっていた。勝手に勝負を挑んで負けた気分だった。
「いや……何でもない。また明日、今後あんたにしてもらいたい行動について話しに来る。今日はこのままここで過ごしてくれ」
「……足枷は、しなくていいの?」
ベッドの上の外された足枷を見て、アリシアがそう問い掛ける。
シリウスは乾いた笑いを漏らした。
「繋がれたいのか?どうせすぐ壊せるだろ、意味は無い。ソレは着けておけと周りにうるさく言われたから着けただけだ」
「そう……」
「契約通り、この城に危害は加えるなよ。それと……」
シリウスは扉を開きながら、ボソリと呟く。
「……結婚相手が俺で、残念だったな」
すぐに背後で扉を閉めたため、アリシアがどんな顔をしたかは分からなかった。
扉の外に待機させていた衛兵たちを見ながら、シリウスはスッと王子の自分へと切り替える。
「行くぞ」
「「はっ!」」
シリウスの計画は、まだまだ始まったばかりだった。
***
城内の会議室には、国王と王妃、二人の王子、宰相が既に座についていた。
シリウスが入室すると、国王が待ちわびたとばかりに声を上げる。
「おお、戻ったか息子よ!どうだ、魔族の生き残りの反応は」
「……問題ありませんよ。大人しく俺と婚姻を結ぶことを受け入れましたし、この城を破壊したりしないように誓約書を交わしています」
「ほう、これで安心だな!よくやった」
国王が口髭を撫でながらニヤニヤと笑う。ここで誓約書の内容を確認しようとしないことが、愚の骨頂だなとシリウスは心の中で嘲った。
「……シリウス殿下、その誓約書を見せていただけますかな?」
宰相は内容が気になったようで、そう問い掛けてくる。シリウスは躊躇いもなく誓約書を渡した。
けれどそれは、アリシアと二人だけで交わしたものとは別の誓約書だ。内容は、この国や城に関することしか書かれていない上、サインは複写されている。
「ふむ……確かに。これで我が国が魔族の生き残りに脅かされることはなさそうですな」
眼鏡の奥で目を細める宰相は、自分の時代が来たとでも思っているのだろう。実質この国を取り仕切っているのは宰相だった。
国王たちの存在は、宰相の傀儡に他ならない。そして本人たちはそのことに気付いていないのだからめでたいものだ。
(……笑えるな。こうして俺が腹の内で企んでいることに、気付きもしないなんて)
涼しい顔をしているシリウスを、王子である兄の一人が面白くなさそうに見ている。
「父上、これは本当にシリウスへの罰になっているのですよね?シリウスは平然としているようですが」
「ん?当たり前だろう。魔族の生き残りの王女など、我々の手には負えん。今後何か騒動が起きれば、責任を取るのはシリウスただ一人だ……これでは不満か?」
「いえ、不満などありません。そうですよね、悪いのは全てシリウスだ」
国王の言葉に、兄は納得したようだ。シリウスはその様子を冷めた目で眺める。
魔族の国を滅ぼそうと考えたのは、この国だけではない。世界各国の意見が一致し、マクラウド国が代表として攻め入ることになったのだ。
それは、マクラウド国が魔族の国に近いことも理由の一つだったが、あろうことか国王が志願したことが決定打となった。
そして兵を率いる指揮権をシリウスに丸投げし、国王と王妃、宰相、そして二人の王子は城から出ようともしなかった。
さらに、魔族の強大な魔力のせいで命を奪えなかったアリシアを連れ帰れば、「役立たず」「お前の責任だ」とシリウスは罵られた。
魔族の生き残りの王女という爆弾を、シリウス一人に押し付けたのだ。
「でもあなた、この結果を世界各国にどう説明するのがいいのかしら?」
王妃が猫撫で声でそう言った。国王は口元を緩ませながら、王妃の剥き出しの肩を抱く。
「なぁに、心配するな。宰相が上手くやってくれる。これでこの国は益々繁栄し、私達は魔族を滅ぼした英雄として敬われるのだ!」
国王の高笑いが広い部屋に響く。なんて滑稽な絵面だろうかと、シリウスも笑い出したくなってしまった。
その心に燃え上がるのは、強い闘志だ。
(今に見ていろ。お前らが押し付けた魔族の王女を利用して、俺がこの国を変えてみせる)
その後、国全体で祝福の祭典を催そうという話になり、シリウス以外の全員が楽しそうに会話を弾ませていた。
そんな身のない会話をずっと、シリウスは笑顔を貼り付けたまま聞いている。
誰一人、魔族の生き残りとしてこの国に囚われたアリシアのことなど、気にかけていない。
魔族の罪を背負い、恐れることなく自らの命を差し出した、一人の王女のことを。
こんな気色悪い空間にいるくらいなら、アリシアといた方がまだマシだと、シリウスはそう思ってしまったのだった。