11.祭典①
祭典の始まりを告げる鐘の音が鳴り響く。
眩い輝きを放つ真っ赤なドレスに身を包み、アリシアは鏡の中の自分を見て瞬きを繰り返していた。
最初に豪華な装飾のドレスを目にしたとき、あまりにも自分には似合わないと思っていたのだが、こうして髪を整え化粧を施してもらえば見栄えが全く違って見えた。
侍女のミシェルは慎重に髪飾りをアリシアの白い髪に添えると、満足そうに顔を輝かせる。
「……できました!アリシアさま、いかがですか?」
「ありがとう。とても……まずまずね」
とても素敵、と言おうとして慌てて言葉を変えたアリシアだったが、鏡越しに見たミシェルは笑顔のままだ。
どうにか威厳のある魔族としての態度を意識して過ごしていたつもりだが、何一つミシェルには通用していないように思えてしまう。
(もしかして……とても頭の良い子なのかしら?私が取り繕っているのがバレているの?)
早くもシリウスとの契約が滞っているかもしれない事実に頭を悩ませていると、予定時刻通りに迎えがやって来た。
当たり前のようにノックをせず部屋に入って来たのは、いつもより華美な正装を纏ったシリウスだ。微笑んでいるように見えるその表情は、ミシェルがいるので不本意にも貼り付けているのだろう。
シリウスに会うのは、この部屋で眠ってしまったあの日以来だ。
アリシアがシリウスの味方である謎の人物と接触したあとは、一方的な手紙で指示を与えられただけで顔を合わせてはいなかった。
思わず顔色は大丈夫かと探るようにじっと見つめてしまっていると、どこかバツが悪そうに視線を逸らされる。
「……時間だ、行くぞ」
滑らかに差し出された手のひらに、アリシアは自分の手をそっと乗せる。
目を輝かせているミシェルに心の中で「ちっとも憧れるような関係じゃないのよ」と否定してからシリウスに続いて部屋を出た。
相変わらず、アリシアの部屋の周辺は殺伐とした空気が漂っている。衛兵も使用人もあまり姿を見かけず、たまに見かけても避けられているのでまともに顔を見たことがなかった。
唯一の話し相手であるミシェルは城内で待機のため、廊下に出た瞬間に繋がれていた手は振りほどかれる。
「招待客たちの情報は、頭に入ったか?」
前よりもどこか固い口調でそう問われ、アリシアはちらりとシリウスを横目で見ながら頷いた。
「覚えるのは得意だから、問題ないわ。でも……私に話し掛けに来る人がいるとは思えないけど」
「ああ……そうだな。せいぜい侮蔑と憎悪、それから恐怖の視線を遠くから投げつけられるだけだろうな」
は、と乾いた笑いと共に言われた言葉に、それもそうだろうと納得してしまう。今回の祭典が魔族の脅威から逃れたことを祝うものならば、アリシアが参加すること自体がおかしなものである。
たった一人生き残ってしまった魔族の王女など、誰も同じ空間にいたいとは思わないはずだ。
(私が参加するのは、シリウスとの婚姻を結んだことでもう悪さをしないと知らしめるため。魔族の王女の手綱をこの国の王族が握っていると、そう思わせるため……)
けれど、アリシアが他の貴族や他国の者に下に見られては意味がないとシリウスから手紙で指摘を受けていた。
あくまでも、最強の力を持つ魔族の王女という肩書を失ってはいけないらしい。
「……魔族の威厳を保つ。表情は崩さない……」
ポツリとそう呟いたアリシアは、このあとのことに意識を集中していたため階段で足を滑らせてしまった。
かくんと傾いた体は、すぐにシリウスの腕によって背後から抱き留められる。覚えのあるバニラの香りがふわりと漂ったかと思えば、足元がストンと段差の上におさまった。
「……ありがとう」
「礼なんて要らない。魔族に借す優しさは持ち合わせてないからな」
それなら助けなければ良かったのにと思いながら、アリシアはスタスタと階段を下り始めたシリウスの背中を追い掛ける。
(……よく分からない人。冷たくしたり優しくしたり……でも間違いなく言えるのは、私の兄と姉に比べたら優しい人だわ)
ここが魔族の城で、もしアリシアが階段を踏み外したときにそばに兄姉がいれば、笑顔で背中を押されるだろう。そして転げ落ちるアリシアを見て大声で笑うのだ。
