14.祭典④
目の前に立つ魔術師のエリクは、明確な殺気を放ちアリシアを睨んでいる。
それでも怖がるような素振りを見せてはいけないと、表情を崩さないようにしてぬいぐるみを前へと突き出した。
「……そんなに大切なものなら、なおさら大事にしまっておいて。魔族に触られたら嫌でしょう」
「……俺が受け取るフリをして、お前に手を掛けるとは思わないのか?それとも油断させておいて、やられる前にやろうって?」
「……あなたの気が済むのなら、好きなだけ私に攻撃してくれて構わないわ。それでも、私があなたを傷付けることは絶対にしない」
エリクは冷たい瞳のまま、アリシアの手から引ったくるようにぬいぐるみを取った。
ボロボロのぬいぐるみの持ち主だという今は亡きエリクの妹に、アリシアがしてあげられることは何も無い。謝ったところで憎しみが増すだけだろうと、心の中で魔族の無慈悲な行動を止められなかった自分を責めるしかなかった。
「その言葉がどこまで本気なのか見ものだな。お前にシリウスにとっての利用価値が無ければ、すぐにでもこの手で同族の元へ送ってやりたいくらいだ……優しいだろ?俺は」
は、と笑い声を漏らすエリクの言葉から、彼もシリウスの味方なのだとアリシアは判断する。
シリウスの味方は二人とも気配を消してアリシアのあとを尾行し、二人とも明確な恨みと憎しみを投げ付けて来た。この分だと、他にも隠れた味方はいるのかもしれない。
(そうよね、王子だもの……一人ぼっちなのは、私だけだわ)
自分の境遇を嘆くわけではないが、アリシアはとても惨めな気持ちになっていた。魔族の国で過ごしていた頃よりずっと、ここでの生活の中で感情が目まぐるしく移ろいでいくのが分かる。
けれど、その胸中を打ち明けられる存在がここにはいない。それを寂しいと思ってしまうのは、魔族の生き残りには許されないことなのだ。
心を落ち着けるためにゆっくりと息を吐き、前と同じように確認だけはしようとアリシアは口を開く。
「……優しい魔術師さんは、シリウスの味方なのよね?」
「全人類が魔族の王女さんよりはシリウスの味方をすると思うけどな」
嘲るように吐き出された言葉に、アリシアは心の中で否定する。
ラウルとフレデリカ―――魔族の国で忠実な側近だった二人だけは、今この場にいればアリシアの味方になってくれるはずだ。
二人の姿を思い出して痛んだ胸元を押さえ、アリシアは足元に視線を落とす。
「そうね……私の味方じゃなくても、あなたが敵じゃないなら安心だわ」
「……いやいや、敵だからな?俺が魔族を恨んでるって分かっただろ?」
「でも、私がシリウスといる内は敵になり切れないんでしょう?」
顔を上げれば、とても複雑そうに顔を歪めるエリクが目に入る。私怨を抑え込んでまでシリウスの味方をしているならば、その忠誠心は本物なのだろう。
「シリウスが目標を達成したら、俺は躊躇いなくお前に手を掛けるぞ。先に言っておく」
「……シリウスも同じようなことを言っていたわ。早いもの勝ちね」
シリウスが王位に就いたとき、アリシアはようやく魔族の王女としての罪を被ることができるのだろう。
それまでに一度でも笑えるような思い出がほしいと思っているが、今の状況だとそれも難しいと分かる。
エリクは変わらずに眉を寄せたまま、ぬいぐるみを小脇に抱えくるりと背を向けて歩き出す。部屋を出たあとに勢い良く閉められた扉が、アリシアへの拒絶を物語っていた。
***
しばらく空き部屋でぼーっとした時間を過ごしたアリシアは、重い腰を上げて自室に戻る道を辿った。
あと少しというところで部屋の前に大量の箱の山ができていることに気付き、何事かと目を丸くして足を止める。
するとアリシアの部屋から飛び出すように出てきた侍女のミシェルが、山積みの箱を両手で抱え始める。すぐにまた部屋の中に戻ろうと振り返ったところでアリシアに気付いた。
「……アリシアさま、おかえりなさいませ!」
「ミシェル……これは何事?」
「こちら、全てアリシアさまへの贈り物だそうですっ」
「贈り……?」
聞き慣れない単語が聞こえ、アリシアは瞬きを繰り返す。
ミシェルが嬉しそうに微笑み、箱を抱えながら部屋の中へと視線を向けた。
「見て下さい、お部屋の中にもたくさんあります。運び終えたら早速開けて見てみましょう!急ぎますので、アリシアさまはお部屋で休んでいてくださいね」
意気揚々と箱の山を持って往復し始めるミシェルを見ながら、アリシアの頭の中はまだ突然の情報に追いついていなかった。
魔族の王女であったアリシアだが、誰かに贈り物など貰ったことはない。兄姉からの悪意のこもった贈り物は別だ。
(贈り物……本当に、私に?)