魔族は生まれ持つ魔力のおかげで、人間よりも治癒能力が高い。傷跡が残らないことを理由に何度も酷い目に遭ったことは忘れたくても忘れられない過去だった。
中庭に出ると、一瞬にして視界が彩られる。
鮮やかな花と旗が空間を華やかに演出し、ガーデンテーブルの上には豪華な食事が並んでいる。いつもパーティーに参加させてもらえなかったアリシアの目には、別世界の光景のように映った。
思わず感嘆の声が漏れそうになり、唇をきゅっと結んで耐える。
既に中庭で歓談を楽しんでいた招待客たちがアリシアに気付き、一斉に顔を強張らせたのが分かったからだ。中にはその場から逃げ出すように移動する人もいる。
(……魔族の威厳を保つ、表情は崩さない……)
もう何度目かの自己暗示をかけ、シリウスのエスコートを受けながら人と人の間を縫うようにしてあらかじめ用意されていたイスへと向かう。
その間に声を掛けてくる人物は誰もいなかった。第三王子であるシリウスに対して頭を下げる様子も見られず、この場にいる全ての目がアリシアに向けられているのではないかと思えるほどの視線が突き刺さる。
(……魔族の威厳を保つ、表情は崩さない……)
そもそも、魔族に威厳というものがあったのだろうか―――ふと頭の片隅に過った考えに僅かに眉を寄せれば、隣に座って足を組んでいたシリウスが突然笑い出す。
「……そう拗ねるな、アリシア。俺が皆に蔑ろにされてるわけじゃない……君の美しさに見惚れているんじゃないか?」
その言葉を聞いた瞬間、アリシアは何を言われているのか分からなかった。
けれどすぐに“アリシアがシリウスのことを好き”という設定を思い出し、眉を寄せたアリシアの表情を上手く利用したシリウスの芝居だということに気付く。
ならば、今ここでアリシアがとる正解の態度は―――。
「……そう言ってもらえて嬉しいわ」
真顔で答えたアリシアの表情は、誰がどう見ても喜んでいるようには見えないだろう。それでもシリウスは気にする様子もなく笑っている。
「はは、まだご機嫌は斜めのようだな。……誰か、彼女に甘い菓子を頼む。とびきり甘い物が好物なんだ」
近くにいた使用人たちが真っ青な顔で一斉に動き出し、アリシアの前には甘い物がこれでもかと並べられる。
甘い物が好物など一言も言ったことはないし、そもそも甘い物を口にしたことは数え切れるほどしかなかった。
シリウスの視線を横から感じながら、アリシアは一番小さめのクッキーに手を伸ばし一口かじる。サクッとした音と共に口の中に広がった甘さに衝撃を受けたアリシアは、そのまま残りのクッキーを口の中に放り込んだ。
(甘い物ってこんなに美味しいのね。あのお菓子はどんな味がするのかしら?あのジャムが乗ったふわふわのお菓子は?)
すぐに次に手が伸びてしまったアリシアは、周囲の注目を浴びていることにハッと気付く。
このままでは“魔族の王女は甘い物好き”という誰も得しない情報が広まってしまうだろう。
伸びた手を引っ込ませるにはもう遅く、かといって大勢の前でこのまま食べ続けるのも気が引けた。一瞬の動揺で手が止まった隙を狙ったかのように、横から伸びたシリウスの手が皿の隅にあった果実を一粒もぎ取っていく。
「この果実はマクラウドの特産品だ。その辺の菓子より甘いぞ」
果実を人差し指と親指で挟むように持つシリウスが、微笑みと共にアリシアの口元へと運ぶ。反射的に口を開いてしまい、丸い果実がころりと口の中へ転がり落ちた。
瑞々しい甘さが広がると同時に、周囲にざわめきが広がっていく。こくりと喉を鳴らし果実を飲み込んだアリシアは、これもシリウスの計画の内なのだと理解した。
(魔族の王女がシリウスに逆らえないということを、自然に見せつけようとしているのね)
実際にこの場にいる者たちの目には、シリウスの計画通りに二人の関係が映し出されているのだろう。
シリウスの手のひらの上で転がされている自分が酷く滑稽に思えてしまい、アリシアは同じ果実を一粒取ると今度はシリウスの目の前に差し出して見せた。
「……とっても甘くて美味しい。シリウスにもあげるわね」
僅かに動揺を見せたシリウスの瞳に、鋭さと冷たさが増す。
まるで「上等だ」と言わんばかりの笑みを浮かべ、アリシアの指ごと果実がその口に掬い取られていくのだった。