様々なラッピングの施された箱の山が、ミシェルに運び出され少しずつ減っていく様子を眺めながら部屋の中へ入る。すると、部屋の中にもまた山積みの箱が並んでおり、アリシアは夢のような気分でソファに腰掛けた。
一番近くにあるレースのリボンが巻かれた箱に、メッセージカードのようなものが添えてあることに気付いたアリシアは、そっと抜き取って文字を読む。
―――“ご結婚おめでとうございます”
短くそう書かれており、この贈り物の山はシリウスとの結婚祝いなのだということが分かった。
そして同時に、自分が何者でどうしてこの国にいるかを思い出す。
「……よし、これで全部ですね。アリシアさま、どちらのものから確認致しましょうか?」
「―――待って!」
ミシェルが近くの箱の包装に触れた瞬間、アリシアは声を荒らげていた。ミシェルの肩がビクッと跳ね、驚いたように手を引っ込める。
「……あ……、勝手に申し訳ございませんっ……」
「……大きい声を出してごめ……悪かったわね。善意ある贈り物か分からないから、私が開けるわ」
その言葉に、ミシェルはハッと気付いたようだ。アリシアが魔族の王女であり、歓迎されるような存在ではないということに。
アリシアは緊張した顔でレースのリボンを解き、ミシェルを下がらせてからゆっくりと箱を開ける。中にあるのは毒蛇かそれとも毒蜘蛛か―――と覚悟を決めたところで、全く予想していなかった物が入っていた。
両手でそっと取り出すと、ミシェルの「わぁ!」という感嘆の声が届く。
「今大人気のカップケーキですね!美味しすぎてすぐに売り切れてしまうらしいですよ!」
アリシアはそんなまさかと思いながら、別の箱に手を伸ばす。次々と開けてみたが、中に入っていたのは全て城下町で大人気の菓子のようで、中には一粒の値段がとんでもないというチョコレートもあった。
悪意ある贈り物は一つもなく、アリシアの頭には疑問符ばかりが浮かんでいく。
(……さすがに王子妃に毒を持つ生き物を贈るのは躊躇ったのかしら……?でも、どうして全部お菓子なの?)
戸惑いながら次の箱を開けると、やはりそこにも高級菓子が入っていた。ふとメッセージカードが目に入り、そこに書かれた文字に全ての答えが書かれていた。
―――“シリウス殿下より甘い物がお好きと伺ったので、すぐにご用意させていただきました……”
その先に続く長い文章はもう目に入らない。アリシアはカードを片手に窓辺に近寄ると、中庭の会場へと視線を向けた。
どこからどこまでがシリウスの策略なのかは分からない。けれど、勝手に作られていた“魔族の王女は甘い物が好き”という設定は、アリシアにとって思いも寄らない贈り物を授けてくれていた。
小さな人影がひしめき合う中で、アリシアの目はシリウスただ一人の姿を映し出していた。




